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前の卦=53風山漸 次の卦=55雷火豊

54雷沢帰妹 らいたくきまい

 

歸妹 兌下(だか)震上(しんじょう)

八卦の()の上に、(しん)を重ねた形。

歸妹(きまい)とは、新字体では帰妹と書き、妹=女子が嫁ぐ=男の元へ行く、ことをいう。
帰の字には嫁ぐという意がある。

この卦は下卦の兌を少女とし悦ぶとし、上卦の震を長男とし動くとすれば、少女が長男の下に入っているのであって、ふたりが共に悦んで動いている様子であり、ラヴラヴな気分である。
だから帰妹と名付けられた。
また、交代生卦法によれば、もとは地天泰から来たものとする。
地天泰の六四が悦んで下り、九三は震い動いて上がったのが、この雷沢帰妹である。
しかし、このように、爻がひとたび交代すると、三四ともに正位を失ってしまう。
正位とは、陰陽が正しいことで、三爻は奇数爻だから陽、四爻は偶数爻だから陰が正しいのだが、今、雷沢帰妹になると、三爻は陰、四爻は陽と、陰陽が不正になってしまう。
これは、色欲に悦び動き、正しい道を失い、自己の情欲の赴くままにしているのであって、配偶をきちんと選ばず、婚姻の正しき礼を失った者である。
もっとも、正しくなくても嫁いだことには変わりはない。
だから帰妹と名付けられた。
また、震の雷が兌の沢の上に在る様子である。
雷が動けば沢の水も従って動くものである。
これもまた男女情欲をもって、相悦び動くの喩えである。
だから帰妹と名付けられた。

 

卦辞(かじ) 〜彖辞(たんじ)とも言い、周の文王の作と伝わる。

歸妹( き まいは)(ゆくは ) (きょうなり)( なし )(ところ)(よろしき)

【書き下し】帰妹は、往くは凶なり、利ろしき攸无し、

交代生卦法によれば、この卦は地天泰から来たわけだが、その地天泰のときには、天地陰陽二気が相交わること正しく、六本の爻に悉く応爻があり、泰通安寧の吉とされている。
しかし、忽ちに一点の情欲に牽かれて動き、三四の陰陽の爻が相交代してこの雷沢帰妹となると、九四震の長男の主爻も、六三の兌の主爻も、共に正位を失い、また各その応爻の助けを喪う。
これは凶以外の何ものでもない。
また、悦んで動くという様子であるわけだが、世人が悦んで動くのは、色欲か利欲のどちらかである。
色欲や利欲を丸出しで動くのは下品であり、そんな人は誰からも尊敬はされない。
だから、往くは凶、利ろしき攸无し、という。

彖伝(たんでん) 彖伝は卦辞(彖辞)の解説で、孔子作と伝わる。

彖曰(たんに いわく)歸妹( き まいは)天地( てん ちの )(たい ) 義也(ぎなるなり  )

【書き下し】彖に曰く、帰妹は、天地の大義なるなり、

帰妹は嫁入りのことにして、男女の関係になることである。
その男女の関係になることこそが、実に天地の大義なのである。

天地( てん ち ) (ざれば)(まじわら)(しこうして) 萬物( ばん ぶつ ) ()(おこら)歸妹( き まいは)(ひとの)(しゅう) 始也(しなるなり  )

【書き下し】天地交らざれば、而して万物興らず、帰妹は、人の終始なるなり、

天地が交わらなければ万物が興らないように、人間も男と女が交わらなければ子孫は生まれないのである。

(よろこんで ) (もって ) (うごく)()()(えんなり) 歸妹( き まいたる)

【書き下し】説んで以って動く、帰妹たる所位なり、

およそ世人が説=悦んで動くのは色欲か利欲によることである。
この卦は兌を悦ぶとして震を動くとするが、帰女ではなく帰妹とある所以は、兌の少女が妹であることと、悦んで動くの色欲利欲の大欲の過ちを警戒してのことである。

