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前の卦=49沢火革 次の卦=51震為雷

50火風鼎 かふうてい

 

 巽下(そんか)離上(りじょう)

八卦の(そん)の上に、()を重ねた形。

(てい)は、煮炊きをする三本足の鍋のこと。
この卦は初六の陰爻を足とし、九二九三九四の陽爻を鍋の胴体部分とし、六五の陰爻を胴の上にある左右の耳とし、上九の陽爻を持ち運びするときに取り付ける(つる)として、鼎(=かなえ)の形を表現しているものとする。
だから鼎と名付けられた。
また、巽を木として入るとし、離を火とすれば、巽の木を離の火の中に入れて煮炊きのために火勢を強くしている様子である。
だから鼎と名付けられた。なお、前卦沢火革は、物事を変革することを意味するが、この火風鼎の鼎は、金属を一旦溶かし変革して成型した道具であり、生では食べられないものを煮炊きして食べられるようにその性質を変革させる道具である。

 

卦辞(かじ) 〜彖辞(たんじ)とも言い、周の文王の作と伝わる。

(ていは) 元亨(おおいに とおる)

【書き下し】鼎は、元いに亨る、

鼎は煮炊きをする鍋である。
古は、鼎を使って生ものを熱で変革し、食べられるようにして、その後に上帝に(すすめまつ)り、聖賢を養い、もって人民にその恩恵を及ぼす。
上帝とは、天帝とも呼ばれる、天の運行を司る神であって、この上帝の祭祀をすることを、上帝に亨る、という。
中でも、この鼎を使って煮炊きしたものを供えての祭祀は、その亨るところの大なる者である。
だから、元いに亨る、という。

また、離を明とし()くとし、巽を従うとすれば、明者に麗き従う様子である。
この社会は、明者に麗き従うときには、その道必ず大いに亨通するものである。
だから、元いに亨る、という。

また、来往生卦法によれば、もとは天風姤から来たものとする。
天風姤の下卦の外より一陰が進み上って、六五となって居るのが、この火風鼎である。
天風姤は遇うというのがメインの意味だが、多くの人と出遇っても、未だ離明なることを得ず、二五の君臣も応じてはいない。
それが今、柔が進み上って火風鼎となるときには、離明に巽従(明者に従う)の意が現れ、六五柔中にして九二の剛中の臣と陰陽相応じている。
したがって、大いに亨通するのである。

なおこの卦は、前卦沢火革とともに辛酉革命理論を生み出した卦でもある。詳細は古事記と易学〜X暗号解読[1]神武天皇と辛酉革命を御覧ください。

彖伝(たんでん) 彖伝は卦辞(彖辞)の解説で、孔子作と伝わる。

彖曰(たんに いわく)(ていは)象也(しょうなり  )(もって)(きを ) (いれて)(ひに )(ほう ) 飪也(じんするなり )

【書き下し】鼎は、象なり、木を以って火に巽れて亨飪するなり、

この卦は、直ちに鼎と呼ばれる鍋の象形である。
初はその鍋の三本の足、二三四は胴体、五は耳、上は(つる)である。
また、上下二卦の義象を以って云えば、巽を木として入るとし、離を火とし、火に木を入れて亨飪=煮炊きしている様子である。

聖人( せい じん ) (ほうして)(もって ) (すすめまつり )上帝(じょう ていに)(しこうして ) (おおいに ) (ほうして)(もって ) (やしない)聖賢( せい けんを)(したがって ) (しこうして) 耳目( じ もく ) 聰明( そう めいなり)

【書き下し】聖人亨して、以って上帝に亨めまつり、而して大いに亨して、以って聖賢を養い、巽って而して耳目聡明なり、

聖人とは君上のこと。
その君上聖主の最も重要な務めは、この鼎という器を以って煮炊きして上帝および祖先の神霊に供えて孝の祭祀をすることである。
と同時に、その鼎で煮炊きした食事で在朝在野の聖賢を養い、その教えを受け従い、自らの知識を広く深くすることである。

柔進(じゅう すすんで ) (しこうして ) 上行(じょう こうし)( えて) (ちゅうを ) (しこうして ) (おうず)(ごうに)是以(これを もって ) (おおいに ) (とおるなり)

【書き下し】柔、進んで而して上行し、中を得て而して剛に応ず、是を以って元いに亨るなり、

来往生卦法によれば、天風姤の内卦の外より、一陰柔が上り進み、六五柔中を得て離明の主なり、九二剛中の爻と応じているのが、この火風鼎である。
以上の象義徳性を備えているるので、元いに亨るのである。

 

象伝(しょう でん ) 卦の(しょう)=形の解説で、大象(たいしょう)とも呼ばれ、彖伝同様に孔子の作と伝わる。

象曰(しょうに いわく)木上( きの うえに ) (あるは)()(ていなり)君子( くん し ) (もって ) (ただし )(くらいを )(あつむ )(めいを)

