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漢文として楽しむ論語 八佾第三 2/3

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八佾第三 1/3  2/3  3/3

9(49) 子曰夏禮吾能言之…

子曰( しの の玉わく)夏禮( かの れい ) 吾能( われ よく ) (いえども)(これを)() ()(たら )徴也(しるしとするに )殷禮(いんの れい ) 吾能( われ よく ) (いえども)(これを)(そう ) ()(たら )徴也(しるしとするに )

【書き下し】子の曰く、夏の礼吾れ能く之を言えども、杞徴しとするに足らず、殷の礼吾れ能く之を言えども、宋徴しとするに足らず、

【訳】先生が仰った。私は夏の礼のことをよく言うが、その末裔の杞の国に礼は証拠とするには足りない。殷の礼のこともよく言うが、その末裔の宋の国の礼も証拠とするには足りない。

【解説】杞は国の名、夏の大禹の後胤を封じた国。徴は証拠の意。孔子は生まれながらの聡明を以って博学多聞で古代の法に通じて、よく夏や殷の礼の話をする。しかしその末裔の国はすでに故実を失っているので、孔子の話を裏付ける証拠とするには足りない。

文獻( ぶん けん ) (ざる )(たら ) (ゆえなり)也、足則(たらなば すなわち) 吾能( われ よく ) (しるしとせん)(これを)矣、

【書き下し】文献足らざるなり、足なば則ち吾れ能く之を徴しとせん、

【訳】杞も宋も文献が足りない。もし二国の文献が残っていれば、私の言うことが正しい証拠となるのだが。

【解説】文献は文書と賢者のこと。文書が残っていて、賢者がいれば、古の礼がきちんと伝わっているはずなのだが、ほとんどないのだ。

10(50) 子曰禘自既灌而往者…

子曰( しの の玉わく)(てい ) (より )既灌(すでに かんして)(のちは)者、(われ ) ()(ほっせ)(みまく)(これを)矣、

【書き下し】子の曰く、禘既に灌してより往は、吾之を観まく欲せず、

【訳】先生が仰った。禘祭で酒を地に注いで神を呼び降ろしてから後は、儀式を形式的に進めるだけで敬意がなく、私はそんなものは見たくもない。

【解説】禘は魯の禘祭という王者の大祭の名。その祖先の廟で、祖先よりその帝たる君を祭る。天下の富貴を以って奉仕する志を遠い祖先までにも推し及ぼすためのものである。周はいわゆる五帝(黄帝(こうてい)顓頊(せんぎょく)帝嚳(ていこく)(ぎょう)(しゅん))のうちの、黄帝の曽孫に当たる帝嚳を禘とし、その帝嚳の子の后稷(こうしょく)を祖としている。成王から魯に天子の礼楽を賜り、魯の君は禘祭を行うようになり、文王を遠祖の帝に擬え、始祖周公の廟に祭り、周公を以って配祀した。灌は注ぐという意で、祭の始めに香りのよい酒を地に注ぎ、その香を以って神を呼び降ろすことをいう。ただし魯の禘祭はすでに礼を失っていた。時の君臣は祭に臨み、それでも祭式が始まって灌の前まではいくらかの敬意があった。しかし長時間の儀式のせいか、灌して後は、もう疲れてしまったのか、敬意は散って形だけになっていた。これを見るのが忍びなく、孔子は見たくなかったのだ。

11(51) 或問禘之説…

(ある人) (とう )禘之説( てい の せつを)

【書き下し】或るひと禘の説を問う、

【訳】或る人が禘祭の意義を質問した。

【解説】或る人は、いわゆる一般人のこと。

子曰( しの の玉わく)()(しら )也、(しる )其説( その せつを)(ものは)(これ ) (おけること)天下( てん かに )也、(ごとしといって) (しめしてみるが)(これを)乎、(ゆびさす) 其掌( その たなごころを)