(ゆくは ) (きょうとは) (くらい ) (ざればなり )(あたら)也、(なしとは )(ところ )(よろしき) (じゅう ) (のればなり )(ごうに)也、

【書き下し】征くは凶なりとは、位当らざればなり、利ろしき攸无しとは、柔、剛に乗ればなり、

交代生卦法によれば、地天泰の九三が雷沢帰妹の九四となって上卦震の主爻となり、代わりに六四が雷沢帰妹の六三となって下卦兌の主爻となり、両爻共に正位を失い、応を失ったのである。
だから征くは凶なのである。
柔とは六三と六五の二陰柔の爻を指し、剛とは九二と九四の二陽剛を指すのであって、乗るとは六三、六五の二陰爻が九二、九四の二陽剛の上に乗っていることを云う。
乗るということは、陰爻の難みとするところであって、だから利しき攸无しなのである。

 

象伝(しょう でん ) 卦の(しょう)=形の解説で、大象(たいしょう)とも呼ばれ、彖伝同様に孔子の作と伝わる。

象曰(しょうに いわく) 澤上(さわの うえに ) (あるは)(かみなり)歸妹( き まいなり)君子( くん し ) (もって ) (ながくし ) (おわりを) ( しる )(やぶれを) 

【書き下し】象に曰く、沢の上に雷有るは、帰妹なり、君子以って終わりを永くし敝れを知る、

沢の上に雷があるこの帰妹は、悦んで動くのだから、色欲利欲の卦である。
君子であるのなら、この卦の象義の情欲を以って妄りに動けば必ず後日に敗れることを察し、義を以って欲を塞ぎ、道を以って情を制し、その義を正しくしてその利を謀らず、その道を明らかにしてその功を計らず、万世不朽の公正の大なる道義を建立せよ、と教える。

爻辞( こう じ ) 〜周公旦の作と伝わる。象曰以下は孔子の作と伝わる象伝。

上六━ ━
六五━ ━
九四━━━
六三━ ━
九二━━━
初九━━━○

初九( しょ きゅうは)歸妹( き まいのとき ) 以娣(もって ていたり)(あしなえのごとくにして) 能履( よく ふめり)征吉(ゆくは きちなり)

【書き下し】初九は、帰妹のとき以って娣たり、跛のごとくにして能く履めり、征くは吉なり、

象曰(しょうに いわく)歸妹( き まいのとき ) (もって ) (ていたりとは)(もってなり ) (つねあるを)也、(あしなえのごとくにして) 能履( よく ふむに)(きちとは)( あい ) (うくればなり)也、

【書き下し】象に曰く、帰妹のとき以って娣たりとは、恒あるを以ってなり、跛のごとくにして能く履むに、吉とは、相承くればなり、

まず、この卦の爻の辞の最初にある帰妹の二字は、嫁入りの時という義にして、直ちにその時を指している。

さて、全卦六爻の中にて、六五の爻は嫡妻であり、その他の爻は皆、娣とする。
娣とは(めかけ)のことであって、この時代の中国では、姉妹が別々の男性に嫁ぐこともあったが、姉妹のうちのひとりが嫁ぐと他の姉妹もその男性の妾になることもあったのである。
念のために付け加えておくが、キリスト教の禁欲主義に基づく一夫一婦制とは無縁の世界なのであって、言うなれば、正妻は正規職員、妾はバイトといった感覚だと理解しておけばよいだろう。
できれば正妻である正規職員になりたいが、給料が安い零細企業の正規職員よりは給料が高い大企業のバイトのほうがよい、といった感覚で婚姻の相手を選ぶことも多かったのがこの時代だったのであって、日本も明治維新まではそんな感じだった。
今、初九は最下の位に居て、上に応爻の助けはない。
これは、自己薄命にして匹配するところの者がいない義である。
したがって、娣=妾となって()く者とする。
だから、帰妹のとき以って娣たり、という。
娣の道とは、諸般の務めを悉く嫡妻に承けて恒常の徳を以って行う者にして、自ら主導権を執って行うことはできない。
これを喩えて、跛のごとくに、という。
今、初九の爻は、よく己が娣たる分際を守り、承け順う道を守り行う。
これを喩えて、能く履めり、という。
だから、跛のごとくにして能く履めり、という。
このようにしていれば、失うところはない。
だから、征くは吉なり、という。

上六━ ━
六五━ ━
九四━━━
六三━ ━
九二━━━○
初九━━━

九二(きゅう じは )(すがめのごとくにして) 能視( よく みる )(よろし)幽人( ゆう じんの)(つねあるに)

