危険な古代史
古事記日本書紀のトリッキーな数字の仕掛け
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第一章 第三章 第四章 第五章 第六章 第七章 第八章 第九章 第十章
第二章 円周上に配置された神々と古代天皇
1、神々と古代天皇の登場順には法則があった! 2、易とは何か…陰陽〜八卦〜六十四卦 3、歴代天皇と易六十四卦の序次 4、歴代天皇のふざけた名前 5、仁者は山を楽しむ〜仁徳天皇陵 6、神世と易六十四卦の序次 7、伊邪那岐・伊邪那美神と一陽来復
追補1、各天皇と易六十四卦との関係の詳細@ 追補2、各天皇と易六十四卦との関係の詳細A 追補3、神々と易六十四卦との関係の詳細
7、伊邪那岐・伊邪那美神と一陽来復
まずは前ページで示した神世と六十四卦の序次の表を再掲する。
D列は天照大御神を13䷌天火同人として、古事記冒頭の天之御中主神まで六十四卦の序次を遡らせたものであることはすでに書いたとおり。
ここではC列について書く。
C列は六十四卦の序次ではなく、伊邪那岐神・妹伊邪那美神を中心とした十二の卦だけの特殊な配列である。
そもそも伊邪那岐神・妹伊邪那美神のB列䷗は地雷復という卦である。
この卦は冬至の一陽来復という言葉を生み出した卦である。
一年十二ヶ月を易の卦で表現すると次図のようになり、これらは十二消長卦と呼ばれている。
なお、旧正月・旧盆という言葉があるように、旧暦は冬至を通過する月を十一月とし、月の運行に基づいて一年を定めているので、冬至が十二月下旬となる現行のキリスト教グレゴリオ暦とは約一ヶ月から二ヶ月のズレがある。
さて、陰陽の基本では、陰は静観、陽は活動、となるので、陰が増える時期は静観し、陽が増える時期は活動することになる。
陰が増えるのは旧暦五月の䷫天風姤の夏至から旧暦十月の䷁坤為地の冬至前までの六ヶ月、陽が増えるのは旧暦十一月の䷗地雷復の冬至から、旧暦四月の䷀乾為天の夏至前までの六ヶ月である。
したがって六ヶ月静観したら活動を開始し、六ヶ月活動したら静観するのが、理に適っているのだ。
夏至の䷫天風姤に始まった、陰⚋が増える時期がついに終わり、冬至の陰⚋の記号ばかりの最下に一本だけ陽⚊の記号が来復したこの䷗地雷復の形を指して、一陽来復と喜び祝うのである。
このことから䷗地雷復という卦は、月を日に置き換えて、六日間静観したら七日目に活動開始、六日間活動した七日目に静観する、とか、物事が六段階進んだら、七段階目には静観し、六段階目まで静観して、七段階目に活動を開始する、といったふうに意味が展開する。
神世七代とされる神々は、初代の国之常立神から六代まではただ名前が列挙されているだけで、七代目の伊邪那岐神・妹伊邪那美神に至って初めて物語らしい物語が始まる、という構造だが、これはまさに、この䷗地雷復の六段階目までは静観して七段階目に活動開始、に当てはまるのである。
そこで、この十二消長卦を並べたのがC列である。 他の神々については追補3に任せるとしてここでは触れないが、とにかくこれは、古事記冒頭から日本書紀最後の持統天皇までのすべてが易六十四卦の序次に基づいて創作されたのでなければ有り得ないことなのだ。
〇 円を描く皇統譜
そう思って改めて全体を見渡してみると、国之常立神と持統天皇の位置には同じ卦が並んでいることに気付いた。
神世七代の最初の国之常立神は、A列56䷷火山旅、B列18䷑山風蠱、C列44䷫天風姤、D列6䷅天水訟である。
41持統天皇は、A列 44䷫天風姤、B列6䷅天水訟である。
要するに、国之常立神〜伊邪那岐神妹伊邪那美神〜天照大御神〜1神武〜10崇神〜12景行〜14仲哀〜17仁徳〜27継体〜34推古〜41持統で一周するように作られていたのだ。
言うなれば、神々と古代天皇は、古伝承でも何でもなく、古事記日本書紀作成時に、易六十四卦を円周上に並べ、そこに数を揃えて創作したものだったのである。
その様子が、この章の冒頭でもお見せした次図である。
本来であれば円にしたかったのだが、スペースの都合で、こんな歪な形になってしまったが…。
