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前の卦=15地山謙 次の卦=17沢雷随

16雷地予 らいちよ

 

 坤下(こんか)震上(しんじょう)

八卦の(こん)の上に、(しん)を重ねた形。

()は和順悦楽のこと。
新字体では予と表記するが、実は旧字体にも意味が異なる予という字がある。
旧字体での予は、自分のことを指す代名詞として「()は満足じゃ」といったふうに用いる。
新字体では予と豫を同一の字としているが、ここではあくまでも旧字体の予ではなく豫の字である。
したがって自分を指す代名詞としての意味合いはない。
誤解のないように。

さて、この卦は、陽が九四のみで、他は陰である。
したがって、執政大臣の位である九四の一陽剛が、剛明の才徳を発揮し、よく国家を治め、他の五陰爻は陰であるがゆえに、九四に任せて和順悦楽している様子である。
だから予と名付けられた。
また、易位生卦法によれば、元は地雷復から来たとする。
地雷復の時には、震雷が坤地の下にあったわけだが、今、予の時を得て、発し出でて地の上に奮う様子であり、その発するところは欝蟄の気を散じ、その志を達するものである。
欝蟄の気が散じ、志が達せられれば、喜びに溢れる。
だから予と名付けられた。

また、坤を従順とし、震を動くとすれば、順をもって動く様子である。
順をもって動くのは、天に在っては四時序を失わず、人に在っては動止和順ということになる。
だから予と名付けられた。

また、震を動くとして上卦にあり、坤を従順として下卦にあるわけだが、上が動いて下が順うのは、上の威令に下が和して順う様子である。
だから予と名付けられた。
また、震を春とし陽気とし動くとし、坤を地とすれば、春陽の気が地上に動くときには草木が発し生じるが、これは悦楽和順の景色である。
だから予と名付けられた。

 

卦辞(かじ) 〜彖辞(たんじ)とも言い、周の文王の作と伝わる。

(よは )(よろし )(たて )(きみを ) (おこなうに)1ノ(いくさを)

【書き下し】予は、侯を建て師を行うに利し、

震を侯とし建てるとし、坤を国とし民とし順うとすれば、侯を建て民衆が従い順う様子となる。
だから、侯を建てるに利ろし、という。
また、来往生卦法によれば、坤為地より来たものとする。
坤為地のときには、国土原野はあっても、これを治める人はいない。
そこに一陽剛がやって来て、内卦の外から往き進んで九四の位に至り、成卦の主爻、震の主爻として、上は六五の君に陰陽正しく比し、万国諸侯の頭となり、よく諸侯をまとめ、万民を安んじ、天下の上下をよく悦楽和順させているのが、この卦である。
だから、侯を建てるに利ろし、という。
また、地雷復の運移生卦法によれば、地雷復では地中で時を待っていた一陽剛が、今、予の時に応じで上り進んで九四の執政の位を得て生卦の主爻となったのが、この卦である。
だから、侯を建てるに利ろし、という。
また、坤を順、震を動とすれば、順をもっと動くわけだが、これは王者の仁義の師のことである。
六五柔中の仁君が安寧な世の中にしようとしても、中に不順の逆臣があり、国民を苛虐することもあるだろう。
そんなときは、止むを得ず九四の侯に命じ、天に代わって征伐の師を出だす必要もある。
九四は成卦の主であり、宰相、大将たる才能をもっている。
六五は君であっても柔中の身で、征伐などできないから、九四に師を任せ行うのである。
だから、師を行うに利ろし、という。

そこで、侯を建てるに利ろし、師を行うに利ろし、という二つの意をひとつにまとめ、侯を建て師を行うに利ろし、という。

彖伝(たんでん) 彖伝は卦辞(彖辞)の解説で、孔子作と伝わる。

彖曰(たんに いわく)(よは )(ごう ) (おうじて ) (しこうして ) (こころざし ) (おこなわる)(じゅんにして ) (もって ) (うごくは ) (よなり)

【書き下し】彖に曰く、予は、剛応じて而して志行わる、順にして以って動くは予なり、

この卦は地雷復の地中の最下に復して時を待っていた一陽剛が今、予の時に応じて上り進んで九四執政の位を得て成卦の主爻となり、剛明の才徳を以って上下の五陰に応じてそれぞれに泰平予楽を得させている様子である。
それがこの一陽剛の志であって、その志が行われるということである。
その泰平予楽を得させる道の本は、下卦坤を順、上卦震は動くだから、順にして以って動くということに在る。
それがこの予という卦なのである。

