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なるほど!易学入門ここでは易学=易経(周易)に基づく占いの成り立ちについて、初心者向けに解説しています。易の起源は中国の有史以前、まだ文字がなかった時代だと言われています。

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V 八卦と呼ばれる抽象芸術 その1

「四の五の言ってないで、一か八かやってみろ!」

 「四の五の言ってないで、一か八かやってみろ!」
 優柔不断な態度を見かねて、こんな風に励ますことがあるが、一体なぜ、「四の五の」とか「一か八か」と言うのだろうか。
 四捨五入ということがあるから、「四の五の」は言いとしても、我々が普通に使う算数は十進法であって、その十進法に従えば、「一か八か」ではなく「一か十か」と言った方が理に適っているのに・・・。
 また、雷のとき、空に走る稲妻=イナズマは、なんで、稲の妻と書くのだろうか・・・。
 日常生活では、言葉は自分の意思が相手に通じればそれでよいのであって、語源が何であれ関係ないわけだが、すぐには必要のない雑学だとしても、あえて疑問を持ち、そんな謎を解こうというのなら、易はその好奇心を満足させてくれる宝の山なのだ。
 「一か八か」にしても「稲妻」にしても、これから話題にする八卦(はっか)より生まれた言葉だったのだ。

陰陽から八卦へ

 八卦とは、陰の記号を三本ずつ組み合わせてニの三乗、計八種類の形としたもので、易はこの八卦をさらに二つずつ組み合わせ、八の二乗、計六十四卦として、人生や社会秩序、自然界の法則をシミュレーションし、さらに占いにも用いたのだ。俗に「当たるも八卦(はっけ)、当たらぬも八卦(はっけ)」というその八卦のことである。
 なお、()()は漢字を漢音で読むか呉音で読むかの立場の違いによって生じた差異であって、冒頭でちょっと触れた眞瀬中州の本が漢音でルビを振っているので、それに倣ったまでで、実質的にはどちらで読んでもかまわない。

 さて、森羅万象を陰と陽に分類しただけでは、それぞれが示す事象は広汎で取りとめがない。そこで天地人の三才に倣い、この記号を三本ずつ組み合わせてみた。するとそこに、動作、作用、自然現象の中から、ある程度限定したイメージを読み取ることができた。それが八卦であって、それぞれはそのイメージにより、次のような名称が与えられた。

1(けん)(かわかす)・天
2()(よろこぶ)・沢
3()(付着する)・火
4(しん)(うごく)・雷
5(そん)(入り従う)・風
6(かん)(おちいる)・水
7(ごん)(とどまる)・山
8(こん)(したがう)・地

 各卦の記号脇にある乾兌離震巽坎艮坤というのは『易経』にある正式名称、続くカッコ( )の中がその文字の意味、最後にある天沢火雷風水山地は俗称。俗称は、正式名称が観念的過ぎるので、身近な自然現象に配して親しみやすいようにと発生したようである。
 この正式名称、俗称の根拠は、次のように説明されていて、そう思って改めて記号を眺めてみると、各卦の形が確かにそんなイメージに見え、古代人の想像力の素晴らしさを改めて思い知らされた。それはどんな前衛絵画よりも抽象化された芸術思考が見え隠れする次のような説明なのである。

各卦の名前の由来

 (けん)(天)は三本とも陽だから純陽すなわち陽の極み、最も陽気が満ち溢れた様子として、太陽の及ぼす作用のイメージ。太陽が照れば暖かく、洗濯物もよく乾く。よって乾(かわかす)と名付けられた。
 自然現象としては、陽の極みであることから、陰陽の基本に従って、天地の比較をもって天とする。

 ()(沢)は、本来なら最下位に甘んじなければいけない一陰の小人が、二陽の君子たちに最上位を譲られた形(陰を小人、陽を君子とし、陰を下、陽を上とする陰陽の定義による)。これは小人にとって最高の喜びであり、有頂天にもなろう。例えば上司にアゴで使われていた部下が、何かの拍子にその上司の上役になったときの気分。よって兌(よろこぶ)と名づけられた。
 自然現象では、下ニ陽を大地、最上の一陰の切れ目を水が流れる窪みとして沢とする。

