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前の卦=08水地比 次の卦=10天沢履

09風天小畜 ふうてんしょうちく

「旧約聖書」天地創造4日目を構成する2卦(小畜・履)のひとつ。詳細はコチラ。

小畜 乾下(けんか)巽上(そんじょう)

八卦の(けん)の上に、(そん)を重ねた形。

小畜(しょうちく)は、少し止まる、少し蓄える、という意。
小をもって大を止めるということではない。
そもそもこの卦は、巽の柔順微弱な者が、乾の剛健にして邁進する者を止める様子であるが、どうすれば、柔順微弱な下卦が剛健に邁進する上卦を止められようか。
目の前で行く手を邪魔しても、所詮は微弱なのだから、無理である。
とすると、ひたすら巽順しながら上卦をなだめ静めて、止まるようお願いするしかない。
しかしそれでは、少し止めることはできても、大きく止めることはできない。
だから、小畜と名付けられた。
また、乾を天とし、巽を風とすれば、巽風が乾天の上にあって、日月星が地に落ちないよう畜めている様子。
古は、天の上を吹く風により日月星は動き、地に落ちないのだと、考えていたらしい。
だから、小畜と名付けられた。
また、六四の一陰が宰相執政の位にあって、上下五陽の進むのを止める様子とすれば、次のように解釈できる。
宰相の任は、下は万民の罪悪に進むのを制し止め、上は君上の不善に進もうとするのを諫め止めるべきものである。
しかし、たった一人で億兆万民を制し、臣下をもって君上の過ちを諫めることは、いささか無理である。
少しは止めることはできても、大いに止めることは不可能である。
だから、小畜と名付けられた。

 

卦辞(かじ) 〜彖辞(たんじ)とも言い、周の文王の作と伝わる。

小畜(しょう ちくは)(とおる)(みつ ) (うんすれども ) (いまだ/ず ) (あめふら)(よりす )(わが ) 西郊( せい こう )

【書き下し】小畜は、亨る、密雲すれども不だ雨ふらず、我が西郊よりす、

※ 不は未と同義。

小畜は止めるということだが、一陰の六四が心を尽くして五陽を止め得れば、陰陽の情は相和し、双方の思いは亨通する。
だから、小畜は亨る、という。
密雲とは、陰雲が隙間なく覆っている様子。
不雨は、まだ雨が降らない、ということ。
雨は陰陽の調和を意味する。
この卦は、巽陰卦が上にあり、乾陽の進むを止める様子だが、陰気が陽気を止めるというのは、陰が陽に対して何らかのアクションを起していることになる。
その陰が起すアクションを表現したのが密雲である。
陰のアクションを陽が受け入れれば、陰陽は調和し、密雲は雨となって降る。
しかし、陰の力は弱く、まだ陰陽は調和していない。
だから、密雲すれども不だ雨ふらず、という。
調和して雨が降るためには、陰の雲がさらに増える必要がある。
雲は、北半球では偏西風の関係で、西からやってくるものである。
だから、我が西郊よりす、という。

彖伝(たんでん) 彖伝は卦辞(彖辞)の解説で、孔子作と伝わる。

彖曰(たんに いわく)小畜(しょう ちくは)(じゅう) ( えて )(くらいを)(しこうして ) 上下(じょう げ )(おうずるを )(これに)(いう )小畜(しょう ちくと)

【書き下し】彖に曰く、小畜は、柔位を得て、而して上下之に応ずるを小畜と曰う、

来往生卦法で解説すると、元来この卦は乾為天から来たものであって、その乾為天のときは内外共に剛健にして純陽亢旱(ひでり)の象であるところに、六四の一陰の爻が内卦の外より上り往きて六四の正位を得て宰相の位に居り、成卦の主爻となったものである。
その成卦の主爻たる六四の一陰が雲となって仁水の雨の恩沢を施して乾為天の亢旱を潤そうとし、上下五陽はみな、この六四の一陰に応じている象である。
その六四の宰相は、上は君主の不善を諌め、不道を止め、下は天下万民の非を制し悪を禁じようとする。
しかし僅かに一陰を以って上下五陽を止めるには力不足であって、小さく畜めることはできても大きく畜めることまではできないので、この卦を小畜と名付けたのである。

(すこやかにして ) (しこうして ) (したがい)(ごう ) (ちゅうにして)(しこうして ) (こころざし ) (おこなわる)(すなわち ) (とおる)

