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前の卦=62雷山小過 次の卦=64火水未済

63水火既済 すいかきせい

キリストが馬小屋で生まれ救世主と呼ばれたことと、ユダヤ暦元年計算起点となった卦。詳細はコチラ。

既濟 離下(りか)坎上(かんじょう)

八卦の()の上に、(かん)を重ねた形。

既濟(きせい)とは物事が完成したこと、新字体では既済。
易の経文中で貴び重んじることは、中正応比、卦の交わり、爻の交わりである。
卦爻の意義は、この具合によって生じているのである。

さて、六十四卦の中で、八卦が正偶匹対して相交わるのは、地天泰沢山咸風雷益と、この水火既済の四卦である。
正偶匹対とは、簡単に言うと表裏の関係にあることで、乾天と坤地、兌沢と艮山、巽風と震雷、坎水と離火の関係のことである。
交わるというのは、上にあるべき卦が下に、下にあるべき卦が上にあることである。
上にあるべき者が下にあれば、上へ行こうとし、下にあるべきものが上にあれば、下へ行こうとするので、上下両者は交わるのである。
逆に、上にあるべき卦が上に、下にあるべき卦が下にあるときは、それぞれその位置が丁度よいわけだから、それ以上は動こうとはしない。
だから天地否山沢損雷風恒火水未済は、正偶匹対であっても、上下が交わらないとするのである。

その正遇匹対して相交わる四卦について、さらに仔細に検証すれば、水火既済より優れたものはない。
水火既済は水と火の交わり和する卦だからである。
乾坤の天地が交わるとしても、水火の二つがなければ、その功を成し、用をなすことは不可能である。
天地は万物を生じるところであって、生位の徳である。
水火は万物を成す作用のものであって、成位の徳である。
だから水火の作用を、殊更に大きいものとし、水火既済を交わる卦の最首とするのである。

また、爻の交わり和することも、この水火既済に優る卦はない。
例えば、この卦に似た火水未済も、爻について言えば、確かに六爻相交わってはいる。
しかし、天人地の三才位に分けて観ると、事情は違う。
天人地の三才位とは、初爻と二爻を地位、三爻と四爻を人位、五爻と上爻を天位とするものである。
火水未済の陽爻は二爻、四爻、上爻、陰爻は初爻、三爻、五爻だから、三才位別に観ると、陽爻はどれも上に在り、陰爻はどれも下に居る。
これでは、陰陽は交わらない。
交わるには、上にあるべき陽が下に、下にあるべき陰が上に居なければいけない。
そこでこの水火既済だが、陽爻は初爻、三爻、五爻、陰爻は二爻、四爻、上爻と、三才位それぞれ陽爻が下に在り、陰爻が上にあり、陰陽が交わり和している。

さらに水火既済は、六爻すべてに応爻も比爻あり、それぞれが正位を得ていて、二爻と五爻が共に中正の徳を具えている。
応とは、初爻と四爻、二爻と五爻、三爻と上爻が、それぞれ陰と陽の組み合わせになっていることで、比とは上下に隣り合った爻が陰と陽の組み合わせになっていることである。
正位を得るというのは、奇数を陽、偶数を陰とすることから、奇数爻の初、三、五に陽、偶数爻の二、四、上に陰が居ることである。
中正というのは、中の爻が正位を得ているということで、中の爻とは二と五すなわち上卦と下卦のそれぞれ真ん中の位置のことであって、正位を得るのは、二爻が陰、五爻が陽のときである。

このように最も調和の取れた卦がこの水火既済なのであって、だから、すでに完成された、という意で、既済と名付けられた。

また、易位生卦法によれば、もとは火水未済から来たものとする。
火水未済は水火相対するとしても、未だ交わり和することはない。
火水未済は水の上に火がある形だが、水の上に火を近づけても、水は温まらないように、これでは煮炊きすることはできない。
そこで、離の火が水の下にやって来て、水火相交わったのが、この水火既済である。
火の上に鍋を置いて水を入れれば、水火相交わって、その水が温まるように、これは煮炊きの作用がすでに完成された様子である。
だから、既済と名付けられた。

 

