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前の卦=03水雷屯 次の卦=05水天需

04山水蒙 さんすいもう

「旧約聖書」天地創造1日目を構成する5卦(未済・乾・坤・屯・蒙)のひとつ。詳細はコチラ。

 (もう) 坎下(かんか)艮上(ごんじょう)

八卦の(かん)の上に(ごん)を重ねた形。

(もう)は、くらい、おろか、先が見えない、といった意。
艮を山とし、坎を雲霧とすれば、艮の山の麓より坎の雲霧が発生し、峰も谷も覆い隠して、幽暗となった様子。
だから蒙と名付けられた。
また、艮を山とし阻むとし、坎を川とし険しいとすれば、山川険阻の地を表現していることになるが、そういうところは旅人も道に迷いやすく、これでいいのかと先が見えない不安を抱く。
だから蒙と名付けられた。
また、艮を山とし、坎を泉とすれば、山より泉が出るところを表現していることになるが、その泉はやがて他の湧き水と合流して川となり、さらにいろいろな川と合流して、大きな川となり最後には海にたどり着く。
しかし、湧き出る泉の時点では、これからどこをどう流れて、どういう結末になるかは、無知蒙昧のように、まったくわからない。
だから蒙と名付けられた。
また、上卦を外とし、下卦を内とすれば、内卦の坎の険難の外に出て、その場に艮止(とどま)っている様子。
例えば、鉄砲水が出て、危うく岸に逃れたけど、さらに遠くの安全なところまで避難することはせず、鉄砲水をすぐ近くから眺めているようなもの。
これでは何も知らない子供のように愚かなことだ。
だから蒙と名付けられた。

 

卦辞(かじ) 〜彖辞(たんじ)とも言い、周の文王の作と伝わる。

(もうは)(とおる)(あらず )(われより ) (もとむるに )童蒙( どう もうに)童蒙( どう もうより ) (もとむべし )(われに)初筮( しょ ぜいは) (つぐ )再三(さい さんすれば ) (けがる)(けがるれば ) (すなわち) ()(つげ )(よろし )(ただしきに)

【書き下し】蒙は、亨る、我より童蒙に求むるに匪ず、童蒙より我に求むべし、初筮は告げる、再三すれば瀆る、瀆るれば則ち告げず、貞きに利し、

ここに、亨る、とあるのは、今、直ちに亨ということではない。
蒙昧であることを自覚し、賢者を求めて勉強し、物事の道理を会得して、然る後に亨る、ということである。

蒙昧を自覚して勉強を始めると、なんだか偉くなったような気がして、教わったことを誰かに教えたくなるものである。
続く、我より童蒙に求めるに匪ず、童蒙より我に求めるべきなり、というのは、そんなときの気分を戒めているのだ。
我とは教える立場の人間=先生、童蒙とは子供のように蒙昧な人間=教えられる立場の人間。
少し教わり、なんだか偉くなった気分になって、先生のつもりで、嫌がる子供たちを集め、自分が教わったことを自慢げに教えるのは、よくないことだ。
自分は何もせずとも、子供たちの方から教えて欲しいと頼まれるようになることだ。

ところで、蒙昧な人間は、自分に都合のよいことしか考えない傾向にある。
特に筮竹を捌いて占うときには、それが顕著である。
悪い形が出ると、こんなはずではない、として、その形を信じて対処を考えず、よい形が出るまで何度も何度も筮竹を捌いたりする。
そんなことでは、当たるものも当たらない。
だから、初筮は告げる、再三すれば瀆れる、瀆れれば則ち告げず、
と戒めているのだ。
ともあれ、多少なりとも勉強をすると、自分はもう、蒙昧ではない、と過信してしまいやすい。
しかし、客観的に観察してみると、まだまだ蒙昧なものだ。
だからこそ、驕らず、謙虚に、貞正に勉めるのが利ろしい、ということで、貞しきに利よろし、という。

