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前の卦=48水風井 次の卦=50火風鼎

49沢火革 たくかかく

 

 離下(りか)兌上(だじょう)

八卦の()の上に、()を重ねた形。

(かく)は変革、改める、という意。
この卦は兌水が上、離火が下にある。
水を入れた器の下に火があれば、火が盛んに燃えるときは、必ず水は沸騰し、ついには乾いてなくなり、水が溢れるときは、必ず火を消滅させる。
これは、水と火の性情が表裏反対にして、相互に克殺する者だからである。
火の勢いが盛んであれば水は蒸発してなくなり、水の勢いが盛んであれば火は消滅する。
これは、水火ともにその勢いが強く大きい方が、弱く小さい方に()つということであって、こうして物事は変革して行くのである。
だから革と名付けられた。

しかし、このように水と火がその勢いの強弱で互いに相手を打ち消しあうことをもって革と名付けれたのであれば、水火既済も革と名付けれるべきではないか?という疑問が湧くが、これは沢水と坎水の違いによるのである。
水火既済の水は坎水であり陽卦であり、火は離火であり陰卦であり、さらに坎水と離火は表裏の関係にある。
したがって、互いに釣り合っているのである。
しかし、沢火革の水は沢水であり、沢水も離火も陰卦であり、したがって互いに釣り合っていないのである。
だから敵対して水と火が互いに害し合う様子とするのである。

また沢火革は、兌の少女が上に、離の中女が下にいる形であるが、これでは姉妹の序列が逆なので、変革する必要がある。
だから革と名付けられた。

また、兌の少女と離の中女が、共に父母の家に同居するとしても、将来嫁ぐところは異なるから、その志は同じではなく、その違いにより争い変革を求めようとする雰囲気がある。
だから革と名付けられた。

また、内卦の離を明とし、外卦の兌を悦ぶとすれば、内卦の自分は明らかにして、よく物の利害に通じ、改革するべきことを改革すれば、外卦の相手は、よくこれを悦ぶ。
改革するときはこのようであって欲しいものである。
逆に、相手が不愉快になる改革はよくない。
だから革と名付けられた。

また、内卦の離火をもって、外卦の兌金を熱する様子である。
火をもって金属を熱すると、金属は溶けるので、その形状を変革することができる。
だから革と名付けられた。
『書経』洪範に「金は革に従うという」とあるのは、このことである。

また、離を夏とし、兌を秋とすれば、夏から秋に季節が変革することを示している。
だから革と名付けられた。
そもそも四季の移り変わりは、春から夏、秋から冬、冬から春というのもある。
とすると、ここでことさら夏から秋への移り変わりをもって革とするのは、どういうことか?
それは、次のことからである。
季節が改まるということで言えば、どれも同じだが、陰陽の変化を考えれば、そこに違いがある。
春は少陽、夏は老陽、秋は少陰、冬は老陰である。
したがって、春と夏と分けて二つの如くなっていても、この両者は同じ陽の季節であり、要するに陽の強さが変化しただけであって、変革とまでは呼べない。
秋と冬も同様に、陰の強さが変化しただけである。
ところが、夏は陽の極まり、秋は陰の始まりである。
したがって、夏から秋への変化は陰陽変革の最も激しいときなのである。
なお、冬から春に変わるときも、老陰から少陽に変化するわけだから、陰陽変革は激しいわけだが、これは春夏秋冬一巡し、年が改まり、新たに四季が始まるときである。
だから冬から春へは変革のときとはしないのであって、夏から秋への変移こそが、四季の途中の変革なのである。

また、離を太陽とし、兌を西とすれば、太陽が西に没する様子である。
これは昼から夜への変革である。
だから革と名付けられた。
なお太陽は日暮れに西に没しても、また翌朝には東から昇る。
そのくり返しを明らかに計算したものが暦である。

 

卦辞(かじ) 〜彖辞(たんじ)とも言い、周の文王の作と伝わる。

(かくは)() (じつに ) (すなわち ) (まこととせらる)元亨(おおいに とおる)(よろし )(ただしきに)悔亡( くい ほろぶ)

