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前の卦=12天地否 次の卦=14火天大有

13天火同人 てんかどうじん

「旧約聖書」天地創造6日目を構成する2卦(同人・大有)のひとつ。詳細はコチラ。

同人 離下(りか)乾上(けんじょう)

八卦の()の上に、(けん)を重ねた形。

同人(どうじん)は人と同じくする、といった意。
また、単に、同じ、という意でもある。
この卦は乾を天とし、離を火とすれば、天も火も、ともに上るという同じ性質を持っている。
だから同人と名付けられた。
また、乾を天とし、離を太陽とすれば、天に太陽があることは、万国どこでも同じであるとともに、天も太陽も同じように東から西へ動くものである。
だから同人と名付けられた。
また、太陽は天を離れないが、これも同じくしている、ということになる。
また、六二の一陰爻を他の五陽が同じように求めている様子でもある。
だから同人と名付けられた。

 

卦辞(かじ) 〜彖辞(たんじ)とも言い、周の文王の作と伝わる。

(おなじくするに )(ひとと ) (おいてすれば )( のに )(とおる)(よろし)君子( くん しの ) (ただしきに)(よろし)(わたるに)大川( たい せんを)

人と同じくするに野に於いてすれば、亨る、君子の貞しきに利ろし、大川を渉るに利ろし、

野というのは郊外広遠の地のこと。
広く公明正大にして隠蔽偏私のないことの喩えである。
公明正大ならば、道に合い、その事を遂げ成すことも可能だが、私偏なることは道に背き、遂げ成すことは難しい。
なお且つ、私をもって同じくすることは、その事が狭く、公をもって同じくすることは、その事が広いものである。
だから、人と同じくするのに野に於いてすれば、亨る、という。

およそ天下の事、ひとりをもって成すのは難しい。
しかし、人と志を合わせて同じくするときには、その事を成功させられるものである。
そして、小人の正しからざる道に同じくすることを忌み憎み、君子の正しき道に同じくすることを求め好むことが大事である。
だから、君子の貞しきに利ろし、という。

また、大きな川の険難を舟で渉ることは、人命の大事に係わることにして、最も慎むべきことである。
人心和同しない時には、渉るべきではない。
だから、この人と同じくするという意の卦のこのときに、大川を渉るに利ろし、という。

彖伝(たんでん) 彖伝は卦辞(彖辞)の解説で、孔子作と伝わる。

彖曰(たんに いわく)同人( どう じんは)(じゅう) ( えて )(くらいを) ( えて )(ちゅうを)(しこうして ) (おうずるを)(けんに)( いう )同人( どう じんと)

【書き下し】彖に曰く、同人は、柔位を得て中を得て、而して乾に応ずるを、同人と曰う、

まず卦名の同人とする義を解説する。
柔とは六二の陰爻を指し、位とは臣の位、妻の位のことにして、内卦の中を得て成卦の主爻となっている。これを以って上卦の乾の君なり夫なりの象に応ずることを、同人と云うのである。
臣にしては君に応じ同じくし、妻にしては夫に応じて同じくする、ということである。

(おなじくすること ) (ひとと ) (おいてすれば )( のに ) (とおる)(よろしとは ) (わたるに )大川( たい せんを)(つとめ ) 行也(おこなえばなり )

【書き下し】人と同じくすること野に於いてすれば亨る、大川を渉るに利ろしとは、乾め行へばなり、

この卦は離を明とし智とし、乾を君子とし正とし健やかとし勉め励むとし行うとする。
およそ人と同じくする道は、まず君子の正道なることを見極めてこれを知り明らめ、私情を払い去って公の正しきに麗き順い健やかに勉め励む時は、例え大川を渉るような艱難労苦が有ることでも遂げられないことはない。だから亨るという。

文明(ぶん めいにして ) (もって ) (すこやかなり)(ちゅう ) (せいにして ) (しこうして ) (おうず)君子( くん しの ) 正也(ただしきなり )

【書き下し】文明にして以って健かなり、中正にして而して応ず、君子の正しきなり、

文明とはなお知明というが如くであって下卦離の象。
健やかなるとは上卦乾の象。
中正とは六二の爻が中を得ていて、なおかつ陰位に陰と陰陽も正しいこと。
応ずとは九五の君の爻に応じているの義にして、象については汎く衆陽爻に応じるの義である。
君子の正しきなりとは、卦辞の、君子の貞しきに利ろし、とある貞の字の義を正の字を以って代えて補足説明しているのである。

(ひとり ) 君子( くん しのみ ) ( なす )( よく ) (つうずることを )天下( てん かの )(こころざしに)

