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前の卦=07地水師 次の卦=09風天小畜

08水地比 すいちひ

キリスト教のシンボル十字架の形。詳細はコチラ。
「旧約聖書」天地創造3日目を構成する2卦(師・比)のひとつ。詳細はコチラ。

 坤下(こんか)坎上(かんじょう)

八卦の(こん)の上に、(かん)を重ねた形。

()は親しみ輔(たす)け合うという意。
この卦は、坎の水が坤の地の上にあるが、水が地の上にあるときは、水は地にしみ込み馴染み、その居所とし、水がしみ込んだ土は植物を育む。
これは、水と土が互いに輔け合い、親しんでいる様子である。
だから比と名付けられた。
また、九五の君位の一陽爻が五陰爻と親しみ、五陰爻はこの一陽の君に親しみ従う様子でもある。
だから比と名付けられた。

 

卦辞(かじ) 〜彖辞(たんじ)とも言い、周の文王の作と伝わる。

(ひは )(きちなり)(たずね ) (わかって)(おおいに ) (ながく ) (つねあれば)( なし)(とが )(いまだ/ざりしも ) (やすから ) (まさに ) (きたらんとす)(おくるる ) (ひとは ) (きょうなり)

【書き下し】比は、吉なり、原ね筮って、元いに永く貞あれば、咎无し、いまだ寧からざりしも方に来たらんとす、後るる夫は凶なり、

比は親したみ輔け合うことだが、このように接すればこそ、人間関係は円滑になるものである。
だから、比は吉なり、という。
原筮とは、根本を究め択び分ける、という意。
『論語』季氏第十六に「益者三友、損者三友」とあるように、世の中には親しむべき人と、親しむべきではない人がいる。
いつも、それをよく見極め、親しむべき人を択び分けて親しむように心がけていれば、困った人と係わり合いを持つこともなく、咎められることもないものである。
だから、原ね筮って元いに永く貞あれば咎无し、という。
そして、そういう人間関係を作っておけば、最初は遠巻きに見ていて邪な心を持った人たちも、やがては感化され、心を入れ変えて、こちらにし親しみを持ってやって来るものである。
だから、いまだ寧からざりしも方に来たらんとす、という。
しかし、みんながそうして親しみ和していても、ひとりだけ我を張り、ソッポを向いているといった人が、世の中にはいる。 そういう人は、結局は和に加われず孤独になるだけである。
だから、後れる夫は凶なり、という。
夫とは、一般的な人のこと。

彖伝(たんでん) 彖伝は卦辞(彖辞)の解説で、孔子作と伝わる。

彖曰(たんに いわく)(ひは )輔也(たすくるなり )(じゅう ) (たすくるなり )(ごうを)也、

【書き下し】比は、輔くるなり、柔、剛を輔くるなり、

比は親しみ輔けるということ、輔けるとは九五の一陽剛が坎水の仁沢の主爻たるを以って、仁の雨の恩沢を以って天下の億兆を潤し輔ければ、天下の衆陰の億兆もまた九五の一陽剛の仁君を仰ぎ戴き、これに親しみ輔けるのだ。

(ひは )(きちなりとは)(した ) (じゅん ) 從也(じゅうするなり )原筮(たずね わかって)(おおいに ) (ながく ) (つねあれば)(なしとは )(とが )(もってなり )(ごう ) (ちゅうなるを)也、

【書き下し】比は、吉なりとは、下、順従するなり、原ね筮って、元いに永く貞あれば、咎无しとは、剛中なるを以ってなり、

この卦は一陽五陰の象にして、その一陽爻は九五の至尊の位に在り、定位の主爻、成卦の主爻、坎水仁沢の主爻である。
したがって天下の五陰爻はその恩雨の徳沢に感化されて順い睦み、これを仰ぎ戴き親しみ輔けるという義だから、比は吉であって下位の者はみな順従するのであって、これは九五に剛健中正の君徳があり、物事の根本を見極めて、いつも常の道を守るからである。

(いまだ/ざるとも ) (やすから ) (まさに ) (きたらんとすとは)上下(じょう げ )應也(おうずればなり )後夫(おくるる ひとは ) (きょうなりとは)其道( その みち ) 窮也(きゅうすればなり)

【書き下し】いまだ寧からざるとも方に来たらんとすとは、上下応ずればなり、後るる夫は凶なりとは、其の道窮すればなり、

また、九五の一陽の徳を以って、遍く天下の衆陰を撫育し親比すれば、天下の衆陰もまた、最初は遠くから眺めているだけだった者も上下応じて、やがては九五の一陽の仁徳に親比し服順するのである。
このように今、親しみ睦み比す時に遇って、それでもひとり後れて親比和順しない者は、もとより人たるの道に困窮しているのであって、頑なで愚かで善を見て遷ることを知らないどうしようもない者である。

 

