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前の卦=32雷風恒 次の卦=34雷天大壮

33天山遯 てんざんとん

イエス捕縛の後に「ペトロが三度否んだら鶏が鳴いた」の卦。詳細はコチラ。

 艮下(ごんか)乾上(けんじょう)

八卦の(ごん)の上に、(けん)を重ねた形。

(とん)は、逃れる、という意。
上卦の乾を天とし、下卦の艮を山とすれば、この卦は天の下に山がある様子。
山は有形の物体にして、止まって動かないが、天は太陽精気の本体であり、上り進んで止まらない性質である。
したがってこの卦は、天(上卦)が山(下卦)から逃れ去ろうとしていることになる。
だから遯と名付けられた。
また、十二消長で言えば、二陰が下に長じて、四陽が上に消されようとしているときであり、これは陽が逃れ退く様子である。
だから遯と名付けられた。
また、陰は小人の道、陽は君子の道だから、小人の道が長じ、君子の道が消え、小人が侵し進み、君子が退き逃れるときである。
だから遯と名付けられた。
また、この卦を二人連れの様子とすれば、後より行く者は止まり、前に行く者は健やかにして進み逃れようとしているときである。
だから遯と名付けられた。
また、艮の少男は止まり、乾の父は老いて退き遯れる様子である。
だから遯と名付けられた。
また、乾を賢者とし、艮を山とすれば、賢者が山に遯れる様子である。
だから遯と名付けられた。

 

卦辞(かじ) 〜彖辞(たんじ)とも言い、周の文王の作と伝わる。

(とんは)(とおる)()(よろしから ) (かたくなしきに)

【書き下し】遯は、亨る、貞なしきに利しからず、

亨ると言っても、今は遯のときだから、ただちに亨るわけではない。
よく遯れ得た後に、亨るのである。
遯のときに遭遇した君子は、必ず機を見て変に応じ、平常無事のときのように、方正厳格の道を用いてはいけない。
もし、方正厳格の道を用いれば、逃れ得ることはできず、小人に害されてしまう。
それだけ切迫しているときなのであって、形振り構っている余裕はない。
だから、貞なしきに利ろしからず、という。
この場合の貞は、貞固=固執の意である。

彖伝(たんでん) 彖伝は卦辞(彖辞)の解説で、孔子作と伝わる。

彖曰(たんに いわく)(とんは ) (とおるとは)(のがれて ) (しこうして ) 亨也(とおるとなり )(ごう ) (あたって) (くらいに ) (しこうして ) (おうあり)(ともに )(ときと ) 行也(おこなうなり )

【書き下し】彖に曰く、遯は亨るとは、遯がれて而して亨るとなり、剛位に当たって而して応あり、時と与に行なうなり、

遯は亨るというのは、今は遯の時なので、よく遯れ得れば、その後に亨る、ということである。
剛位に当たって而して応ありというのは、君位の九五は剛健中正にして六二と陰陽相応じていることを指す。
時と与に行うとは、遯の時だということをよく理解して、時勢に従い逃れ退くということで、そうすれば然る後に亨るのである。

(ずとは )(よろしから ) (かたくなしきに)(おかしすすんで ) (しこうして ) 長也(ちょうずればなり)(とんの)時義(ときの ぎ )大矣(おおいなるかな)哉、

【書き下し】貞くなしきに利ろしからずとは、浸んで而して長ずればなり、遯の時の義(ぎ)、大いなるかな、

君子は遯の時に当たっては、貞正の道は内に包み隠し、決して発露することがないようにして、小人の害を避けなければいけない。
陰邪の小人が時を得て浸し長じ、陽正の君子の道は日々に消され行く時だからである。
遯れなければいけない時をきちんと知って速やかに遯れることはとても大事だから、遯の時の義、大いなるかな、と感嘆する。

 

象伝(しょう でん ) 卦の(しょう)=形の解説で、大象(たいしょう)とも呼ばれ、彖伝同様に孔子の作と伝わる。

象曰(しょうに いわく) 天下(てんの したに ) (あるは)(やま )(とんなり)君子( くん し ) (もって ) (とおざくるに )小人(しょう じんを)()(あしくせ )(しこうして ) (おごそかにすべし)

