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前の卦=09風天小畜 次の卦=11地天泰

10天沢履 てんたくり

「旧約聖書」天地創造4日目を構成する2卦(小畜・履)のひとつ。詳細はコチラ。

 兌下(だか)乾上(けんじょう)

八卦の()の上に、(けん)を重ねた形。

()は、履歴といった言葉があるように、()む、履み行う、という意。
この卦は乾の剛健な者が前を進み行き、兌の至弱な者がその後より履行する様子である。
そもそも至弱な者の後を剛健な者が履行するのは容易いものである。
しかしこの卦は、それに反して、剛健な者の後を至弱な者が履行する様子となるわけだが、これは至って行い難いことである。
したがって、その行い難く為し難い道を戒めとして、卦名としたのである。
また、六三の一陰の柔弱な者が、五陽の剛健な者の中に混ざって、陽と同じように履み行なおうとしている様子。
これもまた、行い難いことである。
また、乾を天とし、兌を沢とすれば、この世の中に天より高いものはなく、沢より低いものもないのであって、乾の天を上卦に配し、兌の沢を下卦に配したこの卦は、上下分別明らかな様子である。
上下尊卑、その位に応じてそれぞれ正しいことをするのが礼であり、礼とは人が履み行うべきものである。
だからこの卦は履と名付けられた。

 

卦辞(かじ) 〜彖辞(たんじ)とも言い、周の文王の作と伝わる。

( ふむ )虎尾(とらの おを)(ざるがごとくすれば )(くらわ )(ひとを)(とおる)

【書き下し】虎の尾を履む、人を咥わざるがごとくすれば、亨る、

虎は人をも咥う猛獣である。
したがって、虎の尾を履むとは、虎の後より履み行うことであって、危険で恐ろしいことの譬えである。
また虎は、乾の剛健なる者に譬えられる動物であるので、剛健なる者の後から履行することを意味している。
さて、虎に近づき、その尾を履めば、虎は怒り、人を咥いもする。
だからこそ、虎に近づかなければいけない今、下卦の兌としては、その特性を生かし、柔順和悦の道をもって、愛敬を込めて従容として仕えるのがよい。
そうしていれば、剛健である上に厳しい君(虎)だとしても、害を加えるのは忍びないとして、無事を保つことを得られるのである。
しかし、甘く見ると、この限りではない。
一にも二にも兌の和悦愛敬の道をもって、君に仕えなければいけない。
それが、人を咥わざるがごとくすれば亨る、ということである。

君というのはワンマンな上司だと考えれば、わかりやすいだろうか。
アタマに来ても、平身低頭してニコニコ愛敬をもってヨイショしないと、どこかへ飛ばされる、そんな状況を示しているのである。

彖伝(たんでん) 彖伝は卦辞(彖辞)の解説で、孔子作と伝わる。

彖曰(たんに いわく)(りは )(じゅう ) (ふみゆくなり ) (ごうとともに)也、

【書き下し】彖に曰く、履は、柔、剛とともに履みゆくなり、

履という卦名の義は、兌の柔弱なる者が乾の剛強なる者と共に、後より踏み行くことであり、これは至って危険で恐ろしく苦難であることにして、およそ行き難く、為し難きことの最上である。
例えば幼女が大人と共に後からついて行くようなことであって、まだ歩くのもやっとな幼女であれば、どこで転んで怪我をするかわからない、といったニュアンスである。

(よろこんで ) (しこうして ) (おうず)(けんに)是以(これを もって ) (ふめども )虎尾(とらの おを)(ずして )(くらわ )(ひとを)(とおるなり)

【書き下し】説んで而して乾に応ず、是を以って虎の尾を履めども、人を咥わずして、亨るなり、

兌の柔弱の者を以って乾の剛く強く至厳の君に仕えるのが危険で恐ろしく苦難であることは、実に虎の尾を履むが如くだが、兌の柔和喜悦の愛敬の道を主としてよく仕えれば、やがてはその憂惧危険の地をも虎に咥われないが如くに無事に通り越えて、その事は成り、亨るのである。

(ごう ) (ちゅう ) (せいをもって ) (ふめども)帝位( てい いを )(しかも ) (ざるは )(やましから)(こう ) 明也(めいなればなり )

【書き下し】剛中正をもって帝位を履めども、而も疚しからざるは、光明なればなり、

剛中正は九五の爻を指している。
九五は剛中正の徳が有るので、帝位に履み就いて疚しいことがない。
これは剛健中正の徳が盛んにして光明なるによることであって、物事をきちんと見定めるその光明さを失わないようにと諭しているのだ。

