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前の卦=04山水蒙 次の卦=06天水訟

05水天需 すいてんじゅ

「旧約聖書」天地創造2日目を構成する2卦(需・訟)のひとつ。詳細はコチラ。

 乾下(けんか)坎上(かんじょう)

八卦の(けん)の上に(かん)を重ねた形。

(じゅ)は待つという意。
乾を天とし坎を雲とすれば、雲が天に上った様子。
雲が天に上れば、必ずいつかは、雨となって降り下る。
したがって、そろそろ大地を潤す雨が降りそうなので、それを待っているときを表現していることになる。
だから需と名付けられた。
また、乾を進むとし、坎を川とすれば、進み行きて目の前に川がある様子。
川は、増水しているときに無理して渡れば事故にもつながる。
水の勢いが穏やかなときを待って渡るものである。
だから需と名付けられた。
また、乾を進とし、坎を険難とすれば、このまま進めば険難に陥る暗示となる。
そんなときは、一休みして、しばらく待つのが賢明である。
だから需と名付けられた。

 

卦辞(かじ) 〜彖辞(たんじ)とも言い、周の文王の作と伝わる。

(じゅは)(あれば )(まこと ) 元亨(おおいに とおる)(ただしくして ) (きちなり)(よろし )(わたるに )大川( たい せんを)

【書き下し】需は、孚有れば元いに亨る、貞しくして吉なり、大川を渉るに利ろし、

ここに、元いに亨る、というのは、今直ちにということでなはく、状況をよく判断し、焦らずに時を待って後に事を行えば、目的は達成できる、ということである。
しかし、孚のない者=言うなれば自己中心的な人は、ちょっと待つだけで退屈したりイライラして、無理にでも事を行おうとする。
そういうことでは、どんなに素晴しい事でも、失敗するものだ。
だから、孚有れば元いに亨るのであって、貞正を守り、時宜を見極めて事を行えば吉となるのだ。
そして、そういう孚の有る者ならば、川を渡るときも、慎重に水の勢いが穏やかなときを待って、安全に渉ろうとするから、どんな大きな川を渉るにも、利よろしいのである。

彖伝(たんでん) 彖伝は卦辞(彖辞)の解説で、孔子作と伝わる。

彖曰(たんに いわく)(じゅは)須也( まつ なり )(なやみ ) (あるなり )(まえに)也、剛健(ごう けんにして ) (しこうして) ()1ノ(おちいら)其義( その ぎ ) ()困竆( こん きゅうせ)矣、

【書き下し】彖に曰く、需は、須つなり、険み前に在るなり、剛健にしてして陥らず、其の義困窮せず、

需は須すなわち待つということ。
内卦の乾の性情は進むことだが、その進もうとする前には坎の険みがあるので進めない。
そんな時でも乾は純陽円満にして剛健勇力なので、よく自制忍耐の徳量が有り、無理に進んで険みを犯すことがなく、したがって坎の険みに陥ることもなく、その道の条理に困窮することもないのだ。

(じゅは)(あれば )(まこと ) 元亨(おおいに とおる)(ただしくして ) (きちなりとは)(くらいして)天位( てん いに )(もってなり ) 正中(せい ちゅうなるを)

【書き下し】需は孚有れば元いに亨る、貞しくして吉なりとは、天位に位して正中なるを以ってなり、

これより卦辞の解説であって、天位とは九五の君位を云い、正中とは「まあたり」といった意で、道の至極のところにあたるということ、すなわち九五の爻の徳を称えているのである。

(よろしとは ) (わたるに )大川( たい せんを)(することあれば ) (あるとなり)(こう )也、

【書き下し】大川を渉るに利ろしとは、往ることあれば功有るとなり、

およそ大川江海を渉ることは人命に係る大事なので、よく時を待って往くときには、危険もなく、成し遂げることができる。
往とはするべきことがあることを云い、この卦においては時を待ち得ることを指し、功有るとは渉り終えることを云うのであって、よく時を待って事を行えば成功が有ることを示し諭している。

 

