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漢文として楽しむ論語 顔淵第十二 1/4トップページ 論語序説(朱子による孔子の略歴) 學而第一 爲政第二 八佾第三 里仁第四 公冶長第五 雍也第六 述而第七 泰伯第八 子罕第九 郷黨第十 先進第十一 顔淵第十二 子路第十三 憲問第十四 衞靈公第十五 季氏第十六 陽貨第十七 微子第十八 子張第十九 堯曰第二十 1(279) 顔淵問仁…○ 【書き下し】顔淵仁を問う、 【訳】顔淵が仁について質問した。 【解説】顔淵は孔子が最も頼りにしていた弟子だが、若くして孔子より先に亡くなってしまった。姓は顔、名は回、字は子淵なので、顔淵、顔回などと呼ばれた。およそ孔門諸子は、仁ということの意味はすでにわかっている。その上で、どうやってその仁の徳を身につけたらよいのかを質問しているのだ。 【書き下し】子の曰く、己に克って礼に復るを仁と為す、一日も己に克って礼に復れば、天下仁を帰す、仁を為ること、己に由りし、而して人に由らんや、 【訳】先生が仰った。私欲を抑えて礼を重んじることが仁である。たった一日でも、本当に己に克って礼に復れば、天下の人々はその人を仁者と称える。仁は己の力と信念ですることであって、他人の力によってすることではない。 【解説】克つというのは、はらい尽くして少しも残らないこと。ここで云う礼は、礼儀作法ということよりも、その本質である公の心を以って行うことを指す。人は私欲につらされ、つい礼を疎かにしてしまいがちだが、そのような心を抑え止め、常に礼に復ることが仁なのだ。ここで云う一日は、励ましの言葉であって、必ずしも一日でそうなるわけではない。 【書き下し】顔淵の曰く、其の目を請い問う、 【訳】顔淵が言った。具体的には、どうすればよいのですか。 【書き下し】子の曰く、礼に非ずば視ること勿れ、礼に非ずば聴くこと勿れ、礼に非ずば言うこと勿れ、礼に非ずば動くこと勿れ、 【訳】先生が仰った。礼に叶わないものは視ない、礼に叶わないものは聴かない、礼に叶わないことは言わない、礼に叶わないことには動かない。 【解説】非礼は私欲のこと、勿れは自ら戒め止めること。なお、この文章をヒントに作られた彫刻が日光東照宮の見猿、聞か猿、言わ猿である。また易の雷天大壮の象伝には、これと似た言葉で非礼勿履というのがある。 【書き下し】顔淵の曰く、回、不敏なりと雖も、請う、斯の語を事とせん、 【訳】顔淵が言った。回=私=顔淵はいたらぬ者ですが、この言葉に従って精進します。 【解説】不敏は、敏くない、いたらないといった意、不敏は古人が師に答えるときの謙辞。事は従事すること。 2(280) 仲弓問仁…○ 【書き下し】仲弓仁を問う、 【訳】仲弓が仁について質問した。 【解説】仲弓は、姓は冉、名は雍、字は仲弓、孔子の弟子。 【書き下し】子の曰く、門を出ては大賓に見うが如く、民を使うには大祭に承えまつるが如く、 【訳】先生が仰った。家の門を出て、社会の人々と交わるときは、貴い賓客を出迎えて会うときのように敬意を以ってし、人民を使うときは、大祭に仕え奉るときのように謹しみ厳かにする。 【解説】大賓は貴い賓客を云う。見うとは出迎えて会うこと。大祭は宗廟郊社などの祭祀のこと。 【書き下し】己が欲せざる所、人に施す勿れ、邦に在っても怨み無く、家に在っても怨み無し、 【訳】自分がして欲しくないことは他人にもしない。国中の人と交わるときも、家の中で家人と交わるときも、穏やかに和らぎ、怨むことはない。 【解説】これは思いやりをもって人と接することの大切さを言っている。 【書き下し】仲弓の曰く、雍、不敏なりと雖も、請う、この語を事とせん、 【訳】仲弓が言った。雍=私=仲弓ははいたらぬ者ですが、この言葉に従って精進します。 【解説】顔淵は強毅、仲弓は温厚な性格なので、孔子の答えにはこのような違いがあったが、二人とも同じように孔子の答えを素直に受け入れた。 