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前の卦=33天山遯 次の卦=35火地晋

34雷天大壮 らいてんたいそう

 

大壯 乾下(けんか)震上(しんじょう)

八卦の(けん)の上に、(しん)を重ねた形。

大壯(たいそう)は、新字体では大壮、大なる者が(さか)ん、大いに壮ん、という意。
十二消長で言えば、地雷復で生じた一陽が、今や四陽にまで成長し、陽が強く盛んな様子。
また、君子の道が盛んに長じ、小人の道が消え衰えつつある様子。
また、乾を剛健とし、震を動くとすれば、剛健にして動くのであるから、これは動くことの強く盛んな様子。
また、乾を天とし、震を雷とすれば、雷が天上(自分の真上)に在るときであって、その激しく強く盛んな様子。
また、乾を父とし、老とし、震を長男とし、壮んとすれば、父が老いても子が盛んな様子。
また、初爻と二爻を少とし、三爻と四爻を壮とし、五爻と上爻を老とすれば、陽が壮の三爻のみではなく、今や四爻にまで至り、強く壮んな様子。
以上のことから、大壮と名付けられた。

 

卦辞(かじ) 〜彖辞(たんじ)とも言い、周の文王の作と伝わる。

大壯(たい そうならば)(よろし )(ただしきに)

【書き下し】大壮ならば、貞しきに利し、

大壮は大いに壮んだということであるが、大いに壮んな者は、必ずその勢いをもって、他を侮り凌ぐ恐れがある。
なおかつこの卦は、陽が長じて陰を消して行くときであり、君子の道が長じ、小人の道が消えて行くときである。
これは、他を凌ぎ、自らを長じる様子である。
また、二爻と五爻が、中であっても共に不正である。
正は五爻が陽、二爻が陰だが、この卦は逆に、二爻が陽、五爻が陰となっていて、二爻が五爻を凌いでいる。
だから、立場を弁え、また、自分を過信しないよう、貞しきに利ろし、と戒めているのである。

なお、大いに壮んならば、何事も元いに亨るわけだが、敢えて卦辞に元亨とはなく、ただ、利貞とだけある。
これは、未だ壮んでないときには、将来、亨通する可能性があるが、既に今が亨通してその勢いが盛んなときなのである。
とすれば、さらに今、元いに亨ることを願う必要があるだろうか。
むしろこれ以上勢いが盛んにならないよう、退き守ることのほうが大事である。
だから、元亨とは言わないのである。

彖伝(たんでん) 彖伝は卦辞(彖辞)の解説で、孔子作と伝わる。

彖曰(たんに いわく)大壯( たい そうとは)大者(だいなる ものの ) 壯也(さかんなるなり )(ごうにして ) (もって ) (うごく)(ゆえに ) (さかんなるなり)

【書き下し】彖に曰く、大壮とは、大なる者の壮んなるなり、剛以って動く、故に壮んなるなり、

大壮とは大なる者の強く壮んなことであり、その大なる者とは乾の至剛至健にして純陽至大の象、壮んなこととは震の長子の強く盛んにして勇壮なる義である。
よく乾の剛強にして震の動きを為すことは、壮んなるの最上のことである。

大壯(たい そうならば ) (よろしとは ) (ただしきに)大者(だいなる ものは ) 正也(ただしかれよとなり)正大(せい だいにして ) (しこうして) 天地( てん ちの )(じょうを)(べきとなり )(みつ )

【書き下し】大壮ならば貞しきに利ろしとは、大なる者は正しかれよとなり、正大にして而して天地の情見つ可きなり、

およそ天地の定理では、万物が正しくなければならない。殊に大なる者は最も優れて正しくあるべきである。
正大の正とは貞正の義、大とは大壮の義であって、見るべきはその正と大を包含する天地の道たる情なのだ、ということである。

象伝(しょう でん ) 卦の(しょう)=形の解説で、大象(たいしょう)とも呼ばれ、彖伝同様に孔子の作と伝わる。

象曰(しょうに いわく)(かみなり ) (あるは )天上( てん じょうに)大壯( たい そうなり)君子( くん し ) (もって ) (あらざれば )(れいに ) (ざるべし )(ふま )

【書き下し】象に曰く、雷、天上に在るは、大壮なり、君子以って礼に非れば履ま弗るべし、

震の雷が乾天の上に奮迅しているのがこの卦であって、その威勢が強く盛んなることの至極だから大壮という卦名なのである。
その大壮の状態を守り御するには、礼以外の方法はないので、これを戒めて、礼に非ざれば履ま弗るべしと云う。
礼とは、単純に礼儀作法といったことではなく、仁という抽象的な概念を具現化したものであって、道を心に得ることが仁ならば、その道を身に行うことが礼なのである。