彖伝(たんでん) 彖伝は卦辞(彖辞)の解説で、孔子作と伝わる。

彖曰(たんに いわく)(もうは)山下(やまの したに) ( あり)(なやみ)(なやみにして ) (しこうして ) (とどまるは)(もうなり)

【書き下し】彖に曰く、蒙は、山の下に険み有り、険みにして而して止まるは、蒙なり、

この伝では、まず卦名の義を述べる。
艮の山の下に坎の険みがあるのが蒙であり、坎の険みがありながら抜け出そうとせずに艮で止まるのが蒙である、と。

(もうは)(とおるとは)(もってなり ) (おこないの ) (ときに ) (ちゅうするを)也、

【書き下し】蒙は、亨るとは、行いの時に中するを以ってなり、

これより卦辞について述べるのだが、亨るとあるのは一卦全体の中にまさに亨るべきところの徳性があって時に中するの道を行うので、終わりには亨るということである。
君位の六五の爻は柔中にしてよく教えを請け納めるべき徳があり、その六五を教え導き時中の道を行う師範たる者は九二の爻にして、剛中の才徳有りて寛と厳と宜しきに適い、よく訓導の方を得ているから、このように云うのである。

(あらず ) (われより ) (もとむるに )童蒙( どう もうに)童蒙( どう もうより ) (もとむべしとは )(われに)() 應也(おうずればなり)

【書き下し】我より童蒙に求めるに匪ず、童蒙より我に求むべしとは、志応ずればなり、

童蒙とは六五の爻を指し、その六五に柔中の徳が有って九二剛中の爻に応じてその補佐を請い求めるは、弟子の誠敬有って篤く師の道を信じ懇ろに請い学ぶ義である。
また九二は剛中の才徳が有って方正の行実が有り、六五柔中の爻に応じ助けるのだが、これは師の道が方正にして善く弟子を訓道として蒙を啓き明を得させることである。
したがって志応也と云う。

初筮( しょ ぜいは ) (つぐとは)(もってなり ) 剛中(ごう ちゅうなるを)也、再三(さい さんすれば ) (けがる)(けがるれば ) (すなわち ) (ずとは)(つげ )(けがせばなり ) (おしえのみちを)(おしえるみち ) (もって ) (やしなうは ) (ただしきを ) (ひじりの ) 功也(こうなるなり  )

【書き下し】初筮は告ぐとは、剛中なるを以ってなり、再三すれば涜る、涜るれば、則ち告げずとは、蒙を涜せばなり、蒙以って正しきを養うは聖の功なるなり、

初筮は九二剛中の告げ教えること、再三はそれを信頼しないことであって、九二の教えを涜すことである。
そもそも蒙の卦は、元来童蒙の如くの無知で暗昧な者を教え導いて明を得させるという義であり、蒙の字には転じて教え導くという意を含み持たせている。
養の字は養育教化の義を兼ね具え、正とは貞正の義にして師弟共に貞正でなければいけないという勧戒にして、卦辞の利貞のことである。
およそ天下の道は蒙昧無知の者を養育教化して正大公明に至らしめることにより、優れた勲功があるのだ。
堯舜の道もまた、ただこの如くにしようとすることであって、これは大聖人の大功績である。

 

象伝(しょう でん ) 卦の(しょう)=形の解説で、大象(たいしょう)とも呼ばれ、彖伝同様に孔子の作と伝わる。

象曰(しょうに いわく)山下(やまの したに ) (いでる ) (いずみあるは)(もうなり)君子( くん し ) (もって ) (はたし )(おこないを ) (やしなうべし )(とくを)

【書き下し】 象に曰く、山の下に出る泉あるは、蒙なり、君子以って行いを果し徳を育うべし、

この卦は艮の山の下に坎の水の泉がある形とすれば、山の麓に泉が湧き出している様子である。
泉は水源であり、その源泉はひとつであっても流れ下るうちには百千の流れと一緒になり、その至るところと終わるところはわからない。
これは人の天より受けた特性の泉源は一脈だとしても、その情慾の馴れ習わせに誘引されて遂に百千の流れと一緒に混ざり合い、どこへ行くのかわからなくなる。
蒙昧であれば、このままどこへ行くのかわからないまま流されるしかない。
だから君子ならば、行く目的地を明らかに見定めるために、徳を養うべきなのである。