【書き下し】革は、※已日に乃ち孚とせらる、元いに亨る、貞しきに利ろし、悔い亡ぶ、

※已は「すでに」という意で、※已日は、改革し得て、功成り事を遂げる日のこと。
およそ改革ということは、初めはなかなか人々に受け入れられないものである。
旧習に慣れ親しんでいるからである。
したがって、その改革をした後、それが自他共に素晴しいと思えるものであれば、そのときに漸く人々はその改革を信じ、歓迎するものである。
だから、革は已日に乃ち孚とせらる、という。
そもそも改革するに当たは、古い害を除き去り、新しい利を益すことが大事である。
そうであれば、改革した後に、その改革を推進した人は人望を高め、大いに亨通する。
もちろんその改革が貞正なものであることは重要である。
貞正であれば、最初は受け入れずに、その改革を後悔する場面もあったとしても、やがて改革が成就して来れば、人々は考えを改め、その後悔は杞憂に過ぎなかったことになる。
だから、貞しきに利ろし、悔い亡ぶ、という。
しかし、その事の利害に精通せず、その事の詳細に明らかでないのに、思いつきで改革するような場合は、却って大なる災害を生じるものである。
したがって、妄りに改革するべきではないのである。
これは沢雷随の、元亨利貞无咎、とあるのと同じニュアンスだと言えよう。

なお※已は、もともとは()とあったものを、それは写し間違いだとして、朱子学以降はこの※()として「事成り終わる日」という意に解している。
中州も、これに従っている。
それ以前は、己(=十干の「つちのと」)のこととして解釈されていた。
例えば『日本書紀』の神武天皇即位年算出の根拠となったとされる辛酉革命は、この沢火革から導き出されたもので、その説はこの※已は己として成り立っている。
辛酉革命は『易緯』『詩緯』という書物の中にある予言説で、
戊午を革運と為し、辛酉を革命と為し、甲子を革令と為す、というものである。
この戊午の革運、辛酉の革命、甲子の革令をこの卦の各爻に配すれば以下のようになる。

甲子 番外       革令 
癸亥 上爻 ━  ━
壬戌 五爻 ━━━
辛酉 四爻 ━━━ 革命 即位
庚申 三爻 ━━━
己未 二爻 ━  ━ 革明 即位予告
戊午 初爻 ━━━ 革運 橿原入り

革命の主体は金属が溶けて液状になることとすれば、離の火で熱せられた兌金が溶けて坎水となることである。
これは、四爻が陽から陰に変じることである。
『日本書紀』を開くと、神武天皇即位前三年戊午歳に橿原に入り、翌前二年己未歳に、これからここに都を造ることを宣言し、翌々年辛酉歳正月一日に即位したとある。
己未については、『易緯』や『詩緯』の記載はないが、言うまでもないことだから記載を省略されているのであって、二爻は離明の主である。
離の火で兌の金を熱して溶かすのが革命であり、その意味からすれば二爻は離の火の燃える中心である。
とすると二爻に当たる時は、これから行う革命を明らかにする時、言うなれば革明であろう。
前二年己未歳の、これからここに都を造ることの宣言は、まさにこれに当たる。

そして、一度革命したら、爻一本を一年として、この卦が終わる上爻のときが過ぎるまでは、何があってもそのまま続けなければいけない。
すぐには改革を歓迎されなくても、その改革したシステムをきちんと直向に運営していれば、三年目すなわち上爻のときにはそれまで不満だった人々からもその改革が歓迎されるようになり、改革を発案した君子はまるで豹の如くに美しく見えるものである。
これは上爻の爻辞なのだが、とにかく君子豹変とは、本来そういう意味だったのである。
逆の、君子は変わり身が早いという意味で使われる場合も多いが・・・。
とにかく、この卦に沿って言えば、改革の手直しをするのは、要するに革命から四年目すなわち甲子以降にするべきなのである。
だから、甲子を革令と為す、という。

辛酉革命についてさらに詳しいことは、古事記と易学〜X暗号解読[1]神武天皇と辛酉革命を御覧ください。

彖伝(たんでん) 彖伝は卦辞(彖辞)の解説で、孔子作と伝わる。

彖曰(たんに いわく)(かくは)水火( すい か ) 相息( あい そくす)二女( じ じょ ) 同居( どう きょし)其志( その こころざし ) (ざるを)相得( あい え )( いう )(かくと)

