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前の卦=41山沢損 次の卦=43沢天夬

42風雷益 ふうらいえき

 

 震下(しんか)巽上(そんじょう)

八卦の(しん)の上に、(そん)を重ねた形。

(えき)は、()す、増加する、といった意。
交代生卦法によれば、もとは天地否より来たものとする。
天地否の九四が来たって初に居り、初六が往きて四に居るのが、この風雷益である。
これは上を損(へら)して下を益(ま)す様子である。
だから益と名付けられた。

しかし、山沢損同様に、これも全体から観れば剛柔の交代のみであって、損益はない。
それなのに、ことさら益という。
それは、国家経済を以って喩えれば、上君主の驕りを減らして、下万民を賑わし恵むときは、その国は大いに富むものである。
また、内卦を自分、外卦を相手とすれば、外を減らして内に益し、相手を減らして自分に益す様子である。
また、草木を以って言えば、上の枝葉を透かし減らし、その枝葉を肥料として下の根元に撒くときは、その草木は大きく育つものである。
また、家屋をもって言えば、上の棟木を減らして下の柱を益すときには、その建物は強固にして、倒壊の危険は少なくなり、安全性が益す。
したがって、これらの様子から、ことさらに、益と名付けられた。

また、交代生卦法に従って言えば、天地否の初往き四来るは天地陰陽の二気が上り下って相交わることである。
陰陽の二気が交わるときは、必ずよく雨を成す。
坤地はその雨を承(う)けて、震巽の草木を生じるものである。
天地の草木百物を発生養育するのは、益の根本である。
だから益と名付ける。

また、震を動くとし、巽を従うとすれば、これは自分が動いて相手が従う様子である。
自分が動いて相手が従うときには、互いに相助け益すことになる。
だから益と名付けられた。
また、震を長男とし男とし、巽を長女とし女とすれば、長男長女すなわち男女が相交わり相助け益す様子であり、そうであれば子孫は繁栄するものである。
だから益と名付けられた。

しかし、風も雷も形のないものであり、常に動いているものであり、損益のものである(乾の最下の陽を損したのが巽、坤の最下に陽を益したのが震である)。
雷は陽の気の動きであり、風は陰の気の動きである。
そもそも陰陽は、相助けて益すものである。
雷が奮えばそれに呼応して風が怒り、風が烈しいときは雷が呼応して轟く。
これは雷と風が相助け合って益している様子である。
だから益と名付けられた。

なお、風雷相助け益すことから益と名付けられたのなら、雷風恒もまた雷風の組み合わせだが、こちらはなぜ、益とは名付けなかったのか。
それは、震雷は陽気にして上に属し、巽風は陰気にして下に属すからである。
雷風恒は上に属す震雷が上、下に属す巽風が下にあるが、これは恒常の位置であり、従って恒と名付けられた。
そもそも陰陽は交わるを以って用をなし、交わらなければ用をなさない。
天地否は、天地の位置が正しいので陰陽が交わらないわけだが、それと同じことである。
震雷も下にあればこそ上に昇り、巽風も上にあればこそ下に降りて、上下陰陽の気が交わり益を生むのである。

また、天地水火の四卦にも、損益の意があるべきではないか、なぜ山沢と雷風の四卦に限って損益と名付けられたのか、という疑問もあるだろう。
これは、山沢が地にある損益のものであるとともに、風雷が天にある損益の現象だからである。
したがって、山沢風雷の四卦について、損益の道を見出したのである。
これを天地否の交代生卦法によって話せば次のようになる。
乾天は上に位置し、坤地は下に位置する。
初六が上って四に居るのは、地の気の上昇であり、九四が下って初に来るは天の気の下降である。
要するに、地の気が昇って風となり、天の気が下って雷となるのであって、天地の気が交わって風雷を生じ、風雷が相交わって草木百物を生じるのである。
したがって、天地間にある物は、皆この風雷二気の相益す作用によっての産物なのである。
だから、山沢雷風の四卦をもって、損益の卦とされたのである。

 

卦辞(かじ) 〜彖辞(たんじ)とも言い、周の文王の作と伝わる。

(えきは)(よろし)(あるに)(ところ)( ゆく )(よろし)(わたるに)大川( たい せんを)

