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前の卦=26山天大畜 次の卦=28沢風大過

27山雷頤 さんらいい

 

 震下(しんか)艮上(ごんじょう)

八卦の(しん)の上に、(ごん)を重ねた形。

()は、おとがい、上顎と下顎、すなわち口のこと、JIS字体では頤。
この卦は、最上最下は陽、中間の四本は陰なので、外実内虚であって口の形とする。
また、最上最下の陽を上顎下顎とし、中間の四陰を歯が列なっている形とする。
また、下顎は震にして動き、上顎は艮にして止まるという意があるわけだが、これこそ口の機能である。
口は上顎は止まり、下顎が動くことで、食物を咀嚼するものである。
だから頤と名付けられた。
また、生物は口から食物を摂取し、自らを養い生きるものである。
だから頤には、養うという意もある。

 

卦辞(かじ) 〜彖辞(たんじ)とも言い、周の文王の作と伝わる。

(いは )(ただしくして ) (きちなり)( みて )(いを )(みずから ) (もとむべし)口實( こう じつを)

【書き下し】頤は、貞くして吉なり、頤を観て、自ら口実を求むべし、

この卦は、頤口の形であり、口は生物を養うための大事な器官であり、人命と深く関係するところである。
したがって、その意義は至って重く、至って大なるものである。
だからこそ、最も正しく慎むべきところである。
しかし、口は誰しもが日々用いるところであのことから、得てしていい加減に扱ってしまう。
その結果、ヘンなモノを食べて食中毒を起したりもする。
だから、正しく扱わなければいけないのであって、貞くして吉、という。
正しくなければ凶になる。

さて、口から入るところのものは飲食である。
飲食は正しくしないと、食中毒など、とんでもないことになるわけだが、口から出るものも同時に正しくしなければいけない。
口から出るものというのは、言葉である。
人間関係を円滑にするためには、不用意な言葉は慎まなければいけない。
したがって、頤の作用をよく観て、飲食と言語の二つを、よく慎んで節にし正しくして、以って身を養い、徳を養うことが大事なのである。
これは、正実を尚び、利貞を守ることであって、君子ならば、自らの裁量で、口にするべきか否かを判断し、正実を求めるべきなのである。
だから、頤を観て自ら口実を求むべし、という。

彖伝(たんでん) 彖伝は卦辞(彖辞)の解説で、孔子作と伝わる。

彖曰(たんに いわく)( いは )(ただしくして ) (きちなりとは)(やしなうこと ) (ただしければ)(すなわち ) 吉也(きちなるとなり )

【書き下し】彖に曰く、頤は、貞しくして吉なりとは、養うこと正しければ、則ち吉なるとなり、

頤とは飲食頤養の道にして、身命を養い徳性を養うことであって、これを用いることが正しければ則ち身と徳とを養って吉の道となる。
しかしもし、正しくないときは、却って忽ちに身も徳も共に傷害することにして、その境界は、第一に用いることの正しきと正しからざるとにある。
したがってこれを戒めて、養うこと正しければ則ち吉なりと云う。

(みるとは)(いを )(みるなり)( その ) (ところを)1ノ(やしなう)也、(みずから ) (もとむべしとは)口實( こう じつを)(みるなり)( その ) (みずから ) (やしなうことを)也、

【書き下し】頤を観るとは、其の養う所を観るなり、自ら口実を求むべしとは、其の自ら養うことを観るなり、

頤を観るとは、頤の卦の象を観ることであって、その養うところの人の賢不肖は如何、道の正不正は如何と、よ自らく省察し、正を養い徳を養うことが大事なのである。

天地( てん ちは ) (やしない)萬物( ばん ぶつを)聖人( せい じん ) (やしない)(けんを)(もって ) (およぼす)萬民( ばん みんに)(いの )(とき ) 大矣(おおいなるかな)哉、

【書き下し】天地は万物を養い、聖人は賢を養い、以って万民に及ぼす、頤の時、大いなるかな、

およそ養うということの正しく大いなることは、天地が万物を養うことより大なることはない。
また人事においては、聖人が賢者を養うことより大なることはない。
聖人は天下の億兆の君師たる者にして天子の称であり、賢とは賢徳の義にして、聖人が賢者を養い起用して天下億兆の民衆を養育教化することで、天下は治まるのである。
このことから、頤養の道は広大至極だという思いを込めて、頤の時、大いなるかな、と賛嘆する。

