危険な古代史
古事記日本書紀のトリッキーな数字の仕掛け
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第三章 古事記序文の暗号解読
1、歴史改竄への道! 2、持統天皇の悪だくみ 3、天武天皇の願い
3、天武天皇の願い
古事記序文第二段の天武天皇の徳を称える文章は次のようなものである。
道は軒后に軼ぎ、徳は周王に跨えたまひき。
乾符を握りて六合をハべ、天統を得て八荒を包ねたまひき。
二気の正しきに乗り、五行の序を斉へ、神理を設けて俗を奨め、英風を敷きて国を弘めたまひき。
重加、智海は浩汗として潭く上古を探り、心鏡は煒煌として、明らかに先代を覩たまひき。
〇 天武天皇は持統天皇とは違っていた
乱数表(易の理論)
「道は軒后に軼ぎ」の軒后は、古代中国の伝説上の帝王、黄帝の別称だから、表面上は、天武天皇の治世は黄帝よりも優れていた、という意味になる。
しかし軒后の后の字は皇后の后でもあり、天武天皇の皇后は後の持統天皇なのだから、天武天皇は持統天皇よりも優れていた、と暗に仄めかしているようにも読める。
「徳は周王を跨えたまいき」の周王は周の文王のことで、文王は易六十四卦の卦の意義を説明する文章を作ると共に、六十四卦の序次を決めたとされる人物なのだから、易の理論に基づいた虚構の歴史を作るようでは、とても跨えるとは言えない。
したがって、天武天皇は虚構ではなく、真実の歴史を伝え残そうとした、と告げていることになる。
次の「乾符を握りて六合をハべ、天統を得て八荒を包ねたまひき」を普通に読めば、乾符すなわち天皇たる資格の証明を以って六合すなわち天地と東西南北の四方を従えて君臨し、天統すなわち正統な皇位継承者として東西南北とその中間の八方位すべての荒れた状態を正して治めた、といった意味になる。
しかし易を念頭にすると、そんな意味とは無関係に、乾と六、天と八で易の卦に置き換えると、乾は☰乾(天)、六は☵坎(水)、天は☰乾(天)、八は☷坤(地)だから、乾と六は䷅天水訟、天と八は䷋天地否で、訟=訴えたが否定された、という意味になる。
続く「二気の正しきに乗り、五行の序を斉へ」は、二と五で易の卦に置き換えると、二は☱兌(沢)、五は☴巽(風)だから、䷛沢風大過で「大きく過ぎる」の意となる。
続く「神理を設けて俗を奨め、英風を敷きて国を弘めたまひき」は、神道の理念を基本として、善良な風俗を奨め、国をまとめて来た、といった解釈が普通だが、それを大義名分に、綺麗事ばかりの虚構の歴史を国の正史として弘めようとした、と仄めかしているようにも読める。
とすると、天武天皇は真実の歴史を伝え残そうとしたが、朝廷内の大多数の意志により虚構の歴史を国の正史とすることに決定してしまった、と示していることにもなる。
念のために付け加えると、神道の理念とは、簡単に言えば論語雍也第六にある「鬼神を敬して之を遠ざく」ということである。
鬼=死者の魂や、神=自然界を司る人知では計り得ない何か、といったものは、心を込めて祭り敬いはするが、神懸りで神様やご先祖様を呼びだして、そのお告げを下す霊媒師等の言葉で善悪を判断するのではなく、自分の学識で善悪を判断するべきだ、という意。
要するに、宗教が支配する社会にはしない、ということであって、だから神道には教義がなく、ただ神を祭りるだけなのである。
〇 天武天皇は毒殺された!
最後の文節の浩汗は広大という意味だが、共に氵(サンズイ)で水にちなむ文字だから、易の卦に置き換えれば䷜坎為水となる。
䷜坎為水には剣難の水ということから毒という意味がある。
煒煌は明らかに輝くという意味だが、これも易の卦に置き換えると、共に火をヘンとするので、火を重ねた䷝離為火で、火が燃え盛っている形となる。
この二卦を合わせて解釈すると、毒が身体中を駆け巡り(䷜坎為水=浩汗)、火が燃え盛っているような高熱に苦しんでいる状態(䷝離為火=煒煌)すなわち毒殺という意味を読み取れるのだ。
したがって、天武天皇は独自に古代史を探り、その真実を知っていたので毒殺された、と示していることになる。
日本書紀の表面上からは、単なる病死としか読み取れないが、それは嘘だ、ということである。
毒殺とは、なんだかとんでもないことになって来たが、この解読で、謎の人物とも言われる稗田阿礼の役割が少し見えてきたようだ。
稗田阿礼は古事記序文にのみ登場する人物で、そこには28歳のときに天武天皇の命により、その当時の古代史に関する資料、帝皇日継と先代旧辞を誦習し、歴史書作成に参加したとある。
しかし日本書紀ではこれには全く触れず、天武10年3月に皇族以下12人を召して歴史書作成事業に着手した、と記載している。
この二つの出来事は同じことを別の角度から見たのか、はたまた全く別のことなのか、研究者の間でも議論が尽きないようだが、この解読結果を踏まえてみると、次のような経緯だっただろうことは容易に推測される。
天武10年3月の記事は、当時皇后だった後の持統天皇を中心とする勢力が虚構の歴史書編纂に着手したことを示しているのであって、これに対抗する手段として、天武天皇が独自に調査して知り得た真実の歴史を誦習したのが稗田阿礼だった、ということである。
それが帝皇日継と先代旧辞のことである。
誦習という方法を用いたのは、文書で残せば発覚したときに大多数の反対派によって焼き捨てられる可能性があったからだろう。
そして、反対派に悟られずに真実を後世に伝え残す手段として考え出されたのが、この暗号作戦だったのではないだろうか。
なお古事記序文では、稗田阿礼が誦む歴史をそのまま収録したことになっているが、言うまでもなく、それは表面上の体裁を整えるためのことだ。
また、この解読にしたがって天武天皇の国風諡号、天渟中原瀛真人を眺めてみると、その暗号としての意味が見えてきた。
天渟は、天は☰乾(天)、渟は水がある場所を示す文字だから水を意味する☵坎(水)とすれば、先ほど出て来た乾六と同じ䷅天水訟で「訴える」という意味になる。
中原瀛は、原は☷坤(地)が示す事象であると共に、☷坤(地)はまた人体の腹を意味し、瀛は渟と同様に水がある場所を示す文字だから水を意味する☵坎(水)とすれば、☵坎(水)には毒という意味があるので、中原瀛で、腹の中に毒がある、という意味に取れる。
最後の真人は「真実の人、真面目な人」といった意とすれば、合わせて、真実の古代史を伝え残そうと訴えた真面目な人物だったがために毒殺された、と告げていることになる。
そこで、ハタと気づきいたことがある。
この天武天皇の国風諡号が六十四卦の序次のA列B列と繋がらなかったのは、このように別のことを告げる暗号としての役割があったからだったのだ。
これは天武天皇だけではなく、他の天皇の名前のA列B列と繋がらない部分も、同様に別の何かを伝える暗号としての役割がある、ということである。
が、それはそれとして、実際に暗号が解読できるのか否かを探ってみたくなった。
そこで、古事記序文についてはひとまず置くとして、取り敢えずの手掛かりとして、各天皇の年令の数字のうち、A列B列と繋がりのないものを探ることにした。
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