【書き下し】益は、往く攸有るに利ろし、大川を渉るに利ろし、

往く攸とは、おこなうことを言い、この卦では、上を損らして下に益すことを指す。
また、この卦は二五共に中正を得て、君臣相益す様子である。
だから、往く攸有るに利ろし、という。
また、大川を渉るときには、木製の舟とその舟を操る(かじ)が必要だが、巽も震も木とする卦であり、その木は舟と楫として利用するものである。
また、巽を従う、震を動くとして、従って動く様子とし、巽を風とし従うとし、震を舟とし動くとすれば、震巽二木の舟が風に従って動き行く様子である。
だから、大川を渉るに利ろし、という。

彖伝(たんでん) 彖伝は卦辞(彖辞)の解説で、孔子作と伝わる。

彖曰(たんに いわく)(えきは)(へらして)(うえを) ( ます)(したに)(たみの ) (よろこぶこと) ( なし)(かぎり)( より)(うえ ) (くだる)(したに)其道(その みち ) 大光(おおいに てれり)

【書き下し】彖に曰く、益は、上を損らして下に益す、民の説ぶこと疆り无し、上より下に下る、其の道、大いに光れり、

交代生卦法によると、この卦は天地否から来たものである。
天地否の九四の陽剛を損らして初爻に益したのがこの風雷益の卦であって、これが上を損らして下に益すということである。
これは上の驕りを省き、雑費を損らして、その仁沢を下の万民に下し布き施すことであって、そうすれば民は限りなく悦ぶ。
このようであれば君徳は最上にして、道に於いても徳に於いても、大きく光り輝く。

(よろしとは) (あるに)(ところ)( ゆく )(ちゅう ) (せいにして ) (あるなり ) (よろこび)(よろしとは) (わたるに)大川( たい せんを)木道( もく どう ) () (おこなわるるなり)

【書き下し】往く攸有るに利ろしとは、中正にして慶び有るなり、大川を渉るに利ろしとは、木道乃行わるるなり、

中正とは、九五の君と六二の臣が共にそれぞれ中正を得て相助け益す関係にあることを云い、これにより君臣上下が相慶び相賀するのである。
およそ江海大川等を渉るには、水に浮かべる舟とその舟を制御する楫が必要だが、この卦は震と巽の二つの木を利用することを示してもいて、その木を利用することを木道というのである。

(えきは)(うごいて ) (しこうして ) (したがう)日進(ひに すすむこと) ( なし)(かぎり)天施(てん ほどこし) 地生( ち なす )其益( その ますこと) ( なし)(ほう )(およそ) (えきの)(みち )()(とき ) (ともに ) (おこなわる)

【書き下し】益は、動いて而して巽う、日に進むこと疆り无し、天施し、地生す、其の益すこと方无し、凡そ益の道、時と偕に行わる、

ここで云う動くとは震雷陽気の発動にして、巽うとは巽風陰気の流行である。この風雷の二気の升降によって万物発生の道が日夜に進み益すことに限りがない。
天施すとは、天の徳は始めることを主り、雨露の潤沢、国土に布き施すことであって、これは天気の下降であり、天地否の交代生卦法にては、乾の九四の一陽剛を損らし下して坤の陰虚を賑わし益すことである。
人事で云えば、君上の驕りを損らして下民に施し益すことである。
地生すとは、地の徳は承けることを主り、草木百物を生育することであって、これは地気の上升であり、天地否の交代生卦法にては、初六の一陰が上って上卦乾の陽実の命に承け順うことである。
これは下民の力をその業に労して国事に服従する義であり、この如くなる時には、国は富み、民は豊かにして、君位は上に益し、風化は下に益すことになる。
したがって、その益すことに限(=方)りがないのである。
益すぺき時に当たればこれを益すのが益の道であって、時に応じて行われるべきことである。

 

象伝(しょう でん ) 卦の(しょう)=形の解説で、大象(たいしょう)とも呼ばれ、彖伝同様に孔子の作と伝わる。

象曰(しょうに いわく)風雷( ふう らいは)(えきなり)君子( くん し ) (もって ) (みれば )(ぜんを ) (すなわち ) (うつり)(あれば )(あやまち ) (すなわち ) (あらたむ)