【書き下し】彖に曰く、革は、水火相息す、二女同居し、其の志、相得ざるを、革と曰う、

息すとは、滅息の意で、滅びること。
したがって水火相息とは、沢水と離火とが互いに相克して相手を滅ぼし、自分も滅ぼされることを云う。
二女同居とは、離の中女と兌の少女が同じ家に居ることだが、この二人はそれぞれ異なる男性に嫁ぐので、二人の志もまた異なり革まるのである。

() (じつにして ) (すなわち ) (まこととせらるとは)(あらためて )(しこうして ) (しんぜらるとなり )(これを)

【書き下し】※已日にして乃ち孚とせらるとは、革めて而して之を信ぜられるとなり、

※已日とは事成り終わる日ということ。
およそ改革することは、その初めは人必ずこれを信用しない。
その功成り、その事が終わって、その改革したことに利が有るのを見て、しかる後に始めて人はこれを信じ、これに従うのである。

ちなみに己日として解釈する場合は、事前に改革することを宣言し、人々がそれを心から歓迎したのなら、実際に始まった改革が当初の予定どおりであってこそ、人々は信頼するのである、といったことになる。

文明(ぶん めいにして ) (もって ) (ぜいし)(おおいに ) (とおるに ) (もってせよとなり ) (ただしきを)

【書き下し】文明にして以って説し、大いに亨るに正しきを以ってせよとなり、

文明は離の象、説は兌の象であって、事を改革するときには、よくその事の前後終始の利害を洞察し、人情時勢を察して、百世不易の大利益が有ることを明らかに確認できてから、そのことの興廃利害を逐一述べ説いて、聞く者を歓喜させなければいけない。
これができればその改革は成功し、その道は大いに亨るのである。
ただしその要旨を説いて、その革める事と道とに、ほんの僅かでも私利私欲があってはならず、公明正大であることが大事なのであって、だから、正しきを以ってせよ、と云う。

(あらためて ) (しこうして ) (あたる)其悔( その くい ) (すなわち ) (ほろぶなり)

【書き下し】革め而して当たる、其の悔い乃ち亡ぶなり、

公明正大の道を以ってして、事の終始利害を洞察し、人情時勢に通達し、よく古き弊を去り、新しき益を革め得て、その事が道に当たっているのならば、最初は受け入れに難色を示していた人々がいて、その改革を悔いる面があっても、やがてはよく信じ服するようになり、その悔いは亡ぶのである。

天地( てん ち ) (あらたまりて)(しこうして) 四時(しじ) (なる )湯武( とう ぶ ) (あらためて )(めいを)(したがい)(てんに)(しこうして ) (おうず)(ひとに)(かくの)(とき )大矣(おおいなるかな )哉、

【書き下し】天地革まりて、而して四時成る、湯武命を革めて、天に順い、而して人に応ず、革の時、大いなるかな、

この世の中は、天地が変革することで四時すなわち四季や歳を成すのである。
殷の湯王や周の武王に命が革まったのは、天命の大変革にして、天に順い人に応じたからである。
このように、天に順い人に応じるのが革の時なのであって、なんと素晴らしいことだろう。

 

象伝(しょう でん ) 卦の(しょう)=形の解説で、大象(たいしょう)とも呼ばれ、彖伝同様に孔子の作と伝わる。

象曰(しょうに いわく)澤中(さわの なかに ) (あるは)()(かくなり)君子( くん し ) (もって ) (おさめ )(こよみを ) (あきらかにすべし )(ときを)

【書き下し】象に曰く、沢の中に火有るは、革なり、君子以って暦を治め時を明かにすべし、

沢の中に火有るというのは、離の日が兌の西方に没することを云うのであって、一日の終わり、次の一日の始まりの象にして、これが革の革たる所以である。
君子はこの卦象を観て、日の終始を以って一日とし、その日を重ねてひと月とし、その月を積んで一歳とし、四時寒暑みなその中に備わり在ることを確認して、暦を作り、四時の変化を計算して明らかにするべきであると諭す。
これによれば、暦法の始まりは日の終始に基づくのであって、その後の暦術はすべて易の象数から導き出されたものなのである。

