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前の卦=51震為雷 次の卦=53風山漸

52艮為山 ごんいさん

 

 艮下(ごんか)艮上(ごんじょう)

八卦の(ごん)を重ねた形。

この卦は八卦の艮を重ねた形なので、八卦と同じ艮と名付けられた。
艮は止まるという意。
八卦の艮は、一陽が二陰の上に在る。
陽の性質は上り進むものであり、今、一陽が上り進んで、すでに二陰の上に至っているので、これ以上進むべきところはない。
したがって、自然にそこに止まっている。
だから艮と名付けられた。

 

卦辞(かじ) 〜彖辞(たんじ)とも言い、周の文王の作と伝わる。

(とどまるべし)其背( その せに )(ざるべし) ()其身( その みを )(ゆきても)其庭( その にわに)(ざれば)()其人( その ひとを)( なし)(とが )

【書き下し】其の背に艮まるべし、其の身を獲ざるべし、其の庭に行きても其の人を見ざれば咎无し、

およそ人の耳、目、口、鼻は、みな前面にあり、それぞれの作用によって、その人の心を動かす。
また、手足も一日中よく動いている。
しかし、背中だけは、常に静かに止まっている。
ソワソワ動くと物事の本質を見失い、静かに止まっていれば物事の本質を見抜けるものである。
したがって、人の心は常に背中のようにしていれば、長く過失はないのである。
背中は実に止まるのによい場所なのである。
だから、其の背に艮まるべし、という。
無思無為の寂然不動の象徴が背中なのである。

そもそも天下全般の罪悪凶殃というものは、悉く我が身に対する愛惜の情が過ぎるから起きるのである。
子の父母に対する不孝、臣の君に対する不忠、婦の夫に対する不貞、弟の兄長に対する不悌、朋友の不信から、詐欺、奸謀、阿り諂い、残忍、貧暴・・・など、とにかくあらゆる罪悪に至る根本は、みな己の身を過愛し、情欲の制御が利かなくなることに始まる。
要するに自己チューということである。
したがって、自分の身から欲を断ち切ることが大事なのである。
それが、其の身を獲ざるべし、ということである。
ただし、隠遁したり、弱気になってひきこもれと言っているわけでもないし、放心者の如く身体を自傷したり、家庭を捨てたり、出家したりということを求めているのでもない。
この俗世間に住みつつも、世間に流されないための方策として、示しているのである。
例えば、ある庭に入って行き、そこにいる人を目で見たとしても、心でその人を見ていなければ、痛さも痒さも感じない、といったことである。
庭とは、世間であり、その人とは世間の事物であり、心で見なければその事物に翻弄されない、ということである。
翻弄されなければ、咎められることもない。
だから、其の庭に行きても其の人を見ざれば咎无し、という。

彖伝(たんでん) 彖伝は卦辞(彖辞)の解説で、孔子作と伝わる。

彖曰(たんに いわく)(ごんは)止也(とどまるなり )( とき ) (とどまるべくば)(すなわち ) (とどまり)( とき ) (おこなうべくば)(すなわち ) (おこなう)動靜(どう せいともに ) (ざるは )(うしなわ)其時( その ときを)其道( その みち ) ( こう ) (めいなるなり)

【書き下し】彖に曰く、艮は、止まるなり、時止まるべくば、則ち止まり、時行うべくば、則ち行う、動静其の時を失わざるは、其の道、光明なるなり、

艮は止まるということである。
止まるべき時には止まり、行うべき時には行い、動くも靜かなるも、行うも止まるも、その時を失わなければ、その道は光明である。
時とは天命であり、天命はすなわち道である。
動止ともにその時の宜しきに止まることが大事なのである。

(とどまるとは)其背( その せに )(とどまるなり)其所( その ところに)也、

【書き下し】其の背に艮まるとは、其の所に止まるなり、

其の所に止まるとは、その止まるべき所に止まるということである。

上下(じょう げ ) 敵應(てき おうして)(ざるなり)相與( あい くみせ)也、是以(これを もって ) (ざるべし) ()其身( その みを )(ゆきても)其庭( その にわに)(ざれば)()其人( その ひとを)(なきとなり)( とが )也、

【書き下し】上下敵応して、相与せざるなり、是を以って其の身を獲ず、其の庭に行きても其の人を見ざれば、咎无きとなり、

上下とは内外の卦のこと。
敵応とは、応爻がないこと。
この卦は六爻すべてに応がなく、陽爻は陽爻と対敵し、陰爻は陰爻と対峙している。
敵応する時には、陰陽が相与して助け合うことがない。
したがって、自身の欲を止まって其の身を獲ず、世間の事物に翻弄されないように、其の庭に行っても其の人を見ないようにすれば、咎はないのである。