こうして図にしてみて気づくのは、古事記冒頭の別天神五柱は、この円周から外れるから「別」とされた、ということである。
しかもこの円周上の配置は、このように国之常立神から持統天皇までが53人だから成立するのであって、たったひとり欠けただけでも成立しないのだ。
そうしてみると、謎と云われている1神武天皇の父親の鵜葺草葺不合命という名前の特異性が浮き彫りになる。
〇 鵜葺草葺不合命の秘密
現代語訳や書き下し文だけで読んでいると気づかないかもしれないが、奈良時代の人々のように原文の漢文で読むと、とても気になるのだ。
この命以外の神々や天皇の名前は、漢字の訓読あるいは万葉仮名の違いはあるとしても、問題なくそのまま読めるのだが、唯一この命だけは、読むためにはアヘズ=不合という文字の部分に返り点が必要なのだ。
なぜこの命だけは普通に読めないのか。
多くの歴史研究者から謎とされてきたことのひとつである。
不合とは、合わない、成立しない、といった意である。
物語では、通例よりも早く産まれたので、産屋の屋根がちゃんと完成しないうちに産まれたということを、屋根が不合だとして、こう名付けられたのだとされている。
しかし漢語表現で不合と書かず、この部分は万葉仮名で阿倍受(アヘズ)といったふうに書くほうが、他の名前と比較してみると自然である。
だから謎とされてきたのだ。
が、この円周を見て、これはわざと漢語で不合としたのだと直感した。
たったひとり欠けてもこの円周は成立しない、ということを、易を知る読者に教えるためだったのであって、この円周が事実として存在していることを確認させるための暗号だったのだ。
そしてこんなことをするからには、何らかのメッセージがあるはずである。
〇 歴史を腐敗させた女帝を訴える
そう思ってこの円周を眺めると、先述した国之常立神の位置に並ぶ四つの卦が気になった。
A列56䷷火山旅、B列18䷑山風蠱、C列44䷫天風姤、D列6䷅天水訟である。
このうちの䷫天風姤と䷅天水訟は持統天皇のA列B列でもある。
䷫天風姤は女帝、䷅天水訟は訴訟すなわち「訴える」という意。
䷑山風蠱は腐敗、䷷火山旅は旅(たび)のことだが、歴史の比喩表現として旅ということもある。
とすると、ここから「歴史(䷷火山旅)を腐敗(䷑山風蠱)させた女帝(䷫天風姤)を訴える(䷅天水訟)」、というメッセージが読み取れる。
すなわち、持統天皇が歴史を腐敗させた、ということだ。
歴史を腐敗させるとは、虚構の歴史を作ることと考えるのが順当だろう。
したがって表面上から読み取れる虚構の歴史物語は持統天皇によって発案されたものだった、と示していることになる。
それを暴露するために太安萬侶と舎人親王がこんな仕掛けを作った、ということである。
ただし注意したいのは、日本書紀だけを読んだだけでも、神武天皇が䷃山水蒙、推古天皇が䷤風火家人、天武天皇が䷪沢天夬、持統天皇が䷫天風姤だということは、奈良時代の朝廷内の読者ならば、すぐわかったはずである。
易は、現代では私のような占い好きな一庶民の遊び道具でしかないが、江戸幕末以前は朝廷を中心とした日本の知識階級の必須教養だったのだ。
したがって易六十四卦の序次を利用して作った虚構の部分がかなりありそうだ、ということは、日本書紀が撰進された当時は、朝廷内の誰しもがわかっていながら、それを喜んで国の正史としたわけである。
なぜ、そんなことをしたのだろうか。
考えられるのは、奈良時代の人々にとってはかなり身近な日本の黒歴史があり、それを歴史上から葬り去りたかった、ということではないだろうか。
中国側資料にある卑弥呼や倭の五王は、恐らくはその黒歴史と深く関わっていたから、日本書紀では書くことができなかった、ということではないだろうか。
この推理が正しいのなら、どこかにその謎を解くカギがあるはずだ。
最初のページで、古事記序文最後の撰進の日付と神武、景行、仲哀天皇の崩御時の年令には繋がりがある、ということを書いたが、とするとこの謎を解くカギは古事記序文にありそうな気配を感じた。
そこで改めて、古事記序文を、易を念頭に探ることにした。
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