卦辞(かじ) 〜彖辞(たんじ)とも言い、周の文王の作と伝わる。

既濟( き せいは)小亨(すこしく とおる)(よろし )(ただしきに)(はじめは ) (きちなり)(おわりは ) (みだる)

【書き下し】既済は、小しく亨る、初めは吉なり、終わりは乱る、

既済とは、大事が(すで)()(おわ)って完成した、ということである。
完成したのだから、さらに何かを追加することは今更できない。
とは言っても、それは大所高所から見たときのことで、日常の小さなことなら、やるべきこともいろいろあるだろう。
だから、小しく亨る、という。
小しくとは、小なる者すなわち日常の些細なことである。
その中には、完成した物事の保守点検という意も含まれる。

貞しきに利ろし、というのは、この卦が各爻理想的に配置された正しい形だからである。

さて、世の中というものは、成敗治乱はその掌中に在るものである。
だから、治は乱の本、成は敗の基、乱れればこれに治まり、成ればこれに敗れるものである。
これは天運の循環、自然の道理である。
泰往けば否来たり、既済往けば未済来る、である。
だからこれを戒めて、初めは吉、終わりは乱る、という。
なお、吉とは凶と対の言葉、乱とは治と対の言葉である。
ここで、このように吉と乱を言うのは、吉と言いつつ治を示唆し、乱と言って凶を示唆しているのである。
既済が終われば未済となる、という戒めである。

彖伝(たんでん) 彖伝は卦辞(彖辞)の解説で、孔子作と伝わる。

彖曰(たんに いわく)既濟( き せいの ) (とおるとは)小者(すこしき ものの ) 亨也(とおるなり  )

【書き下し】彖に曰く、既済の亨るとは、小しき者の亨るなり、

既済の亨るということは、大事が既に済り了った後であっても、日常の小さな事であれば亨る、ということである。

(よろしとは ) (ただしきに)剛柔( ごう じゅう ) (ただしくして)(しこうして ) (くらい ) 當也(あたればなり  )

【書き下し】貞しきに利ろしとは、剛柔正しくして、而して位当ればなり、

この卦は六爻すべてが応じ、六爻すべてが比し、六爻すべてがそれぞれ正の位を得ているので、貞しきに利ろしと云う。

(はじめは ) (きちなりとは)(じゅう ) (えればなり ) (ちゅうを)也、

【書き下し】初めは吉なりとは、柔中を得ればなり、

初めは吉なりとは、初めすなわち内卦が既済中の既済の時にして、その内卦の柔は離の文明の主爻にして中正を得て、内外の徳を明らかに、柔順中正の道を主として既済の全盛を持ち守る道に明らかだからである。

(おわりは ) (みだるとは)其道( その みち ) 竆也(きゅうせるなり )

【書き下し】終りは乱るとは、其の道窮せるなり、

終りは乱るとは、上卦坎に遷ればこれを既済中の未済となり、時運の変遷によって終りに至る時は、既済はすでに尽きて未済に変わる。
これは乱にして凶であり、したがって其の道は困窮するのである。

 

象伝(しょう でん ) 卦の(しょう)=形の解説で、大象(たいしょう)とも呼ばれ、彖伝同様に孔子の作と伝わる。

象曰(しょうに いわく)( みず ) (あるは)火上( ひの うえに)既濟( き せいなり)君子( くん し ) (もって ) (おもって ) (わずらいを ) (しこうして ) ()()(ぼうすべし ) (これを)

【書き下し】象に曰く、水、火の上に在るは、既済なり、君子以って患いを思って、而して之を予防すべし、

水が火の上に在るということは、陰陽水火の親密熱交の象にして、既済の既済たる所以である。
したがって君子であるのなら、日が南中すれば傾き、月も満ちれば欠けるように、この既済もいつかは患いが生じて崩れることを想定して、しかるべく対策でこれを予防するべきである。

爻辞( こう じ ) 〜周公旦の作と伝わる。象曰以下は孔子の作と伝わる象伝。

上六━ ━
九五━━━
六四━ ━
九三━━━
六二━ ━
初九━━━○

初九( しょ きゅうは)( ひく )其輪( その わを )(ぬらせば)其尾( その おを )( なし)(とが )

