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前の卦=39水山蹇 次の卦=41山沢損

40雷水解 らいすいかい

 

 坎下(かんか)震上(しんじょう)

八卦の(かん)の上に、(しん)を重ねた形。

(かい)は、解消、解決、解散といった意。
易位生卦法によれば、もとは水雷屯から来たものとする。
屯は険難の中で動く様子だったが、その屯の内卦の震が動き進んで坎の険難の外に出て、険難が解消したのが、この雷水解である。
だから解と名付けられた。
また、水雷屯のときには、震雷が下にあって上昇しようとし、坎水が上にあって下降しようとし、その結果として両者が交わっていたのだが、今、震雷が動いて上り、坎水の雨が和して下り、両者が交わらなくなったのが雷水解である。
これは雷と雨が解散した様子である。
だから解と名付けられた。
また、水雷屯の内卦の震が動き進んで、坎の大川を渉り切り、険難を脱出解決した様子である。
だから解と名付けられた。

また、六五の君は柔中の徳が有り、
九四執政の大臣とは陰陽正しく比し、九二剛中の大臣とは陰陽正しく応じている。
これは、六五の君がよく賢良の二大臣に委任し、二四の両大臣もまた共に剛健の才力を発揮して天下国家の険難を解決する才徳が有る様子である。
だから解と名付けられた。

 

卦辞(かじ) 〜彖辞(たんじ)とも言い、周の文王の作と伝わる。

(かいは)(よろし)西南( せい なんに)(なくば)(ところ)( ゆく )其來(それ きたり ) (かえれば ) (きちなり)(あれば)(ところ)( ゆく ) (はやくして ) (きちなり)

【書き下し】解はは、西南に利ろし、往く攸无くば、其れ来たり復れば吉なり、往く攸有れば夙くして吉なり、

この卦は、来往生卦法によれば、もとは地水師から来ていたとする。
地水師の内卦の外より一陽剛がやって来て、その上卦坤の体中に入り九四となったのである。
坤は西南の方位であり、衆とし、師とは軍旅のことである。
そもそも天下の険難を解くためには武力行使も必要である。
今、九四成卦の主として、摂政の位に居る。
これは西南坤の方に往きて衆を得た様子である。
だから、西南に利ろし、という。
そして、険難が解消して最早解くべきところがないのであれば、さらに何かをするのではなく、安静にしてその位を守るようにするのがよい。
だから、往く攸无くば、其れ来たり復りて吉、という。
往くというのは場所の移動ではなく、行動する、というニュアンスである。
来たり復りて、というのは、往くという字に対するものであり、行動する前の、平時の状態に戻ることをいう。

また、この卦は、もとは雷地予から来たともする。
雷地予の卦の中へ一陽剛が外卦の外からやって来て、九二となり、内卦の主となったのが、この雷水解である。
これは、険難が解ければ、人々は予楽和順する、という様子を示しているが、このときには、九二は来たり復って中を得ているわけである。
これもまた、来たり復って吉、という所以である。

しかし、もし、未だ解消していない険難があるのならば、速やかに解くべきである。
時は得難く失いやすいものである。
どうしようどうしようと躊躇していると、タイミングを逸し、速やかに行動すれば解決できたものが、解決できなくもなる。
だから、往く攸有れば夙くして吉、という。

彖伝(たんでん) 彖伝は卦辞(彖辞)の解説で、孔子作と伝わる。

彖曰(たんに いわく)(かいは)(なやみにして ) 以動(もって うごく)(うごいて ) (しこうして ) (まぬかるは)(なやみを)(かいなり)

【書き下し】彖に曰く、解は、険みにして以って動く、動いて而して険みを免るは、解なり、

険むとは内卦坎の象、動くとは外卦震の象である。
易位生卦法によると、元は水雷屯で坎水の険みの中で震雷が動いていた。
それが今、その険みをなんとか解消しようとコツコツ動いていたのが漸く実を結び、震が動いてその坎の険みの外に出て険みが解消したのが、この卦である。

(かいは)(よろしとは )西南(せいなんに)(ゆきて ) (えればなり ) (しゅうを)也、

【書き下し】解は、西南に利ろしとは、往きて衆を得ればなり、

来往生卦法によると、元は地水師で、一陽剛が内卦の外より上り往きて坤の体に入ってこの雷水解の九四となり、上卦震の主爻、成卦の主爻となったのである。
その九四は近君大臣の位に居て、入りては宰相、出でては大将たる徳量才力が有るので、今、険みを解くべきの解の時に遇い、師の軍卒を率いて坤の方すなわち西南に往き、険みを解いてよく衆人の心を得るのである。