【書き下し】唯り君子のみ能く天下之志に通ずることを為す、

およそ人と同じくするには、天下の志に通じることが第一であり、天下の志に通じることは、自らが君子の徳に至らなければ無理なのである。
したがって同人の卦の同じくするということは、君子であってこそできることなのだ。

 

象伝(しょう でん ) 卦の(しょう)=形の解説で、大象(たいしょう)とも呼ばれ、彖伝同様に孔子の作と伝わる。

象曰(しょうに いわく)(てんと) ( とは)()同人( どう じんなり)君子( くん し ) (もって ) (るいにし )(ぞくを ) (わかつ )(ものを)

【書き下し】象に曰く、天と火とは、同人なり、君子以って族を類にし物を弁つ、

天は上昇のもの、火もまた上昇のものである。
その上昇の情が相同じだからこの卦は同人と名付けられたわけだが、今この天と火の二卦の象を観て、その同実の分別を学ぶのならば、まずその族を以って類聚するべきである。
同族を同じとして寄せ集めれば、自然に同じではない物が弁別されるではないか。
すなわち同人とは、同を同とし、異を異とするの道なのである。

爻辞( こう じ ) 〜周公旦の作と伝わる。象曰以下は孔子の作と伝わる象伝。

上九━━━
九五━━━
九四━━━
九三━━━
六二━ ━
初九━━━○

初九(じょう きゅうは)(おなじくすること )(ひとと ) (おいてすれば )(もんに)( なし)(とが )

【書き下し】初九は、人と同じくすること門に于いてすれば、咎无し、

象曰(しょうに いわく)(いで )(もんを ) (おなじくせば )(ひとと)又誰( また たれか ) 咎也(とがむるものあらんや)

【書き下し】象に曰く、門を出で人と同じくせば、又誰か咎むるものあらんや、

初九は同人の卦の初めに在って、正を得てはいるが、卦中唯一の陰である六二にのみ比している。
しかし、比しているからと、この六二とのみ同じくして、広く遍く天下の人々と同じくしないのであれば、それは偏私狭小の道にして、大いに咎有りとする。
だから、これを戒めて、人と同じくすること門に于いてすれば咎无し、という。
門に于いて、とは、門を出て広く人と同じくする、という意味であり、人と同じくする卦のときなのだから、誰に咎められることもないのである。
六二は内卦の中なので、門内の近いところとし、その六二を離れて、門を出て広く人と同じくせよ、と言っているのである。

上九━━━
九五━━━
九四━━━
九三━━━
六二━ ━○
初九━━━

六二( りく じは )(おなじくすること )(ひとと ) (おいてすれば )(そうに)(はずかし)

【書き下し】六二は、人と同じくすること宗に于いてすれば、吝し、

象曰(しょうに いわく)(おなじくすること )(ひとと ) (おいてすとは )(そうに)吝道( りん どうなり)也、

【書き下し】象に曰く、人と同じくすること宗に于いてすとは、吝道なり、

宗とは同姓同党の義にして、初九と九三とを指す。
この初九も九三も、六二と同じ内卦の一党なので、宗というのである。
今、六二は同人の時に在って、全卦中の唯一の陰爻であるを以って、卦中の他の五陽爻は、皆この六二の一陰と同じくしようと求めている。
しかし六二は臣の位であり、妻の位である。
また、九五は君の位であり、夫の位である。
したがって六二は、九五の爻に応じ同じくすることこそが正道である。
その他の爻に比し同じくしようとするのは、不義であり鄙吝(いやし)醜辱(はずかし)いこと甚だしく、まさに吝道と呼ぶべきである。

そもそも、この六二の爻は、中正を得ているとしても、陰陽の定情として、隣接する初九と九三との同宗中の二陽剛に比し同じくして、正応の九五の君なり夫なりの爻を忘却しまう傾向がある。
こんなことでは吝しい。
だから、人と同じくするに宗に于いてすれば、吝し、というのである。

なお、同じくするといっても、卦辞と爻辞では、その意味合いが違う場合がある。
卦辞では、広く同じくする道を主として述べるので、その相対するところの爻位を限定しない。
これに対して爻辞では、中正と応比とを主として述べるので、正応の九五の君なり夫なりの爻を捨てて他の爻に比し同じくすることを、責め戒めるのである。

上九━━━
九五━━━
九四━━━
九三━━━○
六二━ ━
初九━━━

九三(きゅう さんは)(ふせて)(つわものを)(くさむらに)(のぼり)(その ) 高陵( こう りょうに)三歳(さん さいまでも) ()(おこされ)

