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最後の卦=64火水未済 次の卦=02坤為地

01乾為天 けんいてん

「旧約聖書」天地創造1日目を構成する5卦(未済・乾・坤・屯・蒙)のひとつ。詳細はコチラ。

(けん) 乾下(けんか)乾上(けんじょう)

八卦の(けん)を重ねた形だからら乾と言う。
通称は乾為天。
同じ八卦を重ねた六十四卦は、計八つあるわけだが、それぞれ、その八卦と同じ名で呼ばれる。

乾とは、すこやか、かわかす、といった意味。
六本すべてが陽なので純陽であり、陽はその性は剛、その徳は健やか、その体は円満、その用は進み動き、精粋盈実の至りであり、勉めて行うことが止まない徳がある。
したがって、その陽の特質をもって乾と名付けられた。

 

卦辞(かじ)

(けんは)元亨(おおいに とおる)(よろし )(ただしきに)

【書き下し】乾は元いに亨る、貞しきに利ろし、

卦辞(かじ)はまた彖辞(たんじ)とも言い、卦の意義を書いた文章で、(しゅう)文王(ぶんおう)作と伝わる。
その卦辞や後に出て来る爻辞(こうじ)には貞という文字がよく出てくるが、その場その場で意味合いに多少の違いがある。
『易経』の訳本の中には、その部分での意味合いを考えずに音読みで「(てい)()あり」とルビを振り、どんな場合でも、同じように(てい)と読み下すことも多く、他の漢字についても同様の傾向がある。
しかしそれでは、余程漢文に精通した者でなければ意味がわからない。
そんな中、江戸時代後期の名著、眞勢(ませ)中州(ちゅうしゅう)の『周易釈故(しゅうえきしゃっこ)』に出会った。
この本では漢字をその時々の意味に合わせて読み方を変え、漢文初心者でも理解できるように書かれていた。
これから書いて行くのは、その『周易釈故』に書かれている『易経)の解説の、現代語訳である。
ただし江戸時代と現代とでは生活習慣や価値観の違いがあるので、単に翻訳しただけではわかりにくい場合もある。
そこでその違いを補うために、外国語を日本語に翻訳するときのように、言葉を補いつつ書いた。
言うなれば意訳といったところである。

その意味を汲む際に、重要なポイントがある。
そのひとつが、貞の字の意味だ。
貞節、貞操などという言葉があるが、易経の中では、貞は三つの意味合いで使われる。
貞正=ただしい、貞常=つね、貞固=かたい、である。
前後の文脈、卦象との関係から、貞がこの三つのうちのどの意味合いで使われているのかを把握して読み解く。
そうすれば、すんなり読めるのだ。
この貞の意味を曖昧にするから、易は難解だ、ということにもなるのだ。

さて、卦辞の解説だが、陽の特質は先に掲げたように剛健・円満・進動・精粋・盈実・・・である。
このようであれば、どんなことでも成し遂げられよう、だから、元いに亨る、と言う。
また、乾を天とし、君とし夫とし、坤を地とし、臣とし妻とする。
乾天は陽徳にして、率先して坤地に働きかけることだが、そう考えるそもそもの始まりは雨である。
天が地に雨を施し、地はその施しに従い、雨を承けることで草木百物が発生するのである。
天が地に雨を降らさなければ、地は砂漠のようになって、人間を含めて動植物は何も生息できない。
その雨は、人事について言えば仁であり愛情である。
天が地に雨を降らせるように、上の者が下の者にまず愛情をかけることで、上下両者は心が通じる。
乾なる上の者が、下の者から愛情をかけられることを待っているようではいけない。
それでは、乾の道に反する。
乾の特性に従うことが貞正な行いなのであって、だから、元いに亨る、と言い放つのみではなく、貞しきに利ろし、と戒めているのだ。

彖伝(たんでん) 彖伝は卦辞(彖辞)の解説で孔子作と伝わる。

彖曰(たんに いわく)大哉(おおいなるかな ) 乾元(けんの はじめは)萬物( ばん ぶつ ) 資始(とりて はじむ)(すなわち ) (すべる)(てんを)