(なくば )(ところ )( ゆく )( それ ) 來復(きたり かえれば ) (きちなりとは)(すなわち ) (えるなり ) (ちゅうを)也、

【書き下し】往く攸无くば、其れ来り復りて吉なりとは、乃ち中を得るなり、

また、雷地予の来往生卦法によれば、険難がすでに解けて最早天下に為すべきことがなければ、宜しく安く静かにしてその位を守るべき時にして、これを予楽の時とするのだが、その雷地予の卦の中へ一陽剛が外卦の外より来て、九二に居て内卦の主爻となったのが、この雷水解である。
これは天下の険難がすでに解けて、各其の軍備を解いて各国に来たり復って予楽するの象であり、この時に当たって九二も内卦に来たり復って中を得たのであって、これが吉の所以である。

(あらば )(ところ )( ゆく )(はやくして ) (きちなりとは)(ゆけば ) (あらんとなり )( こう )也、

【書き下し】往く攸有らば、夙くして吉なりとは、往けば功有らんとなり、

解の時に当たって、天下の解くべき険難はすでに解き終わったところだが、未だ解いていないことがあれば、速やかに往きてこれを解かないといけない。
例えば火が出たとき、すぐならばバケツ一杯の水で鎮火できるが、呆然と眺めているだけでは、やがて火はどんどん巡り、ついには大惨事にもなる。
このように、ひと呼吸の遅速が、その成功失敗の分かれ道となることもあるのである。

天地( てん ち ) (ときて)(しこうして) 雷雨( らい う ) (おこる)雷雨( らい う ) (おこって)百果(ひゃっ か ) 艸木( そう もく ) (みな ) 甲折( こう たくす)(かいの)(とき )大矣(おおいなるかな )哉、

【書き下し】天地解きて、而して雷雨作る、雷雨作って、百果艸木甲拆す、解の時、大いなるかな、

水雷屯の時は天地の陰陽の険難が有ったのだが、今、雷水解の時に至って、その屯難はすでに解けて、雷雨の二気が相交わり和合し、雷雨の二気が相和し相交わる時には、百果草木は皆、甲折(=芽を出す)するものである。
解の時というのは、なんと偉大なのだろう。

 

象伝(しょう でん ) 卦の(しょう)=形の解説で、大象(たいしょう)とも呼ばれ、彖伝同様に孔子の作と伝わる。

象曰(しょうに いわく)雷雨( らい う ) (おこるは)(かいなり)君子( くん し ) (もって ) (ゆるし )(あやまちを ) (ゆるす )(つみを)

【書き下し】雷雨作るは、解なり、君子以って過ちを赦し、罪を宥す、

坎を冬とし、震を春とすれば、この卦は坎の冬の厳しい寒さが終わって、震の春の発生の時が来るという象である。
雷雨作るというは、春陽発出の時至って震雷の陽気が上り、坎雨の慈沢が下り、万物生育の仁沢を受ける象である。
したがって君子は、この卦の象を観て、その天地発育、生々の仁意に倣い、無心の過失を許し、犯罪も情状酌量して軽くするべきである。

爻辞( こう じ ) 〜周公旦の作と伝わる。象曰以下は孔子の作と伝わる象伝。

上六━ ━
六五━ ━
九四━━━
六三━ ━
九二━━━
初六━ ━○

初六( しょ りくは)( なし)(とが )

【書き下し】初六は、咎无し、

象曰(しょうに いわく)剛柔( ごう じゅうの)(まじわり)(ぎとして ) (なきとなり)(とが )也、

【書き下し】象に曰く、剛柔の際わり、義として咎无きとなり、

初六は陰柔不才にして、坎の険みの底に陥っている。
これは、その身に険みが有る者である。
今、険みを解く時の初めに当たって、幸いにも上に九四の応爻が有る。
とすれば、この応爻の九四陽剛に応じ往きて交際し、縋り頼んで、身の険みを解いてもらうべきである。

