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前の卦=17沢雷随 次の卦=19地沢臨

18山風蠱 さんぷうこ

 

 巽下(そんか)艮上(ごんじょう)

八卦の(そん)の上に、(ごん)を重ねた形。

()は、腐敗・壊乱・淫溺・惑乱といった意。
この卦は、巽を長女とし、艮を少男とすれば、長女が少男に先立ち、長女の色情をもって少男を媚い惑わす様子となる。
だから、蠱と名付けられた。
また、巽風をもって艮山を粛殺(しゅくさつ)(=秋の厳しい風で草木を枯らすこと)する様子である。
だから、蠱と名付けられた。
また、上卦の艮を止める、下卦の巽を服従とすれば、上の恵みが止まって下に及ばず、下は巽従に過ぎて佞媚に流れる様子となる。
このようでは、国家は必ず壊乱する。
だから、蠱と名付けられた。
また、艮は一陽が上に在り二陰が下に居て、巽は二陽が上に在り一陰が下に居るわけだが、これでは上下共に陰陽交わらず、陰陽交わらなければ、必ずや物事は壊れる。
また、艮は一陽が上に止まり、巽は一陰が下伏せている形だが、これでは剛柔交わることがなく、剛柔交わらなければ、必ず物事は壊れる。
だから、蠱と名付けられた。
また、巽を臭いとし気とし、艮を止めるとし覆う蓋とすれば、蓋で覆った中に臭気が発生している様子となる。
臭気が発生すれば、必ず腐敗して虫=蟲が生じる。
だから、蠱と名付けられた。
蠱は皿の上に蟲がたかっている様子の文字である。
また、交代生卦法によれば、元は地天泰から来たとする。
地天泰の初九の陽が上に往き、上るに過ぎて不中の高き極みの上爻に居り、上六の陰が下り来て、下るに過ぎて不中の最下の底の初爻に居る形である。
これでは陰陽交わらず壊れを生じる。
だから、蠱と名付けられた。

 

卦辞(かじ) 〜彖辞(たんじ)とも言い、周の文王の作と伝わる。

(こは )元亨(おおいに とおる)(よろし)(わたるに)大川( たい せんを)(さきだつこと)(こうに) 三日( みっ か )(おくれること)(こうに) 三日( みっ か )

【書き下し】蠱は、元いに亨る、大川を渉るに利ろし、甲に先だつこと三日、甲に後れること三日、

この卦は敗壊(やぶれ)の意であり、そんなときに元いに亨ることはない。
しかし、だからと言って、敗壊を放っておくわけにはいかない。
折りを見て、いつかは修復する必要がある。
としても、修復するには、そのことについて深い知識と技能が必要である。
要するに、その蠱の敗れたことについて、元いに亨通している必要があり、そういう人物であればこそ、敗壊を修復可能なのである。
だから、蠱は元いに亨る、という。
例えば、パソコンが壊れたとき、パソコンのことをよく知らなければ、修理に出すしかないが、パソコンに精通していれば、自分でどこが壊れたかを調べ、部品を取替えて直せるのと、同じことである。

また、巽を従うとし艮を止めるとすれば、従って止まる様子である。
大きな川を渡るときは、人命に係わる大事であり、逆を慎み順を尚ぶことが第一である。
無理せず時に従って止まり、風、波、水嵩の利ろしきを得て渡れば、過失も少ない。
だから、大川を渉るに利ろし、という。

また、(こう)(きのえ)は十干の始めである。
だから、甲の日を事の始めとする。
甲に先立つこと三日は(しん)(かのと)の日であり、辛は新と同音同義である。
甲に後れること三日は(てい)(ひのと)であり、丁は丁寧の義である。
壊れ極まって、今これを修復する道は、先ず既往の敗壊の原因を悉く改めて新しくし、改新した以後は丁寧に扱い、再び壊れないようにしないといけない。
だから、甲に先だつこと三日、甲に後れること三日という。

彖伝(たんでん) 彖伝は卦辞(彖辞)の解説で、孔子作と伝わる。

彖曰(たんに いわく)(こは )剛上( ごう のぼって)(しこうして ) 柔下(じゅう くだり)(したがって ) (しこうして ) (とどまるは)(こなり)

