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前の卦=43沢天夬 次の卦=45沢地萃

44天風姤 てんぷうこう

 

 巽下(そんか)乾上(けんじょう)

八卦の(そん)の上に、(けん)を重ねた形。

(こう)()うという意。
この卦は十二消長のひとつにして、純陽の乾為天の中へ、忽然と一陰がやって来て、上の五陽と出遇った形である。
だから姤と名付けられた。
また、天の下に風がある様子。
風は、天の下を吹き行くとき、万物に触れ遇う。
だから姤と名付けられた。

なお、姤の字は、女と后の組み合わせだが、后は午後を午后とも書くように、通常は後とか次といった意である。
皇后というのは、天皇や皇帝に次ぐ位であって、皇の次という意である。
この卦は陰が陽に出遇った形であり、陰を女性、陽を男性とすれば、男性たちの一番後ろに女性がいることになる。
女性が後=后、したがって、姤なのである。
また、男性ばかりの中に入り込んで平然としているのであるから、この女性はとても強い力を持っているのであって、女傑とも言えよう。
さらに后の字は、伝説の帝王である黄帝のことを、その本名を用いて軒后(けんこう)とも呼ぶように、帝王を指す場合もある。
したがって女+后の姤は、単に力の強い女性というだけではなく、女帝あるいは女王といった権力の座に就いている女性をも指しているのである。

 

卦辞(かじ) 〜彖辞(たんじ)とも言い、周の文王の作と伝わる。

(こうは)(おんな ) (さかんなり)(なかれ )(もちいること ) (めとるに ) (おんなを)

【書き下し】姤は、女壮んなり、女を取に用いること勿れ、

この卦は陰陽が相遇う様子なので、女を娶ることをテーマにしている。
卦全体から観れば、巽は長女だから、年齢が壮んな様子である。
また、一陰爻について言えば、今は最下にいる一陰にして微弱でも、その意念には、五陽剛をも消し上げる勢いを含んでいる。
だから、女壮んなり、という。
また、一陰の女性をもって、五陽の男性に相遇うのは、不貞淫行の壮んな者である。
そんな女性と結婚したら、どうなることやら・・・。
だから、女を取るに用いる勿れ、という。

そもそも陰は、陽よりも能力的に劣るもの。
しかし、十二消長で言えば、純陽の乾為天の最下に、一陰がもぐりこんで、この天風姤となっている。
非力な一陰が陽ばかりの中にもぐり込むのは、容易ではない。
とすると何かの偶然で、たまたま入り込んだようなものである。
だから姤には、遇う=偶然に会う、という意味がある。
しかし、陽の中にちゃっかり入りこんでしまうのは、普通の陰にはできない。
例えば、普通の女性は、男性ばかりの中に迷い込んだら、そそくさと出て行くではないか。
しかしこの陰の女性は、その男性ばかりの中の一番うしろの位置ではあるが、ちゃっかり自分の場所にしてしまい、自分がこの卦の主役=成卦主に収まってさえいる。
とすると、とてつもない行動力があり、何やら妖しい狙いもありそうだ。
そんなことをするのは、例えば、色仕掛けで男性を誘惑し、その組織を自分の思い通りにしようとする、といったような、いわゆる悪女だ。
こんな女の言うことを聞いて、鼻の下を伸ばして、ホイホイ言いなりに結婚でもしたら、どんな災難が待ち構えていることか・・・。
だから、女壮んなり、女を取るに用いること勿れ、と戒めているのでもある。

彖伝(たんでん) 彖伝は卦辞(彖辞)の解説で、孔子作と伝わる。

彖曰(たんに いわく)(こうは)(あうなり)也、(じゅう ) (あうなり )(ごうに)也、

【書き下し】彖に曰く、姤は、遇うなり、柔剛に遇うなり、

姤は遇うなりというのは、思いがけず出遇ったという義である。
一陰柔の女子が五陽剛の男子に遇う様子であって、これは不貞淫行の壮んな者という義である。

(なかれとは )(もちいること ) (めとるに ) (おんなを)(ざれとなり )(べから )(ともに ) (ちょうぜしむ)也、

【書き下し】女を取るに用いること勿れとは、与に長ぜしむ可ざれとなり、

初六の一陰は最下に居るわけだが、これは卑賎微弱の者だが、その根底には、いつか五陽剛を剥し尽くそうという思いがある。
これは姦邪の壮んな者であり、誘いに乗って増長させてはいけない者であり、したがって娶ってはいけないのである。

天地( てん ち ) 相遇( あい あいて)品物( ひん ぶつ ) (ことごとく ) 章也(あきらかなり )( ごう ) (あいて)中正(ちゅう せいに)也、天下( てん か ) (おおいに ) 行也(おこなわれるなり)(こうの)時義(ときの ぎ )大矣(おおいなるかな)哉、