  ()(火)は柔弱な一陰が、上下すなわち外側を剛堅なニ陽で(おお)い、この二陽にしっかりと付着し、(あたか)も貝のように身を守っているイメージ。よって離(付着する)と名付けられた。なお、一般に「離」の字は「はなれる」という意味で用いられているが、古代中国で易が成立した頃には「麗」の字の借用として「付着する」という意味で通行していた。文字や言葉の意味が時代とともに変化する例は多いようだが、このようにまったく逆の意味になってしまうのも珍しい。ともあれ、易では飽くまで、離は「付着する」という意味で用いられるので、ここに確認しておく。
 自然現象では、陽を「赤く明るい」、陰を「青く暗い」とし、外側は赤く明るいが、その中心は青く暗いと見て、火とする。火はまた種々のものに付着して燃え広がるものでもある。

 (しん)(雷)は上のニ陰に、最下の一陽が抑圧されている形とし、その最下の一陽が上に昇り進むべく動こうとしているイメージ。陽は上に昇り進み、陰は下に降り退くべきものだからだ。よって震(うごく)と名付けられた。
 自然現象では、ニ陰を大地とし、地中に閉抑された一陽の陽気が外に出て上昇しようと震い動く様子と見立て、往時はこれを雷の実体と考えた。よって雷とする。恐らく入道雲が天空に向かって成長した後に雷が鳴るというメカニズムを観察してのことだろうが、その入道雲は地表で暖められた空気が上昇し、上空の冷たい空気と混合することで発生するのだから、古代人の考察も強ち捨てたものではない。暖かい空気を陽とすれば、陽気の上昇ということで、現代科学と一致するではないか。

 (そん)(風)は、上ニ陽の君子たちの下に一陰の小人が下り入り、上に順従している形。例えば新人が上下の序を守り、前を行く先輩たちの後に入り、ひたすら従っているイメージ。よって巽(入り従う)と名付けられた。
 自然現象では、上ニ陽を天空とし、その下を陰気が行くものと見るのだが、天空を行く陰気と言えば風がその代表だ。風は目に見えないが確かに存在し(見えるが陽)、またよく物の隙間に入り込むものでもある。よって風とする。

 (かん)(水)は真ん中の一陽を男性、上下のニ陰を女性とし、男性が女性に挟まれている形。これでは男性は、ややもすると理性を失い、その色香に溺れ陥るものだ。よって坎(おちいる)と名付けられた。「陥る」とは、高所(尊貴)から低所(卑賤)に向かうことを言う。
 自然現象では、低所に向かい流れ陥ることを必定とするものの代表として、水とする。

 (ごん)(山)は一陽が最上位に登り詰め、これ以上登り進むべきところはないので、下ニ陰を従え、その位置を安住の地として止まり居るイメージ。よって艮(とどまる)と名付けられた。
 自然現象では、下のニ陰は大地の土が重なり盛り上がっている様子、最上の一陽はその土の盛り上がりが止まったところすなわち山の稜線を連想させるので、山とする。山はまた人の通行を阻み止めるところでもある。

 (こん)(地)は三本とも陰だから純陰すなわち陰の極み、従って陰の中心的要素である静かでひたすら従順なイメージ。よって坤(したがう)と名付けられた。
 自然現象では、陰の極みであることから、陰陽の基本に従って、天地の比較をもって地とする。

 この説明は多少強引で曖昧なところもないではないが、それは各卦がそれぞれ独立して意味付けされているのではなく、八卦それぞれの形の相互関係をも踏まえているからなのであって、それがまた易に不思議な魅力を与えているのだ。例えば次のように。