【書き下し】彖に曰く、蠱は、剛上って、而して柔下り、巽って而して止るは、蠱なり、

まずは交代生卦法で解釈する。
地天泰の時は天下泰平にして、四海は静謐に、国富み財豊かな至治の世だが、その治世泰平の極には必ず驕泰傲惰の疾い生じ来たって、その国家を苦しめ悩ますことがある。
今この卦は、地天泰の初九の一陽剛が高く驕って上卦の極に上り、上六の一因は媚びを献じ諂いを進めて最下の初爻に下った形である。
これは、陽は上るに過ぎ、陰は下るに過ぎて、陰陽交わらず、上下の情意が遥かに隔たり、敗れや壊れを為すことである。
また、上は高く卦の極に止まって仁沢が下に下らず、下は卑下巽与を事して忠諌(ちゅうかん)直言など聞く耳を持たない。
このような時には、上は驕りて下は諂い、君臣互いに欺き、上下こもごも盗み合い、国家敗壊の兆しだということから、この卦を蠱と名付けられたのである。

(やぶれのときにあたって)(おおいに ) (とおるべしとは)(しこうしてのちに) 天下( てん か ) 治也(おさまるべければなり)

【書き下し】蠱のときにあたって、元いに亨るべしとは、而してのちに天下治まるべければなり、

蠱は敗壊の時の卦であり、その敗壊を修理し、その擾乱(じょうらん)を復治するには、文武兼ね備わる大才力があってその事の前後終始を貫通する明智有る者が、しかる後に治に復するの功を得られるのである。
その治に復するの功が成ることが、天下治まるということである。

(よろしとは ) (わたるに )大川( たい せんを)(ゆきて ) (あるなり )(こと )也、

【書き下し】大川を渉るに利ろしとは、往きて事有るなり、

内卦の巽と外卦の艮の、従って止まるという義を守るときには、大川を渉るが如くの大険難の事に遇うとも過失なく、終にはその事の功を遂げられるのである。
これは水天需彖伝の「利渉大川、往有功也」と同義であって、ここで功に代えて事の字を用いたのは上文の天下治の治との叶韻(きょういん)(中国古典の用字法)によるまでのことである。

(さきだつこと) (こうに) 三日( みっ か )(おくれること)(こうに) 三日( みっ か )(おわれば ) (すなわち ) (あるは )(はじまること)(てんの ) 行也(みちなればなり )

【書き下し】甲に先だつこと三日、甲に後れること三日、終れば則ち始まること有るは、天の行なればなり、

天行也とは天道也という義である。
終わるとは敗壊の義、始まるとは修復の義である。
天地の道は敗れも極まれば必ず修復し、乱も極まれば必ず治復するものである。

 

象伝(しょう でん ) 卦の(しょう)=形の解説で、大象(たいしょう)とも呼ばれ、彖伝同様に孔子の作と伝わる。

象曰(しょうに いわく)山下(やまの したに ) (あるは )(かぜ )(こなり)君子( くん し ) (もって ) (ふるい )(たみを ) (いくすべし )(とくを)

【書き下し】象に曰く、山の下に風有るは、蠱なり、君子以って民を振い徳を育べし、

今、蠱の敗乱のときに当たって、これを治め修復しようとするならば、まずはそれまでの天下の風俗だったところの古き垢、旧弊を振るい去ってこれを一新することである。
そうして一振りした後に、民が正しく明らかなる道に趣くように、徳を養い育てるべきであると教えている。

爻辞( こう じ ) 〜周公旦の作と伝わる。象曰以下は孔子の作と伝わる象伝。

上九━━━
六五━ ━
六四━ ━
九三━━━
九二━━━
初六━ ━○

初六( しょ りくは)(かんたり )(ちちの)(やぶれに)(あれば)()(なきちちも ) (まぬがる)(とがを)(あやうけれども ) (おわりには ) (きちなり)