【書き下し】彖に曰く、大いなる哉、乾の元めは、万物資りて始む、乃ち天を統べる、

彖に曰くは、彖伝に次のように述べている、ということ。
まずは乾の天元の一気の功徳が至大で比類の無ないことを賛嘆し、大哉乾元という。
そもそもこの世界が大地=陰だけでは何も始まらない。
大地に作用を及ぼす天=陽があってこそ、万物は始まるのだ。
だから六十四卦の序次も第一にこの乾為天を置いている。
およそ天地間の事物は、皆この天の(かた)(すこ)やかに運行して間断(かんだん)なきによっているのであって、この功徳が天の徳であり、その天の徳を統べているのがこの乾卦なのだ。

雲行( くも ゆき ) 雨施( あめ ほどこし)品物( ひん ぶつ ) (しく )(かたちを)

【書き下し】雲行き雨施し、品物形を流く、

ここからは、乾天坤地、陰陽二気の交わり和する功徳を以って説明している。
もとより天というときには、地はその中に兼ねているものである。
陽と云えば陰を兼ね、君と云えば臣を兼ね、一日と云って一夜を兼ねるように、天と地それぞれ単独では成立しないからだ。
雲行きとは地気の上昇、雨施しとは天気の下降である。
天気降り、地気升り、陰陽交わり和して後、雨の恩沢が遍く施されるのだ。
天の天たるところの妙用功徳は、雨の恩沢より先はなく、且つ大なるはない。
日本で、天を「ひ」や「てる」ではなく、「あめ=雨」と訓じたのは、まさにこの天の妙用功徳を古代人も感じていたからだろう。
とにかく雨が降ることで大地は潤い、いろいろな形の多くの動植物を育むのだ。

乾道( けん どう ) 變化( へん かして)(おのおの ) (ただしくせり)性命( せい めいを)()()(ごうせんとならば) 大和( たい わを )(すなわち ) (よろし )(ただしきに)

【書き下し】乾道変化して、各おの性命を正しくせり、大和を保合せんとならば、乃ち貞しきに利ろし、

ここでは卦辞に、貞しきに利よろし、とある根拠を解説する。
乾道とは天道のことだが、乾の卦の徳性象義を解説するので、これを乾道と云う。
変化とは生きていること、生きていれば常に変化しているのであって、よく変化してその時その場所に応じることで、生まれ持った性質や運命を正しくする。
これが卦辞の利貞の「貞=ただしき」の意である。
大和とは、天地陰陽の二気が和合し交感して生息養育して今日の万物に至るまでの各自が存在する根本であって、これを保ち合わせれば万物生息養育の大功徳を成し得るのである。
およそこの世の利益の広大至極なものは万物を生育することより勝れたことはなく、これは天徳の利益が広大なことを云う。
こちらが卦辞の利貞の「利=よろし」の意である。

大哉(おおいなるかな ) 乾乎( けんなるかな )剛健( ごう けん ) 中正(ちゅう せい ) 純粋精(じゅん すい せい )、六(こうに) 発揮( はっ きして ) (あまねく ) (つうぜり )(じょうに)

【書き下し】大いなる哉、乾なる乎、剛健中正純粋精、六爻に発揮して旁く情に通ぜり、

上文で卦名と卦辞の解釈は終わり、ここからは乾卦が六十四卦の最首であることから、六画卦爻の義を解説する。
大哉乾乎とは、乾卦の九五の爻徳及び六爻の徳義を深く嘆美したものである。
六爻とは、ひとつの卦を構成するすべての爻、ということで、六十四卦のそれぞれは六本の爻で構成されているからそう呼ぶ。
およそ六十四卦各卦の彖伝の例を見ると、多くは九五の爻徳を解説しているのだが、これは九五が君位の爻にして人道名教の大綱だからである。
この乾為天の九五の爻辞の飛竜在天の爻象は、竜が天に代わって雨を成すが如く、九五の大君が天位に在って、天に代わって仁徳の雨の潤いを全世界に施すことを示している。
したがって剛健中正純粋精と、九五君位の爻の徳を賛嘆し、以って六爻六位六竜の義を解説する。
剛健中正純粋精のうちの剛健純粋精の五徳は乾の六爻すべてに備わっているが、中正の二字の徳は九五の爻のみに限られる徳である。
中正とは中を得て位を正しくしていることであり、詳細は爻辞の解説で述べるが、このような妙用功徳を六爻に発揮しているから、乾の六爻はあまねく天下の事物の情意によく通達しているのである。