【書き下し】木の上に火有るは、鼎なり、君子以って位を正し命を凝む、

木の上に火があるというのは、木を燃やして煮炊きをする様子であり、それが鼎の作用である。
そもそも鼎は重要な器であって、君子であるのなら、鼎のように、鼎に相応しく、卓立毅然としてその徳を盛んにして、よくその居るべきところの位を正しくし、荘重厳正にして、妄りに進んで功を求め利を計ることなく、道を履み礼を行い、以って天命を凝集するべきである。

爻辞( こう じ ) 〜周公旦の作と伝わる。象曰以下は孔子の作と伝わる象伝。

上九━━━
六五━ ━
九四━━━
九三━━━
九二━━━
初六━ ━○

初六( しょ りくは)( てい ) (さかしまにす )(あしを)(よろし )(いだすに)( ひを )( えて )(めかけを ) (もって ) 其子( それ こあらば)( なし) (とが )

【書き下し】初六は、鼎、趾を顛にする、否を出すに利ろし、妾を得て以って其れ子あらば、咎无し、

象曰(しょうに いわく)( てい ) (さかしまにすとは )(あしを)(ざれとなり )(もとら)也、(よろしとは ) (いだすに)( ひを )(もって ) (したがえよとなり ) (たっときに)也、

【書き下し】象に曰く、鼎、趾を顛にするとは、悖らざれよとなり、否を出だすに利ろしとは、以って貴きに従えよとなり、

初六は陰柔不才不中不正の爻であり、鼎を用いる初めとする。
鼎を用いて煮炊きをするときは、初めに、逆さにして中の汚れを落とし、洗い清める。
だから、鼎の趾を顛にする、否を出すに利ろし、という。
初六は鼎の趾に当たる。
否とは中の汚れのことである。
これに倣って己が陰柔汚濁の旧染の垢を洗い去って貴き陽明の道に従えば、悖ることはないのである。

さて、九二は陽爻にして男子である。
初六は陰爻にして女子である。
また、初を子とする。
九二は初六に比している。
したがって、この初六と九二との関係は、九二が初六の妾を得て、また初の子を得た様子である。
正式な結婚ではなく、妾を得るというのは、いささか醜いことではある。
しかし妾であっても、子を得る時には、世継が絶えず、祭祀相続することを得るのである。
大切な鼎をひっくり返すことは醜いことではあるが、そうやって洗い清めてこそ、その後に煮炊きして美味しい料理を作れる、というが如くである。
だから、妾を得て以って其れ子あれば、咎无し、という。

上九━━━
六五━ ━
九四━━━
九三━━━
九二━━━○
初六━ ━

九二(きゅう じは )(ていに ) ( あり )()(われに ) (あだあり)( あり )(やまい)(ざれば )(われより) ( よく ) ( つか )(きちなり)

【書き下し】九二は、鼎に実有り、我に仇あり疾い有り、我より能く即かざれば吉なり、

象曰(しょうに いわく)(ていに ) (ありとは )()(つつしめよとなり ) (ところを)( ゆく )也、(われに ) (あだあり ) (ありとは )(やまい)(おわりに ) (なきとなり)( とが )也、

【書き下し】象に曰く、鼎に実有りとは、之く所を慎めよとなり、我に仇あり疾い有りとは、終わりに咎无きとなり、

九二は陽すなわち実体のあるものを意味し、その位は鼎の腹に当たる。
だから、鼎に実有り、という。
この爻の義は、鼎に実が有るのだから、人にしては剛中の才が有る者である。
九二剛中にして、初六に比し、六五の君に応じている。
その六五の君に正しく応じることを公義とし、初六に密比することを私情とする。
もとより、初六の陰柔不中不正を以って、九二に比し親しむことは、九二にとっては仇であり、疾いである。
だから、我に仇あり疾い有り、という。
我とは九二の爻を指す。
仇と疾いは、共に初六陰柔の比爻を指す。
仇とは我を害するもの、疾いとは我を苦しませるものである。
しかし、九二が慎んで正しく六五の君に応じ行き、初六とは親しまず比せずして、即き係わることのない時には、仇にも疾いにもならない。
これを防ぎ守ることは、我に在る。
我より初六を拒絶すれば、何の害もなく、咎も无い。
だから、我より能く即かざれば吉なり、という。

上九━━━
六五━ ━
九四━━━
九三━━━○
九二━━━
初六━ ━

九三(きゅう さんは)(ていの ) ( みみ ) (あらたまれり)其行( その ゆくこと ) (ふさがる)雉膏(きじの こう ) ()(くらわれ)(まさに ) (あめふらば ) ( かく)(くいを)(おわりには ) (きちなり)