【書き下し】象に曰く、風雷は、益なり、君子以って善を見れば、則ち遷り、過ち有れば、則ち改む、

風雷は二気の発行升降にして、損益は道の進退取り回しである。
したがって君子はこの卦の象を観て、以って、善を見ることがあれば、励んで進み取って自らに益し、過失があれば速やかに改革変更してこれを除き去るべきである、と教える。

爻辞( こう じ ) 〜周公旦の作と伝わる。象曰以下は孔子の作と伝わる象伝。

上九━━━
九五━━━
六四━ ━
六三━ ━
六二━ ━
初九━━━○

初九( しょ きゅうは)(よろし )(もちいて ) (なすに)大作( たい さくを)元吉( げん きちなり)( なし)(とが )

【書き下し】初九は、用いて大作を為すに利ろし、元吉なり、咎无し、

象曰(しょうに いわく)元吉( げん きちなり ) (なしとは)(とが )(した ) (もってなり ) (あつくするを )(ことを)也、

【書き下し】象に曰く、元吉咎无しとは、下、事を厚くするを以ってなり、

今、下を益すという時に当たって、初九は陽剛の才徳が有り、正を得て、なおかつ成卦の主爻にして、内卦震の主である。
さて、下を益すというにも二途が有る。
ひとつは、家毎に食料や金銭を配布することである。
しかし、こんなことは、無尽蔵の財でもなければ、継続的に続けられるものではない。
したがって、こういうことを以って、下を益すとは言えない。
本当に下を益すと言えることは、例えば水害対策をしたり、新しい農法や技術を導入したりといったように、民が生活し働くことを支える事業すなわち基本的な環境を厚く整備することである。
このように、民の生活に有益な事業を行うことが大事なのであって、これを大作と言う。
だから、用いて大作を為すに利ろし、という。
この事業により、民が豊饒になれば、まさに大善の吉であるとともに、こうしてこそ、益の時の宜きに適い、咎はないのである。
だから、元吉なり、咎无し、という。

上九━━━
九五━━━
六四━ ━
六三━ ━
六二━ ━○
初九━━━

六二( りく じは )(あれば)(ますこと)(これに)十朋( じっ ぽうの)(きも )()(あたわ )(たごうこと)(ながく ) (つねあれば ) (きちなり)( おう ) (もちいて ) (すすめまつる)(ていに)(きちなり)

【書き下し】六二は、之に益すこと或れば、十朋の亀も、違うこと克わじ、永く貞あれば吉なり、王用いて帝に亨る、吉なり、

象曰(しょうに いわく)(ありとは) (ますこと)(これに)( より)(そと ) (きたればなり)也、

【書き下し】象に曰く、之に益すこと或りとは、外より来たればなり、

今、下を益すの時に当たって、六二は柔中の徳を以って九五剛中の君に応じている。
これを以って九五の君は、六二の忠臣に委ね任せて、下を益そうとし、六二の忠臣は、よくこの君命にしたがって、下を益すことに勤め励む。
だから、之に益すこと或れば、という。
之とは天下万民を指す。
九五君上の驕りを省き損らし、それを下民の作業を助け益すことであって、象伝の外より来ればとは、外卦の九五より来れば、ということである。
このような態度であるのならば、十朋の霊亀に問い質すとも、善であり吉であることに、間違いない。
だから、十朋の亀も、違うこと弗克、という。
これは、大善の吉だ、ということを込めた賛辞である。
なお十朋の亀については山沢損の六五の解説を御覧ください。

このように下民を賑わし益すことは、間断があってはいけない。
永く続けてこそ、意味がある。
だから、永く貞あれば吉なり、という。

かつて周の先王は、至仁の政を以って下民を賑わすに当たり、自身の誠敬の志と、下民悦楽の情とを以って、上帝に(すすめまつ)った。
そうすることで、多くの福を得たのである。
だから、王用いて帝に亨る、吉なり、という。
この王とは、周の先王のことである。
帝は上帝のことで、上帝とは、天の運行を司る最高の神であり、天帝などとも呼ばれる。
下民を賑わし益すのであってこそ、王も胸を張って上帝に亨ることができるのである。

上九━━━
九五━━━
六四━ ━
六三━ ━○
六二━ ━
初九━━━

六三( りく さんは)(ますに )(これを ) (もちうとも )凶事(きょう じを )( なし)(とが )(あって )(まこと ) (ちゅう ) (こうならば)(もうして )(こうに ) (もちうべし )(けいを)

