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漢文として楽しむ論語 爲政第二 1/3トップページ 論語序説(朱子による孔子の略歴) 學而第一 爲政第二 八佾第三 里仁第四 公冶長第五 雍也第六 述而第七 泰伯第八 子罕第九 郷黨第十 先進第十一 顔淵第十二 子路第十三 憲問第十四 衞靈公第十五 季氏第十六 陽貨第十七 微子第十八 子張第十九 堯曰第二十 横書き漢文を読むよりも縦書き漢文で流れを追いながら聞きたいという方はYouTube版でどうぞ。 1(17) 子曰爲政以コ… YouTube版
○ 【書き下し】子の曰く、政を為るに徳を以ってするときは、譬えば北辰の其の所に居て衆星これに共うが如し、 【訳】先生が仰った。政治を行うに徳を以ってするときは、例えば北極星が常にその場所に居て、他の星はその北極星に感化されたかのように周囲を回るように、民衆もその人君の徳に感化され、その国はよく治まる。 【解説】学而第一10の解説でも触れたが、江戸時代に政の字を「まつりごと」と訓じた理由は、すでに学而第一10子禽、子貢に問いて曰くのところで述べたが、孔子も同様に考えていたから、そう訓じられたという面もあるだろう。ただし、文章の流れによっては音で「せい」と読む場合も多々ある。が、何れにしろ、意味が取れればどう読んでもよいのが漢文なのである。 2(18) 子曰詩三百… YouTube版
○ 【書き下し】子の曰く、詩三百、一言以って之を蔽う、曰く、思い邪無し、 【訳】先生が仰った。詩経の全約三百篇の詩があるが、すべての詩に共通することをひとことで言えば、その思いに邪なところが無いことだ。 【解説】詩は詩経のこと。詩経には三百十一篇の詩があるのだが、その大略の数として三百とした。思無邪はその詩経・ 3(19) 子曰道之以政… YouTube版
○ 【書き下し】子の曰く、之を道びくに政をもってし、之を斉うるに刑をもってするとき、民免がるるのみにして恥じること無し、 【訳】先生が仰った。民を導くのに法制や禁令を使い、民を順わせるのに刑罰をもってするときは、法を犯せばその刑罰を免れるためのはかりごとを巧みにして、悪いことを恥じる心はない。あるいは刑を恐れてしばらくは悪をしないが、その悪をする心はそのままなくならない。 【解説】之とは民を指し、民を導くための方策をいう。 【書き下し】之を道びくに徳を以ってし、之を斉うるに礼を以ってするときは、恥じて且格ること有り、 【訳】一方、民を導くのに人君がその身の徳をもってし、民を順わせるのに礼を以ってするときは、邪心を持った民も不善を恥じて犯さず、正しき善人にいたるというものである。 【解説】ただし政刑は民を治めるための備えだから、捨てるべきではない。しかし徳礼は治める基本にして、徳はまた礼の根本であり、政刑は末務である。 4(20) 子曰吾十有五… YouTube版
○ 【書き下し】子の曰く、吾十有五にして学に志す、 【訳】先生が仰った。私は十五のときに学問に志しを持った。 【解説】志とは心の行き向かう所。古は十五にして大学に入る。とすとる、ここで言う学を志すも大学の道である。大学というのは為政者の心得を学ぶことである。 三十 【書き下し】三十にして立つ、四十にして惑わず、 【訳】三十のときにその学問の目指す方向性が明らか決まり、そのスタートラインに立ち、四十のときにはさらに知識が深くなって、もう迷うことは全くなくなった。 五十 【書き下し】五十にして天命を知る、六十にして耳順う、 【訳】五十のときに天命、運命といったものを感じ、六十のときには何かを聞いたら瞬時にそれが道に叶っているか否かを判別でき、何も考えることなく適切な対応をできるようになった、 七十 【書き下し】七十にして心の欲するところに従えども、矩を踰えず、 【訳】七十のときには、何も考えずにやりたいようにやっても、決まりを破ることはなかった。決まりを破るようなことには興味が持てなかった。 【解説】有名な言葉だが、孔子が実際にこのようだったのかは定かではない。実はこれ、孔子のちょっとした遊び心で作ったものだったのだろう。『論語』の注釈書では触れられることはないが、易をある程度知っていれば、ここに出て来る数字と続く文字からすぐわかることなのだ。孔子が注釈を加えて編纂した易経にある理論、八卦と数の関係と卦の意義を年齢に当てはめて並べてだけである。