危険な古代史
古事記日本書紀のトリッキーな数字の仕掛け
前ページ もくじ 次ページ
第一章 第三章 第四章 第五章 第六章 第七章 第八章 第九章 第十章
第二章 円周上に配置された神々と古代天皇
1、神々と古代天皇の登場順には法則があった! 2、易とは何か…陰陽〜八卦〜六十四卦 3、歴代天皇と易六十四卦の序次 4、歴代天皇のふざけた名前 5、仁者は山を楽しむ〜仁徳天皇陵 6、神世と易六十四卦の序次 7、伊邪那岐・伊邪那美神と一陽来復
追補1、各天皇と易六十四卦との関係の詳細@ 追補2、各天皇と易六十四卦との関係の詳細A 追補3、神々と易六十四卦との関係の詳細
3、歴代天皇と易六十四卦の序次
〇 推古天皇と神武天皇の関係
さて、話を戻そう。
1神武天皇が七六の䷃山水蒙なら他の天皇はどうなのか、何か易と関係するものはないかと、取り敢えず日本書紀の歴代天皇の名前を眺めてみたところ、ほどなく34推古天皇に目が留まった。
34推古天皇の国風諡号は豊御食炊屋姫、意味は、豊かな食事を作る家に居る姫、ということになる。
他の天皇と比較すると、類を見ない生活感溢れる名前だが、この意味を持つ卦があるのだ。
䷤風火家人である。
家人とは、外で肉体労働をする男性のために家の中で火を守り、その火で煮炊きをする女性のことである。
古代は火を起こすのが大変な作業だったので、竈の火が消えないように、常に見張っている必要があり、ただ見張っているだけでは手持無沙汰なので、その火で煮炊きをして食事を作るのが女性の仕事だったのだ。
これには、推古天皇は風火家人だぞ、と教えている気配すら感じた。
そこで推古天皇に纏わる数字で、䷤風火家人と繋がるものはないかと探した。
風火家人は☴巽(風)の五と☲離(火)の三なので、五と三の組み合わせになる。
思い当たったのは歴史の教科書に推古天皇の即位元年は西暦593年とあることだった。
593に660を足せば1253年となる。
念のため日本書紀の記述から計算して確認したが、確かに元年は皇紀1253年で、下二桁は探していた五と三(5と3)の組み合わせ、紛れもなく風火家人を示す数字だ。
七六の䷃山水蒙、五三の䷤風火家人、六十四卦の序次では、䷃山水蒙から数えて34番目が䷤風火家人、推古天皇も神武天皇から数えて、神功皇后を加えれば34番目となり、ピッタリ一致する。
〇 神功皇后の存在意義
神功皇后を数に入れたのは、日本書紀では天皇と同格として扱われていて、全三十巻のうち、この神功皇后だけで一巻を費やしているからであると同時に、江戸幕末までは歴代に入れられていたからだ。
神功皇后を歴代として数えなくなったのは明治になってからである。
その神功皇后は、仲哀天皇の死後305日後に応神天皇を産み、応神天皇が大人になってもなお政権を譲らず、その後も崩御するまでの約70年間日本を治めたとある。
しかも、神武天皇が山水蒙、推古天皇が風火家人の位置であるのなら、この神功皇后の位置は䷑山風蠱という卦になるのだ。
これにはちょっと笑ってしまった。
この䷑山風蠱という卦は、父親が判然としない子供を妊娠する、という意味があるのだ。
蠱という字は皿の上に数多くの虫がいる状態すなわち食物が腐敗して虫がたかっている様子を意味するのだが、皿を子宮、虫を男性の精として、多くの男性を蠱惑して次々と肉体関係を持つことをも意味する。
ヒトの通常の妊娠期間が290日程度だということを考えると、仲哀天皇崩御の305日後に生まれた応神天皇の父親は本当に仲哀天皇なのだろうか?という疑念が生じ、このことは昔から日本書紀の読者に疑われてきた。