【書き下し】子の曰く、知らず、其の説を知る者は、これ天下に於けること、斯を示してみるが如しと云って、其の掌を指さす。

【訳】先生が仰った。知らない。禘祭の意義を知る者は、天下のどんな大事を治めるのも、この手のひらを指さすように容易なことだ。

【解説】禘祭は仁孝の徳、誠敬の心が至極の王たる者でなければ行う資格がないので、ある人すなわち一般人が興味本位で知るべきところではないし、安易に云うべきことでもない。したがって、知らないと答えたのである。知とは行うも兼ねて云う。天下とは天下を治めること。斯は掌を指示す。其の掌を指さすとは、明らかにして見やすい様子にして、天下を治めることが容易なことを示す。

12(52) 祭如在…

(まつること ) (ごとくす) (いますが)(まつること )(かみを ) (ごとくす)神在( かみ いますが)

【書き下し】祭ること在ますが如くす、神を祭ること神在ますが如くす、

【訳】父祖の廟祭では、目に見えぬ父祖の靈がその場にいる如くに仕え、山川社稷などの祭に仕えるときは、目に見えぬ神霊をも目の当たりにいるが如くに仕える。

【解説】これは門人が孔子の祭礼の誠意を記したもの。前半は父祖の廟祭のときのこと、後半は山川社稷の神を祭るときのことである。

子曰( しの の玉わく)(われ ) (ざれば)(あずから) (まつりに ) (ごとし)(ざるが)(まつら)

【書き下し】子の曰く、吾祭に與らざれば祭らざるが如し。

【訳】先生が仰った。私が止むを得ず祭に仕えることができないときに、他人に代わって祭らせることがあれば、自らその在ますが如くする誠を尽くせないので、その儀礼は務まるとしても、その心の足りないところは、祭を行わないのと同じだと思う。

【解説】これは孔子の語を以って如在の義を明かすものであると共に、孔子が易の艮為山の象伝で書いた内容を祭る際の心得に応用したものだとも云われている。

13(53) 王孫賈問…

王孫賈( おう そん か ) 問曰(といて いわく)(より )其媚( その こびん)(おうに)(むしろ ) (こびんとは)(そうに)何謂也(なんと いうことぞ  )

【書き下し】王孫賈問いて曰く、其の奥に媚びんより、寧ろ竈に媚びんとは、何と謂うことぞ、

【訳】王孫賈が質問して言った。俗に、奥の神様に願うよりも竈の神様に願う、と言うことがありますが、これはどういうことですか。

【解説】王孫賈は周の靈王の孫、名は賈、衛に仕える大夫。媚びるとは、親しみ順うこと。奥とは室の西南の隅をいう。日本風に言えば神棚を安置する場所。竈はかまど。これは竈のいわゆる火の用心の祭をするときのこと。まず祭主が竈の前に立って祭り、後にはその形代を迎え、奥に入れてこれをもてなす。竈はこの祭の主たる場所。奥は尊者の場所である。およそ人は願いがあるとき、貴人に媚び求めるよりも、時に当たって事を用いる者に媚び求めれば、その願いを得やすいということを、奥と竈に喩えたのである。王孫賈は衛の権臣であり、孔子が衛に来たら仕官を求められると思い、それならば君に取り縋るよりも自分に順い媚び願うほうがよかろうという意を、この言葉に込めて問いかけたのだ。

子曰( しの の玉わく)()(しから)(うるときは)(つみを)(てんに)(なし )(ところ)(いのる)也、

【書き下し】然らず、天に罪を獲るときは、祈る所無し、

【訳】先生が仰った。それは道理に叶っていない。人がもし罪を天に獲るときは、免れようと祈るところはない。奥も竈も救うことはできない。その優劣は論ずるまでもない。

【解釈】天の尊いのは類ないことである。何事も人に媚び求めることは、みな理に叶わず、天に背いて罪を獲ることだから、そのような言葉に惑わされないことだ。

14(54) 子曰周監於二代…

子曰( しの の玉わく)(しゅうは ) (かんがみて) 於二(だいを)郁郁乎( いく いく ことして) 文哉( ぶん なるかな)(われは ) (したがわん) (しゅうに)