 

象伝(しょう でん ) 卦の(しょう)=形の解説で、大象(たいしょう)とも呼ばれ、彖伝同様に孔子の作と伝わる。

象曰(しょうに いわく)(うえにし )(てんを ) (したにせるは )(さわを)(りなり)君子( くん し ) (もって ) (ことわけし )上下(じょう げを)(さだむべし )(たみの ) (こころざしを)

【書き下し】天を上にし沢を下にせるは、履なり、君子以って上下を弁し、民の志を定むべし、

およそこの世には天より高いところはなく、水が流れる沢より低いところはない。
高い者は尊くして上に在り、低い者は卑しくして下に居ることは、必然不易の大定理である。
この卦は天を上にし、沢を下にしているが、これは高低尊卑、上下貴賤の等位、分明たるの象であり、尊卑上下の序でを明らかに分かつことが礼の基本である。
したがって君子は、この卦の象を観て、以ってその君臣上下の位格を弁別して民の志を決定せしめ、各おのその処に居らしめ、その分に安んじるように取り計らうべきである。

爻辞( こう じ ) 〜周公旦の作と伝わる。象曰以下は孔子の作と伝わる象伝。

上九━━━
九五━━━
九四━━━
六三━ ━
九二━━━
初九━━━○

初九( しょ きゅうは)(もとより ) (ふめり)(なすは) ( なし)(とが )

【書き下し】初九は、素より履めり、往すは咎无し、

象曰(しょうに いわく)(もとより ) (ふめるの)(しわざとは)(ひとり ) (おこなうなり ) (ねがいを)也、

【書き下し】象に曰く、素より履めるの往わざとは、独り願いを行うなり、

この爻は、履の卦の初めなので、践(ふ)み行うことの始めとする。
初九は陽剛の才徳が有るとともに、陽位に陽爻なので正を得ている。
とは言っても、上に応爻比爻の助けはない。
これは、誰かに知られて褒められたいという欲もなく、独りその志願する道を履み行う者であって、このようであれば、素より正しいものである。
履み行うことが正しいときには、邪な心もない。
褒められることを求めないときには、阿りや諂いなどの邪心もなく、そうであれば、何をしようと、善に叶うものである。
善に叶うのであれば、咎められることもない。
だから、素より履めり、往すは咎无し、という。

上九━━━
九五━━━
九四━━━
六三━ ━
九二━━━○
初九━━━

九二(きゅう じは )(ふむこと )(みちを ) 坦坦( たん たんたり)( ゆう ) (じんのごとく ) (ただしくして ) (きちなり)

【書き下し】九二は、道を履むこと坦坦たり、幽人のごとく貞しくして吉なり、

象曰(しょうに いわく)幽人( ゆう じんは ) (たたしくして ) (きちとは)(ちゅうをまもって ) (ざればなり ) (みずから ) (みださ)也、

【書き下し】象に曰く、幽人は貞しくして吉とは、中を守って自ら乱さざればなり、

九二は履のときに当たって剛中の徳を得ているので、道を履むことは平坦の道路を践むがごとくである。
だから、道を履むこと坦坦たり、という。
坦坦とは道が平坦な様子である。
幽人とは、山林幽谷に遁れ、清潔の徳操を有し、栄辱に興味なく、世の煩いに関わらない者をいう。
今、この九二の爻は、剛中の才徳は有るが、上に応爻の助けはないので、時に遇わず、世に知られず、他から認められることのない者とする。
だから自分自身も栄達を求めることなく、信念は常に坦々悠然として、心は寛容で平らかにしているのである。
世間の風波の中に混じって居るときも、栄辱に興味など持たず、自らを乱すことなく、幽人のようにしているのがよろしい。
そうであれば、心も行動も貞正にして吉なのである。
だから、幽人のごとくに貞しくして吉なり、という。

上九━━━
九五━━━
九四━━━
六三━ ━○
九二━━━
初九━━━

六三( りく さんは)(すがめにして ) (よく ) (みるとし)(あしなえにして ) (よく ) (ふむとす)(ふめば )虎尾(とらの おを )(くらう )(ひとを)(きょうなり)武人( ぶ じんにして ) (なさんとす ) (おかすことを )大君( たい くんを)