象伝(しょう でん ) 卦の(しょう)=形の解説で、大象(たいしょう)とも呼ばれ、彖伝同様に孔子の作と伝わる。

象曰(しょうに いわく)(くも ) (のぼるは)(てんに)(じゅなり)君子( くん し ) (もって) 飮食( いん しょく) 宴樂( えん らくすべし)

【書き下し】雲天に上るは需なり、君子以って飲食宴楽す、

雲とは地気が上ることの名、雨とは天気が下ることの称であり、地気が上り、天気が下るという陰陽の気が交わり和して雨となるのだ。
しかし今、この卦は地気はすでに上って雲となっても、天気は未だこれに交わり和することがないので、単に雲とのみ云い、雨と云わないのだ。
としても、待っていれば、やがては天地の二気が交わり和して雨となるのだ。
君子ならば、この需と云う卦の象を観て、よく飲食して身を養い、酒宴して心を楽しませて、以って時を待てと諭しているのだ。

爻辞( こう じ ) 〜周公旦の作と伝わる。象曰以下は孔子の作と伝わる象伝。

上六━ ━
九五━━━
六四━ ━
九三━━━
九二━━━
初九━━━○

初九( しょ きゅうは)(まてり)(こうに)(よろし )(もちいて ) (つねあるに)( なし)(とが )

【書き下し】初九は、郊に需てり、用いて恒あるに利ろし、咎无し、

象曰(しょうに いわく)(まつとは)(こうに)(ざれよとなり )(おかし )(なんを ) (おこなわ)也、(よろし )(もちいて ) (つねあるに ) (なしとは)( とが )(いまだ/ざればなり ) (うしなわ )(つねを)也、

【書き下し】象に曰く、郊に需つとは、難を犯し行わなざれよとなり、用いて恒あるに利ろし咎无しとは、未だ常を失わざればなり、

需は待つという意の卦である。
内卦の乾の三陽剛は、その「進む」という意の卦爻の性情により、共に進もうとするのだが、進もうとする先には外卦の坎の険難があり、進めない。
したがって、今は進むのを堪え、進めるときが至るのを待つしかない。
その待つに当たっての、初爻、二爻、三爻と、外卦の坎の険難の卦との遠近をもって、各爻辞が書かれた。

初九は、坎の険難の水から最も遠い場所でなので、郊という。
郊とは広遠の地にして、水辺から遠いところを指す。
また易は、二爻から五爻までを域内とし、初と上を域外とするのだが、郊は郊外という言葉があるように、域外を指す文字でもある。
だから、郊に需てり、という。

初九は内卦乾の「進む」の卦の一体に在って、陽剛にして不中であり、今は需の待つときだとしても、妄りに軽々しく進もうと欲する情がある爻である。
もし、そのまま自重せずに進むときには、必ず応爻の六四の険難に陥る。
だから、これを制し戒めて、恒を用いるに利ろし、という。
恒とは変動しないことである。
今、初九は、よく恒を守り、妄りに進み動かなければ、険難に陥るという害を免れるので、咎もないのである。
だから、咎无し、という。
初九と六四は陰陽相応じていて、普通の応の関係は相助け合うものだが、この卦この爻は、助け合うのではなく、却って険難に陥らせて害そうとするのである。
これを害応という。

上六━ ━
九五━━━
六四━ ━
九三━━━
九二━━━○
初九━━━

九二(きゅう じは )( まつ)(すなに)(すこしく ) (あれども ) (いうこと)(おわりには ) (きちなり)

【書き下し】九二は、沙に需つ、小しく言うことあれども、終わりには吉なり、

象曰(しょうに いわく)(まつとは)(すなに)(たのしんで ) (あればなり ) (ちゅうに)也、(いえども ) (すこしく ) (ありと)1ノ(いうこと ) (もって )(きちを ) 終也(おわるとなり  )

【書き下し】象に曰く、沙に需つとは、衎しんで中に在ればなり、小しく言うこと有りと雖も吉を以って終わるとなり、

沙は郊に比べれば、やや水に近く、九二は初九よりひとつ坎の水の険難に近い。
だから、沙に需つ、という。
九二は、初九よりも坎の水の険難に近づいたわけだが、近づいたことで、少し傷みを被る可能性がある。
したがって、ちょっと忠告しておくのである。
だから、小しく言うことあれども、という。
しかし、そもそも九二の爻は、中の徳を得ているので、乾の進むの卦の体中に居るとしても、進むに専らではなく、よく時を待ち、災いに至らないようにする者である。
だから、最後には無事を得るので、終わりには吉なり、という。