【書き下し】初九は、其の輪を曳く、其の尾を濡せば、咎无し、

象曰(しょうに いわく)(ひくとは)其輪( その わを )(ぎとして ) (なきとなり)( とが )也、

【書き下し】象に曰く、其の輪を曳くとは、義として咎无きとなり、

水火既済と火水未済の二卦は、その義が地天泰天地否の二卦とほぼ同じである。
まず、地天泰の卦の義は、下卦三爻を泰中の泰とし、上卦三爻を泰中の否とする。
また、天地否の卦の義は、下卦三爻を否中の否とし、上卦三爻を否中の泰とする。
今、水火既済と火水未済の二卦も、これと同様なのである。

既済と未済の二卦に、内外の時を分かつことは、離を明とし、坎を険みとするからである。
これは、泰否の乾を有余とし、坤を不足とするの義と同類である。
その中についても、既済は既に成った卦にして、下三爻は既済中の既済である。
したがって、このときは正しく守ることを以って上策とする。
もし少しでも進み動く時には、忽ち既済中の未済に向かい進み、外卦坎の険みの陥るという義が有る。
これを以って、下卦三爻にては、一に止まり守るの道を教えている。
また、未済の下三爻の場合は、未済中の未済にして、進み動いて未済中の既済に向かうという義は有るが、その時が未だ至らないので、既済の成功を得ることは難しい。
したがって、こちらも静かに守り、その時の至るのを待つべきだと教えている。

およそ天下の事は、敗れと乱れとに至りやすくして、その勢いは高い山から石を落とすようなものである。
また、成ると治まるとには致し難いもので、その功は険しい坂を登るようなものである。
したがって、既済にては、その敗れや乱れを恐れて、止まり守るべきことを教え、未済にては成ると治まるとの致し難さに、静かに時を待つべきことを教えているのである。

このような象義意味があるので、既済と未済の初二の爻には、共に進むことを戒めているのである。

さて、この爻の辞には、まず、其の輪を曳くとあるが、これは車の輪を曳くことである。
古代の車というものは、人や馬や牛が曳いて動かすわけだが、そのときに、前より長柄を曳けば進み、後ろから輪を曳けば止って進めないようにできている。
また、獣が水を(わた)るときには、必ずその尾を上げて、水に濡れないようにするものである。
もし、その尾を上げず、垂れたままで水に濡らすのであれば、疲労していて水を渉る気力がないのである。

初九は内卦離の文明の一体に居ると共に、今は既済中の既済の時である。
妄りに動き進む時には、忽ち既済中の未済に向かうの義がある。
これを慎み守ることは、例えば車の輪を曳き止められたり、獣が尾を濡らして渉ることを断念するのと同様にすることであって、そうしていれば、咎はないのである。
だから、其の輪を曳く、其の尾を濡らせば、咎无し、という。
これは、車と獣とを以って、初爻の義に喩えたのである。

なお、濡らすとあるのは、既済の済の字に水を(わた)るという義があることによる。

上六━ ━
九五━━━
六四━ ━
九三━━━
六二━ ━○
初九━━━

六二( りく じは )() (うしなう)其茀( その かざしを)(なかれ)(おうこと)七日( なの かにして) ( えん )

【書き下し】六二は、婦、其の茀を喪う、逐うこと勿れ、七日にして得ん、

象曰(しょうに いわく)七日( なの かにして ) (えんとは)(もってなり) 中道(ちゅう どうを)也、

【書き下し】象に曰く、七日にして得んとは、中道を以ってなり、

九五は夫の位であり、六二は妻の位であり、上卦坎は中男の象であって五はその主であり、下卦離は中女の象であって二はその主である。
したがって、坎離の主であることと二五の位であることを以って夫婦の義としているのである。
六二の婦は九五の夫に陰陽相応じているとしても、三四の両爻が二五の夫婦の間を隔てているので、速やかに相遇うことはできない。
例えば車に茀がなくて、用に堪えないようなものである。
茀とは婦人が乗る車の蔽い飾りのことであって、礼節を大事にする婦人はこの茀がなければ車には乗らないものなのである。
だから、婦、其の茀を喪う、という。
今、茀を喪うとは、九五の方に進み行くことができないことの喩えにして、六二に動かずして守ることを教えているのである。
とは言っても、六二は中正を以って九五の中正なる者に陰陽正しく応じている。
例えしばらくは三四のために隔て遮られるとしても、邪は正に勝てるものではないので、時が至れば、必ず相遇えるのである。
だから、逐うこと勿れ、七日にして得ん、という。
得るは喪うに対する語にして、茀を得て遇いに行けるようになることを示している。
七日は一卦が終わるの義であって、一爻を一日として六日で一卦が終わり、七日目は新たな卦の始まりとなるのである。

