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前の卦=29坎為水 次の卦=31沢山咸

30離為火 りいか

「旧約聖書」ノアの洪水神話を構成する3卦(坎・離・咸)のひとつ。詳細はコチラ。

 離下(りか)離上(りじょう)

八卦の(り)を重ねた形。

この卦は、八卦の()を重ねた卦。
離とは、()く、付着する、つらなる、かかる、つながる、といった意。
同じ八卦を重ねた卦は、その八卦の名称で呼ぶ。
八卦の離は、一陰の主画が柔弱な自身を、二陽の剛強な者の中に付着して守ってもらっている形である。
これは、陰であるがゆえに、柔和にして麗き順わざるを得ないのであるが、六画重卦の離為火も、その特性象義は基本的に同じである。
だから三画八卦も六画重卦も、同じ名で呼ばれるのである。

なお、離の字は、普通は「はなれる」という意であるが、易ができた頃は、逆の「付着する」という意だったのである。
したがって離の卦象に「はなれる」という意はまったくないので、注意が必要である。

 

卦辞(かじ) 〜彖辞(たんじ)とも言い、周の文王の作と伝わる。

( りは )(とおる)(よろし )(ただしきに)(やしなえば )牝牛( ひん ぎゅうを ) (きちなり)

【書き下し】離は、亨る、貞しきに利し、牝牛を畜えば吉なり、

そもそも離は、坤の一陰を中画に得て、柔順にして二陽の明者に麗いたのであって、これが三画八卦の離の象義である。
六画重卦の場合も、六二柔順中正の徳を以って、外卦の明者に麗き順っているのであって、そうであるからこそ、亨通するのである。
だから、離は亨る、という。

さて、その麗くということには、必ず利害邪正の両道がある。
正しい道と、公な道とに麗くときには、善にして亨通する。
正しくない道と私欲の道とに麗くときには、不善にして亨通することはない。

もとより八卦の離は、火とし、心とする。
火は幽暗を照らし、煮炊きをして食を調える大事な作用功徳を具えている。
しかし、その取り扱いを誤ると、火事を起こし、大切なものすらも焼き滅ぼしてしまう。
人の心にしても、正しいことに麗き、善なることに用いれば、身を修め、家を済(ととの)え、国天下をも治めることができる。
しかし、正しくないことに麗き、不善なることに用いるときには、忽ち身を滅ぼし、家を破り、国天下をも喪うに至るものである。
これをもって、人の心の火の用心、取り扱いは至って厳重に、最も大切にし、常に戦々兢々として、その麗くところ、用いるところを惧れ慎むべきなのである。
だから、その用心の大切さを強調し、貞しきに利ろし、という。

牝牛とは、至って柔順の比喩である。
坤為地の卦では牝馬を以って柔順の意義を諭し、この離為火の卦では、牝牛を以って柔順の意義を諭している。
馬も牛も、共によく人に馴れ従う柔順の性質があるわけだが、次のような違いがある。
馬は蹄がひとつで(奇蹄類)、奇数は陽、その行くことは健やかで陽の性質である。
対する牛は蹄がふたつで(偶蹄類)、偶数は陰、その行くこと緩やかで陰の性質である。
このように、牛は馬と違って、その根本的性質からして陰であるのだから、その柔順さは至極である。
また、卦象を観ると、坤は純陰にして柔順の卦ではあるが、同じ陰が三本相連なっている。
一方の離は、一陰二陽の卦象であるが、これは一陰の微弱なるを以って、上下両陽剛の中に麗き従っているのである。
陰同士が連なっているのではなく、陽の中に陰が麗き従うには、陽の反感を買わないように、至って柔順でなければならない。
だから離を柔順の至極とする。
離の火を扱うことも、至って柔順ではなく、不善な扱いであれば、忽ち火事を招き、大害が有る。
だから、その火を扱う心がけで物事に対処せよと諭すために、柔順至極であることを牝牛を畜うことに喩え、そのようであれば吉だとして、牝牛を畜えば吉、という。

彖伝(たんでん) 彖伝は卦辞(彖辞)の解説で、孔子作と伝わる。

彖曰(たんに いわく)(りは )(れいなり)也、(じゅう) (つけり)中正(ちゅう せいに)(ゆえに ) (とおるなり)是以(これを もって ) (やしなえば )牝牛( ひん ぎゅうを )吉也(きちなるなり )