【書き下し】六三は、眇にして能く視るとし、跛にして能く履むとす、虎の尾を履めば、人を咥う、凶なり、武人にして大君を干すことを為さんとす、

象曰(しょうに いわく)(すがめにして) 能視( よく みるとは)(ざるなり)(たら )(もって ) (ありとするに)1ノ(めい )也、(あしなえにして) 能履( よく ふむとは)(ざるなり)(たら )(もって ) (ともに ) (おこなうに)也、(くらうの )(ひとを)(きょうなりとは)(くらい ) (ざるなり )(あたら)也、武人( ぶ じんにして ) (なすとは ) (おかさんと )大君( たい くんを)(こころざし ) 剛也(ごうなればなり )

【書き下し】象に曰く、眇にして能く視るとは、以って明有りとするに足らざるなり、跛にして能く履むとは、以って与に行うに足らざるなり、人を咥うの凶なりとは、位当たらざるなり、武人にして大君を干さんと為すとは、志剛なればなり、

六三は陰柔不才不中正の爻である。
しかし、その場所は陽位なので、その志のみ(かた)く高ぶり、そもそも自分は陰暗の(すがめ)(=目が不自由)だとしても、内卦の極のしかも陽位に居るからと、よく視えると錯覚し、また、陰柔の(あしなえ)(=足が不自由)なのに、よく履み歩けると錯覚する。
これは、その心の見識は下愚の鈍劣であっても、自分では聡明にして才能が有ると思い込み、その心術は傲惰侮懶だとしても自分では美善で徳行があると自負自慢する者を比喩したものである。
だから、眇にして能く視るとし、跛にして能く履む、という。
虎の尾を履む、というのは、卦辞のときと同じことである。
しかし、卦辞では「咥わず」とし、ここでは「人を咥う」としている。
この違いはどこにあるのか。
卦辞のときは、下卦の兌を和悦柔和の象として、「和悦柔和の道を以ってすれば、咥われず」という義を示した。
しかし、爻の辞の場合は、上卦下卦の組み合わせよりも、中正の義を主とするのである。
この爻は陰柔不才不中不正なので、このままでは、必ずや虎に咥われるであろう、とするのである。
これが、卦全体を観るときと、爻を観るときの違いである。
今は、目の前の虎の尾を履むがごとくの危険なときなのだが、その身は陰柔不才不中不正なので、徒にその志のみ高ぶり強く、このままでは必ず虎に咥われて、身も家も喪うことになるのである。
だから、虎の尾を履めば人を咥う、凶なり、という。
人とは六三の身体を指し、虎というモノに対して人と言うのである。
また、武人とは文官の対にして、卑賤者を言う。
大君とは、尊貴の称である。
今、六三の爻が行おうとしていることは、武人の賎しい身を以って大君の貴い位を犯そうとしているようなものである。
これは不徳不才不能にして、陽位の志のみ強く亢ぶるためであって、大凶の道である。
だから、武人にして大君を干すことを為さんとす、と戒めているのである。

上九━━━
九五━━━
九四━━━○
六三━ ━
九二━━━
初九━━━

九四(きゅう しは )(ふむ )虎尾(とらの おを )虩虩(げき げきたれば ) (おわりには ) (きちなり)

【書き下し】九四は、虎の尾を履む、虩虩たれば終わりには吉なり、

象曰(しょうに いわく)虩虩(げき げきたれば ) (おわりには ) (きちなりとは)(こころざし ) 行也(おこなわるるなり)

【書き下し】象に曰く、虩虩たれば終わりには吉なりとは、志行わるるなり、

九四は九五の後ろから践み行く象がある。
しかし九四は、陽爻だとしても陰位に居るので、陽爻の才はあっても陰位の志の弱さもある。
これは、六三の陰爻不才にして陽位の志のみ強い者と対照的である。
が、ともあれこのように陰位の志の弱い九四の臣が九五の厳しい君に仕えるには、虎の尾を履むがごとくの危険なことがある、ということである。
だから、虎の尾を履む、という。
しかし、九五は厳しいとしても、虩虩(げきげき)として(おそ)れ慎むときには、心はいくらか落ち着くものである。
虩虩とは、惧れ(かしこ)まり、小さくなっていることである。
心が落ち着けば、虎のごとくの猛威の君だとしても、臣下に害を加えることはない。
だから、虩虩たれば終りには吉なり、という。

上九━━━
九五━━━○
九四━━━
六三━ ━
九二━━━
初九━━━

九五(きゅう ごは )(わかつ )(ふむことを)(かたくすれば ) (あやうし)

