17(57) 子貢欲去告朔之餼羊…
子貢欲去告朔之餼羊、子曰、賜、爾愛其羊、我愛其禮、
【書き下し】
子貢告朔の餼羊を去まく欲す、子の曰く、賜、爾は其の羊を愛む、我は其の礼を愛む、
【訳】
子貢が、今は告朔の礼がその本来を失い、羊を供えるだけのことになってしまったので、もう無駄だから廃止して欲しいと考えた。これに対して先生が仰った。賜(子貢の名)よ、君はその羊が惜しいのだろうが、私はこの礼が完全に廃れるのが惜しい。
【解説】
告朔とは、毎月の朔=1日を祖廟に告げ祭り、その月に政治がするべきこと(礼記月令篇に記されたこと)を命令するもの。
これを告朔の礼という。
諸侯は毎年の末に、来年の暦を天子よりうけて、これを本国の祖廟に納め置き、各月の朔毎に廟に告げ、請い受けて、月令を行う。
その牲に天子は牛を用い、諸侯は羊を用いる。
餼羊とは、未だ殺さざる生贄の羊のこと。
魯国では文公の時より、克朔の礼は廃れて行われなかった。
しかるに有志がなおこの羊を供え置くので、子貢が今更無用ではないかとして、捨て去るべきだと考えた。
これに対して孔子は、すでに廃れた礼だが、なお羊を供えていれば、いつかまた其の礼が復活することもある。
もしその羊を供えることも辞めてしまえば、供え方もわからなくなり、この礼は完全に廃れてしまう。
そのことを惜しむ。
諸侯の告朔の礼はその重要な点が三つある。
ひとつは正朔を奉ずることが天子を重んじることに通じる、二つ目は宗廟に告げることで祖考を重んじることになる、三つ目は月令を修めることで民衆の生活を重んじることになる、ことである。
だから孔子はこの羊を供えることが廃れることを惜しんだのだ。
礼が終わればその羊を殺して食べるのだろうが、お供えのために身動きできないように縛ることで羊にストレスがかかり、肉の味が落ちたのだろう。
子貢としては、そんなことせずに普通に屠殺して食べたほうが美味しいのにもったいない……とでも思ったのだろうか。
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