およそ、他の卦においては、初六の陰柔を以って、九四の権門に応じる者は、媚び諂いを献じる義として、深くこれを咎有りとする。
雷地予、雷風恒、天風姤、雷山小過などの卦の初六の義は、これである。
しかしひとりこの雷水解の初六の爻にては、権門に媚び諂う者とせず、己の身に切迫の険みが有るので、これを在上有力の応爻に依り頼み、その険みから解き救ってもらう義とする。

そもそも陰柔不才の者は、非力であるために、己の身に必至の険みが有る時には陽剛有力の者に頼り従わなければ、その険みを解くことはできないものである。
今、初六は陰柔にして下に在り、九四は陽剛にして上に居る。
また、下の者に険みがあるとき、上の者に救いを求めるのは当然のことである。
まして応爻の九四は、成卦の主爻にして、険みを解く主爻たる者である。
とすると、初六陰柔が九四陽剛に険みを解いてもらうのに、義すなわち道の条理として何の咎があるだろうか。
だから、咎无し、という。

上六━ ━
六五━ ━
九四━━━
六三━ ━
九二━━━○
初六━ ━

九二(きゅう じは )(かりに ) (えものす)三狐( さん こを ) (えたり) 黄矢( こう しを )(ただしくして ) (きちなり)

【書き下し】九二は、田に三狐を獲す、黄矢を得たり、貞しくして吉なり、

象曰(しょうに いわく)九二(きゅう じは ) (ただしくして ) (きちなりとは)(えればなり )中道(ちゅう どうを)也、

【書き下し】象に曰く、九二は貞吉とは、中道を得ればなり、

田とは田猟=狩猟の義である。
狐とは陰獣にしてよく人を惑わす動物である。
これを以って、(おもね)(へつら)佞媚(ねいび)をもって君上を惑わす姦臣に喩える。

さて、九二の爻は、剛中の才力が有り、六五の君に陰陽正しく応じている。
これは険みを解く任に、よく堪える大臣である。
およそ国家の大なる険みは、阿り諂いする小人が君の左右に寵遇し、日夜に君の明徳を蠱惑するより甚だしいことはない。
そこで九二の剛中の忠臣が、これから険みを解こうとするときには、まず阿り諂い佞媚する小人を遂い斥けて、君の左右を清浄にし、常に賢良の君子が、君主の側に居るようにすることである。
だから、田に三狐を獲す、という。
三は多数の義にして、これは、佞媚にして狐のように人を惑わす姦賊が幾多在るということの喩えである。

黄とは、中央の土の正色にして、中徳の義である。
矢とは、直なことの喩えである。
直を矢と喩えたのは、田(田猟)という言葉に対応したものである。

さて、姦佞の小人を除き去ろうとする者は、まず自身が優れて中直貞正の道を行うことが大事である。
自身が中直貞正であれば、その賞罰に偏私の有ることはないので、他人もこれを怨み憤ることはない。
したがって、このようであってこそ、姦邪を除き、険難を解くのに、吉なのである。
だから、黄矢を得たり、貞しくして吉なり、という。

上六━ ━
六五━ ━
九四━━━
六三━ ━○
九二━━━
初六━ ━

六三( りく さんは)( おい ) ( かつ ) (のれり)(いたす )(あだの ) (いたることを)(かたくすれば ) (いやし)

【書き下し】六三は、負い且つ乗れり、寇の至ることを致す、貞くすれば吝し、

象曰(しょうに いわく)( おい ) ( かつ ) (のるとは)( また ) (べきなり ) (みにくかる)也、( より )(われ ) (いたす )(じゅうを)( また ) (だれをか ) (とがめん)也、

【書き下し】象に曰く、負い且つ乗るとは、亦、醜かる可きなり、我より戎を致す、又誰をか咎めん、

負うとは、その物が自分の身の上に在る、ということである。
乗るとは、その物が自分の身の下に在る、ということである。
今、国家の大険難を解くという時に当たって、六三は内卦臣の位の極に居る爻である。
これは、宜しく才力を振るって天下の険みを解き治めるべき位である。
しかし、元来陰柔不才にして、なおかつ不中不正の志行がある者であり、さらには、上には応爻の援けもなく、妄りに九四陽剛の賢者の爻を負い、九二陽剛の明者に乗っている。
と同時に、自身は初六、九ニ、六三の坎と、六三、九四、六五の坎の間に挟まって居る。
これでは、国家の険みを解くことが不可能であるだけでなく、却って自ら自身の険みを重ねる者である。
だから、負い且つ乗れり、という。