 

象伝(しょう でん ) 卦の(しょう)=形の解説で、大象(たいしょう)とも呼ばれ、彖伝同様に孔子の作と伝わる。

象曰(しょうに いわく)山下(やまの したに) (あるは)(かみなり)(いなり)君子( くん し ) (もって ) (つつしみ)言語( げん ごを )(せつにす)飲食( いん しょくを)

【書き下し】象に曰く、山の下に雷有るは頤なり、君子以って言語を慎み飲食を節にす、

八卦の象で云えば山の下に雷がある形が頤だが、上卦の山は艮にして止まり、下卦の雷は震にして動くだが、上は止まり下は動くものと云えば頤すなわち口の作用である。
したがって君子ならば、この頤口の作用の様子を観て、その口より出る言語をよく慎み、以って身を守り徳を積むべきであると共に、その口より入るところの飲食の節度を適切にして、身を養い徳を養うべきである、と教える。

爻辞( こう じ ) 〜周公旦の作と伝わる。象曰以下は孔子の作と伝わる象伝。

上九━━━
六五━ ━
六四━ ━
六三━ ━
六二━ ━
初九━━━○

初九( しょ きゅうは)(すてて)(なんじの) 靈龜( れい きを )( みて )(われを) ( たる )(おとがいを)(きょうなり)

【書き下し】初九は、爾の霊亀を舎てて、我を観て頤を朶る、凶なり、

象曰(しょうに いわく)( みて )(われを ) (たるとは) (おとがいを)(また ) (ざるなり)( たら )(たっとぶに)也、

【書き下し】象に曰く、我を観て頤を朶るとは、亦、貴ぶに足らざるなり、

爾とは初九を指して言う。
我とは六四の爻からの言葉である。
この爻の辞は、六四の爻から初九に告げる形式になっている。
およそ爻の辞の中に、我と爾という言葉が並んであるのは、風沢中孚の九二の辞と、この山雷頤の初九だけである。
そして、この爻も中孚の九二も、ともにその応爻から告げている言葉である。

さて、亀というものは、至霊至奇にして、食を貪らず、犯し求めることも少なく、よく未然の吉凶を知り、北方玄武の神の象形四霊の一瑞として、自らよく養うところの徳が有る者である。
この頤の卦は、頤養の象なので、人を養う義と、人に養われる義との二途を兼ね具えている。
初九と上九とのニ陽剛は、陽実富盛にして人を養うところの者とし、ニ三四五の四陰爻は、陰虚貧乏にして人に養われるところの者とする。
もとより初九は、剛実にして、自らよく養うところの霊亀の徳が有るところの爻なのだが、その自己固有の剛実自養の徳を捨てて、却ってその応爻の六四陰虚の貧乏者に向かって養いを乞い求めている。
本来であれば貴ぶべき霊亀の徳がこのようであっては、とても貴ぶことはできない。
これによって六四の応爻は、初九に忠告する。
爾初九は霊亀の徳を具えていながら、自ら養うことを捨て、我六四陰虚の応爻の方を観て、頤を朶れ、口を開いて養いを乞い求めるが、それは鄙吝恥辱の至りのはずではないか?
陽剛にして自ら養うに足りる才能を有しながら、却って養いを陰爻に乞い求めるのは、自身の情欲に負け、天稟陽正の守りを失うことであって、凶である。
だから、爾の霊亀を舍てて、我を観て頤を朶る、凶なり、という。

上九━━━
六五━ ━
六四━ ━
六三━ ━
六二━ ━○
初九━━━

六二( りく じは )(さかしまに ) (やしなわれんとす)(もとれり)(つねに)(おいて )(おかに ) (やしなわれんとす)(ゆくは ) (きょうなり)

【書き下し】六二は、顛に頤われんとす、経に払れり、邱に于いて頤われんとす、征くは凶なり、

象曰(しょうに いわく)六二( りく じの ) (ゆくは ) (きょうなりとは)(ゆくは) (しつ ) 類也(るいなればなり)