【書き下し】子の曰く、周は二代を監みて、郁郁乎として文なるかな、吾は周に従わん、

【訳】先生が仰った。周は夏殷二代の制を見比べて、これを損益したが、その文化はとても盛んになった。私は周に従う。

【解説】文は文化といったこと。郁郁はその文化の盛んな様子、孔子はこれを誉めて従ったのだ。

15(55) 子入於大廟…

() (いりて)大廟( たい びょうに) (ごとに)(こと ) (とう )

【書き下し】子大廟に入りて事毎に問う、

【訳】先生が周公の廟に入ってあれこれ質問した。

【解説】大廟は魯の周公の廟。これは孔子が初めて魯に仕え、大廟に入って祭を補佐した時、器物や祭儀のことなどいろいろと質問したことをいう。

或曰(ある人の いわく)(たれか) (いうや)鄹人( すう ひとの)() (しれりと)(れいを)(いりて)大廟( たい びょうに)(ごとに)(こと ) (とう )

【書き下し】或る人の曰く、孰か鄹人の子を礼を知れりと謂うや、大廟に入りて事毎に問う、

【訳】ある人が言った。鄹人の子は礼をよく知っていると言ったのは誰か、大廟に入ったら、何も知らない様子であれこれ質問して来るぞ、

【解説】鄹は邑の名(序説では陬と表記)、古は邑を治める大夫を某邑人と云った。孔子の父叔梁紇は鄹邑の大夫だったので、孔子を鄹人の子と云った。これは若輩の者を称する言葉で、孔子は若かりし頃より礼を知っていたと云い聞こえがあったので、ある人が謗ったのである。

() (きいて)(これを ) (の玉わく )是禮( これ れいなり)也、

【書き下し】子之を聞いて曰く、是れ礼なり、

【訳】先生はこれを聞いて仰った。これこそが礼なのだ。

【解説】君の祭を補佐するときは、何事も先達に問い聞いて行うのは、謹み重んじるためである。これが礼の礼たるところ。したがって是礼なりとした。敬い謹むは礼の根本であって、知っていても問うのは謹みの至りである。或る人がこれを礼知らずと云うは、孔子を知らないからである。そもそも孔子が礼に詳しいとしても、初めて行うときには、何事も慎重に質問して再確認しなければ、失敗も有り得る。大事な役を仰せつかって失敗しないために最善を尽くすのが礼である。

16(56) 子曰射不主皮…

子曰( しの の玉わく)(しゃして ) (ざるは)(しゅとせ)(かわを)(ためなり)(ちから) (ざるが)(おなじくせ)(しなを)古之道(いにしえの  みちなり)也、

【書き下し】子の曰く、射して皮を主とせざるは、力科を同じくせざるが為なり、古之道也、

【訳】先生が仰った。礼射が皮を射貫くことを主としないのは、射手の力量や身体能力が人それぞれ違うからであって、それが古の道なのである。

【解説】これは礼射について述べたものである。弓矢の的は獣の皮で、軍事訓練の武射では、その的の皮を射貫くことが大事だった。古は皮で鎧を作ったので、皮を射貫けるか否かを以って武人は弓矢の腕を競ったのだ。しかし礼射はその射手の徳を觀るものなので、的に当たるか否かだけを主とし、皮を貫くか否かはどうでもよかった。皮を射貫くことを主としないのは、人の力は強弱みな同じではないからである。周が衰えて後、諸国に軍事行動が多くなり、みな武射を尊ぶようになった。皮を主としないのは、古の道なりと云って、今の失礼を嘆いてのことだ。力は力量、科は身体能力のこと。

17(57) 子貢欲去告朔之餼羊…

子貢( し こう ) (ほっす)(すてまく)告朔之( こく さく の ) 餼羊( き ようを)子曰( しの の玉わく)()(なんじ ) (おしむ)其羊( その ひつじを)(われは ) (おしむ)其禮( その れいを)

