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漢文として楽しむ論語 子罕第九 2/4トップページ 論語序説(朱子による孔子の略歴) 學而第一 爲政第二 八佾第三 里仁第四 公冶長第五 雍也第六 述而第七 泰伯第八 子罕第九 郷黨第十 先進第十一 顔淵第十二 子路第十三 憲問第十四 衞靈公第十五 季氏第十六 陽貨第十七 微子第十八 子張第十九 堯曰第二十 7(212) 子曰吾有知乎哉…
○ 【書き下し】子の曰く、吾、知、有らんや、知、無し、鄙夫有り、我に問う、空空如たり、我、其の両端を叩いて竭す、 【訳】先生が仰った。私に知識があるだろうか、いや、知識なんか無いに等しい。しかし何か質問されれば、その乏しい知識の中から知るところを尽くして答える。あるいは鄙夫が虚しく馬鹿げた質問をしてきたとしても、事の始末、理の精粗の両端を叩き起こして反問し、その情を尽くして答える。 【解説】ある人が孔子を知識者だと褒めたので、謙遜して述べた言葉。鄙夫は賤しい男、匹夫の愚。空空は虚しいこと、馬鹿げたこと。 8(213) 子曰鳳鳥不至…
○ 【書き下し】子の曰く、鳳鳥至らず、河、図を出ださず、吾、已んぬるかな、 【訳】先生が仰った。鳳は来ないし、河から図も出ない、私は必要とされていないということか、絶望だ。 【解説】舜のときには楽の庭に鳳鳥が来て、文王の時には岐山で啼いていた。これは偉大な王が出現して世の中が治まる瑞祥である。また伏羲の時は、河水から竜馬が図を背負って出てきて、伏羲はこれによって八卦を画したのだが、これを河図と云う。これもまた偉大な王の瑞祥である。しかし孔子の時代には何も瑞祥が現れない。これは孔子の道がついに行われないことを嘆いたものである。 9(214) 子見齊衰者…
○ 【書き下し】子、齊衰の者、冕衣裳の者と、瞽者とを見て、之に見えば少しと雖も必ず作つ、之に過ぐれば必ず趨る、 【訳】先生は、喪服の人、貴人、視覚障碍者に出会うと、それが年少者であっても必ず立って敬意を示した。自分がその人たちの前を通り過ぎる時は、足早に去り、その人たちが自分に礼をする労をかけないようにした。 【解説】齊衰は喪服の名、冕は冠、冠をつけた衣裳で貴人のこと。瞽者は視覚障碍者のこと。 10(215) 顔淵喟然歎…
○ 【書き下し】顔淵、喟として歎じて曰く、之を仰げば弥いよ高く、之を鑽れば弥いよ堅し、之を瞻て前に在るかとすれば、忽、焉として後えに在り、 【訳】顔淵が嘆美する思いを込めて言った。孔子の道は仰いでも仰いでもいよいよ高く極まりなく。奥まで見極めるために鑽で切ろうとすれば、切れば切るほど堅くなってその先へ進むのが大変になるばかりで、極まりがない。その果てしないところを目を凝らして見ると、今まで前にあったものが忽然と後ろにあったりして、その形を見極めることも不可能だ。 【解説】喟は嘆く声。これは顔淵が孔子の道を学んで得るところがあって嘆美した言葉である。之とは孔子の道を指す。鑽はキリなどの切る道具。 【書き下し】夫子循循然として善く人を誘く、我を博むるに文を以ってし、我を約むるに礼を以ってす、罷なまく欲すれども能わず、既に吾が才を竭しつ、 【訳】孔子は初心者から次第次第にその人の進み具合に合わせてよく人を誘い導く。私も書物で知識を博め、礼を以って私意私欲を制約することを教わった。孔子は誘い導くのが巧みで、折々に得るところがあり、悦びが深く、途中で休憩しようと思うこともできないくらいに熱中させた。そうして既に私は、自分の才能の限りを尽くした。 【解説】循循は次第次第に進む様子。 【書き下し】立てる所有りて卓爾たるが如し、之に従わまく欲すと雖も、由るべ未からまく已、 【訳】その才能の限りを尽くした結果、かつては漠然としていてその形すらよくわからなかった孔子の道が、眼前に卓爾として立っているかの如くに感じられた。しかし、その孔子の道に従おうとしても、これからどうしたらよいのかがわからない。 【解説】卓爾はしっかりと立っている様子。「〜まく」は「〜したい」といった意で、「なからまく」は直訳で「なくしたい」といった意になるが、全体の文意を考えると、未由で「由るべ(=頼りになするべきもの)が見当たらない、わからない」といった訳になる。 11(216) 子疾病…
○ 【書き下し】子の疾い病なり、子路門人をして臣爲ら使む、 【訳】先生が病気で、症状が重かった。子路が門弟子であるだけなのに、家臣のふりをした。 【解説】病は症状が重いこと。 【書き下し】病、間えて曰く、久しいかな由が詐りを行えること、臣無し、而るを臣有りと為す、吾れ誰をか欺かんや、天を欺かんや、 【訳】やがて病気が治って、孔子が仰った。久しぶりだね、由=子路が嘘をついたのは。私に家臣はいないのに、自分は家臣だと言っていた。誰を欺こうとしたのか、天を欺こうとしたのか。 【解説】大夫には家臣が居るのだが、この時孔子はすでに位を去っていたので家臣は持てない。そこで門弟子の子路が、孔子の万が一のとき、その喪を立派に治めるためにと考え、勝手に家臣だと名乗っていた。 【書き下し】且た予れ、其の臣の手に死なん與りは、寧ろ二三子の手に死すること無けんや、且た予れ、縦え大喪を得ずとも、予れ道路に死なんや、 【訳】私は偽りの臣に看取られて死ぬよりは、寧ろ誠実な二三の弟子に看取られて死にたい。例え私が死して大葬をされなくても、道路で倒れて死に、葬儀らしいことは何もしてもらえず、遺体はどこかに捨てられる、といったことにまではならないだろう。 【解説】大葬は君臣の礼を備えた葬礼のこと。 12(217) 子貢曰有美玉於斯…
○ 【書き下し】子貢の曰く、美玉ここに有り、匵に韞めて諸を藏さんか、よき価を求めて諸を沽らんか、 【訳】子貢が言った。ここに美しい玉があります。箱に納めてどこかに隠しましょうか。それともよい価格で売ってしまいましょうか。 【解説】美玉は孔子の道を示す比喩。善価は高い値段。沽は売るという意。真意は、隠れてどこかに仕えるか、礼を盛んにして請い招く君がいたら出でて仕えて道を行うべきか、という質問。 【書き下し】子の曰く、之を沽らん、之を沽らん、我賈を待つなり、 【訳】先生が仰った。これを売りましょう。これを売りましょう。私はよい買い手が現れるのを待ちます。 【解説】売るは出でて仕えるの比喩。しかしながら、こちらから仕える先を求めるのではなく、向こうから求められて、初めて出でて仕える、ということ。だから子貢が求の字を使ったの対して孔子は待の字で答えたのだ。 |
最終更新日:令和02年10月21日
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