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漢文として楽しむ論語 子張堯曰第二十 1/3

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堯曰第二十

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堯曰(ぎょうえつ)とはこの篇の題名で、冒頭の二文字を取って音読みにしたもの。論語二十篇中の最後の第二十篇である。

1(497) 堯曰咨爾舜…

堯曰、咨爾舜、天之暦數在爾躬、允執其中、四海困窮、天祿永終、

【書き下し】
堯の曰く、咨、爾舜、天之暦数、爾の躬に在り、允に其の中を執れ、四海困窮せば、天禄永く終えん、

【訳】
帝堯が仰った。ああ、爾舜よ、天命は爾の身にある。誠実に真実を以ってその過不及のない中道を執り行って政をせよ。天下万民が困窮するようなことがあれば、天位は他の人に移り、舜が受ける天からの禄は長くは続かないだろう。

【解説】
これは帝堯が位を舜に譲る時の言葉。
咨は感嘆の声。
天之暦数とは、帝王位を継ぐ次第のこと。

帝王は天下に公なる君になるので、その位を授け承くるに或いは子に与え、或いは賢者に譲ること、必ず一人より一人に渡る。
帝王位を誰が継ぐかは天命によるとして、暦数に歳時節気の序でがあることに擬え、天の暦数という。
堯は子に与えず、賢臣の舜に譲るのだが、それが最も相応しいと見定め、天命だと考えた。
四海は、四方の海の内ということで天下の全地域を云う。
そもそも四海というのは本当の海のことではなく、水は低きに流れることから、最も低い場所=未開の地の比喩表現で、四方の未開人、東夷北狄西戎南蛮を指し、彼等が入り込めない文明人の支配地域が天下の全地域=四海の内なのだ。

舜亦以、命禹、

【書き下し】
舜、亦以って禹に命ず、

【訳】
舜もまた後に、堯に命じられたのと同じように告げて賢臣の禹に命じて天位を譲った。

【解説】
堯から舜、舜から禹への帝位の譲渡は、このように子も臣も対等な実力主義で、最も適切な者を後継者として指名したのだ。
ただし全員が黄帝と血の繋がりはあり、後の殷や周の祖先も同様である。
しかしその後は実力よりも親子関係優先で継承するようになり、やがて腐敗してクーデターが起きて王朝が交代する、ということが繰り返されるようになる。

曰、予小子履、敢用玄牡、敢昭告于皇皇后帝、有罪不敢赦、帝臣不蔽、簡在帝心、

【書き下し】
曰く、予、小子履、敢えて玄牡を用いて、敢えて昭かに皇皇たる后帝に告す、罪有るを敢えて赦さじ、帝臣を蔽さじ、簡んで帝の心に在り、

【訳】
殷の湯王(とうおう)が言った。私、小さき者の履は、謹んで黒牛を生贄として捧げ、この上なく尊び称すべき天帝に申し上げます。今、桀に罪があるのならば、私は許せません。天下の賢人はみな上帝の臣にして、共に国家を治める者なれば、私は誰であろうと覆い隠さずに挙げ用います。およそ人の善と悪とは、既に選び分けて上帝の心にあり、今これを賞罰することは、ただ上帝の命ずるところのままにして、私の一存で行うのではありません。

【解説】
禹に始まる王朝は()と呼ばれ十七代続いたが、その十七代目の(けつ)は殷の湯王に討たれて滅んだ。
これはそのときに湯王が言った言葉である。
履は湯王の名。
まずは桀を討つときに、天命が自分にあるようにと請う言葉から始まる。
小子とは天に対しての謙詞。

朕躬有罪、無以萬方、萬方有罪、罪在朕躬、

【書き下し】
朕が躬、罪有るは、萬方を以ってすること無けん、萬方、罪有るは、罪、朕が躬に在り、

【訳】
私の身に罪があるのならば、それは民の致すところではないので、私ひとりが其の罪に当たるのであって、天下の人々を責めてはいけない。天下の人々に罪があるのならば、それは私が施す政教の過ちであって、その罪は私自身にあり、私がその責めを負います。

【解説】
ここからは諸侯に告げている。
はじめ桀を討つ時はかくの如くに天命を受け、今、天下の君となれば、天下の責めはみな我れ一人にある、ということ。

周有大賚、善人是富、雖有周親、不如仁人、百姓有過、在予一人、

【書き下し】
周、大いに賚すること有って、善人是れ富ましむ、周親有りと雖も、仁人に如かず、百姓、過ち有るは予れ一人に在り、

【訳】
殷の紂王は天下の財を集めて酒池肉林などの悪業のに用いたのだが、周の武王がその紂王を討ち、その財を天下の民に散じ、徳あり功ある者に禄位を与えた。これが大いなる賜物であって、中でも善人をとりわけ富貴にした。武王は、自分の親族よりも、仁人を優先して用いた。さらには、百姓に過ちがあっても、すべて自分ひとりが悪いからだとした。

【解説】
ここからは周の武王についてのこと。
大賚のことは『書経』周書武成篇にある。
周親は親族のこと。

謹權量、審法度、脩廢官、四方之政行焉、

【書き下し】
権量を謹み、法度を審らかにし、廃官を修めて、四方の政と、行わる、

【訳】
計量するための重りや桝の大きさを等しく統一し、礼楽制度を適切にし、廃れた官職を必要に応じて復活せさたことで、四方に敷く政はよく行われた。

【解説】
権は重り、量は桝のこと。法度は礼楽制度のこと、審らかにするとは斟酌損益してその宜しきに適うようにすること。

興滅國、繼絶世、舉逸民、天下之民歸心焉、

【書き下し】
滅びたる国を興し、絶えたる世を継ぎ、逸れたる民を挙げて、天下の民、心を帰す、

【訳】
国を失った君があれば再び執り興して封じ、世継ぎが絶えた国があれば、その親族を以って執り立て、止むを得ず世を遁れていた賢者を挙げ用いたので、天下の民はみな、周に心を寄せて帰服した。

【解説】
逸民は止むを得ず世を遁れて暮らしている人。

所重民食喪祭、

【書き下し】
重んずる所、民、食、喪、祭、

【訳】
武王が重んじたのは、民と食と喪と祭だった。

【解説】
食は以って生を養う、喪は以って死を送る、祭は以って本に報い遠きを追うこと。
みな天下の大事なことだが、紂王は不道にして、これらを侮っていたのを、武王が改めたのだ。

寛則得衆、信則民任焉、敏則有功、公則説、

【書き下し】
寛なるときは則ち衆を得、信なるときは則ち民任る、敏なるときは則ち功有り、公なるときは則ち説ぶ、

【訳】
帝王は寛大であって衆の心を得る。民を欺くことがなければ信用信頼されて、民は上を頼みにその身を任せる。政に敏くして怠ることがなければ事業に功績がある。賞罰が私情ではなく公であれば、民心は喜んでこれに服す。

【解説】
ここでは武王のことではなく、ひろく帝王の道を述べる。

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最終更新日:令和06年08月08日 学易有丘会
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