爻辞( こう じ ) 〜周公旦の作と伝わる。象曰以下は孔子の作と伝わる象伝。

上九━━━
六五━ ━
六四━ ━
六三━ ━
九二━━━
初六━ ━○

初六( しょ りくは)(ひらくべし) (もうを) (よろし )(もちいて ) (けいし )(ひとを)(もちいて ) (ぬきとかしむるに )桎梏( しっ こくを)(もって ) (なすは ) (はずかし)

【書き下し】初六は、蒙を発くべし、用いて人を刑し、用いて桎梏を説しむるにに利ろし、以って往すは吝し、

象曰(しょうに いわく)(よろしとは ) (もちいて ) (けいするに)1ノ(ひとを)(もってなり ) (ただしくするを )(ほうを)也、

【書き下し】象に曰く、用いて人を刑するに利ろしとは、法を正しくするを以ってなり、

初六は陰柔不才、不中不正であり、なおかつ六爻の最下に居て、さらには下卦坎の険難の底に陥り、その身は艱難困窮の爻とする。
およそ無知蒙昧な者は、その志行が不中不正にして、己の身に険難困窮が迫る時には得てして罪咎を犯すものである。
この初六は、まさにそういう者である。
そこでこの爻辞は、その無知蒙昧な者が険難に困苦して罪を犯したときの、改心させる道を説くのである。
人が罪過を犯すのは、その人の心が垢や汚れで陰暗になることによる。
心が陰暗であれば、物事を明らかに把握できず、善悪の区別がつかず、まるで子供のような無知蒙昧な状態になってしまう。
だからまず、蒙を発くべし、という。
蒙を発くとは、蒙昧な者を啓蒙して明らかになるよう指導することである。
しかし、無知蒙昧な者に対しては、犯した罪の善悪を言葉で教え諭すだけでは、理解されない。
子供に善悪を教えるときには「おしおき」が必要なように、ある程度の刑罰が必要である。
手枷足枷すなわち桎梏で自由を奪い、反省させるのである。
ただし、そうして拘束され、罪を悔やみ、自ら反省する善心が萌芽した時には、速やかにその桎梏を外して自由にするべきである。
だから、用いて人を刑し、用いて桎梏を説(ぬきとか)しむるに利ろし、という。
ところが、反省してもさらに刑を与え続けたままでいると、その罪人は罪を悔やむどころか、却って反抗心を強くし、将来、大悪の魁首ともなる可能性が出てくる。
これは、刑罰を与える者として、最も恥ずべきことである。
心から反省しても、刑罰をそのまま続けるのは、イジメである。
だから、以って往すは吝し、という。
往すとは、反省しても刑を与え続けることを言う。

上九━━━
六五━ ━
六四━ ━
六三━ ━
九二━━━○
初六━ ━

九二(きゅう じは )( かぬ)(もうを ) (きちなり)( いる)(ふを ) (きちなり)() (よくおさむ )(いえを)

【書き下し】九二は、蒙を包ぬ吉なり、婦を納る吉なり、子、家を克む、

象曰(しょうに いわく)() (よくおさむとは )(いえを)剛柔( ごう じゅう ) 接也(せっすればなり )

【書き下し】象に曰く、子家を克むとは、剛柔接すればなり、

九二は臣の位置であり、この九二の臣は剛中の才徳が有り、六五柔中の君に応じ、天下群陰の蒙昧を包容して、よく治める者である。
だから、蒙を包ぬ吉、という。
これは、君上がよく大臣に委ね任して国家を治めている様子である。

また、九二を妻の位置とすれば、その妻が剛中の貞徳を以って六五の夫に仕え、群陰の侍女を統帥して、その家政を斉えている様子である。
これは理想的な妻であり、こういう女性を娶るのがよい。
だから、婦を納る吉、という。
婦を納るとは、女性を娶ることである。