上六━ ━
九五━━━
六四━ ━
九三━━━○
六二━ ━
初九━━━

九三(きゅう さんは)高宗( こう そう ) ( うつ )鬼方( き ほうを)三年( さん ねんにして) ( かつ )(これに)小人(しょう じんは ) (なかれ )(もちうること)

【書き下し】九三は、高宗鬼方を伐つ、三年にして之に克つ、小人は用うる勿れ、

象曰(しょうに いわく)三年( さん ねんにして ) (かつとは )(これに)憊也(つかれたるなり )

【書き下し】象に曰く、三年にして之に克つとは、憊れたるなり、

高宗とは、殷中興の賢主のことであり、鬼方とは遠方の夷狄の国の名である。
この爻は下卦の終わりにして、既済中の既済より、既済中の未済に移ろうとする改革の際である。
したがって、時運の変遷について、書いている。
殷は中期の頃に一旦その徳が衰えた。
そこで高宗は奮い起ち、再び殷の徳を中興させたのである。
これはまさに既済の未済に移ろうとするときであるかのようであり、この事跡がこの爻の功徳に合うので、これを引いて喩えて、辞としたのである。
高宗は、殷に服従しない鬼方を征伐することにしたが、相手は手強く、長い戦いの末に疲れ果て、どうにかこれに勝った。
だから、高宗鬼方を伐つ、三年にして之に克つ、という。
三とは多数の義にして、功を成すことの艱難なことを示している。
高宗の賢徳を以ってしても、中興は大変なことだったのである。
こんな難事業は、小人にはとてもできない。
だから、小人は用うる勿れ、という。

上六━ ━
九五━━━
六四━ ━○
九三━━━
六二━ ━
初九━━━

六四( りく しは )(あかみちに ) (あらば )衣袽( い じょ )終日(しゅう じつ ) (いましめよ)

【書き下し】六四は、濡に衣袽有らば、終日戒めよ、

象曰(しょうに いわく)終日(しゅう じつ ) (いましめよとは)(あればなり )(ところ )(うたがわしき)也、

【書き下し】象に曰く、終日戒めよとは、疑わしき所有ればなり、

六四は内卦既済中の既済はすでに終わり、既済中の未済に移ったところである。
この卦は水を渡ることも意味する済の字を卦名に使っている上に、六四の爻はニ三四の中卦と四五上の上卦との二つの坎の水の間に挟まれていると共に、三四五の中卦離の舟の象が有るを以って、舟の義を借りて、その象義を発しているのである。
今、六四は既済の内外の変革するの地に居て、二つの坎の水の間に挟まり在るので、その恐怖が多いことは、例えばボロ舟に乗るようなものである。
したがって、常にボロ舟であることを戒め、不慮のトラブルに対処できるようにしておかないと、何かの拍子に、忽ち舟は転覆して溺れるかもしれない。
だから、濡に衣袽有らば、終日戒めよ、という。
濡は、水が漏れてそこだけ赤っぽく変色している様子から「あかみち」と訓じ、滲み漏れることを指す。
衣袽とは、舟が漏れて浸水したときに、その漏れた個所を塞ぐために使うボロ布のことである。
古代には、舟に乗るときは、いつ浸水があっても対処できるように、漏れを塞ぐためのボロ布は常備しておくものだった。

上六━ ━
九五━━━○
六四━ ━
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初九━━━

九五(きゅう ごは )東隣( とう りんに ) (ころすは )(うしを)()( しか )西隣( せい りんの)禴祭( やく さいに ) (みあって ) (うくるに )( その ふくを)

【書き下し】九五は、東隣に牛を殺すは、西隣の禴祭に、実あって其の福を受くるに如かず、

象曰(しょうに いわく)東隣( とう りんに ) (ころすも )(うしを)(ざるなり)( しか )西隣( せい りんの)(ときなるに)也、()(うくとは )( その ふくを)吉大( きち おおいに ) 來也(きたるなり  )

