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危険な古代史
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1、母系母権制社会脱却に失敗
これまでの暗号解読によると、古代日本は食人による蘇りで永遠の生命を得られると信じる女帝たちが、神懸りでお告げを下して世の中を治めていたということだが、 〇 ヤタによる宗教改革
女帝たちが食人による蘇りを当然のこととして実行していた世の中で、ある時、とんでもないことを言い出した人物が出て来た。 蘇りなんかウソだ、神懸りも神のお告げも妄想に過ぎない、ということに気づき、神の掟やお告げに縛られるのではなく、大自然の営みに倣い、人の情を最優先に。思いやりを以って社会を治めるべきではないか、思いやりがあれば年老いて醜くなっても嘲笑されることはなく、死んでも折に触れて思い出され、永遠に人々の心の中に生き続けるから、冷静に死を詩として受け入れるべきだ。
やがてヤタは、この考えを母親の崇神女帝に提言した。
ヤタが思いやりのある優しい男性だったからか、従妹はヤタの願いを聞き入れて他の男から遠ざかり、その結果、やがてヤタを父親とする女の子が生まれました。
そうこうしているうちに時は経ち、蘇りのための自殺を行わなかった崇神女帝は、目が微かにしか見えない老女となり、ついに、ヤタに後を託して自然死を迎えた。 崇神という漢風諡号は、神を崇め祭るという意だが、これは崇神女帝が、息子ヤタの言うとおりに、神懸りを止め、神をただ崇め祭るだけの存在としたと共に、崩御した崇神女帝のことを忘れず、子孫の心の中に永遠に生き続けさせるために、崇め祭る存在の神とした、ということである。 その崇神女帝が崩御すると、ヤタが日本初の男性の王として即位し、神懸りではなく、仁を垂れて、理性に基づく思いやりを大切する社会にしようとした。
しかし男性が王であること、神懸りを行わないこと、蘇りを否定されたことなどから、ヤタを王とて認めない人々も少なくなく、国中が大混乱になった。 この混乱を止めるために、崇神女帝の母親の蘇りで、ヤタの子を産んだヤタの従妹が、昔ながらの神懸りと蘇りを復活させるということで女帝として即位し、その結果、漸く混乱は治まった。
崇神女帝が崩御した皇紀907年=西暦247年頃のことを中国側資料から探ると、丁度、魏志倭人伝の卑弥呼の時代に当たる。 〇 大神神社と神道の始まりところで、垂仁の仁ということから考えると、このヤタが神懸りではなく、神を崇め祭る存在として思いついたのが、山を神として祭ることだったようである。 山は不動にして昔からその場所にあり、今後も同じようにそこにあり続けるだろうし、森には樹齢百年を超える木々が生い茂っている。 そしてヤタがこの考えを思いついた場所が、たまたま三輪山の麓、今の大神神社付近だったのだ。 まだ神社や神道という言葉はなかった時代、もちろん定まった祭式も何もなかったわけだが、これが神社神道の始まりだったのだ。 ヤタの表向きの存在の11垂仁天皇のA列は14䷍火天大有で、この卦は☰乾(天)の上に☲離(火)がある形だが、同時に☰乾(天)は円すなわち輪、☲離(火)は数の三を意味するので、三輪という文字列とも繋がる。 その後、応神女帝は、慣例どおり年老いて醜くなる前に、掟に従って昔ながらの蘇りのための自殺をし、ヤタの血を引いていたとしても、末娘が母の肉を食べ、血を飲み、手あたり次第に男性と夜を共にし、やがて女の子が生まれると、その子を母の蘇りだとした。 ただし、一旦ヤタにかき乱されてしまった掟を立て直すためには、そのまま昔のように蘇りを復活さるだけでは足りず、新たな権威の象徴が必要だっただろうことは、容易に推測できる。 このように、仁が否定され、神懸りと蘇りが復活したからと言って、ヤタの賛同者が全くいなくなったわけではなかった。
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危険な古代史 古事記日本書紀のトリッキーな数字の仕掛け もくじ第二章 円周上に配置された神々と古代天皇 第三章 古事記序文の暗号解読 第四章 持統天皇と〇〇の危険な情事! 第五章 古代天皇の多くは、実は女性だった! 第六章 古代女帝たちの鬼畜な不老不死の秘術 第七章 大神神社の秘密〜すべてはヤタから始まった! 第八章 神武天皇は西暦490年頃の人物だった! 第九章 古代女帝政権の終焉 |
最終更新日:令和07年11月16日 学易有丘会
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