また、負うとは、荷ったり担いだりすることにして、小人卑賤者の事であり、乗るとは、君子の器であることを指す。
今、六三の爻は、その身は陰柔不才不中不正にして、負い荷ったりするべき小人卑賤者の志行にして、その身の居所は内卦の極、人臣の上位にして、君子賢人の宜しく居るべきところに居る。
これは、君子の位を犯し、賢人の路を塞いでいることになる。
したがって、他人もまたその禄位を奪おうとするのであって、だから、寇の至ることを致す、という。
醜いことだが、自らが招いて、寇が戎(軍備)をして攻めて来るようにしたのだから、誰を咎めることもできない。
このような人物が、なおも貞固にして悔い改めいときは、吝しいものである。
だから、貞くすれば吝し、という。

上六━ ━
六五━ ━
九四━━━○
六三━ ━
九二━━━
初六━ ━

九四(きゅう しは )( とく ) (なんじが ) (おやゆびを)( とも )(いたりて) ( それ )(まこととせん)

【書き下し】九四は、而が拇を解く、朋至りて斯れ孚とせん、

象曰(しょうに いわく)(とくとは ) (なんじが ) (おやゆびを)(いまだ/ざるなり )(あたら )(くらいに)也、

【書き下し】象に曰く、而が拇を解くとは、未だ位当たらざればなり、

(なんじ)とは九四を指す。
(おやゆび)とは、足の親指のことであって、初六の爻を指す。
これは沢山咸の初六に拇とあるのと同義である。
朋とは、同朋の陽剛のことにして、九二の爻を指す。

今、九四は成卦の主爻にして、陽剛の才力が有り、宰相の位に居る。
これは、解の時に、天下の大険難を解くべきところの任職に当たり、その才力徳量も申し分ない者である。
しかしこの九四の爻には、ひとつ問題もある。
初六陰柔卑賤の小人が、初四応の位であることから、九四の門に親しみ来ることである。
これは九四にとって利益となることではなく、私係の陰累の疑いが有る。
まして九四は陽剛にして陰位に居るので、位に当たらず、陽としての思い切りが悪い。
それでもその私係陰累の初六の応爻の拇を解き去るべきなのである。
そうすれば、同朋の九二陽剛の賢者が、九四の元にやって来て、その志を同じくして力を輔け合わせて、共に天下の険みを解くことができるのである。
もし、私係陰累の拇を用い親しむことが有るときには、同朋の九二の賢者は、九四の志操を疑って、来て助けることはない。
だから、而が拇を解く、朋至りて斯れ孚とせん、という。

上六━ ━
六五━ ━○
九四━━━
六三━ ━
九二━━━
初六━ ━

六五( りく ごは )君子( くん し ) ( これ ) ( あり )(とくこと)(きちなり)( あり )(まこととせらること)小人(しょう じんに)

【書き下し】六五は、君子維れ解くこと有り、吉なり、小人に孚とせらるること有り、

象曰(しょうに いわく)君子( くん し ) (ありとは ) (とくこと)小人(しょうじん ) 退也(しりぞくなり )

【書き下し】象に曰く、君子解くこと有りとは、小人退くなり、

君子とは、九ニと九四のニ陽剛を指す。
今、ニと四の両大臣は、共に陽剛の才徳が有り、よく天下の険難を解くに堪える者なので、これを称美して君子と言う。
爻辞にある小人とは、ここでは天下の民衆を総称する義であって、在位の君子に対する文言である。
象伝にある小人は姦邪佞諛の小人すなわち九二の爻辞の三狐、九四の爻辞の拇のことを指す。

さて、六五は柔中の徳を以って、恭しく君位に居る。
これは天下の険みを解くの主である。
もとより九四陽剛の執政大臣とは陰陽親しく比し、また、九二剛中の賢臣とは陰陽正しく応じている。
とすると六五は、よく人を知り、賢を官にしているのであって、股肱の良臣に委ね任して疑い慮ることがない明主である。

そもそも九二は、すでに三狐の佞人を除き去り、九四は私係陰累の初六の拇を解き去っている。
要するに、ニ四の両大臣は共に偏りなく公正の道を以って天下の険みを解いているのである。
したがって六五の君上は、自分からあれこれ動くことなく、この二人に任せて、見守っているだけでよいのである。
だから、君子維れ解くこと有り、吉なり、という。

