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前の卦=55雷火豊 次の卦=57巽為風

56火山旅 かざんりょ

「旧約聖書」モーセの出エジプト神話を構成する4卦(豊・旅・節・小過)のひとつ。詳細はコチラ。

 艮下(ごんか)離上(りじょう)

八卦の(ごん)の上に、()を重ねた形。

(りょ)は文字どおり旅(=たび)のこと。
この卦は艮を山とし、離を火とし()くとすれば、これは火が山の上に()き、山を焼く様子、要するに山火事である。
火が山を焼くときは、山は止まったまま移動せず、火はその山の上を漸次あちこち移動しながら燃え広がり、止まらないものである。
これはまるで、行客が日々に宿を転々としながら旅をするようではないか。
だから旅と名付けられた。

また、来往生卦法によれば、もとは天山遯から来たものとする。
天山遯の卦中へ、一陰が下卦の外から進み来て、外卦の五の位に客となって居るのが、この火山旅である。
天山遯(のが)れ去る時であり、一陰が他より遯れ来て外卦の他郷に麗いて六五となったから、火山旅になったのである。
だから、旅と名付けられた。
また、交代生卦法によれば、もとは天地否から来たものとする。
天地否の六三の陰が往きて五爻に居り、九五の陽が下り来て三爻に居るのである。
天地否のときは閉塞して通らないわけだが、今、九五の陽が三爻に来て内に艮(とど)まり、六三の陰が往きて外に麗くと、内外彼我の物が互いに交易して各その用を為していることになる。
これは商旅の様子でもあり、そもそも外より内に来るも、彼より我に来るも、内より外に往くも、我より彼に往くも、旅である。
だから旅と名付けられた。

 

卦辞(かじ) 〜彖辞(たんじ)とも言い、周の文王の作と伝わる。

(りょは)小亨(すこしく とおる)(たびにては ) (ただしくして ) (きちなり)

【書き下し】旅は、小しく亨る、旅にては貞しくして吉なり、

およそ天下の事物を融通し、財貨を交易するためには、彼是互いに往来しなくてはならない。
だから商売のために旅をする人々がいる。
交易のために旅をする商人は、東西に奔走し、山川に寝食し、風雨に沐浴し、安心して落ち着ける場所は少ない。
したがって、旅のとき、旅の人を指して、忽ち大に亨通するとは言い難い。
だから、小しく亨る、という。

また、来往生卦法では、天山遯の時に、一陰柔が内卦の外より進み往きて五爻に居り、外卦の中を得て、上下の陽剛に順(した)がっている形である。
これは、遯(のが)れ来て旅に居る様子である。
そもそも旅をするときは、柔中にして和順を以って主とし、他の剛者に麗(つ)き順(した)がうことが大事である。
柔中であれば万般のことに柔軟に対処でき、和順であれば人々と親しく助け合え、剛者に麗き順がえば、何かのときに頼れ、なんとか事件に巻き込まれるような危難は避けられる。
だから、小しく亨る、という。

また、艮を止まるとし、離を明とし麗(つ)くとすれば、止まって明者に麗く様子である。
明者に麗けば、最悪の事態は回避できるというもの。
だから、小しく亨る、という。

さて、旅に出ると、親戚友人知人にはなかなか会えず、何かあったときの心細さは甚大である。
とすれば、出会う人々とは貞しく付き合い、親しくなるように心がけるのが大事である。
だから、旅にては貞しくして吉、という。

彖伝(たんでん) 彖伝は卦辞(彖辞)の解説で、孔子作と伝わる。

彖曰(たんに いわく)(りょは ) 小亨(すこしく とおる)(じゅう) ( えて )(ちゅうを)(そとに)(しこうして ) (したがえり)(ごうに)

【書き下し】彖に曰く、旅は小しく亨る、柔、中を外に得て、而して剛に順えり、

来往生卦法によると、天山遯の内卦の外から一陰柔遯れ来て、外卦の他国に往きて六五となってよく中を得て九四と上九の両陽剛に麗き順っている状態であるが、このようであれば旅に居て小しく亨ることを得るものなのである。
順とは離の主爻にして至って柔順なことをいう。

(とどまって ) (しこうして) ( つく )(めいに)是以(これを もって ) 小亨(すこしく とおる)(たびにては)(ただしくして ) 吉也(きちなるなり )(りょの)時義(ときの ぎ ) 大矣(おおいなるかな )哉、