また、九二を子の位置とすれば、この子が剛中の才徳を以って六五の柔中の父に仕え接して、よく家業を継ぎ治めている様子である。
だから、子、家を克む、という。

爻は、二を臣とすれば五を君とし、二を妻とすれば五を夫とし、二を子とすれば五を父母とするのである。
この三義をひとつの文章にまとめたのが、この爻辞である。

上九━━━
六五━ ━
六四━ ━
六三━ ━○
九二━━━
初六━ ━

六三( りく さんは)(なかれ )(もちいること ) (めとるに ) (おんなを)(みれば )金夫( きん ぷを )()(たもた )(みを )( なし)(ところ )(よろしき)

【書き下し】六三は、女を取るに用いること勿れ、金夫を見れば、躬を有たず、利ろしき攸无し、

象曰(しょうに いわく)(なかれとは ) (もちいること ) (めとるに ) (おんなを)(おこない ) (ざればなり ) (つつしま)也、

【書き下し】象に曰く、女を取るに用いること勿れとは、行い慎まざればなり、

六三は陰柔不才、不中不正の志行の爻である。
これは、女子であれば不貞節であり、娶るべきではない者である。
だから、女取るに用いる勿れ、という。
六三は上九に応じ、九二に比している。
応は遠くにいる正式な夫、比は言うなれば近くにいる不倫相手である。
この六三の女子は、不中不正であるために、近くにカッコイイ男性を見つけると、すぐチョッカイを出し、遠くにいる夫を蔑ろにする傾向がある。
だから、金夫を見れば、躬を有たず、という。
金夫とは九二を指す。
才徳がある陽爻だから、金と形容しているのである。
ともあれ、すぐに近くの男性と不倫するような女性を妻とするのは、よいこととは言えない。
だから、利ろしき攸无し、という。

上九━━━
六五━ ━
六四━ ━○
六三━ ━
九二━━━
初六━ ━

六四( りく しは )(くるしむ )(もうに)(はずかし)

【書き下し】六四は、蒙に困しむ、吝し、

象曰(しょうに いわく)(くるしむの )(もうに)(りんは)(ひとり ) (とおざかるなり )(じつに)也、

【書き下し】象に曰く、蒙に困しむの吝は、独り実に遠ざかるなり、

六四は陰柔不才にして、なおかつ応も比もない。
これは、性質が暗昧惰弱の者にして、賢師範も良友もいない様子である。
応がないことは賢師範がいないこと、比がないことは良友がいないことである。
したがって、生涯その蒙を発(ひら)くことはなく、困窮し、恥辱に耐えながら暮らすしかない。
だから、蒙に困しむ、吝し、という。

上九━━━
六五━ ━○
六四━ ━
六三━ ━
九二━━━
初六━ ━

六五( りく ごは )(どう ) (もうのごとくなれば)(きちなり)

【書き下し】六五は、童蒙のごとくなれば、吉なり、

象曰(しょうに いわく)童蒙( どう もうの)(きちとは)(じゅんにして ) (もって ) 巽也(したがえばなり )

【書き下し】象に曰く、童蒙の吉とは、順にして以って巽えばなり、

六五は柔中の徳が有り、九二に応じ、上九に比している。
その九二は賢明剛中の才徳が有り、成卦の主爻であって、よく六五の君を補佐する賢臣である。
また、上九は剛明の才徳が有り、王者の師の位置に居て、よく六五の君を教導輔弼する者である。
したがって六五の君は、自身が陰柔であることを弁え、富貴栄誉を欲することなく、謙虚に六二の賢臣に委ね任せ、上九の賢師の助言に降り服し、その純心精一なることが、童子のように天真自然であれば、吉である。
だから、童蒙のごとくなれば吉、という。

