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爻辞
爻辞は、周の文王の子で、魯の国祖、周公旦の作と伝わり、また象辞とも言い、卦中の爻の意義を書いたものである。
初九
初九、屨校滅趾、无咎、
象曰、屨校滅趾、不行、
【書き下し】
初九は、校を屨めて趾を滅す、咎无し、
象に曰く、校を屨めて趾を滅するは、行かしめざるとなり、
校とは木で作った拘束具のことで、ここでは足枷を意味する。
趾を滅するとは、足を切断し、歩行困難でどこへも行けないようにする刑罰である。
さて、この卦の六爻の辞の義は、上爻以外は刑を用い施す役人のこととして説明する。
そもそも刑とは、その罪状によって重さが変わるものであり、基本は公明正大の天意に則る国憲にして、ほんの僅かの偏私暗昧なことがあってはならない。
したがって、足を切ることが決まったら、そのとおり切るのである。
初爻は人体にたとえると足の位置なので、足に対する刑罰を言う。
だから、校を屨め趾を滅す、という。
今、初九の役人は、陽剛にして陽位に居り、正を得ているので、その罪と罰とが、納得できるものなのであって、罪人はその罪に心服する。
これは咎のない道である。
だから、咎无し、という。
ここで言う咎无しとは、訟えを聞き、その是非を判断して決める罪と罰が適正であるから、道において咎がないということである。
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六二
六二、噬膚、滅鼻、无咎、
象曰、噬膚、滅鼻、乘剛也、
【書き下し】
六二は、膚を噬むがごとし、鼻を滅すも咎无し、
象に曰く、膚を噬むがごとし、鼻を滅すとは、剛に乗ればなり、
元来この卦は、頤中(口の中)に一物が有る象なので、これを齧合するという義によって、噬嗑と名付けられたものである。
したがって、ニ爻から五爻までは、その頤中のこととして、噛み合せるという義を以って辞が付いていて、その噛むところの肉の剛柔堅軟にて、その爻の徳性象義を分別している。
膚とは柔軟にして骨もない切り肉のことであり、至って噛みやすいので、力を用いない喩えである。
六二もまた刑を用い施す役人である。
もとより六五は、柔順中正の徳を以って獄えを正しく聞き、刑を行うので、罪有る者がその罪に心服することは、膚肉を噛むがごとくに容易い。
だから、膚を噬むがごとし、という。
その上、六二は中正を得ているので、鼻を切り落とすといった軽い刑罰であっても、その刑と罰は適正である。
だから、鼻を滅すも咎无し、という。
なお象伝では六二を、刑罰を受ける者として捉え、六二は陰柔不才を以って初九陽剛の上の乗っているので、初九の陽剛に見栄を張ろうと、ややもすると陰陽正しく応じていない六五を侮り、自分のために利用することを考え、膚を噬むように容易く罪悪を犯してしまい、鼻を滅せられるのだ、としている。
易の解釈には二面性があることの一例である。
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六三
六三、噬腊肉、遇毒、小吝无咎、
象曰、遇毒、位不當也、
【書き下し】
六三は、腊肉を噬み、毒に遇う、小しく吝なれども、咎无し、
象に曰く、毒に遇うとは、位当たらざればなり、
六三の辞も、また獄えを聞く役人のことである。
ただし、六三は不中不正なので、刑罰を施すとき、おいそれとは罪人がその罪に心服しない。
これを服従させて観念させることが難しさは、堅い腊肉を噛むがごとくである。
そして、人の行儀心術の上にては、不中不正の志行より毒となるものは少ない。
今、この六三の爻は、その不中不正なのだから、その堅い腊肉を噛んで毒に当たるごとくの難儀をするのである。
だから、腊肉を噬み、毒に遇う、という。
刑を施す役人としては、罪人が観念せず、その罪を不服とするのは、恥辱である。
そのため、罪人を納得させるためにいろいろと苦労するのである。
しかし、その苦労の結果、漸くきちんとした罪状を得て、罪人は刑と罪が相当なものであることに観念するので、その任を遂げられ、咎はないのである。
だから、小しく吝なれども、咎无し、という。
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九四
九四、噬乾胏、得金矢、利艱貞、吉、
象曰、利艱貞吉、未光也、
【書き下し】