なお『論語』顔淵第十二1の終盤には、これと似た言葉で、非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿言、非礼勿動というのがある。

爻辞( こう じ ) 〜周公旦の作と伝わる。象曰以下は孔子の作と伝わる象伝。

上六━ ━
六五━ ━
九四━━━
九三━━━
九二━━━
初九━━━○

初九( しょ きゅうは)(さかんなり)(あしに)(ゆくは ) (きょうたること)( ちがいなし )

【書き下し】初九は、趾に壮んなり、征くは凶たること有孚(ちがいな)し、

象曰(しょうに いわく)(さかんなりとは)(あしに)( それ )(ちがいなきなり ) (なやむことに) 也、

【書き下し】象に曰く、趾に壮んなりとは、其れ窮むことに(ちがいな)きなり

※有孚は「まことあり」と訓むのが普通だが、ここでの意味するところは、違いない、決まっている、といったことなので「ちがいなし」と訓む。

初九は大壮の始めにして、足の位に居る。
およそ身を動かそうとするときは、必ず、まず足を動かすものである。
だから、趾に壮んなり、という。
もとよりこの卦は、すでに大壮であり、この爻は過剛不中にして、なおかつ乾の進むの卦の一体に居る。
これは、進むに専ら壮んな者である。
このようなときには、冷静さを失い、必ずや災いに罹って困窮するに決まっている。
だから、征くは凶たること有孚し、という。

上六━ ━
六五━ ━
九四━━━
九三━━━
九二━━━○
初九━━━

九二(きゅう じは )(ただしければ ) (きちなり)

【書き下し】九二は、貞しければ吉なり、

象曰(しょうに いわく)九二(きゅう じの ) (ただしければ ) (きちなりとは)(もってすればなり ) (ちゅうを)也、

【書き下し】象に曰く、九二の貞しければ吉なりとは、中を以ってすればなり、

およそ大壮の諸陽剛は、みな剛強に過ぎる者である。
しかし、ひとりこの九二の爻だけは陽剛ではあっても陰の位に居て、しかも、乾の進むの一体に在るとしても中の徳を得ているので進むに過ぎる失はない。
これは実に大壮の時に処することの善なる者である。
だから、貞しくして吉なり、という。
この貞吉の二文字は、この爻の徳と、教戒とを合わせた辞である。
そもそも易の基本は、陽剛を貴び、陰柔を嫌うところにある。
しかし、そなに中にあっても、却って陽剛を戒めて、陰柔を勧める卦がある。
天水訟、沢風大過、離為火、そしてこの雷天大壮の四卦である。
この四卦は、剛に過ぎる時には忽ち必ず禍害を挽き出すので、一に柔静の道を用い守れと教え戒めるのである。

上六━ ━
六五━ ━
九四━━━
九三━━━○
九二━━━
初九━━━

九三(きゅう さんは)小人(しょう じんは ) (もちい )(そうを)君子( くん しは ) (もちいること ) (なし )(かたくすれば ) (あやうし)羝羊( てい ようの) ( ふれ )(まがきに)(くるしましむるがごとし )其角( その つのを)

【書き下し】九三は、小人は壮を用い、君子は用いること罔し、貞くすれば獅オ、羝羊の藩に触れ、其の角を羸しましむるがごとし、

象曰(しょうに いわく)小人(しょう じんは ) (もちい )(そうを)君子( くん しは ) 罔也(なきとなり  )