【書き下し】象に曰く、六二の往くは凶なりとは、行くは失類なればなり、

邱とは、上九の爻を指す。
今、頤養の時に当たって、六二の爻は陰虚なので、養いを初九の陽剛に比し求める。
しかし養いの道は、上より下に施し恵むのを常経とし、六二は上に在り、初九は下に居る。
これでは、上より下に施し恵む義に反し、却って転倒(さかしま)に養われようとしていることになる。
これば常経に悖ることである。
だから、顛に頤われんとす、経に払れり、という。
言を待たずとも、これは凶である。
そこで六四は、養いを上九の陽剛に求めようとする。
これなら、上下の常経の義にも、陰虚より陽実に求めるの義にも反しない。
しかし、上九の爻は、六二の応爻の位ではないので、六二を同類として養う筋合いではない。
したがって、上九のところへ行っても、軽蔑の意を込めて失類だと罵られ、門前払いされるだけで、これも凶である。
だから、邱に于いて頤われんとす、往くは凶なり、という。
このように、上にも下にも、六二を養ってくれる者はいないのであって、養いを他に求めず、己の中正の道を守り、自ら勉め励むしかないのである。

上九━━━
六五━ ━
六四━ ━
六三━ ━○
六二━ ━
初九━━━

六三( りく さんは)(もとれり ) (やしないに)(かたくすれば ) (きょうなり)十年(じゅう ねんも ) (なかれ )(もちいること)( なし )(ところ )(よろしき)

【書き下し】六三は、頤いに払れり、貞くするは凶なり、十年も用いること勿れ、利ろしき攸无し、

象曰(しょうに いわく)十年(じゅう ねんまで ) (なかれとは ) (もちいること)(おおいに ) 悖也(もとればなり )

【書き下し】象に曰く、十年まで用いること勿れとは、大いに悖ればなり、

今、頤養の時に当たっては、各自それぞれに口実を求めている。
口実とは、自分を養うための、正しい実のことで、食料も徳も含まれる。
この六三の爻は、陰柔不才不中不正にして内卦震動の卦の極に居るので、人事に在っては不中不正の志行にして、貧欲で目先の利益のためには妄りに動き騒ぎ、常経の務めには陰弱なるを以って怠けて養いを他人に乞い求める様子である。
これは、身を養うの正道に悖れる者である。
だから、頤いに払れり、という。
このように六三は、頤養の正道に悖り、自ら口実を求める大義にも背いているのであって、このような態度は早く悔い改めるべきである。
それでも何も気にせず、尚も強いて養われることを乞い求めるのであれば、それは耳を伏せ、尾を垂れて、人の顔色を覗い、憐れみを乞い求めるわけであって、鄙吝(ひりん)醜態の極みにして不義、破廉恥の至りであり、大いに悖ることである。
だから、貞くするは凶なり、という。
こんなことをいくらしていても、結局は何も得られないものである。
だから、大いに永く警めて、十年も用いること勿れ、利ろしき攸无し、という。

なお、六三は上九と陰陽正しく応じていて、六三は陰虚貧乏の爻、上九は陽実富豪の爻、六三は下に居り、上九は上位に在る。
とすると、上九に養いを求めても、問題はないようにも思える。
確かに、陰柔貧虚ながらも平素は真面目に務めているのが、ある日突然災害に遭ったり、病気や事故などで急な出費があるときは、求めてもかもわない。
しかし六三は、陰柔の嗜欲が深く、内卦の極に居るので、贅沢が甚だしく、他人を侮り、勝つことを好む反面、仕事はいい加減で、一攫千金の夢を見ているような、言わば遊び人である。
上九に求めているのは、その遊ぶ金である。
したがって、上九に養いを求めるのは大問題だと言っているのである。
そもそも他人に遊ぶ金を無心するのは、とんでもないことである。

上九━━━
六五━ ━
六四━ ━○
六三━ ━
六二━ ━
初九━━━

六四( りく しは )(さかしまに ) (やしなわる)(きちなり)(とらの ) (みるがごとく ) 眈眈(たん たんとして)其欲( その よく ) 逐逐(ちく ちくたれば)( なし)(とが )

