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前の卦=34雷天大壮 次の卦=36地火明夷

35火地晋 かちしん

 

 坤下(こんか)離上(りじょう)

八卦の(こん)の上に、()を重ねた形。

(しん)は進むという意。新字体では晋。
この卦は、易位生卦法によれば、もとは地火明夷から来たものとする。
地火明夷は、太陽が地中に入った様子であり、この火地晋は、太陽が地上に進み昇る様子である。
だから晋と名付けられた。
また、離を明とし()くとし、坤を(したが)うとし、内卦を自分、外卦を相手とすれば、自分が明に麗き順う様子である。
およそ物事は、明に麗き順うときはその道必ず進むものである。
だから晋と名付けられた。
また、来往生卦法によれば、もとは天地否より来たものとする。
その否塞の卦中に、六五の一陰爻が外から進み上ってこの卦となったのである。
だから、その一陰が進み上がったということにより、晋と名付けられた。

 

卦辞(かじ) 〜彖辞(たんじ)とも言い、周の文王の作と伝わる。

(しんは)(やすんずる ) (きみなり)(たまうこと)(うまを) 蕃庶( はん しょたり)晝日( ひる ひに ) (みたび ) (まじわれり)

【書き下し】晋は康んずる侯なり、馬を錫うこと蕃庶たり、昼日に三たび接われり、

康んじる侯とは、民を安んじ、国を治める侯=国主のことある。
蕃庶とは、衆多という意。
この卦は昇り進む時であって、太陽が地上に在って万邦を照らす様子であり、君が文明にして四海を統御する様子であり、また、君徳が上に明らかにして、諸侯に順う様子であるが、要するに、世の中が上手く治まっている様子である。
これは、六五の君主が文明柔中なので、諸侯も順うのであって、そうであるのなら、よく治世に貢献した者は、褒美を賜ることが数多くあり、君主からも親しく何度も呼ばれ、優遇されるというものである。
だから、馬を錫うこと蕃庶民たり、昼日に三たび接われり、という。
なお、馬は柔順にして人を乗せ遠くへ行くものであるが、これは、諸侯が柔順にして天子の命を奉り、遠くの国を治めることの比喩でもある。

彖伝(たんでん) 彖伝は卦辞(彖辞)の解説で、孔子作と伝わる。

彖曰(たんに いわく)(しんは)進也(すすむなり  )柔進(じゅう すすんで ) (しこうして ) 上行(じょう こうす)

【書き下し】彖に曰く、晋は、進むなり、柔進んで而して上行す、

晋は進み(のぼ)るという義である。
来往生卦法によると、この卦は天地否から来たものとする。
天地否のときは、天地は否塞し、陰陽交わらず、上下の志は通じなく、上は乾の剛強にして、下は坤の貧虚だったのが、今、一陰柔が内卦の外より上り進んで六五となって中徳を得て離明の主となって、この火地晋の卦になったのである。
これにより、君上柔中の仁沢が四海に溢れ、文明の明徳が万邦を照らすようになり、天下の物、天下の事は皆、明に進むのであって、だから晋と名付けられたのである。

(したがって ) (しこうして) ( つく )大明( たい めいに)是以(これを もって ) (やすんずる) ( きみ )(もちいて ) (たまうこと)(うまを) 蕃庶( はん しょたり)晝日( ひる ひに ) (みたび ) 接也(まじわるとなり )

【書き下し】順って而して大明に麗く、是を以って康んずる侯、用いて馬を錫うこと蕃庶たり、昼日に三たび接わるとなり、

人は内に坤の順徳が有り、外に大明の賢哲に麗き従うときは、何事も成就する方向に進むものである。
天下の事業では、君上が柔中の仁徳を四海に満たして、離の文明の徳光を万邦に照らす時なので、万邦の諸侯も、内は柔順の徳を治め、外は君上の大明の徳化に麗き従い、是を以って六五の君は、諸侯のよく領地を治めて民を養い、優れた者には車馬を賜い、一日に何度も親礼優待するのである。
その基本は六五の君徳が莫大だからであって、だから大明と云うのである。

 

象伝(しょう でん ) 卦の(しょう)=形の解説で、大象(たいしょう)とも呼ばれ、彖伝同様に孔子の作と伝わる。

象曰(しょうに いわく)(めい ) (いでるは)地上( ち じょうに)(しんなり)君子( くん し ) (もって ) (みずから ) (あきらかにす)明コ( めい とくを)