上九━━━○
六五━ ━
六四━ ━
六三━ ━
九二━━━
初六━ ━

上九(じょう きゅうは)( うつ )(もうを)()(よろしから ) (なさしむるに )(あだと)(よろし )(ふせがしむるに )(あだを)

【書き下し】上九は、蒙を撃つ、寇と為さしむるに利ろしからず、寇を禦がしむるに利ろし、

象曰(しょうに いわく)(よろしとは ) (もちいて ) (ふせがしむるに)1ノ(あだを)上下(じょう げ ) 順也(じゅんなればなり)

【書き下し】象に曰く、用いて寇を禦がしむるに利ろしとは、上下順なればなり、

この卦は四陰二陽にして、四陰はすべて蒙昧な者である。
二陽は共に剛明にして、よく蒙を発(ひら)く者である。
ことに九二の爻は、剛中の徳が有るので、その寛容と厳格の度合いも丁度よい者である。
これに対して上九は、剛明の才力有れども卦の極に居り、かつ不中不正である。
したがって、厳格に過ぎる傾向にある。
だから、蒙を撃つ、という。
蒙昧な者に教え諭すのではなく、敵を撃つかのような言行になってしまいがちだ、ということである。
初九の蒙を発くの「発」、九二の蒙を包ぬの「包」の字と比較すれば、「撃」の過激さはわかるだろう。
そもそも人に何かを教える師としての道は、厳律を主とするものではあるが、厳刻に過ぎると、教えられる者は僻んで愛し慕う純心さを失うだけではなく、その厳刻さを避け逃れようとして、遂には欺き偽りを生じ、寇仇のような反抗心を醸すに至るものである。
これは、その師たる者の寛容と厳格との中を得ない過失である。
例え、教え導くのに手間取ったとしても、師弟が寇仇のようになることはよくない。
だから、寇と為さしむるに利ろしからず、という。
これは要するに、師範たる者の過失がないようにと、予め戒めているのである。
師の道の大切なことは、童蒙の暗昧なる者から旧染の悪習弊風を除き去り、これより以後の外誘の邪蕩陰佚を防ぎ止めて、日々に善に遷らせることに在る。
また上九の陽爻は上卦の六五の爻とは陰陽正しく比し、下卦六三の爻とは陰陽正しく応じていて、上九から六三に至るまで一陽剛の障り隔てをなすことがないので、下に居る六五や六三は上九に柔順に従うのだから、懇切丁寧に諭せば、敵意など持たずに、ちゃんと聞き入れるのである。
だから、寇を禦がしむるに利ろし、という。

前の卦=03水雷屯 次の卦=05水天需

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01.乾為天 02.坤為地 03.水雷屯 04.山水蒙 05.水天需 06.天水訟 07.地水師 08.水地比 09.風天小畜 10.天沢履 11.地天泰 12.天地否 13.天火同人 14.火天大有 15.地山謙 16.雷地予 17.沢雷随 18.山風蠱 19.地沢臨 20.風地観 21.火雷噬嗑 22.山火賁 23.山地剥 24.地雷復 25.天雷无妄 26.山天大畜 27.山雷頤 28.沢風大過 29.坎為水 30.離為火 

31.沢山咸 32.雷風恒 33.天山遯 34.雷天大壮 35.火地晋 36.地火明夷 37.風火家人 38.火沢睽 39.水山蹇 40.雷水解 41.山沢損 42.風雷益 43.沢天夬 44.天風姤 45.沢地萃 46.地風升 47.沢水困 48.水風井 49.沢火革 50.火風鼎 51.震為雷 52.艮為山 53.風山漸 54.雷沢帰妹 55.雷火豊 56.火山旅 57.巽為風 58.兌為沢 59.風水渙 60.水沢節 61.風沢中孚 62.雷山小過 63.水火既済 64.火水未済

ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては易学入門をご覧ください。
また、六十四卦それぞれの初心者向け解説は無料易占いのページをご覧ください。
占いながら各卦の意味がわかるようになっています。

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最終更新日:令和02年09月09日 学易有丘会
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