【書き下し】六四は、顛に頤わる、吉なり、虎の視るがごとく眈々として、其の欲逐逐たれば、咎无し、

象曰(しょうに いわく)(さかしまに ) (やしなわるの)(きちなりとは)上施(うえの ほどこし ) 光也(おおいなるなり )

【書き下し】象に曰く、顛に頤わるの吉ななりとは、上の施し光いなるなり、

頤養の時に当たって、六四は柔正にして、初九剛正の賢者の爻と陰陽相応じている。
だから、顛に頤わる、という。
六四は執政大臣の位に居るわけだが、陰柔にして才力に乏しいので、そんな己を憂い、賢者を得て、以って政事を輔佐させて、国家を治めようと欲する。
初九は最下に居る卑夫の爻だが、陽剛にして正位を得ているので賢徳な者である。
そこで六四は、下に在る賢者の初九に降り服して政事の輔佐をさせようと欲する。
これが顛に頤われる内容であって、顛であってもこのようであれば上の徳の施しが光大だから、咎は無く、むしろ却って吉なのである。
だから、吉なり、という。
そもそも六四大臣の爻の、その不足とするところは、陰柔であるがゆえに威重を失っていることである。
その対策としては、まず、下に在る賢者を求め得て、国家の政事を輔佐させ、六四自身は沈黙荘重にすることで執政大臣の威厳を高くする。
その上で、虎が眈々として物を視るように、近くを視る如くでありながらその志は遠くに在るという大度の器量を弘大にし、その養うところは逐逐として篤実重厚にする。
そうすることで、庶民はよく服し化し、至治の善政となるのである。
だから、虎の視るがごとく眈々として、其の欲逐逐たれば、咎无し、という。
ちなみに四字熟語「虎視眈々」の原典がこれである。
逐逐とは、逃さないでしつこく追いかけること。
其の欲とは、私欲利欲の類ではなく、志弘く賢者を得て、自身の才力不足を補い、徳を養い、民を服させて、国家の至治を願い望むという欲を言う。

上九━━━
六五━ ━○
六四━ ━
六三━ ━
六二━ ━
初九━━━

六五( りく ごは )(もとれり )(つねに)(おれば )(つねに ) (きちなり)()(べから)(わたる)大川( たい せんを)

【書き下し】六五は、経に払れり、貞に居れば吉なり、大川を渉る可からず、

象曰(しょうに いわく)(おるの)(つねに)(きちなりとは)(じゅんにして ) (もって ) (したがえばなり )(うえに)也、

【書き下し】象に曰く、貞に居るの吉なりとは、順にして以って上に従えばなり、

そもそも人君の任は、広く遍く万民を撫育教化するに在る。
そこで、民の父母と形容される。
ことさらこれを天子と称するのは、天を父として仰ぎ戴き、その天の父の道に遵い則り、下は万民を子として撫育教化するという義があるからである。
その余の公侯たる国君や諸々の民の上たるところの者は、みなこれに準じ倣うべきこと勿論である。
しかし今、この六五の君は、頤養の時に当たって、自家が陰虚なので、遍く万民を養うことができず、却って養いを上九陽剛の賢者に求める。
だから、経に払れり、という。
経とは君道の常道大経を言う。
さて、この卦は頤養の象義であるわけだが、全卦中にてただ初九と上九の爻のみが、陽剛富実である。
そこで、この初上の両陽剛はよく人を養う才徳が有るものとする。
したがって、時の勢いは、自然にこの両陽剛に属す。
これに対して、六五の君の爻は、中を得ているとしても、陰柔なので威福は薄い。
しかも、その君徳を輔弼するべきところのニと四との両大臣も共に陰弱なので、その任に堪えられず、共に初九の陽剛に比し応じ、頼ってしまう。
その結果六五の君は、陰弱孤立となり、その勢いはqく、その志も確かなものではなく、ややもすれば変動する恐れが有る。
もしこの時に、君の志がひとたび変動するときには、忽ち君の位を喪うことも憂慮される。
とすれば、一に貞常の道を守って、固く動かないことが良策である。
しかし、幸いにも、六五の君は上九の賢者が比爻である。
専らこの上九に順い従って、以って常を守って動かなければ、これは吉の道である。
だから、貞に居れば吉なり、という。
また、六五は上卦艮の止まるの卦の一体中に居るので、止まることに執着し、思い切って進み行くようなことは不可能である。
このような心構えでは、大きな川を渡るのは無理である。
だから、大川を渉る可からず、という。