【書き下し】象に曰く、天の下に山有るは、遯なり、君子以って小人を遠ざくるに、悪くせず而して厳かにすべし、

天は積気無形にして(のぼ)り進む性質があり、山は有形にして動かないものであって、天の気は升り進み去り、山は止まって動かない。
すなわちこれは、天の遯れ去るの義である。
これを人事に当てる時には、乾の君子が機を見て艮の山へ退く隠れるという義とするが、十二消長の象で云えば、二陰の小人が時を得て、勢いに乗って君子を凌がんとしている時であり、これは君子と小人とが一緒に混ざり仕える時である。
君子としては、その害を避けるために、小人を遠ざけなければいけない。
そのために君子としては、威圧的に喧嘩腰で小人と接するのではなく、顔色から応接の言語等までも温順柔和にして、忌み嫌う素振りは見せず、ただ、内には己が徳を自然に荘重厳粛にして、小人が自ら遠ざかるようにするべきである。

爻辞( こう じ ) 〜周公旦の作と伝わる。象曰以下は孔子の作と伝わる象伝。

上九━━━
九五━━━
九四━━━
九三━━━
六二━ ━
初六━ ━○

初六( しょ りくは)(のがれること ) (あとなり)(あやうし)(なかれ )(もちいること )(あるに )(ところ )(なす )

【書き下し】初六は、遯れること尾なり、獅オ、往す攸有るに用うること勿れ、

象曰(しょうに いわく)(のがれるときの ) (あとの)(あやうしとは)(ずんば )(することあら)(なんの ) 災也(わざわいかあらんとなり)

【書き下し】象に曰く、遯れるときの尾の獅オとは、往ることあらずんば、何の災いかあらんとなり、

この遯の卦にて、遯(のが)れるというのは、卦象にては四陽爻である。
爻の象にては、六二を除く他の五本の爻すべてが皆遯れる者とする。
したがって初六もまた遯れ去る者とする。
しかし初六は六爻の最後尾に居るので、前を行く者たちの後から遯れるのであって、遯れることに後れる者である。
尾というのは、上爻を首とするからである。
およそ遯れ去ろうとする者は、先んじるのを容易とし、早いのを吉とし、後れるを難とし、遅いを凶とする。
今、初六は陰柔にして遯れる卦の最後尾に居る。
これは後にいてなおかつ遅い者である。
だから、遯れること尾なり、という。
そもそも遯の時命に当たっては、一刻も早く、することは何もかも打ち捨てて、取り敢えず遯れるべきである。
そうであれば、何の災いがあろうか。
しかし、まだちょっとくらい大丈夫だろうと、何かを片付けてから遯れよう、などと考えたらいけない。
そのようであれば、大いに災害を招くことになる。
だから、これを戒めて、獅オ、往す攸有るに用うること勿れ、という。

上九━━━
九五━━━
九四━━━
九三━━━
六二━ ━○
初六━ ━

六二( りく じは )(とらうるに )(これを)(もってして)黄牛( こう ぎゅうの)(つくりかわを)(なからしめよ ) (これをして ) (たゆること)1ノ(ぬきとくに)

【書き下し】六二は、之を執うるに黄牛の革を用ってして、之を説きとくに勝ゆること莫からしめよ、

象曰(しょうに いわく)(とらうるに ) (もってせよとは )黄牛( こう ぎゅうを)(かたくせしめよとなり ) (こころざしを)也、

【書き下し】象に曰く、執うるに黄牛を用ってせよとは、志を固くせしめよとなり、

この卦は、衆爻がこぞって我も我もと遯れ去ろうとする時である。
その中にあって、この六二の爻のみは、ただ独り成卦の主爻であることにより、衆爻の遁れ去ろうとするのを止める者である。
卦の象を以って論じるときには、この六二の陰爻が有ることにより、四陽爻が共に逃れ去るところの義とする。
しかし、爻の象を以って論じるときには、この六二は却って衆爻を止めるところの者とする。
爻の象は、中正の徳を主として教え、この六二は中正忠信の君子なる者とする。
また、卦の象を以ってするときは、陰陽の徳を主として教えるので、陽を君子、陰を小人として論じる。
このように、卦と爻の象では、捉え方が違うのである。
さて、この六二の爻は、中正の徳が有り、忠信の君子なる者である。
したがって、今は遁れ去ろうとするところの衆爻を止めるの道を教えるのである。
これは実に社稷の忠臣たる者である。
そこで、この爻辞だが、之を執うるに、の之は、遁れ去ろうとする衆爻を指す。
黄とは中の色にして、中の義である。
牛は柔順の喩えである。
革とは、堅固の義を喩えている。
要するに、六二は柔順中正堅固の志を以って、衆爻の遁れ去ろうとする者を執え止めるのだが、黄牛の頚皮(くびかわ)で作った強靭な革紐(かわひも)で縛りつけるように、衆爻の意を、六二の社稷に忠誠な志に感化させ、その革紐を脱ぎ去ることができないようにせよ、という義である。
だから、之を執うるに黄牛の革を用ってして、之を説きとくに勝ゆること莫からしめよ、という。

