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漢文として楽しむ論語 述而第七 1/4

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述而第七 1/4 2/4 3/4 4/4

述而(じゅつじ)とはこの篇の題名で、冒頭の二文字を取って音読みしたに過ぎない。論語二十篇の第七篇である。ここでは聖人が己を謙って、人に教えた言葉、その容貌行事についてを記す。

1(148) 子曰述而不作…

子曰( しの の玉わく)(のべて)()(つくら)(しんじて)(このむこと) (いにしえを)(ひそかに) ( ひす)(わが )老彭( ろう ぼうに)

【書き下し】子の曰く、述べて作らず、信じて古を好むこと、竊に我が老彭に比す、

【訳】先生が仰った。いろいろな書物について述べたが、それらは自分が制作したものではない。古代の道を信じて篤く好んだ成果に過ぎない。その古代を好む思いについては、表立って言うことではないが、密かに商(殷)の賢大夫の老彭と比較すれば、おそらく同等だろうと考えている。

【解説】述べるとは、もとからあったものを述べ記して後世に伝えることを云う。作るとは、初めて新たに制作することを云う。孔子より以前に、歴代の聖人が出て、詩書礼楽等の制作はほぼ備わった。孔子は詩書の余計な部分を削り、礼楽を定め、周易を賛じ、春秋を修めたわけだが、これらはみな、旧章を伝えたに過ぎず、孔子自らが制作したものではないので、このように述べたのである。老彭は商(殷)の賢大夫のことで、彼は古を信じて伝述した。制作は聖人でなければ不可能だが、伝述は賢者でも可能だ。孔子は制作者のような聖人ばかりか、伝述の賢者と自分を比較することも、表立っては気が引けるから、密かに比較した、という意である。孔子は無意識に謙遜してこのように言ったのであるが、その謙遜の徳が常に備わっているからこそのことである。

2(149) 子曰黙而識之…

子曰( しの の玉わく)(もくして)(しるし)(これを)(まなんで)()(いとわ)(おしえて)(ひとを ) (ざること)(うま )(なんか ) (あるや)(われに)哉、

【書き下し】子の曰く、黙して之を識るし、学んで厭わず、人を誨えて倦まざること、何か我に有るや、

【訳】先生が仰った。知識があっても自分からは言い出さず黙っている。学ぶことを好んで飽きない。人に教えることに疲れない。このようなことは、私にはひとつもない。

【解説】識は知識のこと。これも謙遜の言葉。他人からこのように思われていても、自分にはそんなことは一切ない、と謙遜しているのだ。

3(150) 子曰コ之不脩…

子曰( しの の玉わく)(とくを)()(おさめ)(がくを)()(こうせ)(きいて)(ぎを ) ()(あたわ)(うつる)不善( ふ ぜんを) ()(あたわ )改、(あらたむること )是吾( これ わが ) 憂也(うれいなり  )

【書き下し】子の曰く、徳を修めず、学を講せず、義を聞いて徒る能わず、不善を改めること能わざる、是れ吾が憂いなり、

【訳】先生が仰った。徳を修めること、学を講じること、優れた義を聞いて自分を捨てて従うこと、不善を改めることはとても大事だが、私はまだこれらができていない。それが私の憂いだ。

【解説】徳を修めるとは、我が心の私欲を捨て、天地自然の理法に従うこと。徳は修めて後に成るもの。学を講じるとは、考究弁論してその理を明らかにすること。学は講じて後に明らかになるもの。義を聞いて徒るとは、我が見る所より、少しでも優る義を聞けば、即自分を捨てて、これに従うこと。不善を改めるとは、自分に不善があることを知れば、速やかにこれを改め、少しも悩まないこと。

4(151) 子之燕居…

( しの )燕居( えん きょ )申申如( しん しん じょたり)也、夭夭如( よう よう じょたり)也、

【書き下し】子の燕居、申申如たり、夭夭如たり、

【訳】先生がひとりでいるときは、豹のようにのびやかで、容色は喜ばしい様子だ。

【解説】燕居とは、暇で何もすることがないこと。申申は豹ののびやかな様子。夭夭はその容色が喜ばしい様子。これは弟子が、孔子がひとりでいるときの様子を言ったもの。

5(152) 子曰甚矣吾衰也…

子曰( しの の玉わく)甚矣(はなはだしいかな ) 吾衰也(わが おとろえたること )久矣(ひさしいかな )(わが )(ざること)( また )(ゆめに ) (あわ )周公(しゅう こうに)

【書き下し】子の曰く、甚だしいかな吾が衰えたること、久しいかな、吾が復た夢に周公に見わざること、

【訳】先生が仰った。私もかなり老けたものだ、そう言えば最近は周公に会う夢を見ていない。

【解説】これは孔子が自らの老いを嘆いたもの。孔子は周公の道を行い、天下の人々を済いたいと考えていた。そのせいか、ときどき周公と会う夢を見ていた。それが年老いて後、その道を行うのは不可能だと諦めたせいか、そんな夢を見なくなり、自分の衰えを自覚したのだった。

6(153) 子曰志於道…

子曰( しの の玉わく)(こころざし)(みちに)(まもり)(とくを)(より )(じんに)(あそぶ)(げいに)

【書き下し】子の曰く、道に志し、徳を據り、仁に依り、芸に游ぶ、

【訳】先生が仰った。道に志し、徳を守り、仁に寄り添い、芸に游ぶ。

【解説】学はまず志しを立てるところから始まる。そこでまず志を云う。道は人倫日用の間に行うべきこと。據るとは、執り守って失わないこと。徳は得の意。道を行って心に得るところがあることを云う。その心に得る所をよく執り守って常に失わない時は、始終一定して変わらず。依るとは、常に相寄り添い、背き離れないことを云う。仁は心の私欲を払い除けて、天地自然の理法を專らにすることを云う。游ぶとは、物を玩んで情に適うことを云う。芸は礼楽の文、射御書数の法など、道を志す者にとって日用に欠かせないこと。行って余力があれば、無駄にせず、ここに游んで、その義理の趣きを博めれば、心が脇に逸れることはない。