おそらく本当に学問を志すのなら、自分の話を聞くだけではなく、易を勉強してほしいという思いから作られたのであって、論語集解や集注を始めとする注釈書でも、易を勉強した後にこの文章を思い出してニヤリとして欲しいから、敢えて触れなかったのだろう。また、雍也第六19に、中人以上には以て上を語ぐ可きなり、中人以下には以て上を語ぐ可からざるなり、という言葉があることから、易を勉強しない中人以下には本当のことを知らせる必要はない、という考えもあったのだろう。が、ここでは現代の易の置かれている状況から、きちんと説明することにした。 5(21) 孟懿子問孝… YouTube版
○ 【書き下し】孟懿子孝を問う、子の曰く、違うこと無し、 【訳】孟懿子が孝について先生に質問した。先生が仰った。違うことの無いのが孝だ。 【解説】孟懿子は魯の大夫仲孫氏、後に孟孫と改名した。名は 【書き下し】樊遅御たり、子之に告げて曰く、孟孫孝を我に問う、我對えて曰う、違うこと無し、 【訳】先生が孟懿子の問いに答えた後、樊遅が先生の車を御したときのこと、先生が樊遅に告げて仰った。孟孫が私に孝について質問してきたので、私は次のように答えた。違うことの無いのが孝だ。 【解説】樊遅は孔子の弟子、姓は樊、名は須、字は子遅。御とは御者として馬車を操縦すること。懿子が無違について、さらに聞いてこなかったので、もし誤って何事もただひたすら親の命ずるままに従うを以って孝だと勘違いして思い込まないだろうかと、その心配を樊遅に告げたのである。 【書き下し】樊遅の曰く、何と謂うことぞ、子曰く、生けるときは之に事えまつるに礼を以ってし、死せるときは之を葬るに礼を以ってし、之を祭るに礼を以ってす、 【訳】樊遅が言った。どういう意味で言ったのですか。先生が仰った。親が生きているときは仕えるのに礼を以ってすることだ。死んだときは葬るのに礼を以ってすることだ。その親の霊を祭るにも礼を以ってすることだ。それでこそ道に違うことがなく、孝と言えるのだ。 【解説】樊遅も無違の真意を悟らなかったので、このように答えを返した。 6(22) 孟武伯問孝… YouTube版
○ 【書き下し】孟武伯、孝を問う、子の曰く、父母には唯其の疾なんことを憂う、 【訳】孟武伯が孝について質問した。先生が仰った。父母は子供の病気を何よりも心配する。だから子供としては健康でいることが何よりの孝である。 【解説】武伯は懿子の子、名は 7(23) 子游問孝… YouTube版
○ 【書き下し】子游孝を問う、子の曰く、今の孝とは、これ能く養うを謂う、 【訳】子游が孝について質問した。先生が仰った。今の世俗での孝とは、父母の衣食の面倒をみて養うことだとされている。 【解説】子游は孔子の弟子、姓は 【書き下し】犬馬に至るまでも、皆能く養うことあり、敬せざれば何を以って別たんや、 【訳】しかし、家畜の犬や馬も同じように養われている。とすると父母を敬わなければ、何を以って父母と家畜とを区別したらよいのか。 【解説】およそ人の子が父母に仕えるのは、親愛することが深いから、必ず慎んでこれを重んじる。慎み重んじる気持ちが強ければ必ず尊びてこれを敬う。もし、よく養っても敬することが足りないのであれば、その愛が深くないからである。それが仮に、父母の恩愛を頼みにして慣れ侮るようならば、不敬の甚だしい者である。 8(24) 子夏問孝… YouTube版
○ 【書き下し】子夏孝を問う、子の曰く、色難し、 【訳】子夏が孝について質問した。先生が仰った。子が親に仕えるとき、その務むべきことが多くても、いつも笑顔で親の心を楽しませるのは難しい。 【解説】一説に、父母の顔色を伺って逆らわないことは難しい、という意だとも。 【書き下し】事有るときは弟子其の労を服し、酒食有れば先生饌す、曽て是を以って孝と為んや、 【訳】家内に事があれば若い者はその労苦を厭わず服し、酒食があれば年長者がまずこれを飲食して若い者は同席しない。これは服労奉養の常だが、誰がかつてこのことのみを以って孝だとしただろうか。色=真心のこもった笑顔を以って養うのでなければ孝とするに足りない。 【解説】事は家事のこと。弟子は子弟などの若い者。服すとは執り行うこと。先生は父兄など年長者。饌すとは飲食すること。 |
最終更新日:令和05年01月28日
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