(よは ) (じゅんにして ) (もって ) (うごく)天地( てん ち ) (ごとくなり)(この )、而(いわんや ) (たて )(きみを ) (おこなうがごときをや ) (いくさを)乎、

【書き下し】予は順にして以って動く、故に天地之の如くなり、况や侯を建て師を行るがごときをや、

順にして以って動くのは天地がまさにこの如くであり、諸侯を任じたり戦争をするときにも当てはまる。

天地( てん ち ) (もって )(じゅんを ) (うごく)(ゆえに) 日月( ひ づき ) ()(あやまた)(しこうして) 四時(しじ) ()(たがわず)

【書き下し】天地は順を以って動く、故に日月過たず、而して四時忒ず、

天地は順を以って動くから、日月も順序正しく巡り、季節も春夏秋冬の順を違えることはないのである。

聖人( せい じん ) (もって )(じゅんを ) (うごく)(すなわち) 刑罰( けい ばつ ) (きよくして ) (しこうして ) 民服(たみ ふくす)(よの )時義(ときの ぎ )大矣(おおいなるかな)哉、

【書き下し】聖人順を以って動く、則ち刑罰清くして而して民服す、予の時の義、大いなるかな、

堯舜禹や周の文王などの古代の聖人も、順を以って動いたからこそ、刑罰を与えるのに後ろめたさはなく清らかであって、だから民も服したのである。
このように、この予という卦の順を以って動くという徳は、とても偉大なのである。

 

象伝(しょう でん ) 卦の(しょう)=形の解説で、大象(たいしょう)とも呼ばれ、彖伝同様に孔子の作と伝わる。

象曰(しょうに いわく)(かみなり ) (いでて )(ちを ) (ふるうは ) (よなり)先王( せん おう ) (もって ) (おこして )(がくを ) (たかくし )(とくを)( いん)()(せんして ) (これを ) 上帝(じょう ていに)(もって ) (はいす )祖考( そ こうに)

【書き下し】雷、地を出でて奮うは予なり、先王以って楽を作して徳を崇くし、之を上帝に殷薦して、以って祖考に配す、

この卦は坤の地中に閉じ込められていた震の雷が地上に出て、激しく奮い鳴り轟いている様子であって、先王はこの卦の象を観て、鬱蟄の気を発散させて予楽する性情より自然に音声に発し出して礼楽の楽を制作したのである。
楽によって万民は予楽して歓喜し、君上の聖徳仁慈な楽を好み、いよいよ徳を崇くして、これを上帝への供え物として盛んに薦め、祖先に配する供え物とした。
殷の字は、周の前の殷のことではなく、「さかん、ゆたか」といった意で用いられ、殷薦で「さかんにすすめる」ということ。
上帝とは、また天帝などとも呼ばれる空想上の天の主宰者だが、人間的な意志はなく、自然災害等が起きないように祈願するだけの存在。

『論語』為政第二4の「四十にして惑わず」とあるのは、まさにこの卦の象による。
八卦と数の関係により、震に配される数は四、坤は基本的には八だが、偶数の極みとして十も配される。
したがって四十は、孔子がこの雷地予の象を観て読み取った年齢であって、地中に抑え込まれていた雷がその抑圧から解放されて地上に出て思う存分大音響を轟かせている様子を、自分の信念にしたがって惑うことなく活動することに擬えて「惑わず」と言ったのである。
自分を世間の枠に無理矢理押し込めようとするから惑いが生ずるのであって、その枠を取り払うことで惑いはなくなるのだ。
他の「十有五にして学に志す」は地風升、「三十にして立つ」は火地晋、「五十にして天命を知る」は風地観、「六十にして耳に順う」は水地比、「七十にして心の欲するところに従えども、矩を踰えず」は山地剥に由来している。

爻辞( こう じ ) 〜周公旦の作と伝わる。象曰以下は孔子の作と伝わる象伝。

上六━ ━
六五━ ━
九四━━━
六三━ ━
六二━ ━
初六━ ━○

初六( しょ りくは)(ならす )(たのしみを)(きょうなり)

