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危険な古代史
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1、武力衝突を繰り返す二王朝前章では、皇紀1226年丙戌=西暦566年、雄略(武烈)男帝崩により、崇峻男帝が革命軍を引き継いだ、というところまでをお話しした。
皇紀1251年辛亥=西暦591年
しかし、いわゆる夫婦というわけではなく、欽明も推古もこれまでの女帝たちと同様に相変わらず父親不明の子も何人か儲けていた。
皇紀1263年癸亥=西暦603年
皇紀1282年壬午=西暦622年
皇紀1296年丙申=西暦636年 女帝側の理屈で言えば、蘇りを繰り返すことで永遠に死なないわけで、妹の皇極女帝は推古女帝の祖母・安閑女帝の蘇りなのだから、聖徳太子よりも皇位継承の順が優先なのは当然のこと。 その聖徳太子は、すでに女帝側と男帝側との繋がりをさらに深めるためにと、欽明女帝の娘との間に三人の男の子を儲けていた。
皇紀1303年癸卯=西暦643年
この頃になると、世間の多くは、最早母系母権制社会や食人による蘇りから離れてしまっていたのだった。
皇紀1305年乙巳=西暦645年6月12日
これが大化の改新の本当の姿であって、表向きの蘇我入鹿を殺害し、蝦夷を自害に追い込んだとする物語は、皇極女帝殺害を教える暗号だった。 とにかくこれで、ついに男帝革命軍が日本を代表する政府となったので、ここからは表向きと同様に天皇と呼ぶことにする。
皇紀1321年辛酉=西暦661年6月 なお持統は、草壁皇子のほかに、多臣品治との間に太安萬侶、天武天皇との間に皇女の稗田阿礼を生んだ。
皇紀1325年乙丑=西暦665年 ちなみに天智天皇の幼名の中大兄皇子は、長男ではなく次男で三人兄弟の真ん中という意だった。
皇紀1326年丙寅=西暦666年
皇紀1332年壬申=西暦672年6月・表向きの天武元年 これがいわゆる「壬申の乱」の真相で、これにより継体女帝の娘の欽明女帝、推古女帝、皇極女帝の血を引く者のうち、男帝革命軍に服従しなかった女性はすべていなくなり、日本は男性が女性と対等になれる父権制社会として、新たに出発することになった。 では次に、暗号解読法を順にお話しする。 |
危険な古代史 古事記日本書紀のトリッキーな数字の仕掛け もくじ第二章 円周上に配置された神々と古代天皇 第三章 古事記序文の暗号解読 第四章 持統天皇と〇〇の危険な情事! 第五章 古代天皇の多くは、実は女性だった! 第六章 古代女帝たちの鬼畜な不老不死の秘術 第七章 大神神社の秘密〜すべてはヤタから始まった! 第八章 神武天皇は西暦490年頃の人物だった! 第九章 古代女帝政権の終焉 |
最終更新日:令和07年11月16日 学易有丘会
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