【書き下し】健かにして而して巽がい、剛中にして而して志し行わる、乃ち亨る、

この卦は内に乾の健やかなる徳行が有り、外は巽の柔順にしてよく人に従い、ニ五内外共に剛明の才が有って、中の徳を具えている。
したがって終には六四柔正の志が行われることを得る。
その志が行われるというのは、陰陽相和して雨沢降り下る時を云い、その志が行われ雨沢下る時に乃ち亨るのである。

(みつ ) (うんすれども ) (いまだ/ずとは ) (あめふら)(ほどこし ) (いまだ/ざるとなり ) (おこなわれ)也、(よりすとは )( わが ) 西郊( せい こう )(たっとべるなり ) (なすことあるを)也、

【書き下し】密雲すれどもいまだ雨ふらずとは、施し未だ行われざるとなり、我が西郊よりすとは、往すことあるを尚べるなり、

成卦の主爻である六四は止めるの主爻であるとしても、柔弱な一陰を以って五陽の剛きを止めるのは、容易く成し得ることではない。
畜めるのは、陽の進んで為そうとすることを陰より畜め、君と夫と為そうとすることを、臣と妻とよりこれを制し諌めることなれば、元来は争い害うことでもある。
したがって六四の志の陰の雲は空に満ちても、彼の陽の情は未だ相感じて和せず、未だ施しの雨を成し行えないのである。
しかし西郊の陰の方より次第にだんだんと陰雲の立ち重なれる如くに六四の志が重なり積む時には、彼の陽にも遂にその孚に感化して陰陽相和すものである。
それが往すことあるを尚べるなりということであって、往すこととは、柔順誠実を以って陽を感化させることである。

 

象伝(しょう でん ) 卦の(しょう)=形の解説で、大象(たいしょう)とも呼ばれ、彖伝同様に孔子の作と伝わる。

象曰(しょうに いわく)(かぜ ) (ゆくは)天上( てん じょうを)小畜(しょう ちくなり)君子( くん し ) (もって)(うつくしくして )(ぶんを ) (あつむべし )(とくを)

【書き下し】象に曰く、風、天上を行くは、小畜なり、君子以って、文を懿しくして徳を畜むべし、

風とは即ち天気にして、この天気の運行が一息の間断なく天空の小さいものである日月星を畜め止めているからこそ、日月星が隕ちることがないのであって、だから小畜というのだ……現代科学からすれば明らかな誤りだが、大昔にこの文章を書いた孔子はそう考えていたのである。
人の心を天だとすると、人の心念思慮は則ち天地間を運行して一息の間断もない天気であって、その寛仁大度聡明叡智の徳は日月星の公明正大なるが如くにして、絶して地に隕ちるようなことはしてはならない、という戒めを含んでいる。
日月星は天の文、寛仁大度聡明叡智は人の文である。
懿とは專一に琢磨日親して光明美大に至らしむること、畜とは集め積んで盛大に至らしむることである。

余談だが『日本書紀』によると、孔子とほぼ同時代に生きた第四代懿徳(いとく)天皇のこの懿徳という諡号は、この懿文畜徳を典拠としたものだと推測される。
孔子は綏靖30年皇紀109年西暦紀元前552年生まれ、懿徳32年皇紀182年西暦紀元前479年卒。
懿徳天皇は綏靖29年皇紀108年西暦紀元前553年生まれ、懿徳34年皇紀184年西暦紀元前477年崩。

爻辞( こう じ ) 〜周公旦の作と伝わる。象曰以下は孔子の作と伝わる象伝。

上九━━━
九五━━━
六四━ ━
九三━━━
九二━━━
初九━━━○

初九(しょう きゅうは)(かえること ) (よりす )(みち )(なんぞ ) (それ ) (とがあらん)(きちなり)

【書き下し】初九は、復ること道よりす、何ぞ其れ咎あらん、吉なり、

象曰(しょうに いわく)(かえること ) (よりすとは )(みち )其義( その ぎ )吉也(きちなるとなり )