【書き下し】初六は、予しみを鳴らす、凶なり、

象曰(しょうに いわく)初六( しょ りくは ) (ならすとは ) (たのしみを)(こころざし ) (きゅうして ) 凶也(きょうなるとなり)

【書き下し】象に曰く、初六は予しみを鳴らすとは、志窮して凶なるとなり、

予のときに当たって、初六は陰柔不才にして最下に居る爻である。
これは下賎の卑夫である。
しかしこの爻は、九四執政権門の爻と陰陽の応の位である。
九四は執政の鼎臣にして、入りては宰相、出ては大将たる権勢の臣にして、卦中の唯一の陽の剛位にして、天下の衆陰をして、予楽ならしむるところの震の主爻、成卦の主爻であり、したがって、その富貴威権は炎々赫々たる者である。
そこでこの初六の小人は、その九四の応位であることをよいことに、その九四の権門に出入りして、それをひけらかして予楽とし、さらには、故意にこれを世間に吹聴し、自慢して歩く。
これは人としての志が困窮している者であって、大悪大凶の道である。
だから、予しみを鳴らす、凶なり、という。

上六━ ━
六五━ ━
九四━━━
六三━ ━
六二━ ━○
初六━ ━

六二( りく じは )(かたし)(いしよりも)()( おえ )( ひを )(ただしくして ) (きちなり)

【書き下し】六二は、石よりも介し、日を終えず、貞しくして吉なり、

象曰(しょうに いわく)()( おえ )( ひを )(ただしくして ) (きちなりとは)(もってなり )中正(ちゅう せいを)也、

【書き下し】象に曰く、日を終えず、貞しくして吉なりとは、中正を以ってなり、

介は気概節介があるという義である。
今、天下が皆、予楽佚遊するときではあるが、六二の爻は、中正の徳があり、その節操が石よりも堅いので、その予楽に耽らず、佚遊に溺れることがない。
だから、石よりも介し、という。
しかし、皆が予楽(たのし)んでいるときに、独り世間に背き、戚々として、決して楽しまない、というわけではない。
皆とともに楽しむことは楽しむ。
ただ、その楽しみを極めるべきではないことを知り、日を終えることを待たず、速やかに改めて、道の正しきに取って復(かえ)すのである。
これは実に貞吉の道である。
だから、日を終えず、貞しくして吉なり、という。

上六━ ━
六五━ ━
九四━━━
六三━ ━○
六二━ ━
初六━ ━

六三( りく さんは)(みあげて ) (たのしむ)(くいることあり)(おそければ ) (あらん )(くやむこと)

【書き下し】六三は、盱げて予しむ、悔いることあり、遅ければ悔やむこと有らん、

象曰(しょうに いわく)(みあげて ) (たのしむ)(ありとは ) (くやむこと)(くらい ) (ざればなり )(あたら)也、

【書き下し】象に曰く、盱げて予しむ、悔やむこと有りとは、位当たらざればなり、

六三は、予のときに当たって、己は陰柔不才不中不正の人物であるとともに、九四の権門の爻と陰陽密比している。
これは、おもねりへつらいを以って、九四を下から見上げつつ欺きたぶらかし、その権勢をたのみ、その威福を仰ぎ望んで、これをもって世を震撼させ、人を威し、中に就いて姦利の謀を設けて楽しみとする者である。
これは小人佞者の常套である。
だから、盱げて予しむ、という。
盱は見上げるという意。
六三は元来、自ら陰柔にして道に暗く、ただ陽位の志のみ昂ぶり傲慢になって遂にその極みに至ったのであって、自らの能力がその位に当たっていないのである。
そもそも他人の権威を借り、己の貧利の予楽とするのは、当座の満足はあっても、その権威が衰えれば、忽ち自らに災難が生じ、その権威を借りたことを悔いることになる。
だから、悔いることあり、という。
したがって、六三は豁然として今日までの非を悟り、旧情を悔い改めて、その志を変革するべきである。
そうすれば、その災難を免れる。
しかし、安易に考え、悔い改めることをしなければ、いつか災害に至るに臨む。
そのときになってからでは、悔い改めても、もう手遅れである。
だから、遅ければ悔やむこと有らん、という。
なお、遅ければの主語は悔い改めることであって、『易経』を始めとする中国古典の文章では主語を省略することがときどきある。