【書き下し】九二は、眇のごとくにして能く視る、幽人の貞あるに利ろし、

象曰(しょうに いわく)(よろしとは)幽人( ゆう じんの)(つねあるに)(ざれよとなり )(へんぜ )(つねを)也、

【書き下し】象に曰く、幽人の貞あるに利ろしとは、常を変ぜざれよとなり、

この九二の爻も初爻と同様に娣である。
およそ諸爻に帰妹の時と言うのは、諸娣が共に六五の嫡妻の嫁入りに従い行くことである。
しかし、この九二の爻は、臣の位に在って、六五の君の爻に陰陽正しく応じている。
これは、嫡妻の帰妹より前に、君主に仕えて居る妾である。
したがって、この爻だけは嫡妻に従って来た者ではない。
だから、この爻にのみ、帰妹のとき云々という辞はないのである。

さて、娣の職は、一に嫡妻に承け順うを以って道とするのであって、自らが専らに行動するものではない。
したがって、その自らが専らにするべきではないという義を喩えて、眇の如くというのである。
また、九二の妾は、よく嫡妻に承け順うの道を守って、己が分を安んじ守ることを称えて、よく視るという。
これは初九の跛にして能く履む、とその義は相同じである。
履むと視るの違いは、行くと居るとの別を示したのである。
だから、眇のごとくにして能く視る、という。

そもそも、娣も君に仕える者ではあるが、正配ではないので、謹んで専らにしてはいけない。
その嫡妻を凌がず、分を犯さないことである。
例えば、深山幽谷に暮らす人のように、栄枯に無心で、世累に関わらず、常を守ることである。
そうである時には、その道の宜しきに適うものである。
だから、幽人の貞あるに利ろし、という。

上六━ ━
六五━ ━
九四━━━
六三━ ━○
九二━━━
初九━━━

六三( りく さんは)歸妹(き まいのとき ) 以須(もって しゅたり)(かえして ) (よめいりを ) 以娣(もって ていたり)

六三は、帰妹のとき以って須たり、帰を反して以って娣たり、

象曰(しょうに いわく)歸妹(き まいのとき ) (もって ) (しゅたりとは)(ざればなり )(あたら)也、

【書き下し】象に曰く、帰妹のとき以って須たりとは、未だ当たらざればなり

須とは、卑賤な者を賤しめることである。
帰妹の時に当たって、六三の爻は、内卦の一番上に居る。
これは卑賤な者ではない。
しかしこれを須と賤しめている。
それは、以下の要素からである。

この六三の爻は、陰暗不中正だから位に当たっていない。
その上に下卦兌の主であり、しかも己が匹配を求めるべきところの応の位の上六の爻は、六三と同じ陰爻なので、応じることはない。
そこで、応の位を諦め、その比するところの九四に嫁入りしようと求める。
これは自媒自薦と言い、不貞淫行の女子のすることである。
だから、これを賤しめ貶めて、帰妹のとき以って須たり、という。

さて、六三の女子が九四の陽剛に密比して、帰嫁=正式な婚姻相手として自分を薦めるとしても、相手の九四は上卦震の主なので、自ら主体的に動く者である。
相手から薦められて嫁を取るような人物ではない。
そんなことをすれば、却ってその不貞を憎んでこれを拒む。

そこで、六三の女子は、九四からも受け入れられず、またその志を変じて、今度は帰嫁から反転して、人の娣となることを求める。
だから、帰を反して以って娣たり、という。
このような志行の定まらない不貞の女子であれば、それが凶であることは、言を待たないものである。

上六━ ━
六五━ ━
九四━━━○
六三━ ━
九二━━━
初九━━━

九四(きゅう しは )歸妹(き まいのとき ) (すごす )( きを )(おそくとも ) (とつぐこと ) (あるべし)( とき )

【書き下し】九四は、帰妹のとき期を愆す、遅くとも帰ぐこと時有るべし、

象曰(しょうに いわく)(すごすの )( きを )(こころざしとは)(あって )(まつこと ) (しこうして ) 行也(おこなわれんとなり)

【書き下し】象に曰く、期を愆すの志とは、待つこと有って而して行われんとなり、

九四もまた娣たる者である。
今は帰嫁の時だとしても、九四は応爻がないので、適当な相手がいない。
したがって、娣となって嫡君に従い仕える。
そこで、自己帰嫁の時期を愆し逃してしまう。
だから、帰妹のとき期を愆す、という。