【書き下し】九五は、履むことを夬つ、貞くすれば獅オ、

象曰(しょうに いわく)(わかつ )(ふむことを)(かたくすれば ) (あやうしとは)(くらい) 正當也( せい とうなるなり)

【書き下し】象に曰く、履むことを夬つ、貞くすれば獅オとは、位正当なるなり、

九五は剛健中正なるを以って上卦乾の強さを示す卦の中に居るので、威厳甚だ壮んにして履の時に遇っている。
これは、自ら行うところをよく決断し、また、よく人の行う所の事をも決断する君とする。
だから、履むことを夬つ、という。
そもそも人君たらんとする者は、決断できなければどうしようもない。
しかし、なんでも自分の一存で決断してよい、というものではない。
事と次第によっては、周囲の意見も取り入れ、寛仁温和を以って自身の決断を控える必要もある。
固執して自己の決断だけに頼れば、時流を読み違えることもある。
だから、貞くするは獅オ、という。

上九━━━○
九五━━━
九四━━━
六三━ ━
九二━━━
初九━━━

上九(じょう きゅうは)(みて )(ふめるあとを)(かんがえ) (よきみちを)(それ ) (めぐらせば)元吉( げん きちなり)

【書き下し】上九は、履めるあとを視て、祥きみちを考え、其れ旋せば、元吉なり、

象曰(しょうに いわく)元吉( げん きちなり)(あるは)(うえに)(おおいに ) (あるなり )(よろこび)也、

【書き下し】象に曰く、元吉なり、上に在るは、大いに慶び有るなり、

この爻は履の卦の終りにして、践み行うことの終りの義とする。
およそ人の践み行うところは、善ならば福を招き、不善ならば、禍を招くものである。
治乱も禍福も、要するに何をどのように履み行って来たか、その足跡の結果である。
往古より、禍福興廃は、履み行って来たことの正邪と繋がっているものである。
履み行うことが邪であれば禍を招き、正ならば福を来たすのである。
このことを肝に銘じ、履み行った跡をよく視て、観察し、これを考え鑑みて、その善なる者に従い服すときは、善になるものである。
だから、履めるあとを視て祥きみちを考え、其れ旋らせば元吉なり、という。
歴史の勉強とは、どうすれば福を来たし、どうすれば禍災を招くのかを、知ることである。
過去の人々が履み行った跡の積み重ねが歴史である。
福を来たした人を見倣えば自分も福を来たすだろうし、禍災を招いてしまった人を模倣すれば、自分も禍災を招くものである。
そのことをよく見極めて、自分の履む道を選ぶのが大事なのである。
なお象伝の上はこの上爻のことであるとともに君上をも指し、君上の古来より履み行ってきた跡を鑑みて、その中の善行を選び取ってよく周旋して時の宜しきを考え量り、それを己が身に履み行う時は、これ大善の吉にして天下万民はみな慶び賀する、ということである。

前の卦=09風天小畜 次の卦=11地天泰

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01.乾為天 02.坤為地 03.水雷屯 04.山水蒙 05.水天需 06.天水訟 07.地水師 08.水地比 09.風天小畜 10.天沢履 11.地天泰 12.天地否 13.天火同人 14.火天大有 15.地山謙 16.雷地予 17.沢雷随 18.山風蠱 19.地沢臨 20.風地観 21.火雷噬嗑 22.山火賁 23.山地剥 24.地雷復 25.天雷无妄 26.山天大畜 27.山雷頤 28.沢風大過 29.坎為水 30.離為火 

31.沢山咸 32.雷風恒 33.天山遯 34.雷天大壮 35.火地晋 36.地火明夷 37.風火家人 38.火沢睽 39.水山蹇 40.雷水解 41.山沢損 42.風雷益 43.沢天夬 44.天風姤 45.沢地萃 46.地風升 47.沢水困 48.水風井 49.沢火革 50.火風鼎 51.震為雷 52.艮為山 53.風山漸 54.雷沢帰妹 55.雷火豊 56.火山旅 57.巽為風 58.兌為沢 59.風水渙 60.水沢節 61.風沢中孚 62.雷山小過 63.水火既済 64.火水未済

ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては易学入門をご覧ください。
また、六十四卦それぞれの初心者向け解説は無料易占いのページをご覧ください。
占いながら各卦の意味がわかるようになっています。

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最終更新日:令和02年09月09日 学易有丘会
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