上六━ ━
六五━ ━
九四━━━○
六三━ ━
六二━ ━
初六━ ━

九四(きゅう しは )(よって ) (たのしましむ)(おおいに) ( あり )(えること)(なかれ )(うたがうこと)(とも ) (あい ) (あつまらん)

【書き下し】九四は、由って予しましむ、大いに得ること有り、疑うこと勿れ、朋盍簪らん、

象曰(しょうに いわく)(よって ) (たのしましむ)(おおいに ) (ありとは ) (えること)(こころざし ) (おおいに ) 行也(おこなわるるとなり)

【書き下し】象に曰く、由って予しましむ、大いに得ること有りとは、志大いに行わるるとなり、

この九四の爻は、成卦の主にして、宰相執政の位であるとともに、卦中唯一の陽剛にして、陽明剛健の徳量を備えている。
したがって、上は六五陰柔の君を輔弼し、朝廷の綱紀を正し、下は四海を統べ治めて、よく天下の衆陰を予楽和悦させる。
これは、全くこの九四一陽剛の才力徳量に由れることである。
だから、由って予しましむ、という。
このように天下の衆陰は、実にこの九四の爻の才徳に由って、泰平の中で和順予楽することを得るわけだが、これにより天下の民心は、大いにこの九四に感服して帰順する。
九四の側から言えば、大いに民心を得ることになり、自分の志が大いに行われたことにる。
だから、大いに得ること有り、という。
もとより九四は執政大臣の位に在りて、天下中唯一の陽剛なのだから、その威権は盛大にして、天下の崇敬を集めることが甚だしい。
対する六五の君は、陰弱であるを以って、威権勢力は薄く軽い。
したがって、天下の衆陰は悉く九四の門に群がる。
これでは、六五の君としては面白くなく、九四の威権を忌み疑うようになっても不思議ではない。
すると九四も、そんな六五の君上から忌み疑われているのではないかと、六五を疑い危ぶみ恐れるようになる。
しかし、このように九四の大臣が、嫌疑を抱え顧慮を挟み、自分の身の保全の意念が生じるときには、忽ちにその政に害有りて、天下の勢い忽ちに隕ちる瓦の破れるが如く、砂山が崩れるが如きに至るだろう。
これは、国家廃亡の幾(きざ)しである。
そうならないためには、九四は一に己の身を擲って、赤心をもって公事に尽くすしかない。
だから、疑う勿れ、と戒める。
疑う勿れとは、疑念を抱いて顧慮することなく、純一赤心をもって国に報じよ、という意である。
九四の忠臣が身を捨てる覚悟で国事に当たるのであれば、四方同朋の君子もその赤心の忠信に感じて集まり来て、共に赤心をもって国事を輔けるものである。
だから、朋盍簪らん、という。
簪とは「かんざし」のことだが、かんざしは髪を集めて束ね止めるものなので、あつまるという意味を持つのである。

なお、この爻辞冒頭の由の字は、この爻が成卦の主爻だから用いられたのである。
これは、山雷頤の上爻の爻辞冒頭にある由頤の由も同じことである。
そもそも由とは、自分が何かをすることを示すのであって、してもらうのではない。
ここでは、衆陰の群臣群民が、この爻の才徳に由って予楽することをいう。
これに対してこの九四の爻は、自分が予楽するあるいは予楽させてもらうのではなく、衆陰の群臣群民を予楽させるのであって、自身は却って天下の為に苦労し、予楽を人に求めない賢徳があることを示すのである。

上六━ ━
六五━ ━○
九四━━━
六三━ ━
六二━ ━
初六━ ━

六五( りく ごは )貞疾(つねに やめり)(つねに) ()(しせ )

【書き下し】六五は、貞に疾めり、恒に死せず、

象曰(しょうに いわく)六五( りく ごは ) (つねに )(やめりとは)(のればなり) (ごうに)也、(つねに) (ずとは)(しせ )(ちゅうの ) (いまだ/ざればなり )(ほろび)也、