象伝(しょう でん ) 卦の(しょう)=形の解説で、大象(たいしょう)とも呼ばれ、彖伝同様に孔子の作と伝わる。

象曰(しょうに いわく)(あわせたる ) (やまあるは ) (ごんなり)君子( くん し ) (もって ) (おもうこと ) ()( いで )(くらいを)

【書き下し】象に曰く、兼せたる山あるは艮なり、君子以って思うこと位を出でず、

兼せたる山とは、連なる山といったことであって、二つの艮が重なった様子を指す。
君子が思念するところは、自身の分を離れないことが大事だから、思うこと位を出でずと云う。
『論語』にある「君子は思うこと其の位を出でず(憲問第十四28)」はこの象伝とほぼ同文であり、中州は、他にも「其の位に在らざれば、其の政を謀らず(泰伯第八14)」「吾与に祭らざれば、祭らざるが如し(八佾第三12)」といった言葉は、まさにこの艮の卦象を想定しながら孔子が言ったのだと指摘している。

爻辞( こう じ ) 〜周公旦の作と伝わる。象曰以下は孔子の作と伝わる象伝。

上九━━━
六五━ ━
九四━ ━
九三━━━
六二━ ━
初六━ ━○

初六( しょ りくは)(とどまる)其趾( その あしに)( なし)(とが )(よろし )(ながく ) (つねあるに)

【書き下し】初六は、其の趾に艮まる、咎无し、永く貞あるに利ろし、

象曰(しょうに いわく)(とどまるとは)其趾( その あしに)(いまだ/ざるなり ) (うしなわ ) (とどまることを)也、

【書き下し】象に曰く、其の趾に艮まるとは、未だ止まることを失わなざるなり、

初六は艮止の初めにして、足の位置であり、陰柔なるをもって妄りに進もうとしない爻である。
およそ人の動き止まることは、必ず足より始まる。
したがって、心の動きを止めようとするときは、まずその身を動かすのを止めるべきである。
その身を止めようとするときは、まずその足を動かすのを止めるべきである。
足を止めて、しかる後に身にも心にも及ぶのである。
足を止めたことで、その心がすでによく止っているときは、物事に触発されることもない。
触発されないときは動かず、動かなければ過ちもない。
だから、その趾に艮まる、咎无し、という。

そもそも身も心も止めたら、これを守ることを永久常恒にするのがよろしい。
だから、永く貞あるに利ろし、という。

上九━━━
六五━ ━
九四━ ━
九三━━━
六二━ ━○
初六━ ━

六二( りく じは )(とどまる)其腓( その こむらに)(ずして )(すくわ )( それ ) (したがえども)其心( その こころ) ()(よから)

【書き下し】六二は、其の腓に艮まる、拯わずして其れ随えども、其の心快からず、

象曰(しょうに いわく)(ずして )(すくわ )( それ ) (したがうとは)(いまだ/ざればなり ) 退聽(しりぞき きか)也、

【書き下し】象に曰く、拯わずして其れ随うとは、未だ退き聴かざればなり、

腓は脹脛(ふくらはぎ)のことにして、六二が丁度その位置に当たる。
もとより六二は、中正にしてよく艮止の道を得ている者だが、陰柔なので微力にして、仕方なく内卦艮の主である九三陽剛に比し従ってしまう。
これは、腓が(すね)に従って動き止まるようなものである。
だから、其の腓に艮まる、という。

そもそも九三は内卦艮の主にして、上下四陰の間に隔て止まり、上下を引き離している。
これによって、四陰は大いに困窮艱難する。
六二は中正にして、心よりこれを視るに忍びなく、四陰を救うために、九三が隔てるのを制し止めようと欲する。
しかし、自己は陰弱微力なので、九三に退くよう諌め聴かせることができず、不愉快ではあるが、九三に比し従うしかない。
恰も腓の肉が脛に従って動止するように。
だから、拯わずして其れ随えども、其の心快からず、という。

上九━━━
六五━ ━
九四━ ━
九三━━━○
六二━ ━
初六━ ━

九三(きゅう さんは)(とどまり) 其限(その こしぼねに)( さく )其夤( その せじしを)(あやうきこと ) (ふすぶ )(こころを)