各卦の相互関係

 火はものを温め、水はものを冷やし、火は水をかければ消え、水は火で温められれば何れ蒸発してなくなるように、火と水は互いに相反する作用を有する。とすれば、火を意味する卦と水を意味する卦の間にも相反する関係が必要となるが、火を意味する(火)は陽陰陽の組み合わせ、水を意味する(水)は陰陽陰の組み合わせだから、この両者は陰陽の位置が逆転しているという相反する関係にある。
 このような関係は(山)(沢)(雷)(風)、そして言うまでもないが(天)(地)にも成立している。
 大地の窪みが(沢)ならば、女性器と男性器が陰陽の関係にあるように、その盛り上がりの山には陰陽が逆転した(山)が相応しい。
 風と雷はともに感応し合って雨を降らせるのだから(と、昔は考えた)、陰の女性と陽の男性が愛し合うことで子供が出来るように、このニ卦も陰陽の関係にあるのが好ましく、震が雷なら、その陰陽が逆転した巽が風になる。
 といった具合である。
 また、(山)(雷)(風)(沢)の間には、上下反転による意味合いの反転関係もある。
 「止まる」の反対語は「動く」だが、艮(とどまる)を反対方向から見ると震(うごく)であり、(沢)が「よろこぶ」とされるのは、反対方向から見た(風)の「入り従わざるを得ない状況」から脱したイメージでもあるのだ。
 なお、言うまでもないが、上下対称の(天)(地)(水)(火)の四卦には、上下反転の関係はない。
 次図はこの八卦の相互関係をまとめたものである。

 文字ではなく記号の組み合わせに意義を見出し、それを読み取るという作業には、普段あまり接しなかったこともあり、当初は戸惑いもあったが、目が慣れるに従って易の作者の観察眼の鋭さ、智恵の深さがそこかしこに垣間見られ、改めて驚いたものだ。単純な意味付けしかない無味乾燥な記号でも、それを組み合わせることによって、これだけ多様に意義が発展する。何やら細胞分裂を繰り返して成長する受精卵のメカニズムを彷彿とさせもするが、ともあれ八卦の意義を決定する要素について、もう少し続けよう。

陰卦・陽卦と老少

 各卦の名称説明の際、(天)(雷)(水)(山)の四卦については陽の記号を主体に、(沢)(火)(風)(地)の四卦については陰の記号を主体として話したが、これは前者が陽卦、後者が陰卦に分類されるからである。
 陽卦とは、簡単に言えば陰陽の基数(2と3)をもって計算したときに、奇数すなわち陽数となる卦のことであって、陰卦はその逆に偶数すなわち陰数となる卦のことである。
 陽を三、陰を二とすれば、
 (天)は三陽だから三+三+三で九、
 (雷)(水)(山)はともに一陽ニ陰だから三+二+二で七、
 (沢)(火)(風)、はともに一陰ニ陽だから二+三+三で八、
 (地)は三陰だから二+二+二で六となる。
 このうち、純陽の(天)は老陽、純陰の(地)は老陰、その他の陽卦の(雷)(水)(山)は少陽、陰卦の(沢)(火)(風)、は少陰と区別される。
 老少の別は、陰陽錯綜卦より純卦を尊ぶからであると同時に、老陽卦の九は少陽卦の七より大きく、老陰卦の六は少陰卦の八より小さいからで、陽は大を尊び、陰は小を尊ぶとするのが陰陽の理なのである。
 言うなれば老陽と老陰は父母、少陽と少陰はその父母から生まれた子供たちで、そのために八卦を家族に配するときは、(天)を父、(地)を母、少陽の三卦は(雷)を長男、(水)を中男、(山)を少男、少陰の三卦は(風)を長女、(火)を中女、(沢)を少女とする。このうち、中男、中女は必ずしもひとりを指すのではなく、また少男小女は末の(最も若い)男子女子のことであって、長・中・少の序次は、陽卦は陽の記号、陰卦は陰の記号の位置によって決められている。といっても単純なことで、物事は下から上に積み上げるのが普通だから、最下を主体とするものを長、真ん中を主体とするものを中、最上を主体とするものを少とするのだ。
 重力という言葉は知らない時代の話しであるわけだが、地上には重力が働いていることを経験的に認識していたからこそ、このような理論が組み立てられたのだろう。

 ところで、これまで八卦の序次を原則として乾兌離震巽坎艮坤の順として来たわけだが、卦の形に不慣れだと、一見無秩序であるかのような印象を受けるところだろう。しかし実際は数学的裏付けによって並んでいるのだ。次ページでは、その辺のところから話そう。

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最終更新日:令和02年10月31日 学易有丘会
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