【書き下し】象に曰く、復ること道よりすとは、其の義、吉なるとなり、

復るとは、その本来の居場所に復ることをいう。
初九は下卦乾の進むの卦の初めに在って、不中の爻であることから、平生は進むことに専らなる者であり、まず一番に進んで上卦に至ろうとする者である。
しかし、初九の応爻である六四は成卦の主爻にして、正位に居て、小畜の時を得ている爻である。
したがって六四は、よく天下の衆陽爻の妄りに進む者を畜め制す。
特に初九の爻とは、害応となってその勢いを畜めるのである。
要するに初九は、一旦は卦爻の情により、妄りに進もうとするが、やがて六四の害応が時を得て、手ぐすね引いて待ち構え、その勢いを止めようとしていることを明らかに察知し、中途より初九本来の位置にとって返すのである。
これは、初九の爻が、幸いにも正を得ていて、よく省み察して、己が進むことの、時を犯してはいけないことを悟り、よく自ら止まり守る資質を備えているからである。
これこそ義としても吉の道である。
だから、復ること道自りす、何ぞ其咎あらん、吉なり、という。
なお、何ぞ其咎あらん、というのは、復ることを励ましているのである。
初九は過剛不中の爻にして、妄りに進むことに鋭敏なのである。
今、畜まるの時を犯して進めば、それこそ咎が有る。
せっかく進んでいるのに止まるのは辛いことではあるが、そこを、勇気を以って進むのを諦め、本位に復れば、その咎は消えるのである。
復ることに咎はなく、進むことにこそ咎があるのである。
だから、何ぞ其咎あらん、と、復ることを励ましているのである。

上九━━━
九五━━━
六四━ ━
九三━━━
九二━━━○
初九━━━

九二(きゅう じは )(ひかれて ) (かえる)(きちなり)

【書き下し】九二は、牽かれて復る、吉なり、

象曰(しょうに いわく)(ひかれて ) (かえること ) ( あり )(ちゅうに)(また ) (ざるなり ) (みずからを ) (うしなわ)也、

【書き下し】象に曰く、牽かれて復ること中に在り、亦自らを失わざるなり、

九二もまた下卦乾の剛健の卦の一体中に在り、陽爻の性により、進むところの者である。
しかし六四とは応でも比でもないので、六四から畜められるということはない。
これに対して、もうひとつの下卦乾の一体の爻の九三は、六四と害比の位なので、初九と同様に、六四に止められる。
要するに、九二を挟む初九と九三の二つの爻は、六四に厳しく止められるのである。
もとより初二三は、乾の進むの卦の同一体なので、共に連なって進む者である。
今、九二は六四によって制し止められることはないが、己に剛中の徳が有るので、初九が止められて本位に復るのを見て、自らも本位に復ろうと決断するのである。
これは進むにも躁急にならず、復るにも狼狽しない者であって、その中徳を自ら失わないのである。
だから、牽かれて復る、という。
そもそも九二は、剛中の徳を得ているので、過剛の失はなく、初爻が進めば共に進み、初爻が復れば共に復るのである。 だから、吉なり、という。

上九━━━
九五━━━
六四━ ━
九三━━━○
九二━━━
初九━━━

九三(きゅう さんは)輿(くるま ) (だっす )(とこしばりを)夫妻( ふ さい ) 反目( はん もくす)

【書き下し】九三は、輿輹を説す、夫妻反目す、

象曰(しょうに いわく)夫妻( ふ さい ) 反目(はん もくすとは)(ざればなり )(あたわ )(ただしくすること )(しつを)也、

【書き下し】象に曰く、夫妻反目すとは、室を正しくすること能わざればなり、

※中州は、輹は通本には輻とあるが、輹の誤りだとしている。

輿とは車のことで、進み行くことに喩えている。
輹とは、輿の床板と車軸とを接続する台座部品のことで、葦皮で縛り束ねたものである。
この葦皮の縛り束ねが不十分だと、車軸が台座から外れてしまい、輿は動かなくなる。
今、九三は下卦乾の進むの卦の極にあって、過剛不中にして、進むことに勢いづいている者である。
これを、輿の轟き進む様子に喩える。
しかし、六四の畜めることの主爻に害比されて、厳しく進むことを制止させられる。
そもそも六四は、重陰不中ではあるが、成卦の主爻にして小畜の時を得ているので、九三が強引に進もうとして六四と争っても、九三は負けて進めない。
これは、輿の輹を外されるようなものである。
現代風に言えば、エンジンをかけていざアクセルを踏んで進もうとしているときに、タイヤを外されるようなことだろうが、ともあれ、そういうふうに、進もうとしても進めないときなのである。
だから、輿輹を説す、という。
説の字は、ここでは脱と道義の「外す」という意味である。