(おおいに ) (あきらかにして)終始(しゅう しを )、六() 時成(ここに なれり)(ここに ) (じょうじて)(りょうに)(もって ) (のっとりおさむ)(てんに)

【書き下し】大いに終始を明らかにして、六位時に成れり、時に六竜に乗じて以って天に御っとりおさむ、

終始とは乾の一卦の初爻より上爻までの六爻の終始を云う。
その乾卦の六爻の終始は、即ち天地万物の終始にして、変化の終始本末である。
もとより陰陽変化の本末は、天地万物の終始を大いによく明察することであり、その六爻六位ということが即ち乾卦の終始、陰陽変化の終始、天地万物の終始である。
六竜とは乾の卦の六爻に喩えたものであり、共に各その時に中する要道が有ることである。
乗とは道に乗じてそのなすべき時ならばこれをなし、止むべき時ならば止め、退くべき時ならば退き、進むべきときならば進むといった具合に、六竜の時の宜しきに乗ずることであって、天命に時中する要道である。
以御天の御は制御すること、したがって御天で天道に則り、世の中の進退を制御して治めることをいう。

( しゅ )()(しゅつして) 庶物( しょ ぶつに)萬國( ばん こく ) (ことごとく ) (やすし)

【書き下し】庶物に首出して、万国咸く寧し、

ここは彖伝の結尾なので、反復して乾の卦徳と九五君位の爻徳を嘆美して教えを垂れている。
これは天道に説き始め、人道に説き成れる聖人名教の本色である。
庶物とは万物衆物といったことで、一切の物を統べるの義はもちろん、ここでは天下の億兆の民を指して云う。
まず、乾は陽であり天であり君である。
その陽と天と君との道は、始めに施すに在る。故に陽が始めれば陰は順い、天が施せば地が承けて成し、君が始めに令すれば臣は従う。
これは陰陽天地君臣の大綱領であり、然るときには君上の言行は天下の規則模範であることはもちろんである。
このようであれば、抜きん出た存在となり、天下億兆の人民に天と戴かれ、君と仰がれ、万国ことごとく皆安寧になるのである。

 

象伝(しょう でん ) 卦の(しょう)=形の解説で、大象(たいしょう)とも呼ばれ、彖伝同様に孔子の作と伝わる。

象曰(しょうに いわく) (てんの ) (ぎょうは ) (けんなり)君子( くん し ) (もって ) (みずから ) (つとめて) ()(やま )

【書き下し】象に曰く、天の行は乾なり、君子以って自ら彊めて息まず、

この象伝=大象は、孔子が卦象を観て添えた教訓である。
天行乾の天の字は上卦三画八卦の乾の象、行の字は下卦三画八卦の乾の象、乾の字は六画重卦の六十四卦の乾の象を指している。
天とは気が積まれたものであって、形なく虚空であり、行というは、天の運行が至って剛く、至って健やかにして、一息の間断ないことに擬えている。
君子ならば、その天の運行のように間断休息することなく自らを戒めて勉強するべきだと諭す。

爻辞( こう じ ) 〜文王の子で魯の国祖、周公(たん)の作と伝わる。

上九━━━
九五━━━
九四━━━
九三━━━
九二━━━
初九━━━○

初九( しょ きゅうは)濳龍(せん りょうなり)(なかれ)(もちうること)

