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前の卦=54雷沢帰妹 次の卦=56火山旅

55雷火豊 らいかほう

「旧約聖書」モーセの出エジプト神話を構成する4卦(豊・旅・節・小過)のひとつ。詳細はコチラ。

 離下(りか)震上(しんじょう)

八卦の()の上に、(しん)を重ねた形。

(ほう)は、大、盛大、という意、新字体では豊。
この卦は離を明とし、震を動とすれば、明らかにして動く様子である。
明らかでないときは通暁するところなく、動かざるときには何事も為し得ない。
とすれば、逆にこの卦のように、明らかにして動くときには、その事は盛んにして大なるに至るはずである。
だから豊と名付けられた。
また、震を雷とし、離を電(雷光=稲妻)とすれば、雷電相合うときには、その勢いが最も盛大なときである。
だから豊と名付けられた。
また、離を太陽とし、震を動くとすれば、太陽が動きながら天下を照らし臨み、その光明盛大な様子である。
だから豊と名付けられた。
また、離を明とし智とし、震を威とし勇とすれば、智勇兼ね備わっている様子である。
智勇兼ね備わっていれば、その威明は盛んに大なるものである。
だから豊と名付けられた。

 

卦辞(かじ) 〜彖辞(たんじ)とも言い、周の文王の作と伝わる。

豐亨(ほうは とおる)(おう )(いたる)(これに)(なかれ)(うれうる)(よろし)日中( にっ ちゅうに)

【書き下し】豊は亨る、王之に※假る、憂うる勿れ、日中に宜し、

※假:通本は仮の正字体の假とするが、中州はその偏をイではなく彳が正しいと指摘する。
しかしそれは、パソコンで使うJIS、UNIコード、共に規格外の字なので、ここでは止むを得ず、假で代用しておく。

豊は勢いが盛んで大なることだが、そうであれば何事も亨通するものである。
だから、豊は亨る、という。
また、明らかにして動くときには、事に臨んで疑い惑い優柔不断になることはなく、そうであるのなら、何事も遂げられないことはない。
だから、亨る、という。

次の文節の王とは、一般的に言う王者のことであり、至尊の称号にして、絶大な勢力を保ち、巨万の富とともに君臨している者である。
この卦は、このように隆盛を誇っているときであり、とすれば王は、このときすでに豊に至っていることになる。
だから、王、之に※假る、という。
この場合の之は、豊の時を指す。
しかし、天地陰陽の法則では、永遠長久に豊大であることはない。
豊盛も極まれば、次には必ず衰える。
とすれば、その衰えるときが来ることを、予め憂い、あれこれ画策しようと慮りたくもなるが、徒に憂いても、それでどうにかなるわけではない。
豊盛を保ちたいのであれば、そんなふうに憂いて右往左往するよりも、まずは日月が下土を照臨するように、施策に偏りがないのが、重要である。
もし、依怙贔屓などがあるときには、凶衰の道が忽ちに至るものである。
これは、王者の最も慎み深く戒めることである。
日中すれば則ち日は傾き、月満ちれば則ち欠ける。
王者の盛衰もまたこの如くである。
なんとかその中を保持するよう心がけないといけない。
だから、憂うる勿れ、日中に宜し、という。
なお、日中というのは、遍く照らして依怙贔屓ないことと、盈虚消息を警戒することの、両方の意を兼ねている。

彖伝(たんでん) 彖伝は卦辞(彖辞)の解説で、孔子作と伝わる。

彖曰(たんに いわく)(ほうは)大也(だいなるなり )(めい ) (もって) (うごく)故豐(ゆえに ほうなり)

【書き下し】彖に曰く、豊は、大なるなり、明以って動く、故に豊なり、

豊は勢いが盛んで大なることである。
下卦離を明とし、上卦震を動くとすれば、明らかにして動くということなる。
明らかにして動くのであれば、事に臨んで疑い惑い優柔不断になることはなく、何事も遂げられないことはなく、豊大に至るものである。
だから豊なのである。

(おう )(いたるとは)(これに)(たっとべるなり )(だいを)也、(なかれ )(うれうる ) (よろしとは)日中( にっ ちゅうに)(べしとなり )(てらす)天下( てん かを )也、