【書き下し】止まって明に麗く、是を以って小しく亨る、旅にては、貞しくして吉なるなり、旅の時の義、大いなるかな、

交代生卦法によれば、天地否で閉塞して通じない状態から、九五が下り来て内卦艮の主爻となってその宜しきに止まり、六三は上り往きて中を得て外卦離明の主となって、明らかなるに麗いた状態になったのである。
これは否塞を通じ有無を交易する様子であり、これもまた小しく亨る義である。
旅をするときは貞正の道を主として吉なのは言を待たないことである。
そもそも人々が旅をするからこそ物が流通するのであって、このように旅は世間人事と深く関係するのだから、旅は有意義でとても大いなることなのである。

 

象伝(しょう でん ) 卦の(しょう)=形の解説で、大象(たいしょう)とも呼ばれ、彖伝同様に孔子の作と伝わる。

象曰(しょうに いわく)山上(やまの うえに ) (あるは)()(りょなり)君子( くん し ) (もって )(あきらかに ) (つつしんで ) (もちいて )(けいを ) (しこうして ) (ざるべし )(とどめ )(うったえを)

【書き下し】象に曰く、山の上に火有るは、旅なり、君子以って明かに慎んで刑を用いて而して獄えを留めざるべし、

艮の山の上に離の火があるのがこの卦である。
また、離は明であって艮は止まり慎むことである。
したがって君子であるのなら、明らかに見極め、仁徳を以って私情を慎み客観的な判断で刑を執行し、悪事の訴えを迅速に処理して後回しにしないことである。

爻辞( こう じ ) 〜周公旦の作と伝わる。象曰以下は孔子の作と伝わる象伝。

上九━━━
六五━ ━
九四━━━
九三━━━
六二━ ━
初六━ ━○

初六( しょ りくは)(りょのとき) 瑣瑣( さ さとして) (いやし)(その ) (ところなり)(とる )(わざわいを)

【書き下し】初六は、旅のとき瑣瑣として斯し、其の災いを取る攸なり、

象曰(しょうに いわく)(りょのとき) 瑣瑣( さ さとは)(こころざし )(きゅうするの ) 災也(わざわいなるなり)

【書き下し】象に曰く、旅のとき瑣瑣とは、志窮するの災いなるなり、

初六は最下に居て、卑賤の象である。
まして、陰柔不才な上に不中不正の志行である。
このような人物は、旅にあっても、卑劣で賎しい行動をするものである。
だから、旅のとき瑣瑣として斯し、という。
瑣瑣とはセコイ、ケチ、といった意味合いである。
そもそも旅に出たら、地元の人や行き会う人々との付き合いがある。
そんなときは、貞正柔和であるべきであって、自分勝手に自分の利益だけ考えて行動していれば、必ず災害が至り来るものである。
だから、其れ災いを取る攸なり、という。

上九━━━
六五━ ━
九四━━━
九三━━━
六二━ ━○
初六━ ━

六二( りく じは )(りょのとき) ( つき )(やどりに)(いだき)其資( その たからを)(えたり)童僕( どう ぼくの ) (ただしきを)

【書き下し】六二は、旅のとき次に即く、其の資を懐き、童僕の貞きを得たり、

象曰(しょうに いわく)(えるとは)童僕( どう ぼくの ) (ただしきを)(おわりに ) (なきとなり)( とが )也、

【書き下し】象に曰く、童僕の貞しきを得るとは、終わりに咎无きとなり、

六二は柔順中正を得ている爻である。
したがって、旅をしているときの最も宜しきを得ている者とする。
およそ旅をしている時に、困窮しやすいのは、宿と旅費と童僕との三つである。
しかし今、この六二の爻は、柔順中正の徳があるので、この三つのものを容易く得られるのである。
だから、旅のとき次に即く、其の資を懐き、童僕の貞しきを得たり、という。
これらは柔順中正の徳があればこそのことであって、そうであってこそ終始共に咎は无いのである。
なお、次とは宿のこと、資とは旅費のこと、童僕とは道案内や荷物を持つ者のことである。

上九━━━
六五━ ━
九四━━━
九三━━━○
六二━ ━
初六━ ━

九三(きゅう さんは)(りょのとき ) (やかれ )其次( その やどりを)(うしなう)( その ) 童僕( どう ぼくを)(かたくすれば ) (あやうし)