【書き下し】初九は、濳竜なり、用うる勿れ、

爻辞(こうじ)はまた象辞(しょうじ)とも言い、卦中の(こう)の意義を書いた文章で、文王の子、周公旦(しゅうこうたん)の作と伝わる。

象曰(しょうに いわく)濳龍(せん りょうなり ) (なかれとは) (もちうること)(よう ) (あればなり)(したに)也、

【書き下し】象に曰く、濳竜用うる勿れとは、陽下に在ればなり、

象曰以下の文章は、象伝、小象、爻伝と呼ばれる爻辞を解説したもので、孔子の作と伝わる。

さて、その爻はそれぞれ、陽ならば(きゅう)、陰ならば(りく)と呼ぶ。
乾為天はすべて陽爻だから、どれも九と付く。

そもそも九とは、老陽の称である。
易は八卦の属性を数で表現するとき、少陽を七、少陰を八、老陰を六とし、老陽を九とする。
根拠は、陽を三、陰を二として計算することにある。
老陽は乾のことで、乾は陽三本で構成されているから、三+三+三で九、
少陽は(しん)(かん)(ごん)のことで、それぞれ陽一本に陰が二本だから、三+二+二で七、
少陰は(そん)()()のことで、それぞれ陽二本に陰一本だから、三+三+二で八、
老陰は(こん)のことで、坤は陰三本で構成されているから、二+二+二で六、
ということである。
易は、陰極まって陽になり、陽極まって陰になると考える。
爻辞とは、簡単に言うとその爻が変化しようとしているときの対処を書いたものである。
したがって、陰陽それぞれが極まった老陽老陰の数の九、六を以って、その爻を呼ぶのである。

また、初というのは、最下が始まりだからである。
易の卦は、占うとき、下から積み上げて行くものだから、最初に得られるのは最下の爻である。
したがって最下を初と言い、上に向かって順に、二、三、四、五の爻とし、最上を上と言う。

竜は通常「りゅう」と読むが、正式には「りょう」と読む。
漢字の音読みには、大きく分けて漢音と呉音の別があるが、呉音は言わば方言であって、漢音が正式なのである。
しかしながら日本には最初、呉音で漢字が入って来たことから、その呉音で読まれることが多い。
竜を「りゅう」と読むのも呉音であり、漢音では「りょう」となる。
中州が生きた江戸時代には、学問を志す者ならば、易を初めとする中国古典は漢音で読むべきだ、とされていたので、中州も、世俗では呉音で慣れ親しんでいたとしても、敢えて漢音を用いた。
漢数字の六も、呉音では「ろく」だが、漢音では「りく」と読む。
ただし読みやすさ分りやすさを考慮して、ここでは基本的には漢音で読みつつも、あまりに違和感が大きい字は、今日慣れ親しんでいる呉音や慣用音のままで読むことにした。

さて、爻辞の解説に入ろう。
竜は陽物にして、大小自在に変化し、地に(ひそ)み、水に躍り、飛んで天に在るときは雲を起して雨を成す。
実に霊変不測の神物である。
また、乾は天であり、天の徳は雨をもって主とするのだが、その雨を自由に操るものこそ竜である。
だからこれを乾の卦の六爻に喩え、君子の徳に擬えたのである。
潜むとは、隠れ伏すということである。
六画卦における三才は、上爻と五爻を天位、四爻と三爻を人位、二爻と初爻を地位とする。
ただし初爻は地下の位でもある。
初九は、竜が地下に潜み隠れて、未だ地上に出ていないときである。
だから、潜竜と云い、象伝の陽在下は、このことを述べている。
君子ならば、身を立て名を顕すのには、用いるべきではないときである。
だから、用いる勿れ、という。
言うなればこの初九は控え選手、二から上はレギュラー選手で、初九は実力的にはレギュラー選手と同等だが、残念ながら今はレギュラー選手が気力体力とも充実していて、控え選手の出番はない、ということである。、

上九━━━
九五━━━
九四━━━
九三━━━
九二━━━○
初九━━━

九二(きゅう じは)見龍( けん りょう) ( あり)(でんに)(よろし)(みるに)大人( たい じんを)