【書き下し】天地相遇いて、品物咸く章かなり、剛中正に遇いて、天下大いに行われるなり、姤の時の義、大いなるかな、

天地陰陽の二気も、交わり和せざればその功用を施し生ずることはできない。
今、忽然として柔が剛に相遇うわけだが、これを天地の相遇うということで云えば、陰陽相出遇い、相交わりてこそ、品物の事理は咸く章かになるものである。
また君臣の相遇うについて云えば、九五陽剛の聖主と九二陽剛の賢臣が共に剛中の徳才があって相出遇い相交わりてこそ、天下の道はよく大いに行われるのである。
とすれば、姤の相遇うという時の道の条理は、なんと偉大なことであろうか。

 

象伝(しょう でん ) 卦の(しょう)=形の解説で、大象(たいしょう)とも呼ばれ、彖伝同様に孔子の作と伝わる。

象曰(しょうに いわく)天下(てんの したに ) (あるは)(かぜ )(こうなり)后以( きみ もって ) (ほどこし )(めいを)(つぐる)四方( し ほうに)

【書き下し】象に曰く、天の下に風有るは、姤なり、后以って命を施し、四方に誥ぐる、

天の下に風が有るというのは、風が天の下を行くことと同じことで、風が天の下を行く時には、風は万物に触れ遇うものであり、だからこの卦を姤と云うのである。
また、乾を君とし、巽を命令とすれば、乾為天の純陽の君徳が盛んに在ることにより、忽ち下に向かって一陰の口を開き、盛徳仁政の命令を布き施して、風教風化を大いに天下に宣べ施すという義である。
したがって、后以って命を施し、四方に誥ぐると云うのである。
なお后の字は、後には専ら皇后を指す字になったが、そもそもは君主のことを指す字だったのである。

爻辞( こう じ ) 〜周公旦の作と伝わる。象曰以下は孔子の作と伝わる象伝。

上九━━━
九五━━━
九四━━━
九三━━━
九二━━━
初六━ ━○

初六( しょ りくは)(つながるべし)金柅( きん じに )(ただしくして ) (きちなり)(あらば)(ところ)( なす ) (あわん)(きょうに)羸豕( るい し )(まことに ) 蹢躅(てき しょくたり)

【書き下し】初六は、金柅に繋がるべし、貞しくして吉なり、往す攸有らば凶に見わん、羸豕、孚に蹢躅たり、

象曰(しょうに いわく)(つながるべしとは)金柅( きん じに )柔道(じゅうの みちは ) 牽也(ひかるべければなり)

【書き下し】象に曰く、金柅に繋がるべしとは、柔の道は牽かるべければなり、

この爻の辞は、三節に分かれている。
まず、初めより貞吉までを一節とする。
金とは陽剛の喩え、柅とは糸を紡ぎ巻く道具のことであり、金柅で九二を指す。
さて、九二の金柅に依りかかるべき者は初六にして、これは陰柔の糸である。
小人が君子に仕えることや、妻が夫に仕えることは、糸が柅に巻きつくときのように、陰柔は牽かれ順い仕えることを道とする。
九二陽剛は金柅であり、初六陰柔は糸である。
したがって、初六が柔順の道を以って、固く九二の金柅に繋がり巻きつき、よく貞正を守る時は、吉の道である。
だから、金柅に繋がるべし、貞しくして吉なり、という。
要するに、この一節は、初六の陰柔の小人なり妻なり糸なりが、九二の君子なり夫なり金柅なりに柔順に仕え従うべきことを教えているのである。

続く見凶までの一節は、君子に教え戒める辞である。
この卦は、陰が(すす)み長じて陽を消し尽くす時の始まりである。
陰が長じて陽が消されることは、五陽の君子の消害されることであり、君子にとっては凶である。
だから、往す攸有らば凶に見わん、という。
往す攸とは、陰が浸むことを言う。
陰が浸むことあれば、陽の君子にとっては凶である、ということ。
要するにこの一節は、初六の陰爻を、今はたったの一本だと侮らず、深く怖れるべきことを示しているのである。

末段の一節は、陰邪小人の利害をいう。
羸とは疲れて弱々しいといった意、豕(いのこ=猪の子)は汚く躁がしく劣った動物にして初六の小人に喩える。
初六は一陰柔で微弱なので、羸豕=疲れて弱々しい豕、という。
孚は、それに違いないことを言う。
蹢躅とは、無節操に飛び跳ねることであって、その勢いが強壮であることを言う。
初六の豕は、今は疲れているかのように弱々しく見えるが、いつかは浸み長じて元気一杯蹢躅として飛び跳ねるに違いない。
だから、羸豕孚に蹢躅たり、という。
これは、今は至って微弱な初六の一陰であっても、放置していれば、ついには大害を引き起こす、という喩えであって、君子はそうならないよう、しっかり防御の備えをせよ、と、深く警鐘しているのである。