【書き下し】子貢告朔の餼羊を去まく欲す、子の曰く、賜、爾は其の羊を愛む、我は其の礼を愛む、

【訳】子貢が、今は告朔の礼がその本来を失い、羊を供えるだけのことになってしまったので、もう無駄だから廃止して欲しいと考えた。これに対して先生が仰った。賜(子貢の名)よ、君はその羊が惜しいのだろうが、私はこの礼が完全に廃れるのが惜しい。

【解説】告朔とは、毎月の朔=1日を祖廟に告げ祭り、その月に政治がするべきこと(礼記月令篇に記されたこと)を命令するもの。これを告朔の礼という。諸侯は毎年の末に、来年の暦を天子よりうけて、これを本国の祖廟に納め置き、各月の朔毎に廟に告げ、請い受けて、月令を行う。その牲に天子は牛を用い、諸侯は羊を用いる。餼羊とは、未だ殺さざる生贄の羊のこと。魯国では文公の時より、克朔の礼は廃れて行われなかった。しかるに有志がなおこの羊を供え置くので、子貢が今更無用ではないかとして、捨て去るべきだと考えた。これに対して孔子は、すでに廃れた礼だが、なお羊を供えていれば、いつかまた其の礼が復活することもある。もしその羊を供えることも辞めてしまえば、供え方もわからなくなり、この礼は完全に廃れてしまう。そのことを惜しむ。諸侯の告朔の礼はその重要な点が三つある。ひとつは正朔を奉ずることが天子を重んじることに通じる、二つ目は宗廟に告げることで祖考を重んじることになる、三つ目は月令を修めることで民衆の生活を重んじることになる、ことである。だから孔子はこの羊を供えることが廃れることを惜しんだのだ。礼が終わればその羊を殺して食べるのだろうが、お供えのために身動きできないように縛ることで羊にストレスがかかり、肉の味が落ちたのだろう。子貢としては、そんなことせずに普通に屠殺して食べたほうが美味しいのにもったいない……とでも思ったのだろうか。

18(58) 子曰事君盡禮…

子曰( しの の玉わく)(つかえて)(くんに ) (つくせば)(れいを)(ひと )(もって) ( なす )(へつらえりと)

【書き下し】子の曰く、君に事えて礼を尽くせば、人以って諂えりと為す、

【訳】先生が仰った。君に仕えるのに礼を尽くすと、礼を蔑ろにする風潮のために、諂っていると思われた。

【解説】この時代は下の者が驕り、上を軽んじて礼を失うことが多かった。そんな中、孔子ひとりが人臣の礼を尽くすのを見て、却って君に諂っていると謗られたのである。しかし上に仕えるのに、臣として当然の礼を尽くしていただけで、少しも諂うことはなかった。よって、その志を明かし、以って世の礼を失った状態を回復しようとしたのである。

19(59) 定公問…

定公問( てい こう とう )(くん ) 使(つかい)(しんを) (しん ) (つかえまつること)(くんに) 如之何( いかん )

【書き下し】定公問わく、君臣を使い臣君に事えまつること如何

【訳】定公が質問した。君が臣を使い、臣が君に事えまつるには、どうすればよいのでしょうか。

【解説】定公は魯の君、名は宋。

孔子( こう し )對曰(こたえて の玉わく)(くん )使(つかうに )(しんを ) (もってし)(れいを)(しん ) (つかえまつるに )(くんに ) (もってす )(ちゅうを)

【書き下し】孔子対えて曰く、君臣を使うに礼を以ってし、臣君に事えまつるに忠を以ってす、

【訳】孔子が答えて仰った。君が臣を使うには、臣の忠が足りないことを咎めるのではなく、自分の礼が至らないことを憂う。臣が君に事えまつるには、君の礼が足りないことを咎めるのではなく、自分の忠が至らないことを憂う。

【解説】これは君道臣節の当然のことであり、各々自らこれを尽くすより外はない。とにかく上の者も下の者も相手に文句を言う前に、自分に非がないかを憂うことが大事、ということ。

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最終更新日:令和02年10月26日 学易有丘会
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