【書き下し】九二は、見竜田に在り、大人を見るに利ろし、

象曰(しょうに いわく)見龍( けん りょう ) (ありとは)(でんに)コ施(とくの ほどこし ) 晋也(あまねきなり  )

【書き下し】象に曰く、見竜田に在りとは、徳の施し晋きなり、

九二は地上の位置である。
初九の潜竜が地上に現れたのである。
だから、(あらわ)るる竜、という。
田とは地の上面にして、百穀を発生し、人命を養育し、功徳利益莫大な、よい土地の称である。
大人とは九五の爻を指す。
九五の爻は君の定位であり、二の爻は臣の定位である。
この卦は二五君臣の爻、ともに剛中の徳が有るを以って、同徳相応じているものとする。
およそ易は、陰陽相応じるを以って、相応じ相助けるのが通例である。
しかしこの卦は、二五ともに同じ陽剛にして、相応じ相助けるのである。
なぜなのか?
それは、この卦が乾の純陽剛健の卦であり、乾の円満進動の時を示しているからであり、爻を以って言えば、二五ともに剛中の徳が有る。
以上のことから、同徳を以って相応じ相助けるとするのである。
このように、両剛相応じているとするのは、他に山天大畜の九三と上九、沢水困の九二と九五、雷火豊の初九と九四、巽為風の九二と九五、兌為沢の初九と九四および九二と九五、風水渙の九二と九五、水沢節の九二と九五、風沢中孚の九二と九五などがある。

なお、この乾為天の九二の爻には、三才の義も具わっている。
見竜とは、天の時を得たことである。
在田とは、地の利を得たことである。
利見大人とは、人の和を得ることである。
およそ君子という者は、まず自分自身によく九二の如き才徳を具え、九二の如き時を得たならば、九五の如き目上の有徳有位の大人に会って、その徳業を天下に普く施すのがよろしく、だから象伝に、徳の施し晋きなり、とあるのだ。
吉という字はないが、吉であることは明らかである。

上九━━━
九五━━━
九四━━━
九三━━━○
九二━━━
初九━━━

九三(きゅう さんは) 君子( くん し ) 終日( ひねもす ) 乾乾(つとめ つとめて)(よもすがら ) タ若(てき じゃくたれば)(あやうけれども) ( なし)(とが )

【書き下し】九三は、君子終日乾め乾めて、夕らタ若たれば、獅、けれども咎无し、

象曰(しょうに いわく)終日( ひねもす ) 乾乾(つとめ つとめてとは)反復( はん ぷくの ) (みちなり)也、

【書き下し】象に曰く、終日乾め乾めてとは、反覆の道なり、

ここでの君子は、学者を指す。
この爻は三才に配すると人位である。
だから竜とは言わず、君子と称する。
終日は「ひねもす」と訓じているが、江戸時代には「しゅうじつ」と音読みすることが一般的ではなかったのだろう。
乾乾とは、健々というが如く、勉めて止まない様子である。
夕は「よもすがら」と訓じるが、これは夕方だけを指すのではなく、終夜=夜を徹してということであり、終日に対しての言葉である。
タ若とは、畏れ敬い慎むことである。
この爻は、陽剛を以って陽位に居て正を得ている。
その上、内卦の極位に在って、進むことに尖鋭な者である。
したがって、終日勉め努めて休むことない様子である。
だから、君子終日乾乾、という。
しかし、この爻は過剛不中である上に、内卦外卦の改革遷転の位置であり、人位改革の危き地である。
気ばかり焦り、徒に上を狙う傾向がある。
したがって、そういう過失がないように畏れ敬い慎み、常に自修自省を心がけるべきだとして、夕べにタ若たれば、獅、けれども咎无し、という。
象伝の反復の道とは、自修自省のこと。

上九━━━
九五━━━
九四━━━○
九三━━━
九二━━━
初九━━━

九四(きゅう しは)(あり )(おどること)(あれば)(ふちに) ( なし)(とが )

