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漢文として楽しむ論語 顏淵第十二 1/24

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顏淵第十二

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顔淵(がんえん)とはこの篇の題名で、冒頭の二文字を取って音読みにしたもの。論語二十篇の第十二篇である。

1(279) 顏淵問仁…

顏淵問仁、

【書き下し】
顔淵仁を問う、

【訳】
顔淵が仁について質問した。

【解説】
顔淵は孔子が最も頼りにしていた弟子だが、若くして孔子より先に亡くなってしまった。
姓は顔、名は回、字は子淵なので、顔淵、顔回などと呼ばれた。
およそ孔門諸子は、仁ということの意味はすでにわかっている。その上で、どうやってその仁の徳を身につけたらよいのかを質問しているのだ。

子曰、克己復禮爲仁、一日克己復禮、天下歸仁焉、爲仁由己、而由人乎哉、

【書き下し】
子の曰く、己に克って礼に復るを仁と為す、一日も己に克って礼に復れば、天下仁を帰す、仁を為ること、己に由りし、而して人に由らんや、

【訳】
先生が仰った。私欲を抑えて礼を重んじることが仁である。たった一日でも、本当に己に克って礼に復れば、天下の人々はその人を仁者と称える。仁は己の力と信念ですることであって、他人の力によってすることではない。

【解説】
克つというのは、はらい尽くして少しも残らないこと。
ここで云う礼は、礼儀作法ということよりも、その本質である公の心を以って行うことを指す。
人は私欲につらされ、つい礼を疎かにしてしまいがちだが、そのような心を抑え止め、常に礼に復ることが仁なのだ。
ここで云う一日は、励ましの言葉であって、必ずしも一日でそうなるわけではない。

顏淵曰、請問其目、子曰、非禮勿視、非禮勿聽、非禮勿言、非禮勿動、

【書き下し】
顔淵の曰く、其の目を請い問う、子の曰く、礼に非ずば視ること勿れ、礼に非ずば聴くこと勿れ、礼に非ずば言うこと勿れ、礼に非ずば動くこと勿れ、

【訳】
顔淵が言った。具体的には、どうすればよいのですか。先生が仰った。礼に叶わないものは視ない、礼に叶わないものは聴かない、礼に叶わないことは言わない、礼に叶わないことには動かない。

【解説】
目は細目ということ。
非礼は私欲のこと、勿れは自ら戒め止めること。
なお、この文章をヒントに作られた彫刻が、全国各地にある庚申塔や、日光東照宮などにある、見猿、聞か猿、言わ猿である。
また易の雷天大壮の象伝には、これと似た言葉で非礼勿履=礼に非ずば履むこと勿れ、というのがある。

顏淵曰、回雖不敏、請事斯語矣、

【書き下し】
顔淵の曰く、回、不敏なりと雖も、請う、斯の語を事とせん、

【訳】
顔淵が言った。回=私=顔淵はいたらぬ者ですが、この言葉に従って精進します。

【解説】
不敏は、敏くない、いたらないといった意、
不敏は古人が師に答えるときの謙辞。
事は従事すること。

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最終更新日:令和06年09月01日 学易有丘会
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