【書き下し】象に曰く、東隣に牛を殺すも、西隣の時なるに如かざるなり、実、其の福を受くとは、吉大いに来たるなり、

九五は既済の時の君の位である。
君上が世を治めるの道は、孝より先はない。
その孝の道は、終わりを慎み、遠きを追う時は、民の徳も厚く帰すものである。
その遠きを追うというのは、鬼神祭亨の道のことである。
としても、治世承平の君主は、必ず驕奢尊大になる弊が生じやすく、誠敬の道を怠りやすいものである。
およそこれは、古今の世の情態にして、これが乱世を招き来たす通弊である。
そこで、周公の東西両隣の祭祀の豊と倹とを喩えとして、教え戒める。

神明に仕え祭ることは、誠と(つつし)みを主として、供え物はあくまでもこれに添えるだけのものである。
世を治めるの道もまたこのようでなければいけない。
驕奢(きょうしゃ)の虚飾を防ぎ止め、誠実と敬恭との質実を尽くして、天命を恐れ慎むに在る。
だから、東隣に牛を殺すは、西隣之禴祭に、実あって其の福を受くるに如かず、という。
牛を殺すとは生け贄を供えるということ、禴祭とは質素な祭りのことであって、何よりも誠実であることが吉を大いに来たらすのである。

我が皇国の神の教えも、質素正直の四字を以って標幟(ひょうし)としているのであって、伊勢の神宮の宮殿がとても質素に造られているのは、華靡を憎んで素朴を貴んでいるからである。
なお、皇国という言葉は明治以降の造語だと思われがちだが、文化文政時代にも普通にあったから中州も当然のこととして使っていたのである。

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初九━━━

上六(じょう りくは)(ぬらす)其首( その くびを)(あやうし)

【書き下し】上六は、其の首を濡らす、獅オ、

象曰(しょうに いわく)(ぬらす)其首( その くびを)(あやうしとは)(なんぞ ) (べきとなり ) (ひさしかる)也、

【書き下し】象に曰く、其の首を濡らす、獅オとは、何ぞ久しかる可きとなり、

上六の爻は、既済全卦の終わりにして、すでに未済へ移ろうとする時である。
今、上六は外卦坎の険みの極に居て、なおかつ人体で言えば首から上の位置に当たっている。
これは、上六が坎の水を(わた)ろうとして、坎の険みに陥り、首を没するの象である。
首を水の中に没すれば呼吸ができなくなり、危険であり、こんなことを久しくいつまでも続けていてはいけない。
だから、其の首を濡らす、獅オ、という。

前の卦=62雷山小過 次の卦=64火水未済

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01.乾為天 02.坤為地 03.水雷屯 04.山水蒙 05.水天需 06.天水訟 07.地水師 08.水地比 09.風天小畜 10.天沢履 11.地天泰 12.天地否 13.天火同人 14.火天大有 15.地山謙 16.雷地予 17.沢雷随 18.山風蠱 19.地沢臨 20.風地観 21.火雷噬嗑 22.山火賁 23.山地剥 24.地雷復 25.天雷无妄 26.山天大畜 27.山雷頤 28.沢風大過 29.坎為水 30.離為火

31.沢山咸 32.雷風恒 33.天山遯 34.雷天大壮 35.火地晋 36.地火明夷 37.風火家人 38.火沢睽 39.水山蹇 40.雷水解 41.山沢損 42.風雷益 43.沢天夬 44.天風姤 45.沢地萃 46.地風升 47.沢水困 48.水風井 49.沢火革 50.火風鼎 51.震為雷 52.艮為山 53.風山漸 54.雷沢帰妹 55.雷火豊 56.火山旅 57.巽為風 58.兌為沢 59.風水渙 60.水沢節 61.風沢中孚 62.雷山小過 63.水火既済 64.火水未済

ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては易学入門をご覧ください。
また、六十四卦それぞれの初心者向け解説は無料易占いのページをご覧ください。
占いながら各卦の意味がわかるようになっています。

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最終更新日:令和04年04月03日 学易有丘会
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