【書き下し】九四は、躍ること或り、淵に在れば咎无し、

象曰(しょうに いわく)(あり )(おどること ) (ありとは)(ふちに)(すすむも ) (なきとなり)(とが )也、

【書き下し】象に曰く、躍ること或り淵に在りとは、進むも咎无きとなり、

この爻に竜と言わないのは、三爻と同じ人位だからである。
そしてこの九四は、陽爻にして陰位に居るわけだが、陽爻であることから進もうとし、陰位であることから退こうと思い止まる。
進むもうとするときは、まず足を上げるものである。
しかし、思い止まって退こうとすれば、その足を下げる。
躍るというのは、進もうとして足を上げ、退こうと思い止まってその場に足を下ろすことである。
したがって、躍ること或り、というのは、進もうとして思いとどまる、ということである。
或いは、というのは、決断がつかない様子である。
もし、進めば、忽ちに九五の君の位を犯し凌ぐことになり、そんなことをすれば咎有りとなる。
だから退いて、淵に安んじ守ることがよい。
そうすれば咎は无い。
また、深き淵に安んじ守ることは、その身は退くわけだが、却ってその徳は盛んに進むことになる。
およそ徳に進むことは人事中にて咎無きの最たることである。
だから象伝に進无咎とあるのだ。
そもそも淵というのは、水の深いところであって、竜が安んずるところである。
爻辞では、直接に竜とは言わないが、竜を想定しているから淵に在れば、という言葉になるのである。
初爻は、未だ仕えない時、二爻は出て仕えるとき、三爻は仕えて公事に努め励む時、この四爻は人臣の極位にして威厳富貴殆ど君の位に迫る時である。
だからこそ、これ以上進もうとすれば君上から咎められ、退き安んじていれば咎は无いのである。

上九━━━
九五━━━○
九四━━━
九三━━━
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初九━━━

九五(きゅう ごは)飛龍( ひ りょう) ( あり)(てんに)(よろし)(みるに)大人( たい じんを)

【書き下し】九五は、飛竜天に在り、大人を見るに利ろし、

象曰(しょうに いわく)飛龍( ひ りょう ) (ありとは)(てんに)大人( たい じんの ) 造也(しわざなるなり )

【書き下し】象に曰く、飛竜天に在りとは、大人の造わざなるなり、

飛とは、地を離れて天を行くことであり、五爻は天位だから、そうあるのである。
竜が飛んで天に在るときは、よく雲を起こし雨を成す徳がある。
もとより天の徳は、雨を成すことを以って第一の功とする。
伝説の河図(かと)の天一の水というのも、要するに雨のことである。
万物の中で、よく天に代わって雨を成すのは竜より他にはない。
だからこの乾為天に竜を擬えたのである。
しかし、潜む〜躍るといったときには、未だ雨を成すことはできない。
この九五の時を得て、初めて天を飛び、雨を施すことができるのである。
これは、聖人位に在って、雨を仁とし、よく仁の恩恵を世の中に溢れさせることの比喩である。
だから、飛竜在天、と云い、仁の恩恵を世の中に溢れさせることこそ大人のなせる業であるからこそ、象伝に、大人の造わざなるなり、と云う。
飛ぶというのは、その時を得、その勢いを得た、ということである。
このときの九五の君がするべきことは、九二のような剛中の才徳がある君子を、挙げ用いることである。
大人というのは、その自分より下にある九二の君子の賢者を指す。
だから、大人を見るに利ろし、という。
大人とは、本来は五爻の君子を指す言葉だが、位が下だからと見下すのではなく、才能がある者は自分と同等だと考えるのが、仁の君主だから、敢えて九二を指して大人と言ったのである。

上九━━━○
九五━━━
九四━━━
九三━━━
九二━━━
初九━━━

上九(じょう きゅうは)亢龍(こう りょうなれば) ( あり)(くい )