象伝(しょう でん ) 卦の(しょう)=形の解説で、大象(たいしょう)とも呼ばれ、彖伝同様に孔子の作と伝わる。

象曰(しょうに いわく)地上( ち じょうに ) (あるは)(みず )(ひなり)先王( せん おう ) (もって) ( たて)萬國( ばん こくを )(したしむ )諸侯( しょ こうを)

【書き下し】象に曰く、地上に水有るは、比なり、先王以って万国を建て諸侯を親しむ、

地上に水を置く時は、髪の毛一本の隔たりもなく、たちまちに親比和順する。
先王はこの比の卦象を観て、万国を並べ建て、王室の補佐として仁水の恩沢を下し、以って天下の諸侯に親しみ恵をを施すべきであって、そうすれば万国の諸侯も、君の仁水恩沢に親比して服順するものだ、と諭す。

『論語』為政第二4の「六十にして耳に順う」とあるのは、まさにこの卦の象による。
八卦と数の関係により、坎に配される数は六、坤は基本的には八だが、偶数の極みとして十も配される。
したがって六十は、孔子がこの水地比の象を観て読み取った年齢であって、上卦の坎は人体では耳に配され、下卦の坤は順うという意だから、「耳に順う」と言ったのである。
他の「十有五にして学に志す」は地風升、「三十にして立つ」は火地晋、「四十にして惑わず」は雷地予、「五十にして天命を知る」は風地観、「七十にして心の欲するところに従えども、矩を踰えず」は山地剥に由来している。

爻辞( こう じ ) 〜周公旦の作と伝わる。象曰以下は孔子の作と伝わる象伝。

上六━ ━
九五━━━
六四━ ━
六三━ ━
六二━ ━
初六━ ━○

初六( しょ りくは)(あって)(まこと ) (したしめば )(これに)( なし)(とが )(あって )(まこと ) (みたば )(ほとぎに)(おわりには ) (きちなり)(あれば )() (はずかし)

【書き下し】初六は、孚有って之に比しめば、咎无し、孚有って缶に盈たば、終わりに吉なり、他有れば吝し、

象曰(しょうに いわく)(ひの )初六( しょ りくは )(あって )(まこと ) 吉也(きちなるなり )

【書き下し】象に曰く、比の初六は、孚有って吉なるなり、

孚とは偽りのない心、人と親比和睦するの道は一に孚信あるを尊び、佞弁虚飾を憎むことである。
この爻は比の卦の初めにして、人と親しみ睦む始めのときとする。
およそ人は、内に孚なくて妄りに人と親もうとする者は、これ必ず利欲のための(おもね)(へつら)足恭(すうきょう)にして、道義に於いては甚だ以って咎有りとする。
初六はそもそも九五の爻の応ではないので、孚なくして比を求めるときは咎有ることを免れない。
だから、孚有って之に比しめば咎无し、という。
缶とは上古土器にして飾りのない質素な物であって、人の質朴正直にして偽り飾りないことに喩えたのである。
およそ人と交わり親しむの道は、孚を内に満たし、外を飾らないことを善とする。
だから、孚有って缶に盈たば、という。
このように親しむのであればね終わりに吉となるものである。
だから、終わりに吉なり、という。
しかし、もし初六の爻に他の意があり、その孚がないときには、利欲のためだけに親しむことになる。
これは、吝(はずか)しいことである。
だから、他有れば吝し、という。

上六━ ━
九五━━━
六四━ ━
六三━ ━
六二━ ━○
初六━ ━

六二( りく じは )(したしむこと )(これに ) (よりす )(うち )(ただしくして ) (きちなり)

【書き下し】六二は、之に比しむこと内よりす、貞しくして吉なり、

象曰(しょうに いわく)(したしむこと )(これに ) (よりすとは )(うち )(ざるなり ) (みずから ) (うしなわ)也、

【書き下し】象に曰く、之に比しむこと内よりすとは、みずから失わざるなり、

之とは九五の一陽爻を指している。
内よりとは、内卦より外卦に応じることであって、さらには、六二の中正の臣は、九五の中正の君に、陰陽正しく応じている。
しかも今は、親しく比しむべきときなのだから、臣が君に正しく応じ和し親しむのであれば、何の悪いことはなく、むしろその当然の道を失わないことである。
だから、之に比しむこと内よりす、貞しくして吉なり、という。

上六━ ━
九五━━━
六四━ ━
六三━ ━○
六二━ ━
初六━ ━

六三( りく さんは)(したしまんとすること )(これに ) (あらず )(ひとに)