爻辞( こう じ ) 〜周公旦の作と伝わる。象曰以下は孔子の作と伝わる象伝。

上六━ ━
九五━━━
九四━━━
九三━━━
六二━ ━
初九━━━○

初九( しょ きゅうは)(かたむるに ) (もってすべし)黄牛( こう ぎゅうの)(つくりかわを)

【書き下し】初九は、鞏むるに黄牛の革を用ってすべし、

象曰(しょうに いわく)(かたむるに ) (もってすとは)黄牛( こう ぎゅうを)(ずとなり )(べから )(もって) ( ある )1ノ(すること)也、

【書き下し】象に曰く、鞏むるに黄牛を用ってすとは、以って為ること有る可からずとなり、

鞏とは、革で結び束ねることで、強固の義である。
黄牛とは、柔順の喩えである。
革(=つくりかわ)とは、動物の皮で作った布や紐のことで、堅固にして変動しない義である。

もとより革の全卦総体の義は、改革変更である。
しかしながら、各爻について微細に論じるときには、内卦の離の夏が終わって外卦の兌の秋に変革するという象義なので、内卦三爻の中にあっては、まだ改革してはいけない時である。
今、初九の爻は、内卦の初めであるを以って、そのまだ改革してはいけない時である。
したがって、初九はその志を執ること正しく柔順にして、鞏固(きょうこ)に戒め、柔順な牛の皮革でしっかりと拘束されているかのように、妄りに改革変動してはけいないのである。
だから、鞏むるに黄牛之革を用ってすべし、という。
象伝の為ることというのは改革変動のことを指し、まだその為るべき時ではない、ということである。

上六━ ━
九五━━━
九四━━━
九三━━━
六二━ ━○
初九━━━

六二( りく じは )() (じつに ) (すなわち ) (あらたむべし )(これを)(なすことあらば ) (きちなり)( なし)(とが )

【書き下し】六二は、※已日をまちて、乃ち之を革たむべし、征あらば吉なり、咎无し、

象曰(しょうに いわく)() (じつに ) (すなわち ) (あらためよとは )(これを)(おこなえば ) (あるとなり ) (よろこび)也、

【書き下し】象に曰く、已日に乃ち之を革めよとは、行えば嘉び有るとなり、

()の字は、もともとは十干=甲乙丙丁戊己庚辛壬癸の()の字だった。
それが、朱子学以後は己に似ている已の誤りだとして解釈が施されるようになった。
中州も已として解釈している。

已日とは、改革するべき日のことをいう。
これは、今はまだタイミングが悪い、なお暫く改革するべき時を待って、それから改革せよ、ということである。
そもそも六二は、内卦離の火の中心にして、改革する主体の爻である。
しかしながら、未だ内卦の中に在るを以って、忽ちに改革するべき時と位には至っていない。
したがって、今動けば咎も有るが、時を待って改革を行えば、咎はなく、大いに功が有り自他共に喜ぶことになろう。
だから、已日をまちて乃ち之を革たむべし、征すことあらば吉なり、咎无し、という。
征すことというのは、改革することを指す。

己日(きじつ)(=つちのとのひ)として解釈すると、
今は己(=つちのと)の日だから、改革に相応しい辛の日は間近である。
六二は内卦離の明るさの卦の中心なので、明らかにする、という意がある。
したがって、そろそろ、改革を公表し、準備を本格的に開始すれば、その改革は成功し、咎はない、ということになる。
その意味で、己日なり、乃ち之を革たむ、征すことあらば吉なり、咎无し、という。
この解釈の場合の征すことは、本格的な改革の準備を指すのであって、準備を整えて改革を行えば喜びが有る、ということである。

上六━ ━
九五━━━
九四━━━
九三━━━○
六二━ ━
初九━━━

九三(きゅう さんは)(ゆくは ) (きょうなり)(かたくするは ) (あやうし)革言( かく げん ) 三就(みたび なりて)(あらん )(まこととせらるること)

【書き下し】九三は、征けば凶なり、貞くすれば獅オ、革言三たび就りて、孚とせらるること有らん、

象曰(しょうに いわく)革言( かく げん ) 三就(みたび なりてとは)(また ) (いずくに ) 之矣(ゆかんとなり )