【書き下し】上九は、亢竜なれば悔い有り、

象曰(しょうに いわく)亢龍( こう りょう ) (ありとは)(くい )(みてるものは ) (ずとなり)(べから)(ひさしかる)也、

【書き下し】象に曰く、亢竜なれば悔い有りとは、盈てるものは久しかる可からずとなり、

亢とは進み上がることの過極な様子である。
上九は陽剛にして、乾の健やかにして進むの卦極に居て、退き守る道を知らず、なおも進もうとしているときである。
だから、亢竜、という。
およそ、進むことだけを知り、退くことを知らない者は、いつか必ず失敗して後悔するものである。
だから、亢竜ならば悔い有り、と戒めているのである。
と同時に、亢竜の如くにせず、退き守れば、悔いるようなことはない、という教訓も込められているのである。
今は乾の健やかに進むの卦の極で生気に盈ち溢れていても、それは永く続かないのが天地自然の定理である。
だから象伝には、盈てるものは久しかる可からず、とあるのだ。

上九━━━○
九五━━━○
九四━━━○
九三━━━○
九二━━━○
初九━━━○

用九( よう きゅうは) (あらわれたる ) 羣龍(ぐん りょうなり) (なきがごとくにすれば )(かしら ) (きちなり)

【書き下し】用九は、見われたる群竜、首无きがごとくにすれば吉なり、

象曰(しょうに いわく)用九( よう きゅうは)天コ( てん とくなり) (ざるなり)(べから)(なす )(かしらと)也、

【書き下し】象に曰く、用九は、天徳なり、首と為す可からざるなり、

用九とは、本筮法や中筮法で占い得たとき、すべての爻が老陽すなわち爻卦が乾のときをいう。
なお、略筮法で占うときには、この用九の爻辞は使う機会がない。

さて、この用九は、全爻計六竜が群がり動いて現れ出て、それぞれ雲を起こし、雨を()す勢いである。
こんなに勢いが強く盛んなのはよくない。
自重して、恐れ慎み退き守るべきである。
そもそも竜の威猛の勢いは首(=かしら)に在る。
今、六爻が全部変じて坤の柔順となれば、群竜の威猛盛んだった者が、忽ちに首を隠して順徳を守る様子となる。
人間も、この群竜の威猛強盛なときの如くの状況に出遇ったら、速やかに天徳に則り習い、竜が首を隠すように、坤の柔順の徳に退き守るのが吉である、との教えである。
天徳とは、昼夜の交代、寒暑の往来、四時の序、変化動通、盈虚消息を考えて行動すること。
だから、見われたる群竜、首无きがごとくにすれば吉、と云い、象伝に、天徳なり、首と為す可からず、という。

最後の卦=64火水未済 次の卦=02坤為地

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01.乾為天 02.坤為地 03.水雷屯 04.山水蒙 05.水天需 06.天水訟 07.地水師 08.水地比 09.風天小畜 10.天沢履 11.地天泰 12.天地否 13.天火同人 14.火天大有 15.地山謙 16.雷地予 17.沢雷随 18.山風蠱 19.地沢臨 20.風地観 21.火雷噬嗑 22.山火賁 23.山地剥 24.地雷復 25.天雷无妄 26.山天大畜 27.山雷頤 28.沢風大過 29.坎為水 30.離為火

31.沢山咸 32.雷風恒 33.天山遯 34.雷天大壮 35.火地晋 36.地火明夷 37.風火家人 38.火沢睽 39.水山蹇 40.雷水解 41.山沢損 42.風雷益 43.沢天夬 44.天風姤 45.沢地萃 46.地風升 47.沢水困 48.水風井 49.沢火革 50.火風鼎 51.震為雷 52.艮為山 53.風山漸 54.雷沢帰妹 55.雷火豊 56.火山旅 57.巽為風 58.兌為沢 59.風水渙 60.水沢節 61.風沢中孚 62.雷山小過 63.水火既済 64.火水未済

ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
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占いながら各卦の意味がわかるようになっています。

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最終更新日:令和04年04月03日 学易有丘会
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