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漢文として楽しむ論語 泰伯第八 1/21

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泰伯第八

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泰伯(たいはく)とはこの篇の題名で、冒頭の二文字を取って音読みしたに過ぎない。論語二十篇の第八篇である。ここでは聖人が己を謙って、人に教えた言葉、その容貌行事についてを記す。

1(185) 子曰泰伯…

子曰、泰伯其可謂至徳也已矣、三以天下讓、民無得而称焉、

【書き下し】
子の曰く、泰伯は其れ至徳といいつ可からくのみ、三たび天下を以って譲る、民得て称すること無し、

【訳】
先生が仰った。泰伯はその徳が至極だ。天下を譲っても、それを人々に知らせることもなかったので、誰にも称えられなかったが。

【解説】
泰伯は殷末の、周の武王の曾祖父 古公亶父 ( ここうたんぽ ) の子。
古公は後に太王と追号される。
その古公すなわち太王には三人の子があった。
長は泰伯、次は仲雍、次は季歴という。
殷が衰え、周が強大になりつつある頃、季歴には子の昌が生まれた。
太王には殷を滅ぼし、周を興そうとする志があったが、泰伯は君臣の常道を守ってその志に従わなかった。
太王はついに位を季歴に譲り、行く行くは孫の昌に継承させようとした。
泰伯はこれを知り、位の継承が円滑になるようにと、弟の仲雍と共に逃れ去り、帰らなかった。
その後、太王は季歴に周を委ね、その子の昌のときには天下を三分してその二つを保つようになった。
この昌が文王である。文王が崩じて子の發が立つと、遂に殷の紂王を撃ち、周の天下とした。
これが武王である。
孔子は位を譲った泰伯を賛美して至徳と云う。三たび譲るの三たびとは、たった一度譲っただけだが、三度も要請されてそれでも譲ったかのように、固辞して譲ったという意。

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最終更新日:令和06年09月11日 学易有丘会
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