上六━ ━
九五━━━
六四━ ━
九三━━━○
九二━━━
初九━━━

九三(きゅう さんは)( まつ)(ひじりこに)(いたす )(あだの ) (いたることを)

【書き下し】九三は、泥に需つ、寇の至ることを致す、

象曰(しょうに いわく)(まつとは)(ひじりこに)(わざわい ) (あればなり )(そとに)也、(より )(われ ) (いたすとは )(あだを)(うやまい ) (つつしめば ) (ざるとなり )(やぶれ)也、

【書き下し】象に曰く、泥に需つとは、災い外に在ればなり、我より寇を致すとは、敬い慎めば敗れざるとなり、

泥は水際の地であり、九三の爻は直ちに坎の水の険難に隣接しているので、その居場所は九二よりもひとつ危険である。
だから、泥に需つ、という。
寇とは、害が大きいことを言う。
九三は乾の進むの卦の極に居て、過剛不中である。
これは、進むことだけしか考えていない爻である。
しかも、僅かに一歩進んだだけで、忽ち六四の坎の険難に陥る場所であり、至極危険な爻である。
と言っても、その六四の害悪の寇は、向こうから来るわけではない。
すべて、九三が待ち切れずに、こちらから進んだときに、六四の寇を誘い来たすのである。
だから、寇の至ることを致す、という。
九三と六四は陰陽相比していて、普通の比の関係は相助け合うものだが、この卦この爻は、助け合うのではなく、初九と六四の害応のように、却って険難に陥らせて害そうとするのである。
これを害比という。
このようなときは、戦々兢々として薄き氷を踏み、深き淵に臨むが如くに敬い慎んで身を守ることであって、そうしていればこそ、例え千百の坎の険難災害に取り囲まれたとしても、これを如何ともすることができず、敗れることはないのである。

上六━ ━
九五━━━
六四━ ━○
九三━━━
九二━━━
初九━━━

六四( りく しは )( まつ)(ちに )( いず)(より )(あな )

【書き下し】六四は、血に需つ、穴自り出ず、

象曰(しょうに いわく)(まつとは)(ちに )(つつしんで ) (もって ) 聽也(きけばなり  )

【書き下し】象に曰く、血に需つとは、慎んで以って聴けばなり、

血とは、直ちに傷害を被る場所であることを指す。
六四はすでに坎の険難に陥り、傷害を被っている。
だから、血に需つ、という。
もとより六四は、陰柔不才にして、坎の険難を遁れ出るべき才力はない。
しかし、陰位に居る陰柔なので、その志は弱く、焦って動こうともせず、坎の穴の中で、時が過ぎるのを待っている者である。
待っていれば、いつか初九の陽剛が応じ来てくれる。
その初九の云うことを慎んで従い聴けば、六四を救い出してくれる。
だから、穴自り出ず、という。
穴とは険悪の地の喩えである。

ところで、初九のときは六四を害応としたが、この六四の爻を主体に観ると、初九は相助けてくれる応なのである。
このように易は、主体として観る爻の違いにより、相対する爻との関係も異なってくるのであって、これを見極めないと、判断を誤るのである。

上六━ ━
九五━━━○
六四━ ━
九三━━━
九二━━━
初九━━━

九五(きゅう ごは )( まつ)酒食( しゅ しょくに)(ただしくして ) (きちなり)

【書き下し】九五は、酒食に需つ、貞しくして吉なり、

象曰(しょうに いわく)酒食( しゅ しょく) 貞吉( てい きちとは)(もってなり )中正(ちゅう せいを)也、

【書き下し】象に曰く、酒食貞吉とは、中正を以ってなり、

酒は宴楽全般を指す。
食とは、身を養うことを指す。
九五は至尊の位置に在って剛健中正の徳はあるが、坎の険難の主爻でもある。
したがって、今は民衆に充分なことを施せない。
とすると、食を以って民を養い育て、酒を以って民を楽しませることが可能になるときを待つのが大事である。
だから、酒食に需つ、という。
そのときを待つのには、必ず貞正であることが大事である。
だから、貞しくして吉なり、という。