【書き下し】初六は、父の蠱れに幹たり、子有れば、考=亡父も咎をまぬがる、獅ッれども終りには吉なり、

象曰(しょうに いわく)(かんたりとは )(ちちの)(やぶれに)() (うければなり) (なきちちを)也、

【書き下し】象に曰く、父の蠱れに幹たりとは、意考を承ければなり、

幹とは木の幹のことにして、枝葉花実はこの幹の力ひとつで維持されているのである。
したがって、よくその任に堪え、その事を行う義とする。
今、蠱のときに当たり、初六は子にして、父の蠱=失敗を後から修復する者である。
初六は陰爻なので、その性質柔弱にして才力不足ではあるが、幸いに蠱の初めに当たるので、その敗れは未だ大きくはない。
したがって、陰柔であっても、その任に堪えられるのである。
だから、父の蠱れに幹たり、という。
およそ、事の大小となく、失敗するときは、何らかの咎が有るものである。
しかし、よく蠱れに幹たる子が有れば、その父親が失敗して命を落としても、その後を修復して治め補い繕い、亡き父もその咎を免れることを得るのである。
しかし子がいないときは、誰もなかなかその失敗を修復してはくれないので、その咎は永く消えることがないものである。 だから、子有れば、考も咎をまぬがる、という。
考とは亡父のことを指す。
この爻は蠱の初六なので、その失敗は浅く小さいものだが、同時に初六は陰柔なので、これを修復して治めるには艱難労苦するので、獅ウもある。
しかし、怠慢なくよく務める時には、終りには成功を得て吉となるものである。
だから、獅ッれど終りには吉なり、という。

上九━━━
六五━ ━
六四━ ━
九三━━━
九二━━━○
初六━ ━

九二(きゅう じは )(かんたり )(ははの)(やぶれに)(ざるべし)(べから)(かたくす)

【書き下し】九二は、母の蠱れに幹たり、貞くす可からざるべし、

象曰(しょうに いわく)(かんたりとは )(ははの)(やぶれに)(えればなり)中道(ちゅう どうを)也、

【書き下し】象に曰く、母の蠱れに幹たりとは、中道を得ればなり、

母とは六五の爻を指して言う。
今、蠱のときにして、九二の子は剛中の才徳によって中道を得て、六五の母に相応じている。
これは、九二の剛中の子が六五の母に仕えて孝行している象義である。
ところがこの母は、寡母=未亡人であることをよいことに、蠱惑壊乱を好む傾向があり、その室に安んじていない。
それをこの子は、よく修めるのである。
だから、母の蠱れに幹たり、という。
母に蠱惑壊乱の行いがあるときに、子としてこれを諌めないのは大義を害することではあるが、強いて諌めるときには愛を損ない親しみを失うものである。
とすると、強行に意見したり行動を規制するのではなく、しばらくは従容として恭敬と親愛を以って接し、自然に感じ化して、自ら改めるように持って行くしかない。
未亡人となり、心の拠り所を失った寂しさは計り知れないものがある。
恭敬と親愛を込め、時間をかけて少しずつ諌めるしかないだろう。
だから、貞くす不可べし、という。
この場合の貞は、正論に固執して強く眉を顰めて何が何でも早急に諌めようとすることを指す。

上九━━━
六五━ ━
六四━ ━
九三━━━○
九二━━━
初六━ ━

九三(きゅう さんは)(かんたり )(ちちの)(やぶれに)(すこしく ) (あれども)(くい )( なし )大咎(だいなる とがは)

【書き下し】九三は、父の蠱れに幹たり、小しく悔有れども、大なる咎は无し、

象曰(しょうに いわく)(かんたりとは )(ちちの)(やぶれに)(おわりに ) (なきとなり )(とが )也、

【書き下し】象に曰く、父の蠱れに幹たりとは、終わりに咎无きとなり、

九三もまた子である。
陽剛の才が有り、よく父の失敗した後を修める者である。
だから、父の蠱れに幹たり、という。
ただ、九三は剛に過ぎているので、ややもすれば物事をやり過ぎてしまう傾向がある。
したがって、やり過ぎが多少問題を生じ、少し悔いが残る。
としても、陽剛なので、全体としては、終にはよく失敗を建て直し修め得るので、大なる咎には至らないのである。
だから、小しく悔有れども、大なる咎は无し、という。

上九━━━
六五━ ━
六四━ ━○
九三━━━
九二━━━
初六━ ━

六四( りく しは )(ゆるめり )(ちちの)(やぶれに)(なすこと) ( らる )(いやしめ)

【書き下し】六四は、父の蠱れに裕めり、往すこと吝しめらる、

象曰(しょうに いわく)(ゆるめりとは )(ちちの)(やぶれに)(なすこと ) (いまだ/ざればなり)()也、

【書き下し】象に曰く、父の蠱れに裕めりとは、往すこと未だ得ざればなり、

六四は陰柔不才にして、父の蠱を見ながらも、これを修復することに緩慢怠惰で、いつまでも修復をなし得ないでいる者である。
だから、父の蠱れに裕めり、という。
子としてその父の失敗を修復しないで放置して平然としていれば、不孝の子として、何処に往き何をするにしても、軽蔑されるものである。
だから、往すこと吝しめらる、という。

