危険な古代史
古事記日本書紀のトリッキーな数字の仕掛け
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第一章 第三章 第四章 第五章 第六章 第七章 第八章 第九章 第十章
第二章 円周上に配置された神々と古代天皇
1、神々と古代天皇の登場順には法則があった! 2、易とは何か…陰陽〜八卦〜六十四卦 3、歴代天皇と易六十四卦の序次 4、歴代天皇のふざけた名前 5、仁者は山を楽しむ〜仁徳天皇陵 6、神世と易六十四卦の序次 7、伊邪那岐・伊邪那美神と一陽来復
追補1、各天皇と易六十四卦との関係の詳細@ 追補2、各天皇と易六十四卦との関係の詳細A 追補3、神々と易六十四卦との関係の詳細
5、仁者は山を楽しむ〜仁徳天皇陵
 漢風諡号にも少し触れておこう。
17仁徳天皇と27継体天皇は、それぞれのA列の卦と繋がっている。
仁徳天皇のA列の䷓風地観には大きな山という意味があり、大阪の堺市にある仁徳天皇陵を思い出させる。
さらに、易を楽しむための必読図書でもある論語の読者ならば、山と云えば仁を真っ先に連想するものである。
雍也第六に、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ、という有名な言葉があるからだ。
したがって風地観という卦を見せられて、仁徳=仁の徳という言葉に触れたら、ああ、そういうことか、と即座に気付くものなのだ。
継体天皇の継体という言葉は皇位継承者を意味するものである。
A列の䷝離為火は上下共に☲離(火)なので、☲離(火)の日が継がれることすなわち日継ぎである日嗣、要するに皇位継承を意味する卦なのだ。
鎌倉時代に成立した日本書紀の注釈書の釈日本紀によると、漢風諡号は奈良時代後期に淡海三船によってつけられたものだとあり、現代のアカデミズムの多くは深く検証することなく、この説を支持しているようだが、そうではなく、日本書紀に当初からあったものだからこそ、このような関係があるのだ。
釈日本紀は、日本書記の表面上から読み取れる物語を事実や古伝承によるものだとする立場で書かれたのであって、漢風諡号が最初からあったとすると都合が悪いから、後に別の人物によって付け加えられたとしたのだろう。
ともれあ、細かい話はこのくらいにして、すべての天皇とその位置の易六十四卦との関係は、別章に追補として取り上げるので、必要に応じて御覧願いたい。
なお、各天皇とその位置の易六十四卦との関係を細かく検証することで、太安萬侶や舎人親王の卦を読むときの傾向やクセといったものわかってきて、それがその後の解読にとても役に立ったことを付け加えておく。
とにかく、3、歴代天皇と易六十四卦の序次の最後にも示した次の表の色分けのように、他の天皇もこのA列B列と深く繋がっているだ。
これを見て改めて思うのは、日本書紀にある崩御時の年齢と崩年の数字は、1神武天皇の七十六年崩以外、それぞれの位置にある易の卦との関係はほんのところどころなので、偶然の可能性も十分に有り得る。
しかし古事記の崩御時の年齢や国風諡号とその位置にある易六十四卦との関係は、偶然には有り得ないレベルの数である。
作為だとしか言いようがない。
こんなことになっているのは、これらの天皇はすべてこの易六十四卦の序次に合わせて創作された、ということなのだ。
だとしても、古事記に記載の崩御時の年齢のうち、どうしてもその位置にある卦との関係を見出せないものもった。
1神武天皇137歳、12景行天皇137歳、14仲哀天皇52歳、17仁徳天皇83歳、21安康天皇56歳の五人である。
見出せないことに何か意味がありそうだが、この段階ではわからなかった。
ただ、このうちの1神武と12景行と14仲哀の三人の天皇は、「第一章皇紀と古事記日本書紀のヤバイ関係!」で述べたように、古事記序文最後にある撰進の日付と奇妙に繋がっていたのだ。
また、35舒明天皇以降の日本書記だけの時代の各天皇の国風諡号は、その位置にある易六十四卦とこのような関係は見出せない。
しかし40天武天皇のA列の43䷪沢天夬が騒乱や暴動を意味するから、大友皇子との「壬申の乱」を連想させ、41持統天皇が女帝であることがA列の44䷫天風姤と一致するからには、34推古天皇から41持統天皇までも、少なくとも易六十四卦の序次に合うように数を揃えたものだ、ということは言える。
最近の古代史研究では、聖徳太子の実在が疑われたりしているが、さらに後の大化の改新や壬申の乱も、おいそれとは事実だと言えない気配だ。
が、それにしても1神武天皇がA列で4䷃山水蒙、B列で30䷝離為火というのは中途半端な位置である。
とするとこの六十四卦の序次との関係は神世にも続いている可能性がある。
そこで次に、神世と易六十四卦の序次との関係を検証したのだが、案の定、神々の名前や物語も易の序次と繋がっていたのだった。
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