【書き下し】王之に※假るとは、大を尚べるなり、憂うる勿れ日中に宜ろしとは、天下を照す宜しとなり、

六五の君主はよく徳を盛んにして、豊大に至らせるのは、その豊大の徳を貴び重んじるからである。
しかし王者の盛衰は天地の道の常だからと、今は豊大でもやがて傾くのではないかと徒に憂えても益の無いことである。
宜しくこれを守る道を修めるべきであって、内に日中のような明らかさを維持して天下を照らし治めるべきである。

() (ちゅうすれば ) (すなわち ) (かたぶく)月盈( つき みつれば ) (すなわち) ( かく )天地( てん ちに ) 盈虚(えい きょあって ) (ともに )(ときと ) 消息(しょう そくす)、而(いわんや ) (おいておや )(ひとに)乎、(いわんや ) (おいておや)鬼神( き しんに)乎、

【書き下し】日、中すれば則ち昃く、月盈つれば則ち食く、天地に盈虚あって時と与に消息す、况や人に於いておや、況や鬼神に於いておや、

太陽は南中すれば傾き、月も満月を過ぎれば欠ける。
このように天地には盈虚盛衰があり、これは時と共に移り変わるものである。
言うまでもなく、人の道や鬼神の道も同じである。

 

象伝(しょう でん ) 卦の(しょう)=形の解説で、大象(たいしょう)とも呼ばれ、彖伝同様に孔子の作と伝わる。

象曰(しょうに いわく)雷電( らい でん ) 皆至( みな いたるは)(ほうなり)君子( くん し ) (もって ) (わかち )(うったえを )(いたすべし )(けいを)

【書き下し】象に曰く、雷電皆至るは、豊なり、君子以って獄を折ち刑を致すべし、

震を雷とし、離を稲光=電とすれば、雷電が一緒にやって来たのが豊である。
雷は威厳の義、電は光明の義である。
君子ならば、この卦の象を観て、訴えを分ち断じて、その罪に応じて刑罰を執行するべきである、と教える。

爻辞( こう じ ) 〜周公旦の作と伝わる。象曰以下は孔子の作と伝わる象伝。

上六━ ━
六五━ ━
九四━━━
九三━━━
六二━ ━
初九━━━○

初九( しょ きゅうは)(あえり)( その ) 配主( はい しゅに)(いえども) (ひとしと) ( なし)(とが )(ゆけば) ( あり )(たっとばるること)

【書き下し】初九は、其の配主に遇えり、旬と雖も咎无し、往けば尚ばるること有り、

象曰(しょうに いわく)(いえども ) (ひとしと ) (なしとは)( とが )(たがいなば ) (ひとしきに ) 災也(わざわいあらんとなり)

【書き下し】象に曰く、旬しと雖も咎无しとは、旬しきに過いなば災いあらんとなり、

この卦は、上卦震と下卦離を合わせて、「明らかにして動く」という義象であり、そうであるのなら、事の上においても、物の上においても、その勢いは盛大であって、卦名も卦辞も、豊多盛大の義を主意としている。
しかし、爻辞の場合は、内卦離の日の上に二陰の物が有り、日の光を覆い暗ますという象義を取って書かれていて、明らかな者は隠蔽され、賢者は暗まされる、という義とする。
そこで爻の象義を以って観る時には、地火明夷の卦のやや軽い象とする。
地火明夷は、上卦坤の三陰の暗い物を以って内卦離の日の明るさを覆い暗まし夷(やぶ)るという義である。
この雷火豊の卦は、六五上六の二陰の暗い物を以って内卦離の日の明を覆い暗ますという義である。
したがって、明夷よりは一陰爻だけ軽いのである。
要するにこの卦は、卦と爻と別義なのである。

さて、初九の爻も、覆い暗まされる時に遇っているわけだが、幸いに初九は、上の六五上六の二陰邪の爻とは応比の関係にないので、その係累ではなく、覆い暗まされるという義を以ってしては書かない。
そして、初九も九四も共に陽剛なので普通は相応じていないとする。
しかし、初九は内卦離明の卦の一体の陽剛であり、九四は外卦震の動くの卦の一体の陽剛にして、明動相助けて、その覆い暗ますところの難みを、相助け合って脱するという意が有るので、相応じるの義とする。
これを同徳相応じるという。
だから、其の配主に遇えり、という。
配とは対等の義にして、九四と初九が同じ陽剛だということを指す。
主とは、これを尊び呼ぶの義である。