【書き下し】九三は、旅のとき其の次を焚かれ、其の童僕を喪う、貞くすれば獅オ、

象曰(しょうに いわく)(りょのとき ) (やかるとは )其次( その やどりを)亦以( また もって ) 傷矣(いたましきかな )(もって )(りょを ) (くみすることこのごときは )(したに)( その ) (よろしきすじを ) (うしなえるなり)

【書き下し】象に曰く、旅のとき其の次を焚かるとは、亦以って傷ましきかな、旅を以って下に与することこのごときは、其の義しきすじを喪えるなり、

旅のとき、宿の客として快適に過ごすためには、第一に柔順中正を貴ぶことである。
しかし今、この九三は、過剛不中にして、内卦の極に高ぶって居て、なおかつ履んでいる場所は人位改革の危い地である。
初と二は地位、三と四は人位、五と上は天位である。
これは、その義として、困窮することが決まっているようなものである。
だから、旅のとき其の次を焚かれ、其の童僕を喪う、貞くするは獅オ、という。

九三は偏屈にして、柔順中正の徳を喪っているので、貞くするは獅オと、深く戒めているのである。
過剛であれば、自分勝手になり、人と和すことが困難である。
知らないところを旅していて、地元の人々と和することができなければ、何かと困るものである。

なお、焚かれ、というのは、この卦に離の火の象があるからであり、危険を喩えたのである。
また、九三は下卦艮の主として、初と二の両陰爻を従えているので、これを、童僕を得ている象とする。
ただし、九三は過剛不中なので、柔順に和する姿勢が無く、いつしか童僕との間も険悪となり、彼らの真面目に仕事をしようとする気が薄れてしまうのである。
要するに、童僕がいなくなるのではなく、彼らの忠貞の心を喪ってしまうのである。

上九━━━
六五━ ━
九四━━━○
九三━━━
六二━ ━
初六━ ━

九四(きゅう しは )(りょのとき ) (ここに) ( おる )(えたるをもって)( その ) 資斧( し ふを )我心( わが こころ) ()(よから)

【書き下し】九四は、旅のとき于に処る、其の資斧を得たるをもって、我が心快からず、

象曰(しょうに いわく)(りょのとき ) (ここに ) (おるとは)(いまだ/ざるとなり)()(くらいを)也、(えるとは)( その ) 資斧( し ふを )(こころ ) (いまだ/ざればなり )(よから)也、

【書き下し】象に曰く、旅のとき于に處るとは、未だ位を得ざるとなり、其の資斧を得るとは、心、未だ快からざればなり、

資の字は、ここでは「用いる」という意で使われていて、
斧は木を切る鋭利な武器にもなる道具である。
したがって、資斧で、斧を用いる、となり、武力で他人を捻じ伏せようとする剛断なことを喩えている。
この資斧という言葉は、巽為風の上九にも出て来るが、それも同様の義である。

さて、旅をするときは、一に柔順温和の道を尚び、剛強であること嫌うのは、すでに六二と九三との両爻の辞を見ても判然とする。
そんな中、この九四は、陽剛を以って陰位に居る。
陽爻にして陰位に居れば、爻と位で陰陽相和するので、その位置に長居してしまう。
だから、旅のとき于に処る、という。
処るとは長期滞在する、という意である。
としても、安住の地として永住するというほどのことはない。
長期滞在しているとしても、九四は陽剛にして何事も独断に過ぎて、人と親和することが少ない。
異郷に在って人と親和しないのであれば、必ず折に触れて諍いになり、気分はよくない。
だから、其の資斧を得たるをもって、我が心快からず、という。

上九━━━
六五━ ━○
九四━━━
九三━━━
六二━ ━
初六━ ━

六五( りく ごは )( いる )(きじを)一矢( いっ しに ) (いとる)終以(おわりに もって) 譽命( よ めいあり)

【書き下し】六五は、雉を射る、一矢に亡とる、終りに以って誉命あり、

象曰(しょうに いわく)終以(おわりに もって ) 譽命(よ めいありとは)(うえに ) (およべるなり)也、

【書き下し】象に曰く、終りに以って誉命ありとは、上に逮べるなり、

六五は君位の爻である。
しかし、君上は至尊なので旅に出るようなことはない。
そこで、この旅の卦に在っては、この五爻を、君命を奉じて遠く他国に出かけた使者とする。
この爻は成卦の主爻であり、上卦離の文明(彩りが綺麗という意)の卦の主である。
なおかつ柔中の徳を得ている。
これは、旅に処する最も善なる者とする。
雉とは文明の鳥にして、士が食用に獲るものであり、その使者に才徳が有ることを喩えている。
だから、雉を射る、一矢に亡とる、という。
一矢に亡とるとは、その技能が優れていることを賞嘆する辞である。
そもそも六五は、文明柔中の才徳を以って、四方に使者として出向くので、どこへ往き、何事をするにしても、君命を辱めることはない。
したがって、必ず速やかにその成功を復命し(帰還してその成果を君上に報告すること)、称誉されるのである。
だから、終りに以って誉命あり、という。
象伝の上に逮ぶというのは、上に伝わるといった意で、復命のことを指す。