【書き下し】象に曰く、革言三たび就なりてとは、又、何くに之かんとなり、

征くとは、改革することを指す。
九三も内卦の中の爻なので、まだ改革するべき時ではないことをいう。
時が至らないのに、妄りに改革すると、必ずその事は成らず、却って咎を生じるものである。
しかし九三は、過剛不中なので、焦って改革しようとする傾向がある。
その焦る志を改めずに固執し、時を犯して改革するのは、危険な道である。
だから、征けば凶なり、貞くれば獅オ、という。

さて、九三は、内卦が終わり、まさに外卦に移ろうとする気運が有る。
したがって、その事の勢いは止むを得ないものがあるが、そんな勢いだけでは、他人は賛同しない。
しかし、その終始を計算し、良し悪しを審らかに察し、なお再三にこれを質し明かし、その義が必定であることを納得できれば、誰もが賛同するものである。
だから、革言三たび就りて、孚とせらるること有らん、という。
三たびとは、何度もくり返し、ということであるが、爻について言えば、初爻にて一たび就り、二爻にて二たび就り、この三爻で三たび就り、初二三の内卦中にて三たび就りて外卦四に至って、改革の時を得るのである。
象伝の何之とは、まだ三爻なのに、そんなに焦ってどうするのか、と戒めると共に、改革変動は安易に考えて行うものではない、と諭しているのである。

上六━ ━
九五━━━
九四━━━○
九三━━━
六二━ ━
初九━━━

九四(きゅう しは )悔亡( くい ほろぶ)(あって )(まこととせらるること ) (あらためれば )(めいを ) (きちなり)

【書き下し】九四は、悔い亡ぶ、孚とせらるること有って命を改めれば吉なり、

象曰(しょうに いわく)(あらたむるの )(めいを ) (きちなりとは)(しんぜらるればなり ) (こころざしを)也、

【書き下し】象に曰く、命を改むるの吉なりとは、志を信ぜらるればなり、

九四は(すで)に内卦を過ぎて、外卦に移ったときである。
これは、離の夏が去って秋に移り、火が去って金に遷ったことである。
したがって、すでに改革するべき時が至ったのである。
およそ改革するの道とは、これまでは大きな障害が有ったのを、今改革することで、その障害を除き去って利益があるという義をいう。
障害が取り除かれ、利益があれば、それまでの悔いは亡ぶというもの。
だから、この爻の全体終始の義を統べて、まず、悔い亡ぶ、という。

しかし、改革は容易なことではない。
その改革を断行する人の資質が問われる。
その人がその志を執り行うに、公明正大にして天性自然の順の道に符合し、外は天下の人が悉くみなその公正に感じ化し、信じて心服すれば、即ち改革しても咎無くして吉なのである。
もし、その哀心に毛髪の先ほども私意私情が有り、天下の人々が一人も心服しないのに、強いて革命するときには咎有りて凶である。
要するに、多くの人々から孚とされる改革でなければいけないのである。
だから、孚有って命を改めれば吉なり、という。

上六━ ━
九五━━━○
九四━━━
九三━━━
六二━ ━
初九━━━

九五(きゅう ごは )大人( たい じんは ) (とらのごとくに ) (へんず)(いまだ/ざれども ) (うらなわ) ( ちがいなし )

【書き下し】九五は、大人は虎のごとくに変ず、未だ占なわざれども有孚(ちがいな)し、

象曰(しょうに いわく)大人( たい じんは ) (とらのごとく ) (へんずとは)其文( その あや )炳也(へいたればなり )

【書き下し】象に曰く、大人は虎のごとくに変ずとは、其の文、炳たればなり、

九五は、今改革の時に当たって、君の位に居る。
もとより剛健中正にして、大人の徳が有り、その仁政を以って民を化する者である。
したがって、虎の毛が夏のから冬の毛に変革して、その模様が美しく鮮やかになるように、その人徳が威厳正しく美しく輝くのである。
大人の徳が、燦然として輝けば、下民は自然にその徳化に感じ服すものである。
これが吉であることは、占わなくても、決して疑う余地がない。
だから、大人は虎のごとくに変ず、未だ占なわざれども有孚、という。
象伝の文は虎の模様のこと、炳は美しく鮮やかで明らかなこと。