【書き下し】九三は、其の限に艮まり、其の夤を列く、獅ォこと心を薫ぶ、

象曰(しょうに いわく)(とどまるとは ) 其限(その こしぼねに)(あやうきこと ) (ふすぶるがごときなり ) (こころを)也、

【書き下し】象に曰く、其の限に艮まるとは、獅ォこと心を桙ヤるがごときなり、

九三は上下二体を分ける位置にして、艮止にして動かない。
人体の上下を分けるところは、腰である。
だから、限=腰骨に艮まる、という。
夤は背骨を差し挟む肉のことである。
九三は陽剛にして内卦の上に艮(とど)まり、上下四陰を隔て拒んで、相通じることができないようにしている。
恰も、背骨が左右の肉を隔てるかのように。
だから、其の夤を列く、という。
このように、九三は好んで上下四陰の中間に横たわって隔て、四陰を苦しめるわけだが、およそ他者を苦しめる者は、その苦しめられた他者から背き離れられるとともに、恨まれもする。
恨まれたら、何をされるかわからない。
したがって、その身も獅ュ、その心も安寧ではない。
だから、獅ォこと心を薫ぶ、という。
(ふす)ぶとは、物を燃やして煙と匂いを出すこと、いぶす、くすぶる、といった意。
心を薫ぶとは、心を燃やしている様子の形容すなわち不安で落ち着かないことである。

上九━━━
六五━ ━
九四━ ━○
九三━━━
六二━ ━
初六━ ━

六四( りく しは )(とどまる)其身( その みに )(  なし)(とが )

【書き下し】六四は、其の身に艮まる、咎无し、

象曰(しょうに いわく)(とどまるとは)其身( その みに )(とどむるなり ) 諸躳(これを みに )也、

【書き下し】象に曰く、其の身に艮まるとは、諸を躬に止むるなり、

およそ人の肢体は、頭のてっぺんから足の先まで、どこでも身ではないところはないが、敢えて分ける場合は、腰より上を指して身と言う。
今、六四の爻は、腰の上に居るので、身の位置とする。
この卦は艮止を以って義とする。
六四は柔正を得て六五に従い志を同じくする。
これは宰相の常道を得ている者である。
したがって、他の爻の、趾に艮まり、腓に艮まり、というのと比較すると、優れている。
しかし陰柔なので、何かを成し遂げるほどの力量はなく、己の分に止まっているしかない。
とすると、他の爻よりは優れているとしても、吉とまでは言えない。
としても、己の分に止まっていれば、咎はないものである。
だから、其の身に艮まる、咎无し、という。

上九━━━
六五━ ━○
九四━ ━
九三━━━
六二━ ━
初六━ ━

六五( りく ごは )(とどまる)其輔( その ほほに)(いうこと) ( あり )(ついで)悔亡( くい ほろぶ)

【書き下し】六五は、其の輔に艮まる、言うこと序有り、悔い亡ぶ、

象曰(しょうに いわく)(とどまるとは)其輔( その ほほに)(もってなり)( せい ) (ちゅうなるを)也、

【書き下し】象に曰く、其の輔に艮まるとは、正中なるを以ってなり、

輔は頬のことである。
四の爻を身とすれば、五は身の上なので、口や輔の位置とする。
六五は陰静にして、中を得ている。
これを以ってよく止まる者とする。

およそ君子の慎むべきことは二つ有る。
言と行である。
言と行とは、君が令し、臣が行うのが、基本である。
君は令すなわち言を掌り、臣は行うことを掌るものである。
今、六五は君位に居る。
君が発する言は、至って重く、至って大きい。
したがって、慎重にして秩序正しい発言をしなければいけない。
そして人が言葉を発するときは、輔の動きに従うものであることによる。
だから、其の輔に艮まる、言うこと序有り、という。

とは言っても、九三の爻は陽剛にして内卦艮の主として、下体に艮まって君のところには来ない。
また、二四の両大臣も、共に陰弱にして、六五を輔佐して九三を制伏することはできない。
これは、六五にとって悔いの残ることである。
しかし、六五の君がよく柔中の徳を守り、その言語を慎めば、やがて九三陽剛の臣も、自然にその徳に懐き、六五の君のところに来るというものである。
だから、悔い亡ぶ、という。

上九━━━○
六五━ ━
九四━ ━
九三━━━
六二━ ━
初六━ ━

上九(じょう きゅうは)(あつし )(とどまるに)(きちなり)

【書き下し】上九は、艮まるに敦し、吉なり、

象曰(しょうに いわく)(あつきの ) (とどまるに)(きちとき)(もってなり ) (あつくするを ) (おわりを)也、

【書き下し】象に曰く、艮まるに敦きの吉とは、終わりを厚くするを以ってなり、

この卦は重艮の象であり、九三と上九とは、共に艮止の主である。
しかし、全卦を以って熟観すると、九三は卦の半途に在って、長く止まるべきところではない。
今、この上九は、卦の終わりにして、また更に動き行くべきところもない。
これを以って上九を成卦の主爻とする。
成卦の主にして艮止の卦の極に止まっているのである。
これは、至善の地を得て、そこに止まることを敦くする様子であり、これこそが吉の道である。
だから、艮まるに敦し、吉なり、という。

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ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては易学入門をご覧ください。
また、六十四卦それぞれの初心者向け解説は無料易占いのページをご覧ください。
占いながら各卦の意味がわかるようになっています。

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最終更新日:令和04年04月03日 学易有丘会
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