上九━━━
九五━━━
九四━━━
九三━━━○
六二━ ━
初六━ ━

九三(きゅう さんは)(きずなあって ) (のがれるときに)( あり )(やましきこと)(あやうし)(やしなうには)臣妾( しん しょうを) (きちなり)

【書き下し】九三は、遯れるときに係あって、疾しきこと有、獅オ、臣妾を畜うには吉なり、

象曰(しょうに いわく)(きずなあるの ) (のがれるときに)(あやうしとは)(あって )(やましきこと)憊也(くるしめるとなり)(やしなうには)臣妾( しん しょうを) (きちなりとは)()()(かなるとなり) 大事( だい じに )也、

【書き下し】象に曰く、遯れるときに係あるの獅オとは、疾しきこと有って憊しめるとなり、臣妾を畜うには吉なりとは、大事に不可なるとなり、

九三は遯れる時に当たって、六二の陰柔の爻に親しみ比している。
陽が親しみ好むところは陰である。
陰の親しみ好むところは陽である。
これは陰陽の性情である。
したがって、九三の陽爻は六二の陰爻に親比して、これを愛し好む。
これは九三の係累(きづなで結ばれた者)である。
しかし、遁れ去ろうとするときには、係累はないのがよい。
係累があると、必ずそのために遁れるタイミングを逸し、痛悩疾苦するものである。
これは身に疾病があるようなもので、甚だ獅「道である。
だから、遯れるときに係あって、疾しきこと有り、獅オ、という。

ここまでが、周公旦が作成した遯の九三の爻の辞である。
以下は、周公旦以前からの辞を、そのまま句末に付加したものである。
そのため、前半とは内容が全く異なっている。
爻辞は、すべて周公旦が書いたと言われているが、このように、周公旦以前からあった文章を、周公旦が捨てずに、周公旦の辞の後にそのまま付加している辞もところどころにある。
唐突に文章の内容が変わっている個所が、その古い伝承の個所である。

さて、臣妾を畜うのは、親愛を以って懐けるの義である。
この九三と六二は陰陽正比している。
したがって、自分が親愛を以って臣妾を懐ければ、臣妾もまたよく承け順がうという象義である。
だから、臣妾を畜うには吉なり、という。
これは、臣妾を畜うには、吉占の爻である。

ただし、君子が遯退しなければいけないような大事には、係累あって、それがために痛悩疾苦して凶なのであって、臣妾を畜うような小事ならば、陰陽が親比するので吉である、という義である。

上九━━━
九五━━━
九四━━━○
九三━━━
六二━ ━
初六━ ━

九四(きゅう しは )(このむことあり ) (のがれるときに)君子( くん しは ) (きちなり)小人(しょう じんは ) (しからず)

【書き下し】九四は、遯れるときに好むことあり、君子は吉なり、小人は否らず、

象曰(しょうに いわく)君子( くん しは ) (このんで ) (のがれる)小人(しょう じんは ) 否也(しからざるなり )

【書き下し】象に曰く、君子は好んで遯れる、小人は否らざるなり、

九四は初六に応じている。
これは、九四の親愛嗜好するところの係累である。
今、遯の時に当たって、この初六の親愛嗜好が有って、これに係累させられる。
だから、遯れるときに好むことあり、という。
この時に当たって、君子ならば、必ず幾を見てその親しみ好み割き捨て難いところのものを、潔く割断して、遯れ得るべきである。
それが君子の君子たる所以であり、遯れるときに好むことがあれば、その好むことを切り捨て、自ら遯れることを好んで遯れるのである。
だから、君子は吉なり、という。
一方、小人は情欲を割断するなどということはできないので、愛好に係り縛られて遯れられない。
したがって、君子の吉に反する。
だから、小人は否らず、という。
ただし、君子も小人も共に九四の爻にして、この時この位に当たる者は、君子ならばよく係累を割断して遯れ得て吉だが、小人ならば否らずして凶である、という意である。