【書き下し】九三は、戎を莽に伏せ、其の高陵に升り、三歳までも興されず、

象曰(しょうに いわく)(ふすとは) (つわものを)(くさむらに)(てき ) 剛也(ごうなればなり )三歳(さん さいまでも ) (ずとは )(おこされ)(やすんじて ) 行也(おこなわれんとなり)

【書き下し】象に曰く、戎を莽に伏すとは、敵剛なればなり、三歳までも興されずとは、安んじて行われんとなり、

この卦は一陰五陽なので、卦中の五陽爻は皆六二の一陰爻に比し同じくしようと求めている。
これは卦爻の陰陽の性情である。
したがって、この九三の陽爻も、六二に比し同じくしようと求めている。
しかし六二は、九五正応の夫が有るので、九三に比していても、敢えて背くのである。
これによって九三は、その欲情の甚だしさから、遂には害意を生じ、姦計を施し、まず、九五の夫を殺害し、その後に六二を奪い取って、情欲を快く遂げようと謀る。
しかし、元来が不義にして兵を起こすのであるから安易に動けば危険である。
慎重に隠密裏に行わないといけない。
そこでまず、戎兵(つわもの)を莽のようなところに密かに伏せ隠し置き、九五のスキを窺う。
ただし自分は、そ知らぬふりをして、高陵の遥かに高く遠いところに登り、傍観して居る。
だから、戎を莽に伏せ、其の高陵に升り、という。
要するに、九三は不義を目論むとしても、それは容易なことではないと計り知り、妄りに露にせず、深く隠して、全く企て謀ることがない者の如くにして居ることの譬えである。

その九三の姦計邪謀は周密ではある。
しかしかの九五の爻は、そもそも剛健中正の徳が有り、文事も武備も完璧であり、つけいる隙がない。
したがって九三の邪謀は、悉く不発にして、いつまで経っても、戎兵を実際に動かすときは来ないのである。
だから、三歳まで興されず、という。
三とは多数の義にして、いつまで経っても、戎を興し兵を挙げるべきときは来ない、ということであり、安易に行ってはいけないという戒めでもある。
が、これもまた、邪謀を隠秘しつつも、実行せずに未遂で終わる譬えである。

なお、ここに吉凶の記載がないのは、もとより不義の邪謀なので、吉と言わないのは勿論だが、その事が未遂に終わり発覚しないので、直ちに凶とも言えないのである。

上九━━━
九五━━━
九四━━━○
九三━━━
六二━ ━
初九━━━

九四(きゅう しは )(のれり)(その ) (かきに)()(あたわ )(せむること)(きちなり)

【書き下し】九四は、其の墉に乗れり、攻むること克は弗、吉なり、

象曰(しょうに いわく)(のれりとは )(その ) (かきに)(ぎとして ) (ざるとなり )(かたれ)也、其吉( その きちとは ) (すなわち ) (くるしんで)(かえればなり )(のりに)

【書き下し】象に曰く、其の墉に乗れりとは、義として克た弗るとなり、其の吉とは則ち困しんで則に反ればなり、

墉とは、物の障り隔てを為すということで、下の九三の爻を喩えたのである。
この九四の爻もまた六二の一陰の女子に、同じくしよう(親密になろう)と求める者である。
しかし六二を求め得ることの難しさは九三よりも甚だしい。
九四は六二の応位でも比位でもない。
その上、六二は九五と正応なのだから、その九五は九四の敵でもある。
また六二の比爻の九三の墉により、六二と九四の間は障り隔てがある。
このように、九四には仇敵が前後に在る。
したがって九四は、まず九三の隔ての墉に登り、前後両敵の様子を伺うのである。
だから、その様子を指して、其の墉に乗れり、という。

そもそも九四が六二の女子を得るためには、まず九三の墉の隔てを攻め破り、次いで六二の正応の夫である九五を攻め亡ぼさなければいけない。
しかし、九三は同じ陽剛であるばかりか、陽位に在る陽だから過剛の強敵であり、九五は君位に居る陽なのだから、剛健中正の文武具足している英勇なので、所詮九四の力の及ぶ相手ではなく、義として勝ち目はない。
そこで九四は、その自分に勝ち目のないことをよく察して、この事この念を反省して思い止まるのである。
したがって禍に陥らず、害を免れて、却って無事安穏の福を得るのである。
だから、攻むること克は弗、吉なり、という。

上九━━━
九五━━━○
九四━━━
九三━━━
六二━ ━
初九━━━

九五(きゅう ごは )(おなじくせんとて )(ひとと ) (さきには) 號咷( ごう とうし ) (しこうして ) 後笑(のちには わらう)大師(だいなる いくさ ) (かちて ) 相遇( あい あう )