【書き下し】象に曰く、小人は壮を用い、君子は罔きとなり、

羊という動物は、猛獣ではないが、よく物に触れることを好むところがある。
そんな羊の性格を、才徳がなく、ただ志のみ強壮な者に喩える。
藩とは、牧場の柵といったものである。
今、九三の爻は、大壮の時に当たって過剛不中にして、また乾の進むの卦の極に居る。
これは、ただ剛強をのみ専らとする者である。
この爻の位置に当たる人は、小人ならば、人を軽んじ侮り、他を凌ぎ犯し、或いは己が富豪、権勢、智計などを頼みに、それぞれ頼むところの壮んな勢いを欲しいままにする。
しかし、ひとり君子だけは、そのようなことはしない。
そもそも、内を省み外を修め、言行を慎み、道義を大切にする者であれば、人を凌ぎ他を侮るようなことは、しないものである。
だから、小人は壮を用い、君子は用いること罔し、という。
もし、自らを修め謙り抑えることなく、その剛強を壮んにし、富豪を壮んにし、権勢を壮んにし、智計を壮んにし、姦計を壮んにし、そのまま改めないときには、至って危険である。
だから、貞くすれば獅オ、という。
およそ、内省外修の鍛錬もなく、己の才能力量をも客観的に計らず、ただその強壮の志気にのみ任せて、勝手な思い込みで行動する時には、人に在っても事に在っても、たちまち必ず嗜められて苦しむものである。
喩えば、羝羊(=雄羊)がその性質は柔弱だが、その志気のみ剛強にして、好んで柵に触れ、さらに進もうとしてもその力が弱いので柵を倒して進むこともできず、また退こうとしても、そのツノが柵にひっかかって退くこともできず、進退窮まる難儀をし、百計しても脱することができないようなものである。
これは、窮迫の甚だしいことを形容したものである。
過剛不中にして、志気が強壮であることの弊害は、まさにこれに極まる。
だから、羝羊藩に触れ、其の角を羸しましむるごとし、という。

上六━ ━
六五━ ━
九四━━━○
九三━━━
九二━━━
初九━━━

九四(きゅう しは )(ただしくして ) (きちなり)悔亡( くい ほろびん)藩决(まがき ひらきて) ()(くるしま)(さかんなり)大輿( たい しゃの)(とこしばりに)

【書き下し】九四は、貞しくして吉なり、悔い亡びん、藩决きて羸しまず、大輿の輹に壮んなり、

象曰(しょうに いわく)藩决(まがき ひらきて ) (ずとは )(くるしま)(たっとべるなり ) (ゆくを)也、

【書き下し】象に曰く、藩决きて羸しまずとは、往くを尚べるなり、

前後の爻では、みな、羊という字があるが、この九四の爻では、羊という字はない。
しかし、藩决きて羸しまず、とあるのは、言うまでもなく羊のことである。
これは、乾為天の九四の爻に、龍とは言わなくても、或躍在淵と言う辞だけで、それが龍のことであるとわからせているのと、同様である。
さて、この九四は、もとより陽剛ではあるが、陰の位に居るので、九三の過剛よりはその剛壮の義は少なく薄いので、羊の字を減じて、その義を示しているのである。
九四は大壮の時に当たって、陽爻ではあっても陰の位に居るので、その志は弱く、剛壮に過ぎることはない。
なおかつ、不中ではあるが剛柔の宜しきに適い、不正ではあるが陰陽和合するという義もある。
以上の衆義は、みな大壮の時に処することの善なる者である。
だから、貞しくして吉なり、悔い亡びん、という。
この爻に悔いがあるとする根拠は、不正であることである。
また、その悔いが亡ぶとする根拠は、剛柔が調い適っているからである。

そもそも九四は、陰の位に居て、強壮を主とはしないので、これを以って他人を侮り凌ぐようなことはない。
したがって、その志のままに進み行くことができる。
これは、九三が過剛不中にして強壮を専らにするのとは相反する。
だから九三の、羝羊藩に触れ、其の角を羸します、とあるのと相反して、藩决きて羸しまず、という。
柵が開いていて、進んでも行く手を遮られることはない、ということであって、別の言い方をすれば、大輿の進み行くのに喩えられる。
大輿とは、大きな輿(こし)のことで、ゆっくりと厳かに動く乗り物である。
その輿は、車輪と床を輹(とこしばり)で結びつけていて、その輹を解くと、車輪が外れて動かせない。
しかし、その輹がきちんと結び付けられていて壮んな時には、進み行くのに最適である。
これは、山天大畜の九二が、乾の進もうとするのを、艮に止められ、六五に害応されて、止められるのと相反する。
この大壮の卦の場合は、乾の進み、震の動くの合卦にして、九四は六五に親しみ比して、陰陽和順しているのである。
だから、大輿之輹に壮んなり、という。

上六━ ━
六五━ ━○
九四━━━
九三━━━
九二━━━
初九━━━

六五( りく ごは )(うしなう) (ひつじを)(さかいに)( なし)(くい )

【書き下し】六五は、羊を埸に喪う、悔い无し、

象曰(しょうに いわく)(うしなうとは) (ひつじを)(さかいに)(くらい ) (ざればなり )(あたら)也、

【書き下し】象に曰く、羊を埸に喪うとは、位当たらざればなり、

通本は「埸」を「易」という字とするが、中州は後漢の陸績本が「埸」であることと、「易」という字では象と義の関係が不明瞭になってしまうことを根拠に、通本を誤りだとし、「埸」の字として解説している。