上九━━━
九五━━━○
九四━━━
九三━━━
六二━ ━
初六━ ━

九五(きゅう ごは )(よくせり ) (のがれることを)(ただしくして ) (きちなり)

【書き下し】九五は、遯れることを嘉くせり、貞しくして吉なり、

象曰(しょうに いわく)(よくせり ) (のがれることを ) (ただしくして ) (きちなりとは)(もってなり ) (ただしくするを ) (こころざしを)也、

【書き下し】象に曰く、遯れることを嘉くせり、貞しくして吉なりとは、志を正しくするを以ってなり、

九五は六二の応の位である。
これを以って陰陽相応じて、六二を親愛する。
しかし元来九五は剛健中正なので、何か事があれば、よくその親愛するところの者をも割断して、速やかに遯れ去り得る者である。
これは、よく時を知り事を酌(はか)り、経権取捨、軽重緩急、臨機応変に対処できる者である。
そもそも九四の爻では、不中不正なのに、君子は吉という辞が有る。
対するこの九五は、剛健中正であってその志は正しく、九四より遥かに勝れている。
とすると、九五は無論君子たる者であって、吉でないはずがない。
だから、これを褒称して、遯れることを嘉くせり、という。
貞しくして吉なり、とは、中正の爻象と教誨とを兼ねた辞である。

上九━━━○
九五━━━
九四━━━
九三━━━
六二━ ━
初六━ ━

上九(じょう きゅうは)(とぶがごとし ) (のがれるときに)( なし )(ざること ) (よろしから)

【書き下し】上九は、遯れるときに飛ぶがごとし、利ろしからざること无し、

象曰(しょうに いわく)(とぶがごとし ) (のがれるときに)(なしとは ) (ざること ) (よろしから)(なかればなり )(ところ )(ささわる)也、

【書き下し】象に曰く、遯れるときに飛ぶがごとし、利ろしからざること无しとは、礙わる所无かればなり、

今、遯の時にして、遯れようとする爻は、悉く応比の係累が有るか、最後尾に居てモタモタしている。
六爻中ひとりこの上九のみは、応も比もないので、親愛嗜好の礙わる(=妨げる)係累もない。
これは遯れるには、最も容易な爻である。
なおかつ遯れるの道は、後ろに居る者は難しく遅い。
前に在る者は容易く速い。
今、上九は全卦の極に居て、六爻の先端に居る。
さらには、陽剛にして、乾の進むの卦極でもあるので、その遯れることの速やかなことは、まさに飛ぶが如くである。
だから、遯れるときに飛ぶがごとし、という。
このように、速やかの遁れるのは、係累があってモタモタしている者からすると何やら慌てふためいていて滑稽にも見えるが、それは負け惜しみなのであって、速やかに遁れるほうがどんなにかよいのである。
だから、利ろしからざる无し、という。

前の卦=32雷風恒 次の卦=34雷天大壮

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01.乾為天 02.坤為地 03.水雷屯 04.山水蒙 05.水天需 06.天水訟 07.地水師 08.水地比 09.風天小畜 10.天沢履 11.地天泰 12.天地否 13.天火同人 14.火天大有 15.地山謙 16.雷地予 17.沢雷随 18.山風蠱 19.地沢臨 20.風地観 21.火雷噬嗑 22.山火賁 23.山地剥 24.地雷復 25.天雷无妄 26.山天大畜 27.山雷頤 28.沢風大過 29.坎為水 30.離為火

31.沢山咸 32.雷風恒 33.天山遯 34.雷天大壮 35.火地晋 36.地火明夷 37.風火家人 38.火沢睽 39.水山蹇 40.雷水解 41.山沢損 42.風雷益 43.沢天夬 44.天風姤 45.沢地萃 46.地風升 47.沢水困 48.水風井 49.沢火革 50.火風鼎 51.震為雷 52.艮為山 53.風山漸 54.雷沢帰妹 55.雷火豊 56.火山旅 57.巽為風 58.兌為沢 59.風水渙 60.水沢節 61.風沢中孚 62.雷山小過 63.水火既済 64.火水未済

ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては易学入門をご覧ください。
また、六十四卦それぞれの初心者向け解説は無料易占いのページをご覧ください。
占いながら各卦の意味がわかるようになっています。

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最終更新日:令和04年04月03日 学易有丘会
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