【書き下し】九五は、人と同くすせんとて先には号咷し、後には笑う、大なる師克ちて相遇う、

象曰(しょうに いわく)同人( どう じんの)(さきとは)(もってなり )(ちゅう ) (ちょくなるを)也、大師(だいなる いくさ) 相遇( あい あうとは)(いえるなり ) 相克(あい かつことを)也、

【書き下し】象に曰く、同人の先とは、中直なるを以ってなり、大なる師相遇うとは、相克ことを言えるなり、

今、同人の時に遇い、九五は正応の六二に応じて同じくしようとするが、その中間に九三九四の二陽爻が有り、障り隔てていて、このままでは容易に応じられない。
そもそも九五は、六二の正応の夫であり、六二と同じくしようとする情は、九三や九四よりも激しいのである。
したがって、その応じ同じくできない困難を嘆き悲しみ、号咷=叫び泣く。
だから、人と同じくせんとて先には号咷し、という。
しかし、ただ泣き叫んでいても仕方ないので、九三と九四の障り隔てを排除するために、大なる師=軍隊を出し、これを征伐する。
九五は君位であり、九五が出す軍隊が強力でないわけがない。
したがって、終には九三九四に攻め克ち、九五は無事に六二と相遇うことを得て、喜び笑うのである。
だから、後には笑う、大なる師克ちて相遇う、という。

ただし、この九五は君位であるとしても、その君徳は、篤厚とは言えない。
九五君上の道は、天下の億兆を赤子とし、遍く仁沢をもって養い育て、教え化すことである。
これは万古不易の典則である。
しかし今、このように六二の一臣のみと同じくしようとすることは、偏私の愛情である。
また、夫としては、妻のことで軍隊を動かすなど、醜いことである。
これでは、人君としての徳量においては、軽く薄いと言わざるを得ない。
したがって、聖人剛健中正の義は取らず、その心の様子を、号咷、笑うと、感情的に表現する。
このように感情的なのは、小人婦女の状態にして、大人君子の有るべきところではないから、象伝でも九五を中正とは表現せず、中直としているのである。

およそ易の経文で、このような感情的な表現を書いている箇所は、吉凶の言葉はないとしても、その感情的な態度を戒め質し責めているのであって、それを斟酌して解釈するのが正しいのである。

上九━━━○
九五━━━
九四━━━
九三━━━
六二━ ━
初九━━━

上九(じょう きゅうは)(おなじくすること )(ひとと ) (おいてすれば )(こうに)( なし)(とが )

【書き下し】上九は、人と同じくすること郊に于いてすれば、咎无し、

象曰(しょうに いわく)(おなじくすること )(ひとと ) (おいてすとは )(こうに)(こころざし ) (いまだ/ざればなり)()也、

【書き下し】象に曰く、人と同じくすること郊に于いてすとは、志未だ得ざればなり、

同人の卦は、五陽爻が共に六二の一陰爻に同じくしようとしている時である。
その中にあっても、特に初九と九三は、六二の両比爻なので、比し同じくしようとする思いが専らな者である。
九四は比でも応でもないが、二五正応の間に挟まり、五よりはやや二に近いので、六二に同じくしようとする思いは、初と三に次ぐ者である。
九五はもとより六二の正応の爻なので、その応じて同じくしようとする思いは、初三四よりも増している。
そんな卦中で、唯一この上爻だけは、二五正応の外に居て、しかも、六二とは応でも比でもない。
したがって、この上九だけは、ひとり広く人と同じくして、咎や悔いのない爻とする。
だから、人と同じくすること郊に于いてすれば、咎无し、という。
郊とは城外の地のことで、野に比較すれば狭く小さい場所を指す。
卦辞では、野に于いて、と言っているわけだが、その野よりは劣るが、六爻中にては、この郊が最も優れていることになる。
卦辞は全体の徳を説き、単に同じくする道を教えて「野」と言っているのである。
それが爻辞では、相対する者を以って説いているのである。

もとよりこの上九の爻も、陰陽の定情により、最初から六二を求め同じくしようとする思いがなかったわけではない。
しかし、六二の正応である九五の爻のさらに外に居て、六二とは遥かに隔たっているし、六二とは応も比もないので、まったく縁がなく、相手の志を得ることは叶わないのである。
したがって、その六二を求める思いを、やむを得ず断念したのである。

前の卦=12天地否 次の卦=14火天大有

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ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては易学入門をご覧ください。
また、六十四卦それぞれの初心者向け解説は無料易占いのページをご覧ください。
占いながら各卦の意味がわかるようになっています。

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最終更新日:令和04年04月03日 学易有丘会
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