【書き下し】彖に曰く、離は、麗くなり、柔、中正に麗けり、故に亨るなり、是を以って牝牛を畜えば吉なるなり、

離は、麗くすなわち付着するということ。
六二の陰柔の爻は内卦の離の主爻にして成卦の主爻であり、中正を得て上下の陽爻に付着している。
この陰柔は、元は坤の一陰を真ん中に得たものだから、内卦にては柔順中正の徳を得、その性質は至って従順であり、外卦六五にしても柔順にして中を得ている。
人事について云えば、心を柔順にして中正の道と中正の事とに麗き順う時には何事をも遂げられるのであって、だから亨るとあり、利貞とあるのである。
したがって、よくその柔順の徳性を守って中正の道と中正の事とに麗き順うのであれば、離の火を取り扱う者も、また離の心の火を取り扱う者も、牝牛の至って柔順を畜い養うときには吉なのである。
牝牛とは柔順の至極なるの喩えであり、畜は撫育教化することを含んで云うのである。

 

日月( ひ づきは) ( つき )(てんに)百穀(ひゃく こく ) 艸木( そう もくは) (つき )(ちに )(かさねたる ) (あきらかさは ) (もって ) (つきて)(ただしきに)(すなわち ) ()()(せいすべし) 天下( てん かを )

【書き下し】日月は天に麗き、百穀艸木は地に麗き、重ねたる明らかさは以って正しきに麗きて、乃ち天下を化成すべし、

日月が天に麗き、百穀草木が地に麗いているように、明徳を以って中正の道に麗くことが大事である。
重明とは離明の卦、上下に重なり居るの象義を云う。
内卦の離明は各人の天より賦し与えられた性質の中に備わっている性善明徳を指している。
外卦の離明は学問文明の道にして、師に麗き、友に麗き、討論琢磨して、以って日に新たに明らかならしむるの義を云う。
その師と友と道とは、必ず善悪是非、賢愚、正邪の二種類があるから、よく選び求めて、正しき師、正しき友、正しき道、正しき事に麗き順うを以って、己が天性固有の明徳を明らかにして、その明徳の道義を弘め充たして、以って天下を化成すべしということである。

 

象伝(しょう でん ) 卦の(しょう)=形の解説で、大象(たいしょう)とも呼ばれ、彖伝同様に孔子の作と伝わる。

象曰(しょうに いわく)(めいを ) 兩作(ふたつ つくるは ) (りなり)大人( たい じん ) (もって ) ( つぎ )(めいに)(てらすべし)四方( し ほうを)

【書き下し】象に曰く、明を両つ作るは離なり、大人以って明に継ぎ、四方を照らすべし、

明とは八卦の離の象を云う。両つ作るとは、内外の両方に離の卦が重なっていることを云う。
大人とは君徳が盛んなことの称である。
明に継ぐの明の字は、内卦の離を指し、継ぐとは外卦の離を指して云う。
その明とは天稟の明徳にして、大人ならばその天の明徳に則り継いで、学問文明の道を明らかに修め、日新琢磨の功高く至り、重明盛徳の績を大いに積み上げて、以って天下四方を照らし治めよとの教訓である。

爻辞( こう じ ) 〜周公旦の作と伝わる。象曰以下は孔子の作と伝わる象伝。

上九━━━
六五━ ━
九四━━━
九三━━━
六二━ ━
初九━━━○

初九( しょ きゅうは)(ふむこと) 錯然( さく ぜんたり)(けいすれば)(これを) ( なし)(とが )

【書き下し】初九は、履むこと錯然たり、之を敬すれば咎无し、

象曰(しょうに いわく)(ふむこと ) (まじれりの)(けいは)(もって ) (さけしむるなり )(とがを)也、

【書き下し】象に曰く、履むこと錯れりの敬は、以って咎を辟けしむなり、

履とは、もともとは靴のことを指しているので、足で踏むことの義とし、履み行うことの意とする。
錯然とは、いろんなことが入り混じっていることである。
さて、離は心の卦である。
心というものは形がなく、その善悪の跡は、必ずその人が履み行った様子を観察しなければわからない。
そこで、心と言っても、宗教にありがちな心性空漠上のことには言及せず、行実の上についてのみ教訓を書いたのである。
まず、初爻は、卦の初めにして、人々が事を為す始めの位とする。
もとより初爻は足の位なので、履み行うことの始めである。
およそ人の履み行う事は千差万別にして、錯然として雑乱な事であっても、その良し悪しには道がある。
その履み行う人が、一によくその離の心を柔順にして、その麗き順がうところの道と事とを正しくし、その用い扱うところを柔順に正しくして、これを敬し、これを慎むときには、どのようなことでも咎は避けられるのである。
だから、履むこと錯然たり、之を敬すれば咎无し、という。

上九━━━
六五━ ━
九四━━━
九三━━━
六二━ ━○
初九━━━

六二( りく じは )黄離( こう りなれば)元吉( げん きちなり)