さて、卦をもって言うときには、乾の夫が、巽の妻に止められる様子である。
爻をもって言うときには、九三の夫が進もうとするのを、六四の妻が制し止める様子である。
易の通例では、応爻を夫妻とし、比爻もまた夫妻とする。
原則的には、応爻は正式な婚姻関係、比爻を愛人関係とするが、そういった区別なく、応爻も比爻も一般的に夫妻とする場合もある。
この卦の九三と六四は比爻の関係にあるが、区別なく一般的に夫妻=男女関係とする。
何れにしても、九三と六四は、陰陽相和せずして、夫妻睦まじくない様子である。
九三の夫は、過剛不中なので、何がなんでも進もうとする。
六四の妻は、重陰不中なので、何がなんでも止めようとする。
互いに相手の意見を受け入れる余裕はないのである。
したがって、互いに喧嘩腰になり、反目するのである。
だから、夫妻反目す、という。
およそ、その夫妻が反目するに至ることは、その妻たる者の不良不敬たることは論を待たない。
しかしその原因は夫の妻に対する態度にあり、それを直さない限り、妻=室の気持ちを元のように正すことはできない。

上九━━━
九五━━━
六四━ ━○
九三━━━
九二━━━
初九━━━

六四( りく しは )(あれば )(まこと)恤去( うれい さり ) タ出( おそれ いず )( なし)(とが )

【書き下し】六四は、孚有れば、恤い去りタれ出ず、咎无し、

象曰(しょうに いわく)(あれば )(まこと ) タ出(おそれ いずとは)(うえと ) (ごうすればなり ) (こころざしを)也、

【書き下し】象に曰く、孚有ればタれ出ずとは、上と志を合すればなり、

孚とは忠信にして、道にかなっていることである。
恤いタれは、憂患の甚だしいことである。
去る、出るは、憂患を間逃れることを言う。
六四は成卦の主として、僅かに一陰の微弱なるを以って、下三本と上二本の計五陽の強きを制止しようとするものである。
六四は小畜の時に遇い、柔正の信を以って止めるとしても、弱きを以って強に立ち向かい、少なきを以って陽の多きに立ち向かうのだから、傷害の恐れがある。
しかし五陽の進むは道に背き、六四の止めるは義に合うことである。
したがって、一旦は五陽も敵対して争うとしても、終わりには六四に止められるのである。
ただしこれは、六四の力を以って止め得たのではなく、六四の孚信を尽くし、誠実を致す様子に感じて、五陽爻が自ら止まったのであって、上の九五の君も志を合わせたのである。
だから、孚有れば恤い去りタれ出ず、という。
一般に、弱きが強きを制し、陰が陽を制するのは、咎のあることである。
しかし今、六四は小畜の止めるの時を得て、自己の孚信を尽くし、道理を以って止めるので、五陽爻の剛強なる者たちも、自然に感じ和して止まるを得るのである。
これが、六四が咎を間逃れる所以である。
だから、咎无し、という。

上九━━━
九五━━━○
六四━ ━
九三━━━
九二━━━
初九━━━

九五(きゅう ごは )(あって )(まこと)戀如( れん じょたり)(とみて ) (たすく )其鄰( その となりを)

【書き下し】九五は、孚有って、恋如たり、富て其の隣を以く、

象曰(しょうに いわく)(あって )(まこと ) 戀如(れん じょたりとは)(ざるとなり )(ひとり ) (とま )也、

【書き下し】象に曰く、孚有って恋如たりとは、独り富まざるとなり、

九五は陽爻を以って六四の陰爻に比している。
陰陽の相求め合うことは、卦爻の性情である。
今、九五は六四と同じ卦の中に連なり、隣り合っている。
これは九五が六四に信有って、専らにつきまとう様子である。
だから、孚有って恋如たり、という。
もとより九五は君位に在って、陽実の富貴であることを以って、六四の陰虚貧乏の不足を助けるものである。
だから、富て其の隣を以く、という。
鄰とは、六四のことである。

なお、九五は君位の爻である。
とすれば六四は臣の爻なのだから、六四を指して臣というべきであるが、ここでは隣と言っている。
これは九五の君徳を貶めて不満としているのである。
そもそも君上は、天下億兆の民の父母として、仁愛恩沢を四海に遍く及ぼすべき者である。
しかし今、六四の独りの臣にのみ恋如として目をかけて助けているのである。
これでは偏っている。
そこで、六四を隣と言い、市井の人の如くして、その君徳の欠如している部分を戒めているのである。

上九━━━○
九五━━━
六四━ ━
九三━━━
九二━━━
初九━━━

上九(じょう きゅうは)既雨(すでに あめふり ) 既處(すでに おる )(たっとぶ )(とく ) (みつるを)() (かたくななれば ) (あやうし)(つき ) (ちかし )(ぼうに)君子( くん し ) (ゆくは ) (きょうなり)

