1、歴史改竄への道!
第二章では、古事記日本書紀に記載された神々と天皇は易六十四卦の序次を利用して53人で一周するように作成した円周上に、国常立神から持統天皇までを、数を揃えて並べたものだった、ということと、そこから、歴史を腐敗させた持統天皇を訴える、とのメッセージが読み取れるということをお話しした。
また、第一章では、神武・景行・仲哀の三人の天皇の崩年齢が、古事記序文最後に記載された撰進の日付とトリッキーに繋がっている、ということをお話しした。
そこで、前章の最後にも述べたように、このトリッキーな数字の仕掛けの謎を解くさらなるカギは、古事記序文にあると考え、易の理論と文字を突き合わせながら探ることにした。
古事記序文を見ると、すぐに乾坤、陰陽、という言葉が目に止まり、易と密接な繋がりがあることを窺わせるわけだが、こういった直接的な言葉は、これ以上の意味は読み取れなかった。
しかし、つらつらと原文をチェックしてみると、おや?と思わせる記述があり、案の定、そこから芋蔓式に、表面上からは想像し得ないことが読み取れた。
どのようなプロセスを経て読み取れたのかは後で触れるとして、まずはその読み取れた結果をまとめておこう。
次のようなことだ。
〇 衝撃的なメッセージ
古事記日本書紀の表面上から読み取れる歴史は真実ではなく、すべて虚構である。
持統天皇により、架空の天皇とその系譜が作られ、それに都合の悪いことはすべて切り捨てられた。
創作に当たっては易の理論が利用され、さらには外国の物語を翻案し、それを恰も日本の出来事であるかのように偽装して挿入したところが随所にある。
その上、編纂が始まると、家柄を格調高くしようと願う豪族たちからの貢ぎ物で、朝廷の倉庫は溢れ返るほどだった。
そこで表面上はこの虚構の歴史を記したが、裏に暗号で真実の歴史を忍ばせておいた。
真実を知るには本文ではなく、登場人物の名前を易の理論にしたがって考えることだ。
このような書物となったそもそもの原因は、天武天皇と、当時皇后だった持統天皇との力関係にある。
天武天皇は持統天皇より優れていて、創作ではなく、真実の歴史を記録した書物を作ろうとしていた。
しかしこれを豪族たちに訴えると、彼等は呆気なく否定し、天武天皇は相手にされなかった。
大多数の豪族たちと、彼等からの貢ぎ物を喜んだ持統皇后は、綺麗事ばかりで飾った虚構の歴史書を作ろうとしていたのだった。
そんな朝廷内の動きを嘆き悲しんだ天武天皇は、独自に古代史を探り、知り得た真実の歴史をなんとか後世に伝え残そうとしていた。
ところが、そんな動きを察知されたのか、あろうことか毒殺されてしまった。
いかがだろうか。
これが事実ならば、とんでもないことだ。
こんなことが本当に読み取れるのか?
おいそれとは信じられないかとも思う。
自分で解読していて、私も最初は信じられなかった。
しかし、確かにこう読み取れ、この読み取れたとおりに、本文の登場人物の名前を易の卦に置き換えながら探ってみると、さらにいろんなことが出て来たのだ。
例えば、天武天皇を毒殺したのは持統天皇であって、表向き天武天皇の子とされている草壁皇子は、持統天皇と百済からの使者との間の子だとあり、そのことを大津皇子は知っていたので、天武天皇崩御のときに、草壁皇子即位を阻止しようと謀反を起こした、ということが示されていた。
謀反はなんとか鎮圧したが、その結果、草壁皇子の父親のことは世間に知られ、即位は見合わされ、
代わりに持統天皇が即位することになった、という流れだった。
また、天武天皇と持統天皇は仲がよかったように描かれているが、実際は犬猿の仲だったようだ。
現在の天皇皇后両陛下は夫婦ということだが、この時代には一夫一婦制の夫婦という単位はなく、一夫多妻でもなく、言うなれば多夫多妻だったようで、恋愛感情はあまりなく、互いに気楽な夜遊びの相手であると共に、政治的な権力のための繋がりでしかなかったようだ。
天武天皇は多くの女性との間に子を儲けているが、同時に持統天皇も多くの男性との間に子を儲けていたのだ。
皇后は天皇に次ぐ権力者で、持統皇后は天武天皇と意見が合わなければ臣下を味方に引き入れて多数派工作をし、強引に自分の意見を通したようだ。
が、あまり先走らず、とにかく古事記序文をどういうふうに読んだらこんなことが出て来るのかから、話を進めたい。
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