【書き下し】象に曰く、明、地上に出でるは、晋なり、君子以って自ら明徳を昭らかにす、

地上に明が出るというのは、元は地下に明が没した象の地火明夷だったのが、今、明が地上に出て晋となった、ということである。
この様子に倣って、君子であるのなら、自ら明徳を昭かにするために、勉め励むべきであり、それを怠れば鏡が曇って昭かでなくなるように、自らの明徳も曇って暗昧になり果ててしまうものである、と諭している。

『論語』為政第二4の「三十にして立つ」とあるのは、まさにこの卦の象による。
八卦と数の関係により、離に配される数は三、坤は基本的には八だが、偶数の極みとして十も配される。
したがって三十は、孔子がこの火地晋の象を観て読み取った年齢であって、地上に明が出ることを世に出で責任ある地位となる時とし、暗い夜が終わって明るい朝が来て起きて立ち上がることに擬えて「立つ」と言ったのである。
他の「十有五にして学に志す」は地風升、「四十にして惑わず」は雷地予、「五十にして天命を知る」は風地観、「六十にして耳に順う」は水地比、「七十にして心の欲するところに従えども、矩を踰えず」は山地剥に由来している。

爻辞( こう じ ) 〜周公旦の作と伝わる。象曰以下は孔子の作と伝わる象伝。

上九━━━
六五━ ━
九四━━━
六三━ ━
六二━ ━
初六━ ━○

初六( しょ りくは)晉如( しん じょたり)催如( さい じょたり)(ただしくして ) (きちなり)(なくして) (まこととせらるること ) (ゆたかなれば) ( なし)(とが )

【書き下し】初六は、晋如たり、摧如たり、貞しくして吉なり、孚とせらるること罔くして裕かなれば咎无し、

象曰(しょうに いわく)晉如( しん じょたり) ( さい ) (じょたりとは)獨行(ひとり ゆきて ) 正也(ただしかれよとなり)(ゆたかなれば )(なしとは)(とが )(いまだ/ざればなり)( うけ )(めいを)也、

【書き下し】象に曰く、晋如たり催如たりとは、独り行きて正しかれよとなり、咎无しとは、未だ命を受けざればなり、

この卦は晋の進み昇るときなので、諸爻みな六五の君のところに進み昇ろうとする象義である。
しかし、九四陽剛の権臣が、六五柔順の君主と下三陰の柔順の臣との中間に横たわって、その威権を逞しくして、不中正の行いを欲しいままにし、下に陰柔を抑え阻み、彼等が六五の君に通じないようにしているのである。
特に初六は、晋の時の始めなので、まず進んで六五に拝謁しようと昇るのだが、それを九四に抑え阻まれる。
だから、晋如たり、摧如たり、という。
摧の字は、抑え阻むという意である。
こんなときの初六の取るべき道は、例え九四の権臣に抑え阻まれても、決して九四に阿諛(へつら)うことなく、貞正に道を守るのを善とするべきである。
だから、貞しくして吉なり、という。
このように、初六は九四に抑え阻まれるので、その志は六五に通じず、六五からは信とされない。
自分の孚信が六五に通じなければ、焦り、煩悶とするのは、人情である。
だとしても、早急に自分の意を通じさせようと画策すれば、いよいよ九四の阻みは強くなり、六五に通じることはさらに難しくなる。
とすると、正しくして寛裕(ゆたか)に時を待つしかない。
待っていれば、やがて時が過ぎ、六五に通じることも適うものである。
だから、孚とせらるること罔くして裕かなれば咎无し、という。
ここで言う咎无しとは、未だ君命を受けていないとしても、時が来れば六五の君に通じることができる、ということである。

なお、この初六と九四は陰陽相応じているが、互いに助け合うという義はなく、むしろ害応であるかのようである。
しかし、九四は下をすべて抑え阻み、上に通じないようにしているだけで、初も二も三も同じように抑え阻んでいるのである。
とすると、ことさら初六は九四に害応しているのだ、とは言えない。
害応はその応爻のみを害し寇することである。
このような例は、他の卦にはない。
この火地晋の卦のみの特殊な例である。

上九━━━
六五━ ━
九四━━━
六三━ ━
六二━ ━○
初六━ ━

六二( りく じは )晉如( しん じょたり)愁如(しゅう じょたり)(ただしくして ) (きちなり)(うくるに) 茲介(この おおいなる ) (ふくを)(おいてせん)( その ) 王母( おう ぼに )