【書き下し】九三は、鼎の耳、革まれり、其の行くこと塞がる、雉の膏、食らわれず、方に雨ふらば悔いを虧く、終りには吉なり、

象曰(しょうに いわく)(ていの ) ( みみ ) (あらたまるとは)(うしなえるなり )其義( その ぎを )也、

【書き下し】象に曰く、鼎の耳、革まるとは、其の義を失えるなり、

鼎は、古くはその形にいろいろあった。
四足のもの、三足のもの、丸いもの、四角いもの、耳(持ち運ぶときの取っ手)が胴体の脇にあるもの、口のところにあるもの・・・。
今、この卦の鼎の象形にては、その耳は口のところに有る。
したがって、胴体の脇に耳があった頃とは、その制度が革まり変化し、其の義を失っているのである。

さて、九三は上下の際、胴体の脇の、古代の鼎の耳の有るべき位に居るが、陽爻なので、耳の象形はない。
これは、耳の場所が革まった象である。
耳がなければ、そこに(つる)を通すことはできない。
鉉を通すことが不可能ならば、どこかへ持ち運んで行くこともできない。
だから、鼎の耳革まれり、其の行くこと塞がる、という。
これは、九三は陽剛だが、上に応爻の(たす)けなく、挙げ用いられない義に喩えたものである。

続く辞の、雉とは文明の者にしてその膏(脂身)は甘美なので、これを九三の才徳が有ることに喩えている。
不食というのは、九三が下卦に在って、未だ上卦に出ていないからであって、これは食材がまだ煮えていないので食べられない状態の象であり、九三が上に応の援助なく挙げ用いられないことの喩えである。
だから、雉の膏食らわれず、という。

方とは将来という意で使われている。
雨が降るは、陰陽が交じり合うことをいう。
今、九三は陽爻なので、上九と和合しない。
これが変じて陰となるときには、上九と相応じ和合するのである。
これは、陽爻の剛強な性質を変じて柔順にせよという教戒の辞にして、この爻が変じれば外卦巽が坎の水の象となることをも兼ねている。
また、三も上も共に陽剛なので、これは両剛が互いに拒み合って応じない。
これは、悔いが有ることである。
今、九三が変じて陰となり柔順になれば、陰陽相応じ和合して、その悔いを虧き消して、後に吉を得るというものである。
だから、方に雨ふらば悔いを虧く、終わりには吉なり、という。

なお、この爻辞の中には、鼎耳革と、革の字が使われているが、改でもよさそうなものである。
ここに、改ではなく革の字を用いたのは、この卦が沢火革の顛倒生卦にして、鼎の三はすなわち革の四だからである。
したがってその義を取って革の字を用いたのである。

上九━━━
六五━ ━
九四━━━○
九三━━━
九二━━━
初六━ ━

九四(きゅう しは )(ていの ) ( おる )(あしを)(くつがえす )(こうの ) (あつものを)其刑( その かたち)(あくたり)(きょうなり)

【書き下し】九四は、鼎の足を折る、公の餗を覆す、其の刑、※渥たり、凶なり、

象曰(しょうに いわく)(くつがえすとは ) (こうの ) (あつものを)(まことに)如何也( いかんせんとなり )

【書き下し】象に曰く、公の餗を覆すとは、信に如何せんとなり、

※渥は、通本はそのまま渥とするが、中州は、屋を偏、刂を旁とした文字で、意味は誅戮を被ることだとする。
この字(図形として作成)→
しかし、JIS規格にもユニコードにもないので、意味は異なるが通本の※渥で代用しておく。

この卦の二三四爻はみな陽剛なので、鼎に実(煮炊きする具)が入っている象である。
四に至っては、鼎に実が満ちている象である。
四は初の応位である。
初は鼎の足にして、一陰の微弱なものである。
今、鼎の実が過ぎ満ちて、その重さに耐えられず、足が折れる象がある。
だから、鼎の足を折る、という。
鼎にして足を折る時には、鼎も実も共に覆るというものである。
これを人事に推す時は、九四は宰相執政の位にして、応位の初六は陰柔不中正の下賎の小人である。
したがって、初六陰柔が佞媚を以って諂いを献じれば、九四の大臣はこれを喜び、甘んじて信用し寵愛する。
初六は陰柔下賎なので、下に在る応位より相助けるのではなく、却って大敗大害を勧め献じるのである。
もとより九四もまた、不中不正の爻なので、表は陽爻の賢良の態度をしていても、内心は陰柔の情欲を欲しいままにする。
したがって、その国家の大任に堪えず、公の餗を覆して、大事を破敗するのである。
だから、公の餗を覆す、という。