上九━━━
九五━━━
九四━━━
九三━━━
九二━━━○
初六━ ━

九二(きゅう じは )(つとに) ( あり)(さかな)( なし)(とが )()(よろしから) (ひんにも)

【書き下し】九二は、包に魚有り、咎无し、賓にも利ろしからず、

象曰(しょうに いわく)(つとに ) (ありとは )(さかな)(ぎとして ) (ざれよとなり ) (およぼさ )(ひんに)也、

【書き下し】象に曰く、包に魚有りとは、義として賓に及ぼさざれよとなり、

魚は陰物にして初六の象である。
包とは、九二が初六の魚を包み置くという義である。
魚は美味な物にして、小人が佞言甘語を以って媚び諂うことに喩えている。
これは、沢天夬の九五の辞に、上六の小人の佞媚を山羊に譬えているのと同類である。
そもそも小人が姦邪な佞語甘言を以って美味しそうな魚を勧めるとしても、君子がよく自ら守って、その包みは開かず食べないときには、その毒に遇い、禍いに陥ることはない。
今、九二は剛中の徳を以って、その魚を食べず、包まれたままにして置く。
だから、包に魚有り、咎无し、という。
もし、初六の小人を比し親しみ、その魚を食うときには、忽ちに災害の毒を受けることになるのである。
このような小人の陰邪な媚び諂いの魚は、自分が食べないだけではなく、上四陽の君子の賓客にも勧めるべきでなく、義としてもそんなことをしてはいけないのである。
だから、賓にも利ろしからず、という。

上九━━━
九五━━━
九四━━━
九三━━━○
九二━━━
初六━ ━

九三(きゅう さんは)(いさらいに) ( なし)(にく )其行( その ゆくこと) 次且( し しょたらば)(あやうけれども) ( なし)大咎(だいなる とがは)

【書き下し】九三は、臀に膚无し、其の行くこと次且たらば、獅ッれども大なる咎は无し、

象曰(しょうに いわく)其行( その ゆくこと) 次且( し しょとは)(ゆけども ) (いまだ/ざればなり )(ひかれ)也、

【書き下し】象に曰く、其の行くこと次且とは、行けども未だ牽かれざればなり、

この卦は初六のみが陰なので、他の五陽爻は共にこの初六の一陰を求める。
そこで、落ち着いてその場に居られない。
まるで、臀部に膚肉がなく、座っているのが痛くて、すぐに立ち上がってしまうように。
だから、臀いに膚无し、という。
しかし九三は、初六と応でもなければ比でもないので、行き求める筋合いではなく、行っても初六が九三に牽かれ親しむようなことはあろうはずがなく、行こうとしても容易には行けず、無理して行こうとすれば危険でもある。
このまま諦めれば、多少の気迷いはあったとしても、大きく咎められることはない。
だから、其の行くこと次且たらば、獅ッれども大なる咎は无し、という。
次且とは、やりたいけどできない、といった意。

なお、臀无膚、其行次且は、沢天夬の九四と同じであり、この部分の詳解は沢天夬の爻辞の書いているので、ここでは省略する。
ちなみに、この天風姤は、沢天夬を上下転倒させた卦であって、天風姤の九三は、逆方向から見ると沢天夬の九四なのである。
このような関係があると、爻辞に同じ言葉を共有する場合があるのである。

上九━━━
九五━━━
九四━━━○
九三━━━
九二━━━
初六━ ━

九四(きゅう しは )(つとに) ( なし)(さかな)(おこす )(きょうを)

【書き下し】九四は、包に魚无し、凶を起こす、

象曰(しょうに いわく) (なきの) (さかな) (きょうとは) (とおざかればなり) (たみに) 也、

【書き下し】象に曰く、魚无きの凶とは、民に遠ざかればなり、

魚は初六の一陰を指す。
九二の辞には、包有魚とあるが、これは初六の魚を食べずに、包の中にそのままにしてあることである。
この九四の場合は、その包の中の初六の魚を食べてしまったのである。
九二は初六の比爻にして、九四は応爻なので、共に小人と親しくする接点がある。
それなのに、なぜ、食べる食べないの違いがあるのか。
それは、九二は剛中の徳が有るので、それが陰邪な媚び諂いによることだと察知し、君子ならば食べるべきではないと考えて止まり、この九四は不中正だから、深く考えずに食べてしまうのである。
初六の小人から魚を貰っても、そのまま手を付けず食べなければ問題ないが、食べてしまえば、魚の毒に当たり、小人の害を被るのである。
だから、包に魚无し、凶を起こす、という。
初六の陰邪な魚を食べることで、自ら凶を起こす、という戒めである。