が、この疑念こそが䷑山風蠱の持つ意味なのだ。
したがって神功皇后がこの䷑山風蠱の位置に当たるということも、この序次に一致しているのである。
なんだこれは!?と思いつつも、さらにこの序次を先に延ばすと、天武天皇の位置は䷪沢天夬、持統天皇の位置は䷫天風姤が当たった。
䷪沢天夬は最上に追い詰められた一陰⚋を下五陽が総力を挙げて決去する形なので、古代史史上最大の内乱ともされている大友皇子との壬申の乱を彷彿とさせ、持統天皇の䷫天風姤は力の強い女性(女傑・女帝)という意味を持つ卦なので、これもピッタリだ。
ということは、神武天皇から持統天皇までのすべてが、易の序次に合わせて並べられた可能性がある。
また、神功皇后が天皇と同格だということは、持統天皇の位置である䷫天風姤にも相応しい。
そう思って神功皇后の国風諡号を見ると、日本書紀では気長足姫とあり、この名前を古事記では息長帯比売と表記している。
日本書紀の表記だと何も特定の卦は連想できないが、古事記の表記の文字列は帯という字が使われていることから、䷫天風姤の卦の形を連想させるのだ。
易の専門的なことになってしまうが、息と長という字は八卦の☴巽(風)が示す事象なので、息長の二文字は☴巽(風)を重ねた䷸巽為風という卦を示していることになる。
次のタラシと読ませている帯は、本来的にはオビのことである。
その帯は腹に締めるものである。 易の卦を人体に擬えるときは、おおむね最下を足、下から二番目を脛、三番目を腿から腰(股)、四番目を腹、五番目を肩、最上を頭とする。
したがって息長帯という文字列は、䷸巽為風に帯を締める、と解釈でき、帯は腹に締めるものだから、䷸巽為風の下から四番目を陰から陽に変じよ、と指示するものと読める。
帯を締めない状態が⚋陰、帯を締めた状態が⚊陽である。
䷸巽為風の下から四番目を陰から陽に変じると䷫天風姤になるのだ。
ちなみに風邪を引きやすいけどどうしたらよいかということを占ってこの卦を得たのならば、
例えば、寝るときに腹と足先が出ていることが原因だとして、帯ではなく腹巻きと言い、足も陰から陽に変じさせるために靴下を穿いて寝ることだ、そうすれば全部が⚊で健やかな䷀乾為天の状態になる、といった判断になる。
が、それはともかく、この神功皇后の位置を䷫天風姤として前後に易の序次にしたがって各卦を並べ、最初の神武を䷑山水蒙として各卦を並べたものと一緒にそれぞれの位置の天皇の名前や年令等の数字との関係を検証してみることにし、取り敢えず表にまとめてみた。
仮に、神武天皇を䷑山水蒙とする配列をA列、
神功皇后を䷫天風姤とする配列をB列、
と呼ぶことにした。
それがこの表で、この表の中から易に触れずに話せる部分だけを取り出したのが「第一章 皇紀と古事記日本書紀のヤバイ関係!」で述べたことだったのである。
この表を見ながらA列B列、各卦とその位置の天皇との関係を検証してみると、概ね古事記の国風諡号はその位置の易の卦の意味を踏まえて作られたもので、日本書紀の国風諡号は易の卦との関係を曖昧にするために使う漢字を変えたものだった、ということがわかった。
そこで国風諡号は古事記のものだけにして、A列B列との関係を色分けしたのが次の表で、A列との繋がりは赤、B列との繋がりは緑で示した。
すべての繋がりを逐一述べるとそれだけで膨大な量になってしまうので、ここでは面白い繋がりに少しだけ触れることにする。
すべての繋がりは追補1、2、3として、この章の最後に書くので、必要に応じてそちらを御覧ください。
前ページ ページTOP 次ページ
|