【書き下し】六三は、之に比しまんとすること人に匪ず、

象曰(しょうに いわく)(したしまんとすること )(これに ) (あらずとは )(ひとに)(ずや )(また ) (いたましから)乎、

【書き下し】象に曰く、之に比しまんとすること人に匪ずとは、亦、傷ましからずや、

之とは九五の一陽爻を指している。
人に匪ずとは、六三すでに人たるところの道を失っているのである。
そもそもこの卦は一陽五陰にして、その五陰爻は、共にそれぞれ九五の一陽爻に親しみ比しむことを求めている。
これは、五陰一陽の卦の定情である。
しかしその応じるにも比するにも、六爻の位においてそれぞれその道の大義がある。
これを以って、中正応比承乗の六道を爻象の六大綱という。
今この五陰爻について、その道の義を述べるときには、まず初六は比の卦の初めの義にして九五の爻とは応比の位には当たらないとしても、朴素正直の孚信をもって親しむときには吉である、との義である。
もとより初九の爻は無位卑賤の者であって、卑賤の小人は、律義篤実を以って上に親しむので、自然に上より恩恵の吉をもたらされるのである。
卑賤陰柔の者は、上の恩沢の下に身を立てることが、定理だからである。
だから初六の爻の辞の中には、孚の字が二回も出てくるのであって、深く孚あるべきことを戒め教えているのである。
また、六二は臣の定位に居るわけだが、これはその正応の位に当たって自己中正の徳を得て、九五の君に親しむことは、当然の義にして、咎があるわけない道である。
しかし阿り諂いに流れることを怖れ、貞正であってこそ吉であると戒め示しているのである。
また、六四の爻は、執政の大臣の位にして、実に九五の君の爻とは陰陽正しく比していて、なおかつ柔正の徳を以って九五の君と正しく親比和合している。
これもまた咎があることはない道だが、やはり柔であるがために、安易に巽順してしまう傾向を否めないので、貞正ならば吉だと戒めているのである。
また、上六の爻も九五と比の位に当たっているわけだが、これも、九五の一陽爻と陰陽相比しているという点では、咎のない者である。
しかし上六の爻は、不中であるとともに全卦の極に居るので、(はじめ)无し、凶なり、という責める言葉がある。
さて、これらの様子を踏まえて、六三に戻ろう。
六三は、まず内卦の極に居る。
これは人臣の(かしら)に居るので、身分が有って職守が有る者である。
しかし九五とは応も比もない。
そこを強いて九五に親しもうとするのは、比の正しい道を失っているのであって、大いに咎の有るところである。
なおかつ六三の爻は、陰柔不才であるとともに不中不正である。
その上、内卦の坤の純陰暗昧の卦の極に居る者である。
これは単に人と親しんで利を得ようと貪る者にして、親比するべき正しい道を知らない者である。
心に一点の孚もなく、巧言令色足恭佞媚して、強いて親比を貪る小人である。
だからこれを斥け責めて、人に匪ず、という。
これは呵責(かしゃく)罵詈(ばり)の極にして、これより大なる恥はないのである。
なんと痛ましいことであろうか。
君子ならば、親比の正しい道をよく慎み択び、決して人に匪ずの責を受けないよう勉めるべきである。

上六━ ━
九五━━━
六四━ ━○
六三━ ━
六二━ ━
初六━ ━

六四( りく しは )(そとにあって ) (したしむ )(これに) (ただしくして ) (きちなり)

【書き下し】六四は、外にあって之に比しむ、貞しくして吉なり、

象曰(しょうに いわく)(そと ) (したしんで)(けんに)(もって ) (したがうなり )(うえに)

【書き下し】象に曰く、外、賢に比しんで、以って上に従うなり、

外とは外卦のことをいう。
元来この卦は比を以って名としている。
そもそも五陰爻の中で、九五一陽剛の君の爻と陰陽正しく比するところの位を得ているのは、この六四のみである。
これは、外卦に在って正しく親比する主爻であることを示しているのであって、六二の中正を以って九五の一陽剛の正応として内卦の主となっていることに対する言葉である。
之とは九五の爻を指している。
六四は外卦にあって正しく比の位に当たっている、ということを、外にあって之に比しむ、と表現しているのである。
そもそも六四は宰相執政の位に居て、親比するべきの時に当たって柔正の徳を得て正比の位に在って九五の君と正比和輔している。
したがって、悔吝があるようなことはない。
しかし比の時に比の位に遇っているので、親比することばかりに執着し、ややもすると巽順足恭に流れやすいので、それを怖れ戒めて、貞正にすれば吉だと諭す。
だから、貞しくして吉なり、という。
また、九五の爻を君とのみ取らず、ひろく天下の賢徳者とする意も込められていて、天下の賢者と親しんで己の及ばざるところを補い充たして君上に従うという義もある。

上六━ ━
九五━━━○
六四━ ━
六三━ ━
六二━ ━
初六━ ━

九五(きゅう ごは )(あきらかにす)( ひを )(おう ) (もちい)三驅( さん くを )(うしなう)前禽( ぜん きんを)邑人( ゆう じん ) (ざれども ) (いましめ)(きちなり)