【書き下し】六二は、晋如たり、愁如たり、貞しくして吉なり、茲の介いなる福を受くるに、其の王母に于いてせん、

象曰(しょうに いわく)(うくとは) 茲介(この おおいなる ) (ふくを)(もってなり )(ちゅう ) (せいなるを)也、

【書き下し】象に曰く、茲の介いなる福を受くとは、中正なるを以ってなり、

六二は、晋の時に当たって、臣位であることを以って進み昇り、君に拝謁しようとする者である。
しかし九四のために抑え阻まれる。
だから、晋如たり、愁如たり、という。
愁は、憂い悲しむという意である。
だとしても、六二は決して道を()げて九四の権門に(おもね)り媚び(へつら)ことはない。
君子は貞正にして守り固いことを要する者である。
だから、貞しくして吉なり、という。
王母とは六五を指す。
六五は王位にして陰爻であるので、王母とする。
もとより六二は中正にして、柔順の徳が有る。
今、六五の君に進み昇り拝謁しようとする。
例え一旦は九四に抑え阻まれるとしても、時至ればその忠誠空しからずして、必ず六五の君に通じることを得て、二五共に柔中であるを以って同徳相応じ、以って必ず六五の優待親礼を受けることが有るのである。
だから、茲に介福を受くるに、其の王母に于いてせん、という。

なお、この二と五は、ともに陰柔なので、決して応じるべきところの者ではない。
としても、この卦は晋にして、太陽が地上に出て万物が明らかに進む時を意味しているので、このことから、二五柔中の同徳を以って相応じるの義とする。
これは乾為天の二五、風沢中孚の二五が、共に剛中の同徳を以って相応じるのと同様であり、これらを同徳相応じるの例という。

上九━━━
六五━ ━
九四━━━
六三━ ━○
六二━ ━
初六━ ━

六三( りく さんは)(もろもろに ) (まこととせらるれば)悔亡( くい ほろぶ)

【書き下し】六三は、衆に允とせらるれば、悔い亡ぶ、

象曰(しょうに いわく)(もろもろに ) (まこととせらるるの)(こころざしは)(じょう ) 行也(こうせよとなり )

【書き下し】象に曰く、衆に眞とせらるるの志とは、上行せよとなり、

六三もまた君に進み昇り拝謁することを欲し、同じく九四に抑え阻まれる者である。
しかし六三は、九四陽剛に密比しているので、頗る九四の権門に阿諛(へつら)い比従するかのように見え、衆爻よりこれを疑われる。
このときに六三は、己の貞操を堅固にして、少しも九四の権臣に阿諛い比従する意志を持たず、忠誠を上の六五に尽くすのであるならば、自然に衆爻の疑いは解けて、終に六三の忠信は誠実となる。
したがって、衆人がすでに六三を信実だとする時に、従来疑われていたところの悔いは亡ぶ。
もし、少しでも九四に阿諛う意が有るときには、衆爻の疑いが晴れないばかりか、不忠不義の汚名を受けて、大なる悔いがあることを免れない。
だから、衆に允とせらるれば、悔い亡ぶ、という。

上九━━━
六五━ ━
九四━━━○
六三━ ━
六二━ ━
初六━ ━

九四(きゅう しは )晉如( しん じょたり)鼫鼠( せき しょたり)(かたくすれば ) (あやうし)

【書き下し】九四は、晋如たり、鼫鼠たり、貞くすれば獅オ、

象曰(しょうに いわく)鼫鼠( せき しょたり ) (かたくすれば ) (あやうしとは)(くらい ) (ざればなり )(あたら)也、

【書き下し】象に曰く、鼫鼠たり、貞くすれば獅オとは、位当たらざればなり、

今は晋の時にして、衆爻は皆、六五の君所に進み昇ろうとする。
この時に当たって、六五は陰爻なので威権微弱であり、下卦三爻もまた共に陰柔にして力は弱い。
ひとり九四のみ陽剛にして、不中正(=位が不当)であることを以って、上は君を犯し権を弄び、下は衆爻を抑え阻んで上に通じないようにし、位や禄を盗み、国家の民を木中の虫のように害する臣にして、その志行は将に鼫鼠のようである。
だから、晋如たり、鼫鼠たり、という。
鼫はムササビのことで、鼠(=ねずみ)とともに害獣である。
そもそも人臣たる者が、このような志行では、身を喪い家を滅ぼすことは目に見えている。
獅ュ危険の至極である。
速やかにその志を改め、その行いを正しくして、何かあれば一に身を以って国に殉じるようにしなければいけない。
さもなければ、禍を免れない。
だから、貞くすれば獅オ、という。

上九━━━
六五━ ━○
九四━━━
六三━ ━
六二━ ━
初六━ ━

六五( りく ごは )悔亡( くい ほろぶ)失得(しつ とくともに ) (なかれ )(うれうること)往吉(ゆけば きちなり)( なし )(ざること) (よろしから)