そもそも九四は執政の大臣の位であり、これは君徳を輔け、陰陽を調和せさ、善政を布き、徳化を施して、天下の民に仁沢の恩雨を施すのがその職分であり任務であり、その心術行義は一に公明正大、無私無邪を以って道とするものである。
しかし今、この九四の宰相は不中正なるを以って、忽ちに初六の魚の包みを破ってこれを食べてしまうわけだが、これは姦曲佞邪の小人の甘言巧語を喜び食らうことである。
九四が自分から凶を起こして小人の魚の毒に当たってしまうだけならまだよいが、宰相大臣が毒に当たるのは、自身一人の痛み悩みではなく、天下万民が共に皆、その毒に苦痛悩乱することである。
例えば、邪な企みで近寄って来た小人からの贈り物を喜び、その見返りに民の思いを遠ざけて、その小人に有利な法律を作り、その法律のおかげで民が苦しむことになり、民の心も遠ざかり、国内に不穏な空気が流れる危険がある、ということである。

上九━━━
九五━━━○
九四━━━
九三━━━
九二━━━
初六━ ━

九五(きゅう ごは )(もって)(きを ) (つつめり)(うりを)(ふくむべし )(あやを)( あり )(おつること)( より )(てん )

【書き下し】九五は、杞を以って瓜を包めり、章を含むべし、天より隕ること有り、

象曰(しょうに いわく)九五(きゅう ごは )(ふくめりとは )(あやを)(ちゅう ) 正也(せいなればなり )(ありとは ) (おつること)( より )(てん )(こころざし)(ざるなり)( すて )(めいを)也、

【書き下し】象に曰く、九五は、章を含めりとは、中正なればなり、天より隕ること有りとは、志、命を舎てざるなり、

杞とは、瓜を包み入れる容器である。
瓜は初六を指す。
瓜は味わい甘美な物にして、小人が佞語を以って媚び諂うに喩える。
九五の君は剛健中正にして、初六小人は種々の甘言、媚びた態度を以って瓜を献上するが、その瓜を包みのまま放置して食べない。
だから、杞を以って瓜を包めり、という。
もとよりこの卦は、陰が陽を消し、小人が君子を害するときが来たことを示す卦である。
そういう時運なので、何事の改革や、事業を始め興すにしても、利ろしくない。
したがって、自己の章(魅力)をも内に含んで発露せず、当面は旧徳を守り、時勢を計り考え、小人を抑え斥けることに全力を傾けるべきなのである。
だから、章を含むべし、という。

さて、この天風姤の卦は沢天夬の転倒卦にして、今、初六の一陰は、沢天夬の上爻の天の位より、この天風姤の初爻の地の位に隕ちて来たという象である。
だから、天より隕ること有り、という。
その初六は今、無位卑下の一陰微弱なる者だとしても、なおよく畏れ戒めて、九五は志を堅持し、よく天命を守り慎んで捨て置かないことである。

上九━━━○
九五━━━
九四━━━
九三━━━
九二━━━
初六━ ━

上九(じょう きゅうは)(こうのとき) 其角( それ つのなり)(りんなれども) ( なし)(とが )

【書き下し】上九は、姤のとき其れ角なり、吝なれども咎无し、

象曰(しょうに いわく)(こうのとき) ( それ ) (つのなりとは)(うえに ) (きゅうして ) (はずかしとなり)

【書き下し】象に曰く、姤のとき其れ角なりとは、上に窮して吝しとなり、

角は、剛強の喩えにして、上九の象である。
今は姤の出遇うという時にして、五陽が共に一陰を求め遇おうとしている。
これは、陰陽の定情である。
ただ、独り上九は、卦の極に窮まって居るので、初六に応も比もないのは勿論だが、その居り処も初六から至って遠く、その姿は見えもせず、声も聞こえない。
したがって、初六に遇おうと求める気持ちはない。
また、上九の爻は、二五君臣の外に居るわけだが、それは郊外の鄙びたところに居て、世情に無関心な者である。
その郊外に居て世俗に無関心な様子を喩えて、角という。
角は、頭から突き出ていて、そこは痛みも痒みも感じない。
このように世情に疎いのは吝ではあるが、そうであるからこそ、初六の一陰の害に交わるという咎もないのである。
だから、姤のとき其れ角なり、吝なれども咎无し、という。

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ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては易学入門をご覧ください。
また、六十四卦それぞれの初心者向け解説は無料易占いのページをご覧ください。
占いながら各卦の意味がわかるようになっています。

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最終更新日:令和04年04月03日 学易有丘会
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