【書き下し】九五は、比を顕かにす、王、三駆を用い、前禽を失う、邑人誡めざれども吉なり、

象曰(しょうに いわく)(あきらかにするの )(ひを )(きちなりとは)(くらい ) 正中也(ま あたりなればなり)(うしなうとは )前禽( ぜん きんを)(おいて )(すすむを ) (とればなり ) (じゅんを)也、邑人( ゆう じん ) (ずとは )(いましめ)(うえに ) 使(つかえばなり ) (ちゅうを)也、

【書き下し】象に曰く、比を顕かにするの吉なりとは、位正中りなればなり、前禽を失うとは、逆むを舎いて順を取ればなり、邑人誡めずとは、上に中を使えばなり、

九五は剛健中正の徳が有り、尊位に在る。
これは一人を以って万邦を撫育する大公至正至明至仁にして、天下の人々と親比するところの君の道の聖徳を備えている者である。
だから、比を顕かにす、という。
これは、親比和睦の道を以って、天下に顕明であることである。
もとより農業のために禽獣を捕獲することは、王政の大礼にして、逸遊荒楽ではない。
しかも、その狩のための囲みを一面だけ解き、禽獣が自ら逃れることができるようにして、禽獣が尽きるまでの捕獲はしないという大仁心の至りであり、道の至極に正中(まあた)りの行いである。
だから、王三駆を用い、前禽を失う、という。
三駆とは、三方向から囲い込み、前方の一面は開けておくことである。
そうすることで、こちらに順に来るものだけを取り、逆に、前方へ逃げて行く禽獣は追いかけないのである。
このようであってこそ、君上の仁徳は四海に満ち溢れ、禽獣にさえも及び、天下の風俗篤実敦厚にして、農民は畔を譲り合い、商人は価格を誠実にし、天候に従い百穀豊饒にして家々は衣食足りて泰平を楽しむ。
飢えて寒い思いをする民がいなければ、盗賊が起こることもないのであって、これこそ治世の盛徳である。
だから、この義を以って、邑人誡めざれども吉なり、という。
誡めずというのは、風俗敦厚の至りにして、警戒防御する苦悩が必要ない様子であって、誡めなくても、上手く行く、ということである。
これはただ君上の道の至極に正中りなるところの盛徳を使うことによる。

上六━ ━○
九五━━━
六四━ ━
六三━ ━
六二━ ━
初六━ ━

上六(じょう りくは)(したしむるに )(これに ) ( なし)(はじめ)(きょうなり)

【書き下し】上六は、之に比しむるに首无し、凶なり、

象曰(しょうに いわく)(したしむるに )(これに ) (なしとは )(はじめ)(なきとなり )(ところ )(おわる)也、

【書き下し】象に曰く、之に比しむるに首无しとは、終わる所无きとなり、

之とは九五を指す。
首(はじめ)とは、始めということである。
上六は陰柔不中にして、比の卦極に居る。
これは九五の君に阿(おもね)り諂(へつら)いして、比同する小人である。
小人が君に奉仕するは、君を利用して自らの利益を貪ることを目的としているだけである。
始めより道義などというようなことは考えていない。
そのようなことを続けていれば、目的を達成して終わることはできないばかりか、いつか凶となる。
だから、之に比しむるに首无し、凶なり、という。

前の卦=07地水師 次の卦=09風天小畜

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01.乾為天 02.坤為地 03.水雷屯 04.山水蒙 05.水天需 06.天水訟 07.地水師 08.水地比 09.風天小畜 10.天沢履 11.地天泰 12.天地否 13.天火同人 14.火天大有 15.地山謙 16.雷地予 17.沢雷随 18.山風蠱 19.地沢臨 20.風地観 21.火雷噬嗑 22.山火賁 23.山地剥 24.地雷復 25.天雷无妄 26.山天大畜 27.山雷頤 28.沢風大過 29.坎為水 30.離為火 

31.沢山咸 32.雷風恒 33.天山遯 34.雷天大壮 35.火地晋 36.地火明夷 37.風火家人 38.火沢睽 39.水山蹇 40.雷水解 41.山沢損 42.風雷益 43.沢天夬 44.天風姤 45.沢地萃 46.地風升 47.沢水困 48.水風井 49.沢火革 50.火風鼎 51.震為雷 52.艮為山 53.風山漸 54.雷沢帰妹 55.雷火豊 56.火山旅 57.巽為風 58.兌為沢 59.風水渙 60.水沢節 61.風沢中孚 62.雷山小過 63.水火既済 64.火水未済

ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては易学入門をご覧ください。
また、六十四卦それぞれの初心者向け解説は無料易占いのページをご覧ください。
占いながら各卦の意味がわかるようになっています。

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最終更新日:令和04年04月03日 学易有丘会
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