【書き下し】六三は、之を益すに凶事を用うるとも、咎无し、孚有って中行ならば、公に告して圭を用うべし、

象曰(しょうに いわく)(ますに ) (もってすとは ) 凶事(きょう じを )(もとより ) (ゆうすればなり )(これを)也、

【書き下し】象に曰く、益すに凶事を用ってすとは、固より之を有すればなり、

この六三には善悪二つの面がある。
六三は陰柔不中正にして内卦震の震動の極に居る。
これが悪い方に影響すれば、妄りに動いて利益を求めようとしているものとする。
これは道を失うことの甚だしい者である。
しかし、今は益の時なので、何かを益さないといけない。
その六三の行動に問題があるのなら、六三にとって好ましくないこと=凶事=罰を益し与えたとしても、それを咎める人はいない。
だから、之を益すに凶事を用うるとも、咎无し、という。
象伝の固より之を有すの之とは、その凶事の罰を受けるべき罪を指している。

ところで、三爻と四爻は全卦の中ほどの位置である。
六爻が行列して進んでいるとすると、六三は先走らず遅れず、中ほどを行っていることになる。
とすると、六三は問題を起こす場合もあるが、このように静かにみんなに従って慎ましく孚信を以って中ほどを行っている場合もある。
これが第二の面であって、もし、そうであるのなら、これを誉め、六四執政の大臣は九五の君公に告げて、褒美=賞を与えるべきである。
だから、孚有って中行ならば、公に告して圭を用うべし、という。
圭とは賞のことである。

ともあれ、六三は、陰柔不中正にして内卦震の極にいるので、良い事も悪い事もしてしまうのである。
悪い事は罰し、良い事には褒美を与え、良し悪しをきちんとすることが大事なのである。

上九━━━
九五━━━
六四━ ━○
六三━ ━
六二━ ━
初九━━━

六四( りく しは )(ちゅう ) (こうをもって ) (もうして )(こうに ) (したがわる)(よろし )(もちいるに )( なし )(よることを ) (うつすに)1ノ(くにを)

【書き下し】六四は、中行をもって公に告して従わる、依ることを為し、国を遷すに用いるに利ろし、

象曰(しょうに いわく)(もうして )(こうに ) (したがわるとは)(もってなり )(ますを )(こころざしを)也、

【書き下し】象に曰く、公に告して従わるとは、志を益すを以ってなり、

六四は柔正を得て宰相の位に居るので、よく中行の道を以って公に告げる者であり、君上と共にその徳を益す者である。
したがって、その言葉を聞き入れてもらえる。
だから、中行をもって公に告して従わる、という。

そもそも今は、下を益すべき時なので、下民を賑わし益して、国の基を強くするのが大事である。
下民に疾苦するところがあれば、速やかに救済して安からしめるべきである。
常に、民が飢えや寒さの患いのないようにしないといけない。
それが宰相の職であり任である。

そもそも国を開き、民人を安堵させ、足らし益して繁昌させることは、国都とするべき適切な場所を得ることである。
もし、国都とするべき場所がないときは、民が依り頼むところを失うことである。
もとより国都を建てることは、民の利便性を図り、その居に安堵させることを目的としているのである。
したがって、その国都が、民にとって不便で引っ越したいと思うようなところであれば、その時宜に中して、国都を下民が安堵する場所に遷すのもよい。
これは下を益すということの中でも、最も大なることである。
だから、依ることを為し国を遷すに用うるに利ろし、という。

上九━━━
九五━━━○
六四━ ━
六三━ ━
六二━ ━
初九━━━

九五(きゅう ごは )( ちがいなくば )惠心( けい しんに)(なかれ)(とうこと)元吉( げん きちなり)( ちがいなし )(けいとするに)我コ( わが とくを)

【書き下し】九五、恵心に有孚(ちがいな)くば、問うこと勿れ、元吉なり、我が徳を恵とするに有孚(ちがいな)し、

象曰(しょうに いわく) (ちがいなくば )惠心( けい しんに)(なかれ)(とうこと)(これを)也、(けいとすとは)我コ( わが とくを)(おおいに ) (えればなり ) (こころざしを)