【書き下し】上九は、既に雨ふり既に処る、徳載るを尚とぶ、婦貞なれば獅オ、月望に幾し、君子征くは凶なり、

象曰(しょうに いわく)既雨(すでに あめふり ) 既處(すでに おるとは)(とくの ) (つみあげ ) 載也(みてるなり  )君子( くん し ) (ゆくは ) (きょうなりとは)(あればなり )(ところ )(さまたげる)

【書き下し】象に曰く、既に雨ふり既に処るとは、徳の積みあげ載てるなり、君子征くは凶なりとは、礙げる所有ればなり、

まず注意したいのは、この上九の爻は、小畜の卦の極にして止まるの至極のところとするのではない、ということである。
これは、地水師、火天大有、地天泰、天地否などの上爻と同例である。

さて、陰を以って陽を止めるときには、密雲はすれども未だ親和しないので、雨にはならない。
としても、この小畜の卦の極に至っては、最早止めるところも極まり熟し、陰陽の情もよく相和して、雨を降らせるときなのである。
卦辞の初めに「亨る」とあるのは、この爻この時の事なのである。
既に雨が降るとは、衆陽爻の心が解けて、六四の止めを聞き入れ、皆相和し止まって、各そのところに安んじ居ることである。
だから、既に雨ふり既に処る、という。
六四の一陰は微弱であっても、その孚信充実の徳が満ちているので、衆陽爻は相感じ相和して、自ら止まり処るのである。
だから、陰の徳を褒めて、徳戴るを尚ぶ、という。
ここまでは、小畜全卦の成功の象義を明らかにしているのである。

次の婦貞獅ヘ、この卦一陰の特義を以って、象を為しているので、主として婦妻の道について垂戒する。
婦とは上卦の巽の陰卦の象について言うものであって、陰の徳は婦の徳であることを示しているのである。
貞とは、ここでは貞固の意味であって、固執の義にして改めないことを言う。
その意は、例えば、妻が夫の過失を制し止め、臣が君の非を制し諌めるとも、そもそも制し止める相手は夫であり君である。
その妻や臣の心に孚信があって、過失や非義を視るに忍びず、止むを得ず道理を以って諌め止めるのであってこそ、その夫や君はその道理と孚に感じ和して、自ら止まるのである。
したがって、その妻や臣は、過言苦争の不敬無礼を惧れ畏こみ慎んで意見するべきである。
しかし、それで夫や君が聞き入れたとしても、その妻その臣として、自ら功を成したと誇って徳とし、これ以後も、また何かあれば制し止めようなどと思うときは、これは危うくして凶の道である。
以上の戒めを込めて、婦貞なれば獅オ、という。

続く月幾望は、月は大陰の精であり、望は満月のことであって、陰徳の盛んな様子を喩えたのである。
これは上の、徳戴るを尚ぶ、と異辞同義である。
君子とは学者を指していて、これは上の婦が指すことを、別の角度から言ったのである。
婦とは陰爻の象を以って言い、君子とは道義について言ったのである。
征くは凶なり、とは、貞なれば獅オ、と同義である。
一旦は、君と夫との過ちを諌め止めるとしても、その成功に乗じ、しばしば諌め止めようとすることは、道に於いて妨げになり、凶である。 だから、征くは凶なり、という。

前の卦=08水地比 次の卦=10天沢履

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01.乾為天 02.坤為地 03.水雷屯 04.山水蒙 05.水天需 06.天水訟 07.地水師 08.水地比 09.風天小畜 10.天沢履 11.地天泰 12.天地否 13.天火同人 14.火天大有 15.地山謙 16.雷地予 17.沢雷随 18.山風蠱 19.地沢臨 20.風地観 21.火雷噬嗑 22.山火賁 23.山地剥 24.地雷復 25.天雷无妄 26.山天大畜 27.山雷頤 28.沢風大過 29.坎為水 30.離為火 

31.沢山咸 32.雷風恒 33.天山遯 34.雷天大壮 35.火地晋 36.地火明夷 37.風火家人 38.火沢睽 39.水山蹇 40.雷水解 41.山沢損 42.風雷益 43.沢天夬 44.天風姤 45.沢地萃 46.地風升 47.沢水困 48.水風井 49.沢火革 50.火風鼎 51.震為雷 52.艮為山 53.風山漸 54.雷沢帰妹 55.雷火豊 56.火山旅 57.巽為風 58.兌為沢 59.風水渙 60.水沢節 61.風沢中孚 62.雷山小過 63.水火既済 64.火水未済

ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては易学入門をご覧ください。
また、六十四卦それぞれの初心者向け解説は無料易占いのページをご覧ください。
占いながら各卦の意味がわかるようになっています。

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最終更新日:令和02年09月09日 学易有丘会
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