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漢文として楽しむ論語 學而第一 1/16

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學而第一
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学而(がくじ)とはこの篇の題名で、冒頭の二文字を取って音読みしただけに過ぎず、特別な意味はない。論語二十篇の第一である。

読むよりも聞きたいという方はYouTube版でどうぞ。
なお特定の各章句だけ視聴したいときは、各章句先頭のYouTube版とあるところをタップorクリックすれば、そこから動画が始まります。

1 子曰學而時習之… YouTube版

子曰、學而時習之、不亦説乎、

【書き下し】
子の曰く、学びて時に之を習う、また説ばしからずや、

【訳】
先生が仰った。何かを学び教わったら折に触れてそのことを復習する。なんと喜ばしいことだろう。

【解説】
子とは孔子を指す。
子は男子を尊びて呼ぶ詞。古は師を称して子と云った。
曰は通常「いわく」と訓むが、尊敬を込めるときは「のたまわく」と訓み、江戸時代の慣例としてルビは「の玉わく」と振る。
論語は孔子を師すなわち先生として尊敬を込めてその言行を収録したものだから、孔子の言葉が語られる場合は尊敬を込めて「のたまわく」と読み、他の人々の発言は「いわく」と読む。
他にも孔子が尊敬する伝説の帝王である堯、舜、禹、周の武王、文王の発言も「のたまわく」と読む。
語彙が多彩な日本語ならではの慣例であって、英語の"The teacher said"を翻訳するとき、先生を対等だとして「先生が言った」とも、敬意を込めて「先生が仰った」ともするのと同様の感覚だろう。
また、の玉わく、いわく、とルビを振ることで、孔子と弟子との会話文が、発言者名を省略していても、すぐ誰の発言なのかわかって便利だ、という面もあるのだろう。

さて、子曰は別として、論語を開いて最初に出てくるのがこの学という字である。
学ぶということはとても大事だからである。孔子の教えを学ぶ第一歩としてまとめられたのが論語である。
学とは教わりまなぶこと。自分が知らないことを、すでに知っている人から教わり学ぶのである。
孔子は天下万民が住みよい平和な社会を作るにはどうしたらよいかを、過去の歴史を紐解きながら学び研究し、理想的な在り方を道と称した。
立派な人すなわち君子が心得るのは、道を学び徳を成して、常人より聖人に至る学を志すことである。
人は万物の長なれば、己を成し物を成す。人の責任は重い。
天下の道理を知り、どんなときも天下全体を考えて行動を取れるように学ぶのである。
決して自分の名誉のため利益のために学ぶのではない。
よくその道を極めてその任を尽くせるのが聖人である。
そんな聖人が治める世の中こそ貧富の差が少なく、庶民が虐げられることのない理想社会だ、としたのが孔子だった。
しかし何かを学び教わったとしても、そのままにしておけば、身につかずにやがて忘れてしまう。
折に触れて復習することが大事であり、そうであれば、そのことを教えた者としても喜ばしく思うし、さらにいろいろ教えようという気にもなる。
之を習うの之は学んだこと、説は「よろこぶ」という意。
不○○乎は「なんと○○なことだろう」という感嘆を込めた漢文の言い回し。
正確には()○○()とルビを振るべきだが、慣例として、(ずや)○○乎、と振られることが多く、ここでもそれに倣った。
また、而の字は読んでいないが、日本語で意味を考えながら読む場合には、この文章内では敢えて読む必要がないから読んでいないのである。
もちろん文章によっては読む必要がある場合もある。
こういった読まないことがある字は、他にも矣、也など、いくつかある。

有朋自遠方來、不亦樂乎、

【書き下し】
朋有り遠方より来る、また楽しからずや、

【訳】
かつて一緒に勉強した朋友が遠くからはるばるやって来た。なんと楽しいことだろう。

【解説】
朋は朋友、自分と同じ目標で勉強した仲間。遠方より来るというのは、懐かしくもあり、とても嬉しくものだ。
まして同じ道を勉強した仲間であれば、久しぶりにその話もでき、お互いの成長を感じたりして、勉強にもなり、楽しく有意義なひとときを過ごせる。
ただし、ドンチャン騒ぎをしたり酔いつぶれることではない。君子は常に穏やかで整然とした立ち居振る舞いを心がけるものである。

人不知而不慍、不亦君子乎、

【書き下し】
人知らずとも慍らず、また君子ならずや、

【訳】
自分がこんなに勉強しているのを、他人に知られなくても憤ることなく平然としている。まさに君子たるに相応しいではないか。

【解説】
慍は、いきどおる、うらむ、といった意。
自分は何のために道を勉強するのか?
他人から、あの人は博学でとても頼りになると賞賛されたいからか?
そういう目的で勉強するのは小人であり、道の本質を理解できていない。
他人から褒められたり尊敬されたくて勉強するのではなく、自分が道を究めたいから勉強するのである。
したがって他人から尊敬されなくても褒められなくても知られなくても、まったく気にならない。
それが君子というものである。

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最終更新日:令和06年09月06日 学易有丘会
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