【書き下し】象に曰く、恵心に有孚(ちがいな)くば、之を問うこと勿れ、我が徳を恵とすとは、大いに志を得ればなり、

※有孚は「まことあり」と訓むのが普通だが、その意味するところは、違いない、決まっている、といったことなので、ここでは「ちがいなし」と訓む。

今、上を損らし下を益すの時に当たって、九五の君は剛健中正の徳が在り、孚信誠実でよく自分を省み、華靡を止め下民を益し厚くすることを専らとする者である。
そもそも君上によく恵心が有り、兆民を益し厚くすることがこのようならば、これこそ君徳の最上にして、大善の吉であることは、問わずとも自明である。
だから、恵心に孚有れば、問うこと勿れ、元吉なり、という。

君上の徳が、すでにこのようであるのならば、民は必ずやその君徳を恩沢仁恵として感謝するものであって、そうであれば君上は大いに民の志を得るのである。
君上の徳こそが、下民にとっては恵なのである。
だから我が徳を恵とするに有孚(ちがいな)し、という。

上九━━━○
九五━━━
六四━ ━
六三━ ━
六二━ ━
初九━━━

上九(じょう きゅうは)(なくして) (ますこと)(これを)( あり )(うつこと)(これを)(たつること ) (こころを ) (なかればなり )(つね )(きょうなり)

【書き下し】上九は、之を益すこと莫くして、之を撃つこと或り、心を立つること恒勿ればなり、凶なり、

象曰(しょうに いわく)(なしとは) (ますこと)(これを)偏辭( へん じなり)(ありとは) (うつこと)(これを)(より )(われ ) 致也(いたせばなり )

【書き下し】象に曰く、之を益すこと莫しとは、偏辞なり、之を撃つこと或りとは、我より致すなり、

上九は不中正の志行にして、上を損して下を益すというこの時であっても、その身は益の全卦の極に居て、道を失い、利を貪るの念が甚だしい者である。
したがって、下に益すことは考えず、自身の利益のみを求め貪るのである。
これは、時に悖り、道に逆い、人に背くことである。
このような人物なので、他人もまた上九に味方することはなく、却って寇として撃つ者も出てくる。
だから、之を益すこと莫くして、之を撃つこと或り、という。
象伝にある偏辞は、之を益すこと莫しとは、なんと偏った言葉だろうか、と反語的に嘆いているのであり、我より致すというのは自業自得の意である。

およそ、利を貪ることの甚だしい者は、進退共に利に由らないことはない。
不仁を恥じることなく、不義をも畏れず、直接の利が見えなければ勤め励むことのない小人である。
したがって、その心志、心の立ち様は変動して定まることがない。
これは恒常のない人である。
人として常の徳を失ってしまうのは、言うまでもなく凶である。
だから、心を立つること恒勿ればなり、凶なり、という。

前の卦=41山沢損 次の卦=43沢天夬

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01.乾為天 02.坤為地 03.水雷屯 04.山水蒙 05.水天需 06.天水訟 07.地水師 08.水地比 09.風天小畜 10.天沢履 11.地天泰 12.天地否 13.天火同人 14.火天大有 15.地山謙 16.雷地予 17.沢雷随 18.山風蠱 19.地沢臨 20.風地観 21.火雷噬嗑 22.山火賁 23.山地剥 24.地雷復 25.天雷无妄 26.山天大畜 27.山雷頤 28.沢風大過 29.坎為水 30.離為火

31.沢山咸 32.雷風恒 33.天山遯 34.雷天大壮 35.火地晋 36.地火明夷 37.風火家人 38.火沢睽 39.水山蹇 40.雷水解 41.山沢損 42.風雷益 43.沢天夬 44.天風姤 45.沢地萃 46.地風升 47.沢水困 48.水風井 49.沢火革 50.火風鼎 51.震為雷 52.艮為山 53.風山漸 54.雷沢帰妹 55.雷火豊 56.火山旅 57.巽為風 58.兌為沢 59.風水渙 60.水沢節 61.風沢中孚 62.雷山小過 63.水火既済 64.火水未済

ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては易学入門をご覧ください。
また、六十四卦それぞれの初心者向け解説は無料易占いのページをご覧ください。
占いながら各卦の意味がわかるようになっています。

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最終更新日:令和04年04月03日 学易有丘会
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