しかし、九四の婚期を愆すは、嫡君に承け仕えるところの公の道なので、その忠貞の志は空しくなく、例え遅くなっても、いつか帰嫁のチャンスは巡って来るものである。
だから、遅くとも帰ぐこと時有るべし、という。

上六━ ━
六五━ ━○
九四━━━
六三━ ━
九二━━━
初九━━━

六五( りく ごは )帝乙( てい いつ ) (とつがしむ )(いもを)其君( その くんの)(たもとは)()(しか )其娣( その ていの)袂良(たもとの よきに)(つき ) (ちかし)(ぼうに)(きちなり)

【書き下し】六五は、帝乙妹を帰がしむ、其の君の袂は、其の娣の袂の良きに如かず、月望に幾し、吉なり、

象曰(しょうに いわく)帝乙( てい いつ ) (とつがしむるとき )(いもを)(ずとは)(しか )其娣( その ていの)袂良(たもとの よきに)其位( その くらい ) (あるをもって ) (ちゅうに ) (もって )(たっときを ) 行也(おこなえばなり )

【書き下し】象に曰く、帝乙妹を帰がしむるとき、其の娣の袂の良きに如かずとは、其の位、中に在るを以って貴きを以って行えばなり、

帝乙は、殷の紂王の父のことであり、政情を安定させるために王女を臣下に降嫁させたことがある。
そのときのことを引き合いに出しているのであって、これは地天泰の六五の爻辞「帝乙帰妹、以祉、元吉」も同様である。
もとよりこの卦の象には、女を以って男に先立つの義が有る。
これは婚姻の正しい礼ではない。
これを以って諸爻はみな娣(妾)の義を以って辞を書き、正配ではないことを示している。
しかし、六五は君の位である。
例え陰柔の爻だとしても、娣とするのはいささか不謹慎である。
したがって、ひとりこの六五のみは、正嫡匹配にして、帰嫁する者とする。

さて、君の位の義は正しいとしても、女を以って男に先立つという卦象の義を無視するわけにはいかない。
この双方の義を両立させる必要がある。
そこで、皇女が降嫁する時のこととする。
皇女が降嫁するときは、諸侯以下の婚姻の礼とは同じではない。
これを以って、女が男に先立つ咎を責めないのである。
もとより六五は尊位に柔中の徳が在って、九二と応じている。
これは君位の陰爻より臣位の陽爻に応じるのであって、皇女が降嫁するの義とする。
だから、帝乙妹を帰がしむ、という。

その君のというのは嫡君のことにして、すなわち帝妹帝女のことである。
袂とは衣装のことを指す。
貴きを以って卑しきに降嫁するときは、謙遜を用いるべき道である。
したがって、王女が降嫁するときは、娣妾にありがちな派手な飾りを以って寵愛を迎え求めるようではいけない。
貴び重んじるのは、一に徳義である。
だから、その徳義を褒めて、其の君の袂は其の娣の袂の良きに如かず、という。
としても、嫡君の衣装服飾が娣妾より粗末だと言っているわけではない。
嫡君は色や飾りを以って意とせず、その徳義の盛んなことを称えて喩えているのである。
月は太陰の精、望は満つるの義、幾は近いの義である。
今、六五は陰の徳が盛んにして円満となろうとしているのであって、そうであれば、吉である。
だから、月望に幾し、吉なり、という。
これは風天小畜の上九と同じ解釈である。

上六━ ━○
六五━ ━
九四━━━
六三━ ━
九二━━━
初九━━━

上六(じょう りくは)(おんな ) (うくるに ) (かたみを)( なし )()() (さくに )(ひつじを)( なし )()( なし )(ところ )(よろしき)

【書き下し】上六は、女筺を承くるに実无し、士羊を刲くに血无し、利ろしき攸无し、

象曰(しょうに いわく)上六(じょう りくは ) (なきとは)()(うくるなり) 虚筺(からの はこを)也、

【書き下し】象に曰く、上六は実无きとは、虚筺を承くるなり、

この卦は初より四に至るまでは、みな六五の嫡君に従うところの娣妾とした。
したがって、その娣たるの義を以って辞を書いている。
今、この上六の爻は、六五の外に在るので、従い仕えるという義はない。
そこで、これを娣とはせず、ただ帰妹の卦の義について、配偶のことを述べ戒める。