本来であれば、両剛相応じることは咎が有るものだが、今は覆い暗ます時なので、明動相助けて、二陰邪の覆い暗ます難みを脱することが先決である。
したがって、同徳相応じるの変例によって、咎を免れるのである。
だから、旬と雖も咎无し、という。
旬とは均等の義にして、初も四も共に同じ陽剛であることを指す。
しかも、同徳相応じるは、単に咎がないのみでなく、往きてこれを助けるときには、九四も必ず初九を尊崇するようになるものである。
これが旬しくない他の志を生じ起こすのであればそれは過失であって、忽ち必ず災難に遇う。
だから、往けば尚ばるること有り、という。

上六━ ━
六五━ ━
九四━━━
九三━━━
六二━ ━○
初九━━━

六二( りく じは )(おおいにせらる)其蔀( その しとみを)日中( にっ ちゅうに) ( みる )(とを )(ゆくは) ( えん )(うたがい ) (にくまるることを)(あって)(まこと) ( はつ ) (じゃくたれば ) (きちなり)

【書き下し】六二は、其の蔀を豊いにせらる、日中に斗を見る、往くは疑い疾まるることを得ん、孚有って発若たれば吉なり、

象曰(しょうに いわく)(あって)(まこと) ( はつ ) (じゃくとは)(しんあって ) (もって ) (はっせしむるなり ) (こころざしを)

【書き下し】象に曰く、孚有って発若とは、信あって以って志を発っせしむるなり、

六二は離明の主にして、賢明な者である。
もとより六五君位の爻は応爻だが、六五は元来陰暗なので、却って六二が忠臣であることに気付かず、これに害応して覆い暗まそうとする。
だから、其の蔀を豊いにせらる、という。
蔀とは、明かりを遮蔽する物で、六五がその蔀を大にして、六二を暗ます義である。
明るい日中であっても、上に陰物が有り、これを覆い暗ますときには昏暗にして夜陰のようになり、北斗七星をも見えるに至る。
だから、日中に斗を見る、という。
昔は、快晴の日に部屋を暗くして北向きの小窓から空を見上げると、実際に星が微かに見えることがあったらしい。
今は大気汚染などで、まず見えないが・・・。
ともあれ、これは六五が六二を深く覆い暗ますことを喩えたのである。

さて、この時に当たって六二の臣は、忠臣であるので、なんとか六五の君を輔けに行こうと欲する。
しかし六五は陰暗なので、却って六二を疑い疾んで、その輔けを拒んでしまう。
だから、往くは疑い疾まるることを得ん、という。

このような時に六二がするべきことは、己の無二の忠貞の孚信を凝して、六五の志を感じ発っせさせることである。
だから、孚有りて発若たれば吉なり、という。

上六━ ━
六五━ ━
九四━━━
九三━━━○
六二━ ━
初九━━━

九三(きゅう さんは)(おおいにす)其沛( その とばりを)日中( にっ ちゅうに) ( みる )(ばいを)(おらる)( その ) 右肱( う こうを)( なし)(とが )

【書き下し】九三は、其の沛を豊いにす、日中に沫を見る、其の右肱を折らる、咎无し、

象曰(しょうに いわく)(おおいにすとは)其沛( その とばりを)()()(かなるなり) 大事( だい じには)(おらるとは)( その ) 右肱( う こうを)(おわりに ) (ざるとなり )(べから )(もちいる)也、

【書き下し】象に曰く、其の沛を豊いにすとは、大事には不可なるなり、其の右肱を折らるとは、終わりに用いる可からざるとなり、

沛とは、幕の類にして、その覆い暗ますことが蔀よりもさらに深いことの喩えである。
沫とは、北斗星などとは違う名も無い小さく弱々しく光る星のことである。
暗まされることが愈々甚だしく、日中に小さく弱々しく光る星さへも見える、ということである。
そもそも九三は離明の卦の一体に在って、上は上六の爻に害応されている。
その害応するところの上六は、覆い暗ますところの主にして、人を暗ますことは六五よりも甚だしい。
だから、其の沛を豊いにす、日中に沫を見る、という。