上六━ ━○
九五━━━
九四━━━
九三━━━
六二━ ━
初九━━━

上六(じょう りくは)君子( くん しは ) (ひょうのごとくに ) (へんず)小人(しょう じんは ) (あらたむ )(つらを)(ゆくは ) (きょうなり)(おれば )(つねに ) (きちなり)

【書き下し】上六は、君子は豹のごとくに変ず、小人は面を革む、征くは凶なり、貞に居れば吉なり、

象曰(しょうに いわく)君子( くん しは ) (ひょうのごとくに ) (へんずとは)其文( その あや ) (いたればなり)小人(しょう じんは ) (あらたむとは )(つらを)(つつしんで ) (もって )(したがえばなり )(くんに)也、

【書き下し】象に曰く、君子は豹のごとくに変ずとは、其の文、蔚たればなり、小人は面を革たむとは、慎んで以って君に従えばなり、

上六は、改革の至極の爻である。
この時に当たって、君子は、豹の毛が夏から秋へと変革して麗しくなるように、その徳が輝く。
九五は陽爻なので大人と言い虎と言い、この上六は陰爻なので、君子と言い豹と言う。
虎は陽の獣、豹は陰の獣なので、九五陽爻を虎、上六陰爻を豹とする。
大人が虎のごとくに変じ、君子が豹のごとくに変じれば、小人もその徳風に感化されるものである。
小人は悪習や私利私欲に染まっていれば、すぐに中心より感じ発して革めることは、少ない。
まずは、君子の徳に従って、その面色より、少しずつ革めるものである。
だから、君子は豹のごとくに変ず、小人は面を革む、という。

さて、事を改革した後は、その改革したことをよく貞固に守るのが大事である。
しばしば改革する時は、民は翻弄されて、何に従ったらよいのかわからなくなる。
これは、凶の道である。
だから、征くは凶なり、貞に居れば吉なり、という。
征くとは、しばしば改革をすることを指す。

象伝に蔚とは、模様が深密なこと、虎の模様に対して豹の模様を表現したものである。

なお、近代においては、君子豹変という言葉を、君子は変わり身が早い、という意に解釈することが多いが、それは誤りであって、正しくは、ここに書いたとおりである。
変わり身が早い、とするのは、魏の王弼の注釈によるもので、王弼は卦爻の象を無視して、辞を解釈しているから、このようなことになった。
そもそも象を無視して解釈したのでは、象を立てて占う意義がない。
しかし、象を無視することで、逆に初心者にも意味がわかりやすい、ということはある。
そのために、易を知らない人たちは、安易に王弼の解釈を用いてしまうのだろう。
ただし、取り違えた解釈なので、深く易を勉強するときには混乱を招きやすい。

前の卦=48水風井 次の卦=50火風鼎

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01.乾為天 02.坤為地 03.水雷屯 04.山水蒙 05.水天需 06.天水訟 07.地水師 08.水地比 09.風天小畜 10.天沢履 11.地天泰 12.天地否 13.天火同人 14.火天大有 15.地山謙 16.雷地予 17.沢雷随 18.山風蠱 19.地沢臨 20.風地観 21.火雷噬嗑 22.山火賁 23.山地剥 24.地雷復 25.天雷无妄 26.山天大畜 27.山雷頤 28.沢風大過 29.坎為水 30.離為火

31.沢山咸 32.雷風恒 33.天山遯 34.雷天大壮 35.火地晋 36.地火明夷 37.風火家人 38.火沢睽 39.水山蹇 40.雷水解 41.山沢損 42.風雷益 43.沢天夬 44.天風姤 45.沢地萃 46.地風升 47.沢水困 48.水風井 49.沢火革 50.火風鼎 51.震為雷 52.艮為山 53.風山漸 54.雷沢帰妹 55.雷火豊 56.火山旅 57.巽為風 58.兌為沢 59.風水渙 60.水沢節 61.風沢中孚 62.雷山小過 63.水火既済 64.火水未済

ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては易学入門をご覧ください。
また、六十四卦それぞれの初心者向け解説は無料易占いのページをご覧ください。
占いながら各卦の意味がわかるようになっています。

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最終更新日:令和04年04月03日 学易有丘会
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