【書き下し】六二は、黄離なれば、元吉なり、

象曰(しょうに いわく)黄離( こう りなれば) 元吉( げん きちとは)(えればなり )中道(ちゅう どうを)也、

【書き下し】象に曰く、黄離なれば元吉とは、中道を得ればなり、

黄とは中央の土の色なので、中の字の義を喩えたのであって、その中というのは忠信の義である。
離とは、卦名である。
さて、まずこの離の卦の象には、火、心、麗(つ)く、明、照、焚、智などがあるが、それらの衆義を悉くに兼ね具えているのが、この卦である。
したがって、この衆義をひとつに合わせて、離の字を以って卦名としたのである。
火についてこれを諭せば、剛強の道を用いて火を侮り、傲慢な取り扱いをするときには、忽ちに必ず焚き滅っするという凶害が有る。
逆に、柔順の道を用いて、敬い慎む取り扱いをするときには、必ず暗がりを照らし、生ものを煮炊きして食事を調えるという大利益が有る。
人の心の火も、これまた同様である。
忠信ならば身を修め家を齊(ととの)え、国天下をも治められるが、忠信ではないときは、身を喪ぼし、家を敗り、国天下をも滅っするものである。
また、離を智とし、麗くとすれば、その智にも麗くにも、それぞれ邪正善悪の二途がある。
これも審らかにわきまえることが大事である。
もとより六二の爻は、離の全卦の六爻の中にても、柔順中正の徳を得て、成卦の主爻となっている。
だから、黄離なれば、元吉なり、という。
この黄の字には、柔順中正忠信文明などの衆義衆徳を悉く具足しているのである。
元吉とは、大善の吉ということである。
したがって、占ってこの卦この爻を得て、その人に黄離の徳が具足しているのであれば、大善の吉であることは勿論である。
しかし、その人が黄離とは言えないような人物であるのなら、大悪の凶になるのである。
繰り返しになるが、黄離であって初めて元吉なのである。

上九━━━
六五━ ━
九四━━━
九三━━━○
六二━ ━
初九━━━

九三(きゅう さんは)日昃( ひ かたむくの)(ときなり)(ずして )(こして )(ほとぎを ) (しこうして ) (うたわ)(すなわち ) 大耋( だい てつのみ) ( これ ) (なげくは ) (きょうなり)

【書き下し】九三は、日昃くの離なり、缶を鼓して歌わずして、則ち大耋のみ之嗟くは凶なり、

象曰(しょうに いわく)日昃( ひ かたむくの)(ときとは)(なんぞ ) (べきとなり ) (ひさしかる)

【書き下し】象に曰く、日昃くの離とは、何ぞ久しかる可きとなり、

日昃くの離とは、日が傾く時といったことである。
大耋とは、言うなれば超後期高齢者のことである。
この爻は内卦の極に居る。
これは、内卦の離の日がすでに終り、久しくなくして上卦の離の日に移ろうとするときであって、要するに、一日が終り、次の一日が来ようとする、という象なのである。
だから、日昃くの離なり、という。
これは、人の老が極まり、死に至ろうとするのに喩えているのである。
この時に遇い、この地に臨んでは、死生共に天命であると悟り、従容自得して、天を楽しみ命に委ねて、消息盈虚の道に安んじて、缶を鼓して歌い楽しむのがよい。
徒に自身が老いたことを憂い歎いても、何の利益もない。
それこそ至愚の極みである。
だから、缶を鼓して歌わず、則ち大耋のみ之嗟くは凶なり、という。

上九━━━
六五━ ━
九四━━━○
九三━━━
六二━ ━
初九━━━

九四(きゅう しは )突如( とつ じょたり)( それ ) 來如( らい じょたり)焚如( ふん じょたり)死如( し じょたり)棄如( き じょたり)

【書き下し】九四は、突如たり、其れ来如たり、焚如たり、死如たり、棄如たり、

象曰(しょうに いわく)突如(とつ じょとして) ( それ ) 來如( らい じょとは)(なければなり )(ところ )(ようする)也、

【書き下し】象に曰く、突如として其れ来如とは、容する所无ければなり、

離は火の卦である。
九四の爻は、下卦が終わって、すでに上卦に移った始めである。
九四もまた陽爻にして不中正であり、寛容の度量がない。
したがって、その性は烈火の如くにして、突如として衝き上がる。
下卦の火が、忽ち上卦に衝き上がり、燃え広がる如くである。
これは、火を以って言えば、下卦より上卦に衝き上がることである。
また、爻を以って言えば、三より四に衝き上がることである。
突然思いがけず、衝き上がって来るのである。
だから、突如たり、其れ来如たり、という。
そして九四は、内外二つの火の間に挟まっているので、焚き立てられる患いがある。
焚き立てられたら死に、死んだら灰となって棄てられる・・・。
九四は陽剛にして不中正の志行があり、その性は陽剛烈火の如くであり、さらには上下二つの火の間に居るので、その凶害は甚だしい。
だから、焚如たり、死如たり、棄如たり、と重ねて深く戒める。