そもそも鼎とは、例えば国家である。
餗とは、煮物といった料理であり、人事に推せば天下の億兆の民である。
その塩加減などの味付けは政教である。
これを掌って煮炊きするのが、宰相の職であり任務である。
これは国家の公事にして、天下万民の安危治乱に関わることである。
宰相執政の任は、天下の公事の最大なる者にして、私家小事の万億を以ってしても比較するべきことではない。
しかし九四の爻は、己の才力徳量をも測らず、妄りにこの重大な任に当たり、不中不正の志行を以って、任意随情にこれを斡旋し、あまつさえ同気相求めて、初六陰柔不中正の小人を寵愛する。
これが顛覆を来たす所以である。
今、国家の鼎と万民の餗とを顛覆すれば、これを掌る大臣はその責その罪を逃れることはできない。
だから、その刑、※渥たり、という。
※渥とは誅戮を被る様子を云い、刑とは刑罰の総称であり、その刑※渥たりは、その刑罰は誅戮=死罪に値する、といった意であって、その凶であることは当然である。
だから、凶なり、という。

上九━━━
六五━ ━○
九四━━━
九三━━━
九二━━━
初六━ ━

六五( りく ごは )(ていに ) (こうなる ) (みみあり)金鉉(きんの つるせり)(よろし )(ただしきに)

【書き下し】六五は、鼎に黄なる耳あり、金の鉉せり、貞しきに利ろし、

象曰(しょうに いわく)(ていに ) (こうなる ) (みみありとは)(ちゅうにして ) (もって ) (するとなり)( みと )也、

【書き下し】象に曰く、鼎に黄なる耳ありとは、中にして以って実と為るとなり、

六五は鼎の耳の位置であるとともに君の位であり、柔中の徳が有って、なおかつ上九の賢明の師に承け麗(つ)いている。
黄とは中央の土色にして、忠信の義である。
耳とは教えを受け、諌めを聞き入れるところにして、人君の道は、この耳をよく大いに開くことを貴しとする。
したがって、聡明叡智と称えるにも、耳の徳を第一にするのであって、聖人の聖の字の書き順も、まず耳からである。
金とは、剛堅の喩えである。
(つる)とは、鼎を持ち運ぶとき、耳に差し入れて鼎を持ち上げる部品であるとともに、上九の賢師の爻を指す。
だから、鼎に黄なる耳あり、金の鉉せり、という。
黄なる耳とは、六五に柔中の徳が有り、よく教えを受けて実として、諌めを聞き容れる様子を言う。
金の鉉とは、上九の剛明の徳を言う。
そもそも鼎に耳があっても、鉉がない時には用をなさない。
六五に柔中の徳が有っても、上九の賢師がいないのであれば、教えを受け、益を請うところはない。
また、上九の賢明の鉉があっても、六五柔中の耳がなければ、教えを施し、政を輔佐することもない。
すなわち、耳と鉉、師と弟子、六五と上九とは、それぞれ互いに用をなす者なのである。
六五がその教えを受ける道は、その富貴威権を心に挟むことなく、上九を臣とせず、志を降して、貞正に道を請い求めるべきである。
だから、貞しきに利ろし、という。

上九━━━○
六五━ ━
九四━━━
九三━━━
九二━━━
初六━ ━

上九(じょう きゅうは)(ていに ) (ぎょくの ) (つるせり)大吉( だい きちなり)( なし )(からざる )(よろし)

【書き下し】上六は、鼎に玉の鉉せり、大吉なり、利ろしからざる无し、

象曰(しょうに いわく)(ぎょくの ) (つるにして ) (あるは )(うえに)剛柔( ごう じゅう ) 節也(ほどよければなり)

【書き下し】象に曰く、玉の鉉にして上に在るは、剛柔ほどよければなり、

鼎の(つる)には、金と玉との二種が有る。
一般的には金だが、特に高貴なものは玉である。
金は剛堅なだけだが、玉は剛堅にして温潤なのである。
上九は鼎の鉉の位にして、陽剛を以って陰位に居るので、剛に過ぎず陰に流されず、程よい様子である。
これを、玉の剛堅にして温潤である様子に象る。
だから、鼎に玉の鉉せり、という。

そもそも鼎は、鉉があってこそ持ち運びできるものである。
これを人事に推すときは、上九は陽明の賢師にして、六五の君に教え導く者である。
鼎は鉉がなければ動かせず、人は賢師がいなければ正しく動けない。
上九は鼎においては鉉であり、人においては賢師である。
その関係するところは甚だ重大であり、何事もこの上九の賢師が指導してこそ上手く行くのである。
だから、大吉なり、利ろしからざる无し、という。

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ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては易学入門をご覧ください。
また、六十四卦それぞれの初心者向け解説は無料易占いのページをご覧ください。
占いながら各卦の意味がわかるようになっています。

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最終更新日:令和04年04月03日 学易有丘会
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