右肱とは、右の腕を指す。
右は利き手にして、有用の股肱の臣という義である。
ただしこの九三の爻は、上六の応位なので、上六の股肱の忠臣である。
としても上六は昏暗残忍の主なので、自己の悪を助けて媚び諂う者でないと、却ってこれを不忠、不良と思う。
そこで上六は、真面目な忠臣である股肱の輔弼の九三を害応して、毀折(きせつ)し、用いることはない。
これは愚昧の至り、昏暗の極たる者である。
このような時には大事を行うべきでない。
だから、其の右肱を折らる、という。
しかし、害されたとしても、それは九三に落ち度があるわけではない。
だから、咎无し、という。

上六━ ━
六五━ ━
九四━━━○
九三━━━
六二━ ━
初九━━━

九四(きゅう しは )(おおいにせらる)其蔀( その しとみを)日中( にっ ちゅうに) ( みる )(とを )(あえば)( その ) 夷主( い しゅに )(きちなり)

【書き下し】九四は、其の蔀を豊いにせられる、日中に斗を見る、其の夷主に遇えば吉なり、

象曰(しょうに いわく)(おおいにせらるとは)其蔀( その しとみを)(くらい ) (ざればなり )(あたら)也、日中( にっ ちゅうに ) (みるとは)( とを )(ゆうにして ) (ざるなり )(めいなら)也、(あえば)( その ) 夷主( い しゅに )(きちなりとは)(こころざし ) 行也(おこなわるるとなり)

【書き下し】象に曰く、其の蔀を豊いにせらるとは、位当たらざればなり、日中に斗を見るとは、幽にして明ならざるなり、其の夷主に遇えば吉なりとは、志行わるるとなり、

この爻は陰位であるが、九四は陽剛なので位に当たらず、六五に害比されているので、六五のために覆い暗まされ、幽暗にして明らかでないのは、六五に害応されている六二と相同じである。 
だから六二と同じように、其の蔀を豊いにせらる、日中に斗を見る、という。

さて、九四はそもそも初九の応の位だが、共に陽剛なので、相応じ難い。
九四は外卦震の動くの主にして、自分から何かをやるという行動力のある爻であり、初九は内卦離の文明の一体にして、剛正である。
今は、六五上六の二陰邪が天下を覆い暗まそうとする時なので、九四と初九の両陽剛は同徳を以って相応じ助けて、覆い暗まされる難みを脱すべき大義が有る。
したがって速やかに初九に遇って志をひとつにして互いに相親しみ相助け合って行動する時には、吉なのである。
だから、其の夷主に遇えば吉なり、という。
夷とは、ここでは蔑みの意ではなく、同等という意である。
九四と初九が同じ陽剛だから同等であるとして、夷と言う。
主とは、その徳を尊ぶ辞である。

上六━ ━
六五━ ━○
九四━━━
九三━━━
六二━ ━
初九━━━

六五( りく ごは )(きたすべし )(あやを)(あらん )慶譽(よろこび ほまれ)(きちなり)

【書き下し】六五は、章を来たすべし、慶び誉れ有らん、吉なり、

象曰(しょうに いわく)六五( りく ごの )(きちとは)(あるなり) (よろこび)也、

【書き下し】象に曰く、六五の吉とは、慶び有るなり、

この卦の諸爻にては、六五と上六との二陰邪の爻を以って天下の賢明なる者を覆い暗ますという義を以って、爻辞が書かれている。
しかしこの六五の爻に至っては、いささか事情が異なる。
六五は柔中の君だが、今は上六の陰暗昏迷の姦人が天下の明を暗ます時である。
としても、六五の君は陰弱微力にして、これを正し明らかにすることができないばかりか、遂には六五も上六のために昏迷させられて、その結果、己が身も位も共に安寧にならない君なのである。
したがって、六五の君には、身と位を安寧にする道を教え諭すのである。