【書き下し】六五は、悔い亡ぶ、失得ともに恤うること勿れ、往けば吉なり、利ろしからざること无し、

象曰(しょうに いわく)失得(しつ とくともに ) (なかれとは ) (うれうること)(ゆけば ) (あるなり ) (よろこび)也、

【書き下し】象に曰く、失得ともに恤うること勿れとは、往けば慶び有るなり、

今は晋の時ではあるが、六五の君は柔弱にして威権は微少(すくな)い。
これを以って九四の権臣が剛強をほしいままにして、君を欺き凌ぎ、法を弄び、威を振るう。
しかも、下に君家を輔佐するべき陽剛の臣はない。
したがって、六五の君は、その様子を悔い歎く。
しかし六五は、柔中の徳が有り、離明の主爻であるを以って、終にはその悔いも亡び消える。
このような時には、六五の君はしばらく時勢を省み察し、自らの心を寛裕(ゆたか)にし、失も得もみな天運のなせるところにして、これを恤えて悶えても無益だと悟り、よく離明柔中の徳を守って、兆民を懐柔安撫するべきである。
だから、失得ともに恤うること勿れ、という。
さて、この時に当たっては、六五の君が頼みにするべきところの者は、ひとり上九の賢者のみである。
しばらくは上九の賢者に往って頼み、九四権民の威を削り、勢いを殺ぎ、以って天下を治めることこそが、吉を得て慶び有る道なのである。
だから、往けば吉なり、利ろしからざる无し、という。
この「往けば」とは、上九に頼みに往くことを指す。

上九━━━○
六五━ ━
九四━━━
六三━ ━
六二━ ━
初六━ ━

上九(じょう きゅうは)(しんのとき) 其角( それ かくなり)維用( これ もちいて) ( うつ )(ゆうを)(あやうけれども ) (きちなり)( なし)(とが )(かたくすれば ) (はずかし)

【書き下し】上九は、晋のとき其れ角なり、維れ用いて邑を伐つ、獅ッれども吉なり、咎无し、貞くすれば吝

象曰(しょうに いわく)維用( これ もちいて ) (うつとは )(ゆうを)( みち ) (いまだ/ざるなり ) (おおいなら)也、

【書き下し】象に曰く、維れ用いて邑を伐つとは、道、未だ光いならざるなり、

角は陽発の象にして、威猛な義を言う。
上九は晋の進むの卦の極に居て、陽剛にして威猛盛んな爻である。
だから、晋のとき其の角なり、という。
上九は威猛強盛にして、以って六五の君に比し輔け、かの九四剛強の権臣を征伐する。
だから、維れ用いて邑を伐つ、という。
邑とは九四を指す。
しかし、兵革は危険な道である。
ことに権勢盛んな一大臣を伐つのは、危険を伴う。
とは言っても、君命を奉じて賊臣を誅し、正を以って邪を伐ち、順を助けて逆を討つのである。
だから、獅ッれども吉なり、咎无し、という。
吉とは、得ることが有る、という義である。
咎无しとは、道に違わない義である。
古今和漢の歴史を観ると、このような、威権盛大で横逆跋扈の剛臣を除き去ろうとすることがある。
そんなとき、臨機応変、時勢適中の大権度なく、旧例先格に固執すれば、遂に国家の一大事を誤り、万古の笑いものにもなる。
だから、貞くするは吝なり、と戒める。

前の卦=34雷天大壮 次の卦=36地火明夷

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01.乾為天 02.坤為地 03.水雷屯 04.山水蒙 05.水天需 06.天水訟 07.地水師 08.水地比 09.風天小畜 10.天沢履 11.地天泰 12.天地否 13.天火同人 14.火天大有 15.地山謙 16.雷地予 17.沢雷随 18.山風蠱 19.地沢臨 20.風地観 21.火雷噬嗑 22.山火賁 23.山地剥 24.地雷復 25.天雷无妄 26.山天大畜 27.山雷頤 28.沢風大過 29.坎為水 30.離為火

31.沢山咸 32.雷風恒 33.天山遯 34.雷天大壮 35.火地晋 36.地火明夷 37.風火家人 38.火沢睽 39.水山蹇 40.雷水解 41.山沢損 42.風雷益 43.沢天夬 44.天風姤 45.沢地萃 46.地風升 47.沢水困 48.水風井 49.沢火革 50.火風鼎 51.震為雷 52.艮為山 53.風山漸 54.雷沢帰妹 55.雷火豊 56.火山旅 57.巽為風 58.兌為沢 59.風水渙 60.水沢節 61.風沢中孚 62.雷山小過 63.水火既済 64.火水未済

ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては易学入門をご覧ください。
また、六十四卦それぞれの初心者向け解説は無料易占いのページをご覧ください。
占いながら各卦の意味がわかるようになっています。

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最終更新日:令和04年04月03日 学易有丘会
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