3(281) 司馬牛問仁… ○ 【書き下し】司馬牛、仁を問う、 【訳】司馬牛が仁について質問した。 【解説】司馬牛は孔子の弟子、名は 【書き下し】子の曰く、仁者は其の言、」んず、曰く、其の言、」き、斯れ、之を仁と謂うか、 【訳】先生が仰った。仁者は不用意な発言はしない。司馬牛が言った。不用意な発言をしないだけで仁と謂えるのですか。 【解説】」は耐え忍んで言わないことと、言いかねて容易く発しないことの二意を兼ねているが、簡単に言えば、不用意な発言をしない、といったところ。 【書き下し】子の曰く、之を為ること難し、之を言うこと、」んずること無きことを得んや、 【訳】先生が仰った。仁をすることはとても難しい。だからこそ、言行不一致にならないよう、不用意な発言をしないことが大事なのだ。 【解説】牛は多言にして騒がしい人物だったので、ことさらこのように言ったのだ、とも言われている。 4(282) 司馬牛問君子…○ 【書き下し】司馬牛、君子を問う、 【訳】司馬牛が君子について質問した。 【解説】ここで云う君子は人格者といった意。 【書き下し】子の曰く、君子は憂えず懼れず、曰く、憂えず懼れず、斯れ之を君子と謂うか、 【訳】先生が仰った。君子は憂えたり懼れたりしないものだ。牛が言った。憂えたり懼れたりしないだけで君子と謂えるのでしょうか。 【解説】司馬牛の兄の尚魋は宋にて乱をおこそうとしていて、牛は常にその禍にかからんことを憂え懼れていた。そこで孔子はこう答えたのだ。 【書き下し】子の曰く、内に省みて疚しからず、夫れ何をか憂え、何をか懼れん、 【訳】先生が仰った。自らの言行を顧みて、疚しいところがなければ、何を憂え、何を懼れる必要があろうか。 【解説】逆に言うと、自分に疚しいところがあるから、それが憂えや懼れになるのだ。 5(283) 司馬牛憂曰… ○ 【書き下し】司馬牛、憂えて曰く、人皆兄弟有り、我独り亡し、 【訳】司馬牛が憂えて言った。人には皆、兄弟がいるが、私にはもういない。 【解説】牛は、兄が乱をおこして死んでしまったことを憂えているのだ。 【書き下し】子夏の曰く、商、之を聞けり、死生命有り、富貴天に在り、 【訳】子夏が牛を慰めて言った。商=私=子夏は、こんなことを聞いた。死ぬも生きるも天命、富貴も貧賤も天命による。どのような境遇であっても、ただ己を修めて順うしかないのであって、死にしても、必ずしも憂うべきことでもない。 【解説】天、天命とは、人知では計り得ないことを云う。 【書き下し】子夏の曰く、商、之を聞けり、死生命有り、富貴天に在り、君子敬して失すること無く、人に与すること恭しくして礼有らば、四海の内、皆兄弟ならん、君子何ぞ兄弟無きことを患えんや、 【訳】身を保つに敬を以ってして過失がないようにし、人と交わるには恭しく礼を以ってすれば、世界中の人々は皆、兄弟と同じだ。君子ならば、どうして兄弟がないことを憂える必要があるのか。 【解説】この文中に四海之内という言葉がある。意は四方の海の内、世界中、といったこととされている。しかし、中国大陸で四方の海というのはいささか腑に落ちない。日本のように、海に囲まれた島国ならば、東西南北の海=四海として、陸地は海の中にあり、そこが人の住むすべての地域すなわち世界だと認識しても当然だろうが、中国の海は東から南にかけてだけで、北や西はどこまでも続く大陸である。そんな中で、その大陸の果てに海があって、その海が大陸を囲んでいると認識できたのだろうか。とすると海というのは、人がそれ以上は行けない場所を、東の海に例えて言ったまでで、実際に世界が海に囲まれているとは認識していなかった、と考えたほうが無難に思うのだが……。 |
最終更新日:令和05年01月28日
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