章とは、六二中正にして内卦離の文明の主たる者を指す。
もとより六五は、六二とは応の位だが、共に陰爻なので、相応じようとはしない。
しかし今、六五は君の位に居て、柔中の徳が有る。
とは言っても、今は昏暗の時にして、身も位も安寧ではない。
この時に当たって、六五の君が、その身と位とを安寧にしたいのならば、一にその応の位である六二中正の徳が有る文明の賢臣に応じて、心を降してこれを迎え来らすことである。
そうすれば、自然に身と位とが安寧になるだけではなく、なお余りある慶びと、後世までの誉れが有るものである。
だから、章を来たすべし、喜び誉れ有らん、吉なり、という。

上六━ ━○
六五━ ━
九四━━━
九三━━━
六二━ ━
初九━━━

上六(じょう りくは)(おおいにし)其屋( その やねを)(しとみにす)其家( その いえを)(うかがえば)其戸( その こを )(げきとして) ( それ ) ( なし )( ひと )三歳( さん さいまで) ()覿()(きょうなり)

【書き下し】上六は、其の屋を豊いにし、其の家を蔀にす、其の戸を闚えば、闃として其れ人无し、三歳まで覿ず、凶なり、

象曰(しょうに いわく)(おおいにすとは)其屋( その やねを)天際(てんの きわに ) 翔也(かけるなり  )(うかがえば)其戸( その こを )(げきとして) ( それ ) (なしとは)( ひと )(みずから ) 藏也(かくるとなり )

【書き下し】象に曰く、其の屋を豊いにすとは、天の際に翔けるなり、其の戸を闚えば、闃として其れ人无しとは、自ら蔵るとなり、

この卦は諸爻ともに覆い暗まされる時であって、その覆い暗ます者は、上六と六五の二陰爻である。
その二陰の中でも、特に上六は覆い暗ます魁首である。
これは地火明夷の上六とその義は同様である。

さて、人の賢明なるを覆い暗ます者は、そもそも己が昏暗なのである。
それはまず、私欲を以って十分に己が明徳を覆い暗まし、少しも明るさがなく、人を覆い暗ますことをするのである。
これは至愚至暗の小人の常である。
少しでも明るさがあれば、人を暗まし人を悩ませることを、快いとは思わないものである。
今、上六は陰暗にして高く卦の極に居て、情欲私曲を以って驕り高ぶり己の威権を振るい、天の際にも翔けるが如くに思い上がり、自身の明徳を覆い汚し、残忍刻暴の者となり、人の賢明を悉くに覆い暗ますのである。
これを以って、その障蔽の重なり覆えることは、至って厚く強く、昏暗の甚だしいことは誰にも負けない。
だから、其の屋を豊いにし、其の家を蔀にす、という。
なお、其の屋を豊いにし、とは、他を覆い暗ますことを指し、其の家を蔀にす、とは、己の明徳を覆い暗ます義を言う。
その上、上六は陰邪にして卦の極に居るので、その志気も高ぶり傲慢で、その心は残忍酷烈である。
これを以って、内外親疎共に誰一人として親しみ輔ける者はいない。
このようであっては、誰からも歓迎されず、孤独であり、自ら隠れているようなものである。
だから、この旨を喩えて、其の戸を闚えば、闃として其れ人无し、という。

このような残忍な者は、例え何年経っても、誰も親しみ輔けてはくれない。
これは凶の至極である。
だから、三歳まで覿ず、凶なり、という。
三歳とは、厳密な年数ではなく、多年の義であり、覿ずとは、訪ねて来る人がいない、という義である。

前の卦=54雷沢帰妹 次の卦=56火山旅

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31.沢山咸 32.雷風恒 33.天山遯 34.雷天大壮 35.火地晋 36.地火明夷 37.風火家人 38.火沢睽 39.水山蹇 40.雷水解 41.山沢損 42.風雷益 43.沢天夬 44.天風姤 45.沢地萃 46.地風升 47.沢水困 48.水風井 49.沢火革 50.火風鼎 51.震為雷 52.艮為山 53.風山漸 54.雷沢帰妹 55.雷火豊 56.火山旅 57.巽為風 58.兌為沢 59.風水渙 60.水沢節 61.風沢中孚 62.雷山小過 63.水火既済 64.火水未済

ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては易学入門をご覧ください。
また、六十四卦それぞれの初心者向け解説は無料易占いのページをご覧ください。
占いながら各卦の意味がわかるようになっています。

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最終更新日:令和02年09月10日 学易有丘会
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