九四は、乾胏を噬む、金矢を得たり、艱しんで貞しきに利ろし、吉なり、
象に曰く、艱しんで貞しきに利ろしとは、未だ光いならざるなり、
胏とは骨つきの干し肉のことである。
金とは剛堅の義と喩えである。
矢とは直であるという義の喩えである。
この九四の爻もまた、訟えを聞く役人である。
しかし、不中正なので、罪人の服し難きことに、乾胏の堅い肉を噛むがごとく苦労するのである。
だから、乾胏を噬む、という。
もとより獄えを聞くには、まず剛直であることが大事である。
役人が剛でなければ民は畏れず、直でなければ民は服さないものである。
九四は陽爻なので、剛直だと言える。
だから、金矢を得たり、という。
ただ、不中正ではあるので、その徳は未だ大い光ることはない。
だから、その不中正を戒めて、艱しんで貞しきに利ろし、という。
最後の、吉なり、というのは、別に得ることが有るということではなく、苦労があっても貞しくしていれば、その職任を失わない、ということである。
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六五
六五、噬乾肉、得黄金、貞氏A无咎、
象曰、貞氏A无咎、得當也、
【書き下し】
六五は、乾肉を噬む、黄金を得たり、貞くすれば獅オ、咎无し、
象に曰く、貞くすれば獅オ、咎无しとは、当たることを得るなり、
乾肉とは、骨のない干し肉である。
黄とは中央の色にして、中の義を言う。
金は堅剛の義である。
六五は獄えを聞く君である。
としても、六五は中を得ているが、正を得ていないので、六二の中正を得て膚を噬むがごとくの容易さには及ばない。
しかし、四と三の不中不正の爻と比較すれば、容易である。
だから、膚よりは堅く、腊肉や乾胏よりは柔らかいということで、乾肉を噬む、という。
そもそも獄えを聞く者は、中の徳=黄が有って剛=金なるを尚ぶ。
今、六五は中の徳が有り、陽剛の位に居る。
だから、黄金を得たり、という。
もとより獄えを聞くの道は、民の情偽(真実と嘘)を尽くすに在る。
その両端を捨てて、その中を取るのがよい。
偏固なる時は、民の情偽を尽くすことはできず、獅「。
だから、貞くすれば獅オ、という。
貞は固執の義である。
また、この六五の爻は中にして、陰=柔だが、陽=剛の位に居るので、剛柔両面が備わっていて、剛にも過ぎず柔にも流れずの離明の主にして剛柔がその宜しきに当たっている。
これは獄えを聞くにおいて、咎となるようなことがない様子である。
だから、咎无し、という。
さて、易の文の慣例では、金は剛堅の義なので陽剛の象に取るものである。
しかしこの爻は、陰柔でありながら、黄金という言葉がある。
これは、卦爻の徳と力との関係による。
まず、この爻は五の君位にして、至尊至貴の位なので、諸余の爻と比擬するべきではないのである。
なおかつ、五は陽位である。
したがって、その爻の徳と位とに就いて、金というのである。
また、この爻が変じれば、外卦は乾となる。
これらの義が有るので、金の象に取るのである。
ちなみに、火風鼎の六五も、陰柔でありながら金鉉とあるが、これも同義である。
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上九
上九、何校、滅耳、凶、
象曰、何校滅耳、聰不明也、
【書き下し】
上九は、校を何って、耳を滅せり、凶なり、
象に曰く、校を何って耳を滅すとは、聡くこと明らかならざるなり、
校を何うとは、首に枷をつけることである。
耳を滅すとは、耳を切り取る刑である。
さて、六爻中で、ただこの上九の爻だけは、直ちに刑を受ける罪人とする。
上九は無位の地でありながら、小人にして高く卦の極に居るので、これを、上を侮り、法を犯す者、とする。
それが、この刑を受ける理由である。
校を何って、耳を滅せり、というのは、象によるものであって、必ずしも罪の軽重を論じているのではない。
最上爻は頭の位置であって、頭部への刑罰と言えば、古代には耳を切り落とすのが一番ポピュラーなので、そう書いているに過ぎない。
およそ人の愚昧にして高く卦極に居て罪を犯し刑を受けるのは、何事もきちんと聞かないから明らかでなく、そんな罪を犯してしまうのであって、凶である。
だから、校を何って、耳を滅っせり、凶なり、という。
前の卦=20風地観 次の卦=22山火賁
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