上六━ ━○
九五━━━
六四━ ━
九三━━━
九二━━━
初九━━━

上六(じょう りくは)(いれり)(あなに)( あり)(ざるの)(まねか)(きゃく)三人( さん にん ) (きたること)(けいすれば )(これを ) (おわりには ) (きちなり)

【書き下し】上六は、穴に入れり、速かざる客、三人来たること有り、之を敬すれば終りには吉なり、

象曰(しょうに いわく)(ざるの)(まねか)(きゃく ) (きたる)(けいすれば )(これを ) (おわりに ) (きちとは)(いえども)( ずと)(あたら)(くらい)(いまだ/ざればなり ) (おおいに ) (うしなわ)

【書き下し】象に曰く、速かざるの客来る、之を敬すれば終わりに吉とは、位当たらずと雖も、未だ大いに失わざればなり、

上六は坎の険難の極に陥り居て、不中にして重陰である。
重陰とは、陰位に陰が居ることを言う。
だから、穴に入れり、という。
穴とは坎の険難のことである。
しかし上六は、需の全卦の終わりである。
需のときの義は、そろそろ尽きようとしている。
したがって、内卦の乾の三陽剛が、そのときを待ち得て進み来るのも近い。
だから、速かざる客三人来たること有り、という。

上六は重陰不中にして、坎の険難の極に陥って、陰弱にして自力で出ることができないが、幸いに九三に応じている。
その九三は今、応じているので、時を得て進み来て、これを救い出す。
もとより初九と九二とは上六の爻の応でも比でもないが、初二三は共に内卦乾の一体なので、九三が応として進み来て助ければ、初と二も共に連なり進んで相助けるのである。
したがって、上六はこの三人を敬すれば、終りには坎の険難から脱出できるのである。
だから、之を敬すれば終わりに吉、という。
このように内卦の乾の三陽爻が来たって救い助けることは、本来ならば九五の君位の爻に有るべきところだが、九五は陽爻なので九二九五と応じ難く、かつ九五の時には未だ需の時は尽きないので、内卦乾が進み来ることは時を犯す険み障りがある。
しかし今、上六に至っては陰爻なので相応じ、かつ需の時もすでに終わろうとしているので、九五の君位には当たらないが、内卦乾の三陽爻に助け出されて、大いに失うこともないのである。

前の卦=04山水蒙 次の卦=06天水訟

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01.乾為天 02.坤為地 03.水雷屯 04.山水蒙 05.水天需 06.天水訟 07.地水師 08.水地比 09.風天小畜 10.天沢履 11.地天泰 12.天地否 13.天火同人 14.火天大有 15.地山謙 16.雷地予 17.沢雷随 18.山風蠱 19.地沢臨 20.風地観 21.火雷噬嗑 22.山火賁 23.山地剥 24.地雷復 25.天雷无妄 26.山天大畜 27.山雷頤 28.沢風大過 29.坎為水 30.離為火 

31.沢山咸 32.雷風恒 33.天山遯 34.雷天大壮 35.火地晋 36.地火明夷 37.風火家人 38.火沢睽 39.水山蹇 40.雷水解 41.山沢損 42.風雷益 43.沢天夬 44.天風姤 45.沢地萃 46.地風升 47.沢水困 48.水風井 49.沢火革 50.火風鼎 51.震為雷 52.艮為山 53.風山漸 54.雷沢帰妹 55.雷火豊 56.火山旅 57.巽為風 58.兌為沢 59.風水渙 60.水沢節 61.風沢中孚 62.雷山小過 63.水火既済 64.火水未済

ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては易学入門をご覧ください。
また、六十四卦それぞれの初心者向け解説は無料易占いのページをご覧ください。
占いながら各卦の意味がわかるようになっています。

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最終更新日:令和04年03月20日 学易有丘会
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