かつて、東京の隅田川は大川(おおかわ)とも呼ばれたが、ここで言う大川は、黄河のようなとんでもない大きな川のことである。
古代には、そんな黄河のような大きな川を渡るのは、一大決心がいることだった。
橋もなければ、船も安定性が悪く、転覆の恐れがある。
したがって、易ではよく、大事業の比喩として、大川を渉る、という言葉が使われる。

上九━━━○
六五━ ━
六四━ ━
六三━ ━
六二━ ━
初九━━━

上九(じょう きゅうは)(よって ) (やしなわる)(あやうけれども ) (きちなり)(よろし)(わたるに)大川( たい せんを)

【書き下し】上九は、由って頤わる、獅、けれども吉なり、大川を渉るに利ろし、

象曰(しょうに いわく)(よって ) (やしなわる)(あやうけれども ) (きちなりとは)(おおいに ) (あるとなり ) (よろこび)也、

【書き下し】象に曰く、由って頤わる、獅、けれども吉なりとは、大いに慶び有るとなり、

この卦はニ奇四偶にして、初九と上九の両爻が陽明実富を以って、中爻の四陰柔貧虚の者を養う様子である。
ニ奇四偶というのは、ニ陽四陰ということを言い換えたもので、奇は奇数、偶は偶数のことであり、陽は奇数、陰は偶数ということから、そう言うのである。
さて、初上両陽剛の中でも、下に居る者は養いを致すにも自然にその力を為し難く、上に在る者はその勢いでよく人を養うことを為すものである。
これは、その位と虚と勢との定理必然である。
したがって、衆陰はみなこの上九に由って養われることになるのである。
だから、由って頤わる、という。
この上九は成卦の主であり、爻に在っては上九が人を養う主である。
由の字は、成卦の主爻の辞に使われる字である。
雷地予の九四の由予と同様である。
上九は遍く人を養うので、その任は重く、その責は深い。
任が重く、責が深いのは、危険なことでもある。
しかし、人を養う大道大義であるので、その任を果たすことは大きな慶びであって、終りには吉となることを得るものである。
だから、獅ッれども吉なり、という。
また、六五の爻は、艮の止まるの卦の体中に居て、進むことができなかったので、大川を渉る不可、とあったわけだが、今この上爻に至っては、艮の塞がりも忽ちに変じて、開通するときである。
だから、大川を渉るに利ろし、という。

前の卦=26山天大畜 次の卦=28沢風大過

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01.乾為天 02.坤為地 03.水雷屯 04.山水蒙 05.水天需 06.天水訟 07.地水師 08.水地比 09.風天小畜 10.天沢履 11.地天泰 12.天地否 13.天火同人 14.火天大有 15.地山謙 16.雷地予 17.沢雷随 18.山風蠱 19.地沢臨 20.風地観 21.火雷噬嗑 22.山火賁 23.山地剥 24.地雷復 25.天雷无妄 26.山天大畜 27.山雷頤 28.沢風大過 29.坎為水 30.離為火 

31.沢山咸 32.雷風恒 33.天山遯 34.雷天大壮 35.火地晋 36.地火明夷 37.風火家人 38.火沢睽 39.水山蹇 40.雷水解 41.山沢損 42.風雷益 43.沢天夬 44.天風姤 45.沢地萃 46.地風升 47.沢水困 48.水風井 49.沢火革 50.火風鼎 51.震為雷 52.艮為山 53.風山漸 54.雷沢帰妹 55.雷火豊 56.火山旅 57.巽為風 58.兌為沢 59.風水渙 60.水沢節 61.風沢中孚 62.雷山小過 63.水火既済 64.火水未済

ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては易学入門をご覧ください。
また、六十四卦それぞれの初心者向け解説は無料易占いのページをご覧ください。
占いながら各卦の意味がわかるようになっています。

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最終更新日:令和04年04月03日 学易有丘会
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