上九━━━
六五━ ━○
九四━━━
九三━━━
六二━ ━
初九━━━

六五( りく ごは )(いだすこと ) (なみだを) 沱若( た じゃくたり)(うれえいたむこと )嗟若(さ じゃくたれば)(きちなり)

【書き下し】六五は、涕を出すこと沱若たり、戚えいたむこと嗟若たれば、吉なり、

象曰(しょうに いわく)六五( りく ごの )(きちなりとは)(つきたればなり )王公( おう こうに)也、

【書き下し】象に曰く、六五の吉なりとは、王公に離きたればなり、

沱若とは涙がどんどん流れる様子。
六五は柔中の徳が有り、尊位に居るわけだが、下に応じ助けてくれる忠臣はなく、孤独にして九四と上九との二陽の剛強者の間に麗=付いている。
これは甚だ危険で恐れるべき勢いである。
しかし、そもそも離明の主として君位に在り、柔順と貞正と文明と柔中と麗と照明と智の義などを悉く合わせ具えて、王公としての徳を身に付けている。
したがって、よく時の勢いを知ることも明らかなので、常に恐惧慎戒して、涙を流すのである。
このように、平生に憂い慮って慎み戒めるときには、自然にその危険な害を免れて吉に至るものである。
だから、涕を出すこと沱若たり、戚えいたろこと嗟若たり、吉なり、という。

上九━━━○
六五━ ━
九四━━━
九三━━━
六二━ ━
初九━━━

上九(じょう きゅうは)王用( おう もちいて ) 出征(いでて せいす)( あり )(よきこと)( たつ )(かしらを)(えもの ) (あらざれば ) 其醜(その みにくきに)( なし) (とが )

【書き下し】上九は、王用いて出でて征す、嘉きこと有り、首を折つ、獲其の醜きに匪ざれば、咎无し、

象曰(しょうに いわく)王用( おう もちいて ) (いでて ) (せいするは)(もって ) (ただすなり )(くにを)也、(えものにすること ) (あらずとは ) 其醜(その みにくきに)(おおいに ) (あるなり )( こう )也、

【書き下し】象に曰く、王用いて出でて征するは、以って邦を正すなり、獲にすること其の醜きに匪ずとは、大いに功有るなり、

王とは、六五の爻を指している。
首とは上九の爻を指していて、首領魁首などの義である。
上九の爻は、卦の極に居て、陽剛にして不中不正であり、さらには二五君臣位の外に在る。
これは、遠方に居て、王化に順い服すことなく、自身の剛強を以って我威を振るって人民を残害する横逆者である。
そこで、六五の王は、出でて、上九を征伐する。
だから、王用いて出でて征す、という。
六五柔中の君徳を以って、上九剛強の不中不正な者を征伐するのである。
これは有道を以って不道を征することである。
六五は天に順い人に応じる仁義の師なので、必ずや大いに嘉悦=よろこばしいことが有る。
そのよろこばしいこととして、その魁首を誅戮することを得るのである。
だから、嘉きこと有り、その首を折つ、という。
上九の爻は、人の身に配当するときには首とする。
したがって象を兼ね合わせて、首を折つ、という。
さて、六五陰弱なる者が上九の陽剛を獲にすることは、陰が陽を征することになるが、だとしても、決して醜いことではない。
有道を以って無道を誅し、仁を以って不仁を征し、国を正すのである。
とすれば、侵奪の咎などあるはずがないし、大いに功の有ることである。
だから、獲其の醜きに匪ざれば、咎无し、という。

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31.沢山咸 32.雷風恒 33.天山遯 34.雷天大壮 35.火地晋 36.地火明夷 37.風火家人 38.火沢睽 39.水山蹇 40.雷水解 41.山沢損 42.風雷益 43.沢天夬 44.天風姤 45.沢地萃 46.地風升 47.沢水困 48.水風井 49.沢火革 50.火風鼎 51.震為雷 52.艮為山 53.風山漸 54.雷沢帰妹 55.雷火豊 56.火山旅 57.巽為風 58.兌為沢 59.風水渙 60.水沢節 61.風沢中孚 62.雷山小過 63.水火既済 64.火水未済

ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては易学入門をご覧ください。
また、六十四卦それぞれの初心者向け解説は無料易占いのページをご覧ください。
占いながら各卦の意味がわかるようになっています。

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最終更新日:令和02年09月09日 学易有丘会
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