上九━━━
六五━ ━○
六四━ ━
九三━━━
九二━━━
初六━ ━

六五( りく ごは )(かんたり )(ちちの)(やぶれに)(もちいて ) (ほまれあり)

【書き下し】六五は、父の蠱れに幹たり、用いて誉れあり、

象曰(しょうに いわく)(かんたり )(ちちに ) (もちいて ) (ほまれありとは)(うくるに ) (もってすればなり)(とくを)也、

【書き下し】象に曰く、父に幹たり用いて誉れありとは、承くるに徳を以ってすればなり、

六五は君であるが、同時に先君の子であり、柔中の徳が有り、九二剛中の賢臣と陰陽正しく応じている。
したがって、よく九二剛中の賢者を用いてこれに委ね任せて、己が徳を輔弼せしめ、以って父=先君の失敗の後を修復して治める者である。
だから、父の蠱れに幹たり、用いて誉あり、という。

上九━━━○
六五━ ━
六四━ ━
九三━━━
九二━━━
初六━ ━

上九(じょう きゅうは)()(つかえ)王矦( おう こうに)( こう)()(しょうにす) 其事( その ことを)

【書き下し】上九は、王侯に事えず、其の事を高尚にす、

象曰(しょうに いわく)(ずとは)(つかえ)王矦( おう こうに)(こころざし ) (べきとなり ) (のっとる)也、

【書き下し】象に曰く、王侯に事えずとは、志則る可きとなり、

上九は蠱の卦の終わりである。
蠱の壊乱は、初六の無位庶人の爻よりして六五の君位の爻に至って、天下国家の大小上下の事、既に修復して、今は平らかに治まったときである。
上九の爻にては、もはや修復するべきところの蠱れはない。
そもそも上九の爻は、陽剛にして才力が有るとともに全卦の極に居るので、乱を撥(はら)い、業を修めるところの大力量大手段を具えた爻であり、天下は壊乱し、百姓は塗炭に堕ちて水火に苦しんでいた。
その億兆の痛悩を傍観するに忍びなく、初より五に至るまでの撥乱修治のときに当たっては、その才力を発揮して天下の壊乱を修め、災厄を祓い救ったのである。
そして今、すでに五の君位の爻に及びて、天下の蠱敗も悉く修復され、人々は富貴栄達の恩賞を受けるときに至ったのである。
しかし上九は、不中不正であるとともに、ニ五君臣の外の高く卦極に艮(とど)まり居るので、平時の治世には疎い者である。
要するに、平時治世の富貴の中での仕官は不得手なのである。
とすると、自らの短所をよく省みて、富貴安楽の封禄は辞して仕えるべきではない。
仕えれば失態もあり、せっかく壊乱を救い修めた功績も色褪せることになろう。
したがって、褒美にあずからず、急流勇退し、功を遂げて身は退き、天の道に順がい則り、王侯にも仕えず、その事跡を高尚なものにするのがよい。
だから、王侯に事えず、其の事を高尚にす、という。

前の卦=17沢雷随 次の卦=19地沢臨

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01.乾為天 02.坤為地 03.水雷屯 04.山水蒙 05.水天需 06.天水訟 07.地水師 08.水地比 09.風天小畜 10.天沢履 11.地天泰 12.天地否 13.天火同人 14.火天大有 15.地山謙 16.雷地予 17.沢雷随 18.山風蠱 19.地沢臨 20.風地観 21.火雷噬嗑 22.山火賁 23.山地剥 24.地雷復 25.天雷无妄 26.山天大畜 27.山雷頤 28.沢風大過 29.坎為水 30.離為火 

31.沢山咸 32.雷風恒 33.天山遯 34.雷天大壮 35.火地晋 36.地火明夷 37.風火家人 38.火沢睽 39.水山蹇 40.雷水解 41.山沢損 42.風雷益 43.沢天夬 44.天風姤 45.沢地萃 46.地風升 47.沢水困 48.水風井 49.沢火革 50.火風鼎 51.震為雷 52.艮為山 53.風山漸 54.雷沢帰妹 55.雷火豊 56.火山旅 57.巽為風 58.兌為沢 59.風水渙 60.水沢節 61.風沢中孚 62.雷山小過 63.水火既済 64.火水未済

ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては易学入門をご覧ください。
また、六十四卦それぞれの初心者向け解説は無料易占いのページをご覧ください。
占いながら各卦の意味がわかるようになっています。

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最終更新日:令和04年04月03日 学易有丘会
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