上九━━━○
六五━ ━
九四━━━
九三━━━
六二━ ━
初六━ ━

上九(じょう きゅうは)( とり ) ( やく )其巢( その すを )旅人( たび びと ) 先笑(さきには わらい)(のちには) 號咷( ごう とうす)(うしなう )(うしを)(さかいに)(きょうなり)

【書き下し】上九は、鳥其の巣を焚く、旅人先には笑い、後には号咷す、牛を埸に喪う、凶なり、

象曰(しょうに いわく)(もって)(りょを) ( あり)(うえに)其義( その ぎ ) 焚也(やかるべしとなり)(うしなうとは)(うしを)(さかいに)(おわりに ) (なければなり )之聞(これを きくこと)也、

【書き下し】象に曰く、旅を以って上に在り、其の義、焚かるべしとなり、牛を埸に喪うとは、終わりに之を聞くこと莫ければなり、

上卦離を鳥とし、下卦艮を止まるとし宿りとし、二〜四の巽を木とし、また離を火とする。
すると、上九の爻は、高く巽の木の上に、離の鳥が艮の宿りに止る巣が有り、離の火を以ってこれを焚く様子となる。
だから、鳥其の巣を焚く、という。
これは、先ず象を観て辞を書いた例にして、その実は旅人が途中の宿舎を焚かれる危険に遇うという義を喩えたものである。

九三の爻では、内卦の上に居て過剛不中なので其の次を焚くとあり、この爻にては陽剛にして全卦の極に居て驕り高ぶっているので、其の巣を焚くという。
この両者は、辞はやや異なるが、その義は同じことである。

上九はこのような驕り高ぶった旅人なので、自らを省みることなく他人を蔑んで笑い、意気揚揚としている。
しかし、こんな態度で旅をしているのでは、親しい友人などなかなかできず、孤独にして何かあったときに頼る人もなかなか見つからない。
まして、このような倣慢不遜の極に至れば、忽ち殃害を招き、終に失意して号咷(泣きさけぶ)に至るものである。
だから、旅人先には笑い、後には号咷す、という。
そもそも上九は陽剛にして、柔順の志を失っているのであり、そうであれば、誰の言うことも聞かず、幾多の凶を生じ、害を起こすものである。
その柔順を動物に喩えると牛である。
だから、牛を埸に喪う、凶なり、という。

前の卦=55雷火豊 次の卦=57巽為風

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01.乾為天 02.坤為地 03.水雷屯 04.山水蒙 05.水天需 06.天水訟 07.地水師 08.水地比 09.風天小畜 10.天沢履 11.地天泰 12.天地否 13.天火同人 14.火天大有 15.地山謙 16.雷地予 17.沢雷随 18.山風蠱 19.地沢臨 20.風地観 21.火雷噬嗑 22.山火賁 23.山地剥 24.地雷復 25.天雷无妄 26.山天大畜 27.山雷頤 28.沢風大過 29.坎為水 30.離為火

31.沢山咸 32.雷風恒 33.天山遯 34.雷天大壮 35.火地晋 36.地火明夷 37.風火家人 38.火沢睽 39.水山蹇 40.雷水解 41.山沢損 42.風雷益 43.沢天夬 44.天風姤 45.沢地萃 46.地風升 47.沢水困 48.水風井 49.沢火革 50.火風鼎 51.震為雷 52.艮為山 53.風山漸 54.雷沢帰妹 55.雷火豊 56.火山旅 57.巽為風 58.兌為沢 59.風水渙 60.水沢節 61.風沢中孚 62.雷山小過 63.水火既済 64.火水未済

ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては易学入門をご覧ください。
また、六十四卦それぞれの初心者向け解説は無料易占いのページをご覧ください。
占いながら各卦の意味がわかるようになっています。

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最終更新日:令和04年04月03日 学易有丘会
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