羝羊は、牡羊にして強壮を主とする者である。
この爻に羝の字を去り、単に羊とのみ書いているのは、それか強壮ではないからである。
かの九三は過剛不中にして強壮を専らとするので、人と争うこともある。
だから、羝羊を九三に喩え、藩を人が九三を拒むことに喩えたのである。
また、九四は、陽剛だが陰の位に居るので、その志は弱く、その剛壮を専らとせず、陽爻ではあっても、敢えて人を犯し凌ぐことがない者であって、そうであるからこそ、人もまた争い拒むことはないのである。
その様子を、柵が開いていることに喩えたのである。
今、六五は大壮の時に当たるとしても、柔中の徳が有り、なおかつ自己に用いるべきところの剛壮はない。
だから、羊を埸に喪う、という。
埸とは、実質は藩と同じだが、藩の物理的に隔てる柵という意を避けて、単に境界といった意味合いの(さかい)としたのである。
また仮に、埸に藩(境界に柵)があっても、自己に剛強の羊がいないときには、触れ苦しむところはない。
そうであるのならば、問題が起きることもないので、悔いることもない。
だから、悔い无し、という。

上六━ ━○
六五━ ━
九四━━━
九三━━━
九二━━━
初九━━━

上六(じょう りくは)羝羊( てい よう ) (ふれる)(まがきに)()(あたわ )退(しりぞくこと)()(あたわ )(とげること)( なし )(ところ)(よろしき)(くるしとすれば ) (すなわち ) (きちなり)

【書き下し】上六は、羝羊藩に触れる、退くこと能わず、遂げること能わず、利ろしき攸无し、艱しとすれば則ち吉なり、

象曰(しょうに いわく)()(あたわ )退(しりぞくこと)(ずとは )(あたわ )(とげること)( ふ しょうなり) 也、(くるしとすれば ) (すなわち ) (きちなりとは)( とが ) (ざればなり )(ちょうぜ)也、

【書き下し】象に曰く、退くこと能わず、遂げること能わずとは、不祥なり、艱しとすれば則ち吉なりとは、咎、長ぜざればなり、

この爻は陰柔である上に、陰の位に居る。
これは、過剛の失は絶対ない者である。
しかし、上六は全卦の極である。
要するに大壮の極処に居るのであって、なおかつ上卦震動の極に当たっている。
これを以って九三の過剛不中な者と、その過失大いに相同じとなる。
だから羝羊と言うのである。
その上六の羝羊は、剛壮の至極なので、柵を角で触れ衝くとしても、もとより陰弱微力なので、藩を倒して進み遂げることは不可能であるとともに、角の曲がった部分が柵の間に挟まり、引き退くこともできない。
その苦しむことは甚だ急切であり、不吉不祥すなわち凶である。
だから、羝羊藩に触れる、退くこと能わず、遂げること能わず、利ろしき攸无し、という。
しかし、すでにこの極に至るとしても、その卦極の剛強を捨て、その震の卦極の壮んに動くの義を止めて、その重陰の陰順に従い、艱難苦労して慎み守る時には、これ以後の咎が長じ増すこともなく、災いは免れよう。
だから、艱しとすれば則ち吉なり、と戒める。

前の卦=33天山遯 次の卦=35火地晋

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01.乾為天 02.坤為地 03.水雷屯 04.山水蒙 05.水天需 06.天水訟 07.地水師 08.水地比 09.風天小畜 10.天沢履 11.地天泰 12.天地否 13.天火同人 14.火天大有 15.地山謙 16.雷地予 17.沢雷随 18.山風蠱 19.地沢臨 20.風地観 21.火雷噬嗑 22.山火賁 23.山地剥 24.地雷復 25.天雷无妄 26.山天大畜 27.山雷頤 28.沢風大過 29.坎為水 30.離為火

31.沢山咸 32.雷風恒 33.天山遯 34.雷天大壮 35.火地晋 36.地火明夷 37.風火家人 38.火沢睽 39.水山蹇 40.雷水解 41.山沢損 42.風雷益 43.沢天夬 44.天風姤 45.沢地萃 46.地風升 47.沢水困 48.水風井 49.沢火革 50.火風鼎 51.震為雷 52.艮為山 53.風山漸 54.雷沢帰妹 55.雷火豊 56.火山旅 57.巽為風 58.兌為沢 59.風水渙 60.水沢節 61.風沢中孚 62.雷山小過 63.水火既済 64.火水未済

ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては易学入門をご覧ください。
また、六十四卦それぞれの初心者向け解説は無料易占いのページをご覧ください。
占いながら各卦の意味がわかるようになっています。

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最終更新日:令和02年09月09日 学易有丘会
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