7(154) 子曰自行束脩以上…

子曰( しの の玉わく)(より )(おこなう)束脩( そく しゅうを)以上( い じょうは)(われ )(いまだ/ず )(かつて ) (なくばあら)1ノ誨焉(おしえること )

【書き下し】子の曰く、束脩を行うより以上は、吾れ未だ嘗て誨えること無くばあらず、

【訳】先生が仰った。弟子入りしたいと思い、最低限の礼儀として、束脩を持参して来た者は、私はすべからく入門させた。

【解説】脩は干し肉のことで束脩は干し肉十束のこと。古人は初めて人と会うときに、必ず贄を執って礼とした。干し肉十束は贄の至って軽いものである。

8(155) 子曰不憤不啓…

子曰( しの の玉わく)(ざれば)(ふんせ) ()(けいせ)(ざれば)(ひせ ) ()(はっせ)(あげるに)一隅( いち ぐうを)(ざるときは )(もって)三隅( さん ぐうを)(かえら)(すなわち) ()復也(ふたたびせ  )

【書き下し】子の曰く、憤せざれば啓せず、悱せざれば発せず、一隅を挙げるに、三隅を以って反らざるときは、則ち復びせず、

【訳】先生が仰った。道理が通じないことに憤ることがなければ、道理を求める意識を啓くことはできない。知識不足できちんと理解できないことをもどかしく感じるまでは、何も助言を発することはできない(理解できなくても平然としているような人には何も助言しない)。四隅の一隅だけを挙げ教えたら、残りの三隅は自ら考えて理解できるようでなければ、教えることはもうしない。

【解説】憤は、いきどおること。啓は、ひらくこと。不悱は、知識不足できちんと理解できないもどかしさ。隅はすみ、四隅ある正方形を引き合いに出しての、一隅と残りの三遇という例え。

9(156) 子食於有喪者之側…

() (しょくしては)(ある ) () 者之側(ものの   かたわらに)(いまだ/ず ) (かつて ) (あくまでにせ)也、() (おいて)是日( この ひに )哭、(こくしつるときは ) (すなわち) ()(うたわ)

【書き下し】子、喪有る者の側らに食しては、未だ嘗て飽くまでにせず、子、この日に於いて哭しつるときは、則ち歌わず、

【訳】人の喪に臨んでは、必ず哀しむ意があるので、腹いっぱい食を貪るようなことはしない。哭することがある日には、歌は歌わない。

【解説】哭とは哀しみの最上級の表現、故人を偲び泣き叫ぶこと。

10(157) 子謂顔淵曰用之則行…

() (いって)顔淵( がん えんに )(の玉わく)(もちいるときは)(これを ) 則行(すなわち おこない)(すつるときは)(これを ) 則藏(すなわち かくる)(ただ ) (われと) ()(なんじ ) (あるかな)(これ )夫、

【書き下し】子、顔淵に謂って曰く、之を用いるときは則ち行い、之を舎るときは則ちかくる、惟、我と爾と是れ有るかな、

【訳】先生が顔淵に謂って仰った。自分が用いられる時は出でて、天下に善を行うが、用いられない時は隠れてひとり善を行うだけだ。これはただ、自分と其方だけに言えることだが。

【解説】聖人が世を済う心は切ないとしても、自分を用いると捨てるとは、その時の人君の考え次第である。もしそれが用いられる時は、世の治乱を問わず、出でて道を行い、天下を兼ねて善くす。捨てられる時は、することを得ずして、かくれてひとり善くするのみ。顔淵の徳は聖人に近かったので、孔子は上に云うところの者あること、今はただ我と爾のみなりと、言った。これは顔淵を褒めつつ、他の弟子をも励ましたのだ。

子路曰( し ろの いわく)() (おこなうは)三軍( さん ぐんを )則誰(すなわち だれと ) 與、(ともにかせん)

【書き下し】子路の曰く、子、三軍を行うは、則ち誰と與にかせん、

【訳】子路が言った。先生、三軍を動かすのは、誰と一緒になさいますか。

【解説】一万二千五百人の衆を一軍という。天子は六軍、大国には三軍ある。子路はその勇を自負している。孔子がひとり顔淵を称美するのを見て、自分の徳は顔淵に及ばないが、三軍の武事を行うときは、必ず自分を使ってほしいと思い、子路はこのように言った。

子曰( しの の玉わく)暴虎( ぼう こ ) 馮河(ひょう がして)(しぬとも ) (しかも ) (なからん)(くい ) (ものには)(われは)()(くみせ) 也、(かならず)(のぞんで )(ことに)(おそれ)(このんで ) (はかりごとを)(なさん )(ものなり)也、

【書き下し】子の曰く、暴虎馮河して、死ぬともなからんy くい、は與せじ、必ず事に臨んで懼れ、謀りごとを成さん者なり、

【訳】先生が仰った。素手で戦い、船なく川を渡るのは死んでも悔いのない者だ。私はそういう者と一緒にはやりたくない。事に臨んでは、必ずおそれて慎重に作戦を練る者と一緒にやりたい。

【解説】暴虎とは素手で敵に向かうことを云う。馮河は船なしで川を渡ることを云う。これはただ勇み猛りて無益の死をも顧みない者の志に例えての言葉である。大軍を使うには勇を尊ぶとしても、勇ばかりの者とは危険過ぎるから、一緒にはやらない、と孔子は言ったのだ。

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最終更新日:令和02年10月21日 学易有丘会
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