【書き下し】象に曰く、六五は、貞に疾めりとは、剛に乗ればなり、恒に死せずとは、中の未だ亡びざればなり、

六五は君の定位である。
今は予のときなので、昇平至治にして泰平豊穣四海無事の化に出遇い、天下の群陰は下賎卑夫に至るまでも、みな各々予楽佚遊する時である。
六五の君は至尊にして四海の富貴を統べるわけだが、陰柔の君主なので佚遊予楽を好む。
たとえ臣民が予楽できない苦しいときでも、六五は君であり、君には富貴があるので、つい臣民のことを考えず、予楽佚遊を求めてしまう傾向がある。
しかし、かの九四の執政の大臣に制し止められて、心のままに予楽を極め尽くすことはできない。
これは九四の陽剛の爻に乗っている六五の君上の爻の苦悩であり、疾患である。
だから、その情態を形容して、貞に疾めり、という。
九四の大臣は、陰柔の君上を輔佐して朝憲を明らかにし、天下を治めて群陰を撫育し、よく君上の過失を正し諌めるのである。
六五の君は陰暗柔弱にして予楽佚遊を好む失はあれども、柔中の徳が有るので、よくその九四の諌めを聴き入れ、従うのである。
これにより、国家が乱れるほどのことはない、という義を形容して、恒に死せず、という。

上六━ ━○
六五━ ━
九四━━━
六三━ ━
六二━ ━
初六━ ━

上六(じょう りくは)(くらし )(たのしむに)(なるも ) (あれば )(かわること)( なし)(とが )

【書き下し】上六は、予しむに冥し、成るも渝ること有れば、咎无し、

象曰(しょうに いわく)(くらくして )(たのしむに ) ( あり )(うえに)(なんぞ ) (べきとなり ) (ながかる)也、

【書き下し】象に曰く、予しむに冥くして上に在り、何ぞ長かる可きとなり、

上六は陰柔不中にして予の卦の極に居る。
これは予楽を十分に極め尽くす象である。
しかし、予楽は極め尽くすべきものではない。
予楽を極めれば必ず衰戚に至るのが天地の定理である。
今、上六はこの道理に暗く、何がなんでも予楽を極め尽くそうとしている。
これは、予楽を善くする者とは言えない。
むしろ、予楽の道に暗い者である。
だから、予むに冥し、という。
この冥の字は、地風升の上六の冥升の冥と同じであるとともに、上六は卦の終わりである。
したがって予楽もついに遂げ終わって自然に厭い憎む情が生じ、これまでの耽り溺れれ怠惰の情を変じ改めるときには、その咎を免れるものである。
そこで、その過程を要約して、成るも渝ること有れば、咎无し、という。
成るとは、事がまさに遂げ成ることをいう。
渝るとは、志が改まり変わることをいう。
およそ人は、逸楽に過ぎるときは必ずその身を誤る。
これは咎有りの道である。
しかし今、志を改め、行いを変じて正しき道に復るときは、その咎を免れるのである。

前の卦=15地山謙 次の卦=17沢雷随

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01.乾為天 02.坤為地 03.水雷屯 04.山水蒙 05.水天需 06.天水訟 07.地水師 08.水地比 09.風天小畜 10.天沢履 11.地天泰 12.天地否 13.天火同人 14.火天大有 15.地山謙 16.雷地予 17.沢雷随 18.山風蠱 19.地沢臨 20.風地観 21.火雷噬嗑 22.山火賁 23.山地剥 24.地雷復 25.天雷无妄 26.山天大畜 27.山雷頤 28.沢風大過 29.坎為水 30.離為火 

31.沢山咸 32.雷風恒 33.天山遯 34.雷天大壮 35.火地晋 36.地火明夷 37.風火家人 38.火沢睽 39.水山蹇 40.雷水解 41.山沢損 42.風雷益 43.沢天夬 44.天風姤 45.沢地萃 46.地風升 47.沢水困 48.水風井 49.沢火革 50.火風鼎 51.震為雷 52.艮為山 53.風山漸 54.雷沢帰妹 55.雷火豊 56.火山旅 57.巽為風 58.兌為沢 59.風水渙 60.水沢節 61.風沢中孚 62.雷山小過 63.水火既済 64.火水未済

ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては易学入門をご覧ください。
また、六十四卦それぞれの初心者向け解説は無料易占いのページをご覧ください。
占いながら各卦の意味がわかるようになっています。

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最終更新日:令和04年04月03日 学易有丘会
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