およそ民を治める道は、寛仁と威権と兼ね備わるに在るものだが、その中について、なお細かに割論すれば、臣を以って民に臨むには公正を先として威権を主とし、君を以って民に臨むには慈愛を先とし寛仁を主とする、ということになる。
今、九ニと九四の両大臣は、剛明の威権を以って、天下の険みを解き去ることを主としているので、六五柔中の君としては、柔中の仁徳を以って、万民を懐柔することを主とするのがよい。
そうすればね天下億兆の小人は、両大臣の剛明の威権に謹み畏(かしこ)み、反対したり罪を犯したりせず、君上の寛仁に懐き服すものである。
だから、小人に孚とせらるること有り、という。

上六━ ━○
六五━ ━
九四━━━
六三━ ━
九二━━━
初六━ ━

上六(じょう りくは)公用( こう もちいて) ( いる )(はやぶさを)高墉( こう ようの)(うえに)(えものにして )(これを ) ( なし )(ざること ) (よろしから)

【書き下し】上六は、公用いて隼を高墉の上に射る。之を獲にして利しからざること无し、

象曰(しょうに いわく)公用( こう もちいて ) (いるとは ) (はやぶさを)(もってなり )(とくを )(もとれるを)也、

【書き下し】象に曰く、公用いて隼を射るとは、悖れるを解くを以ってなり、

隼とは山野を飛び回る肉食の鳥であり、横逆者が権勢を逞しくして、万民を残害するのに喩えている。

そもそも狐というのは淫獣にして、よく人を蠱惑する者にして、坎の象である。
これは在朝の佞官の内に在る者に喩える。
したがって、九二の爻では狐とあるのである。
対するこの隼は、猛禽類の残虐残害な鳥にして、震の象である。
これは、外藩の暴臣が外に在って人民を残害することに喩える。
そこで、この外卦震の極の上爻の喩え、隼が高墉(=高い垣)の上に居る象とするのである。
これは、上六の諸侯が、遠い外卦の外藩に居て、王化に服せず、震の威権を振るい逞しくして、万民を残害する象である。
公とは九四の臣を指す。
九二の大臣は、すでに三狐を捕獲し、これで朝家の内の険みは既に解き終わった。
しかし上六の隼は、外国遠方に在って、王民を残害する道理に外れ悖れる姦賊である。
したがって六五の君より九四の大臣に命じて、これを征伐させるのである。
だから、公用いて隼を高墉之上に射る、という。
そして、そもそも九四執政の大臣は、険みを解くための職に居るのであって、王民を残害するところの姦賊を討伐するのは当然のことであって、何ら問題はない。
だから、之を獲にして利ろしからざること无し、という。

前の卦=39水山蹇 次の卦=41山沢損

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01.乾為天 02.坤為地 03.水雷屯 04.山水蒙 05.水天需 06.天水訟 07.地水師 08.水地比 09.風天小畜 10.天沢履 11.地天泰 12.天地否 13.天火同人 14.火天大有 15.地山謙 16.雷地予 17.沢雷随 18.山風蠱 19.地沢臨 20.風地観 21.火雷噬嗑 22.山火賁 23.山地剥 24.地雷復 25.天雷无妄 26.山天大畜 27.山雷頤 28.沢風大過 29.坎為水 30.離為火

31.沢山咸 32.雷風恒 33.天山遯 34.雷天大壮 35.火地晋 36.地火明夷 37.風火家人 38.火沢睽 39.水山蹇 40.雷水解 41.山沢損 42.風雷益 43.沢天夬 44.天風姤 45.沢地萃 46.地風升 47.沢水困 48.水風井 49.沢火革 50.火風鼎 51.震為雷 52.艮為山 53.風山漸 54.雷沢帰妹 55.雷火豊 56.火山旅 57.巽為風 58.兌為沢 59.風水渙 60.水沢節 61.風沢中孚 62.雷山小過 63.水火既済 64.火水未済

ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては易学入門をご覧ください。
また、六十四卦それぞれの初心者向け解説は無料易占いのページをご覧ください。
占いながら各卦の意味がわかるようになっています。

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最終更新日:令和04年04月03日 学易有丘会
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