女とは、六三の爻を指す。
これは兌の象を取る。
士とは上六の爻を指す。
上六は陰爻なのに士とするのは、震の男子の卦象を取っているからである。

さて、士とは未だ娶っていない者を言い、女とは、未だ嫁いでいない者を言う。
上爻と三の爻とは応位だが、陰陽の交わり和することはないので、これを士と言い、女と言い、夫婦と称しないのである。
まして六三の女は、上卦震の下にある。
震は空虚な筺=篭箱の象である。
とすると、その空虚な筺を六三の女が捧げ上げている様子となる。
また、下卦の兌は羊の象であり、その主の六三は上六の応位である。
しかし、上六も六三も共に陰なので、陰陽正しく応じていない。
したがって、上六の士が祭祀の牲にと、兌の羊を刲いても、上手く行かず、きちんと血が出ないのである。

ちなみに動物を食用などで殺すときは、まず頚動脈を切って血を出すものらしい。
最初に血を出しておかないと、肉が不味くなるのである。
しかし、下手な人がやると、その頚動脈を上手く切れず、脊椎を損傷させてしまったりして、十分血が出ないうちに絶命させてしまい、血が体内にかなり残っていることもある。
そうなると、肉が臭くて食べられたものではなくなるのだそうである。

古代中国では羊や牛は家畜として飼われ、必要に応じて屠殺して食べた。
したがって、普通の人なら誰でも羊を屠殺する方法は心得ていたのであって、そういう文化の中での話である。
要するに、この上六の士は男として当たり前の技術を身につけていないダメ男なのである。

また本来ならば、士についてを先に書き、女についてを後にするべきなのに、ここでは先ず女について書き、後に士について書いている。
これは、卦象の、女を以って男に先立つの義を主とし、その礼を失ってしまった罪が、全く女に在ることを示しているのである。
そういう女だから、よく相手のことを確認せず、そんなダメ男を掴んでしまうのである。

そもそも、女子が筺を承けて祭祀を補佐して侍っても、其の実がない時には、何を以って薦め祭ることを得るだろうか。
士も生贄の羊を刲くとしても、屠殺が下手で、ちゃんと血を出せないようでは、何を以って祭祀を享め祭ろうか。
女にして実が無く、士にして血が無い時は、士も女も、共に廟見(先祖への挨拶)は行われず、鬼神は享けない。
廟見の礼が行われないときには、その二人は夫婦として認められず、家を(ととの)えることもできない。
だから、女筺を承くるに実无し、士羊を刲くに血无し、利ろしき攸无し、という。

前の卦=53風山漸 次の卦=55雷火豊

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01.乾為天 02.坤為地 03.水雷屯 04.山水蒙 05.水天需 06.天水訟 07.地水師 08.水地比 09.風天小畜 10.天沢履 11.地天泰 12.天地否 13.天火同人 14.火天大有 15.地山謙 16.雷地予 17.沢雷随 18.山風蠱 19.地沢臨 20.風地観 21.火雷噬嗑 22.山火賁 23.山地剥 24.地雷復 25.天雷无妄 26.山天大畜 27.山雷頤 28.沢風大過 29.坎為水 30.離為火

31.沢山咸 32.雷風恒 33.天山遯 34.雷天大壮 35.火地晋 36.地火明夷 37.風火家人 38.火沢睽 39.水山蹇 40.雷水解 41.山沢損 42.風雷益 43.沢天夬 44.天風姤 45.沢地萃 46.地風升 47.沢水困 48.水風井 49.沢火革 50.火風鼎 51.震為雷 52.艮為山 53.風山漸 54.雷沢帰妹 55.雷火豊 56.火山旅 57.巽為風 58.兌為沢 59.風水渙 60.水沢節 61.風沢中孚 62.雷山小過 63.水火既済 64.火水未済

ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては易学入門をご覧ください。
また、六十四卦それぞれの初心者向け解説は無料易占いのページをご覧ください。
占いながら各卦の意味がわかるようになっています。

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最終更新日:令和04年04月03日 学易有丘会
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