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漢文として楽しむ論語 子張第十九 3/3トップページ 論語序説(朱子による孔子の略歴) 學而第一 爲政第二 八佾第三 里仁第四 公冶長第五 雍也第六 述而第七 泰伯第八 子罕第九 郷黨第十 先進第十一 顔淵第十二 子路第十三 憲問第十四 衞靈公第十五 季氏第十六 陽貨第十七 微子第十八 子張第十九 堯曰第二十 22(493) 衞公孫朝問於子貢…○ 【書き下し】衛の公孫朝、子貢に問いて曰く、仲尼、焉くにか学んずる。子貢の曰く、文武の道、未だ地に墜ちずして、人に在り、 【訳】衛の公孫朝が子貢に質問して言った。孔子はどこで学んだのでしょうか。子貢が言った。周の文王と武王の道は未だ地に堕ちて廃れてはいません。人々の中にちゃんと生きています。 【解説】公孫朝は衛の大夫。 【書き下し】賢者は其の大いなる者を識るし、不賢者は其の小しきなる者を識るす、文武の道、有らずということ莫し、夫子、焉にか学びざらん、而して亦、何の常の師ということ有らん、 【訳】賢者はその大いなることを覚えているし、不賢者も小さいことを覚えている。したがって誰にでも文武の道は残っているのであって、孔子はどこで学んだということはなく、決まった先生もいませんでした。 【解説】文武の道とは、周の文王武王の教令と功業とが世に伝わったことや周の礼楽文章の類を云う。 23(494) 叔孫武叔語大夫於朝…○ 【書き下し】叔孫武叔、大夫に朝に語げて曰、子貢は仲尼よりも賢れり、子服景伯、以って子貢に告ぐ、 【訳】魯の大夫叔孫氏の武叔という人が朝廷で同僚の大夫たちに告げて言った。孔子よりも弟子の子貢の方が賢く優れている。聞いていた子服景伯は、このことを子貢に告げた。 【解説】武叔は魯の大夫叔孫氏、名は州仇、武は諡、叔は字。子服景伯も魯の大夫のひとり、姓は子服、名は何、景は諡、字は伯。武叔は孔子を誹謗したくて、こう云ったのだ。 【書き下し】子貢の曰く、之を宮牆に譬う、賜が牆は肩に及べり、室家の好きを窺い見る、 【訳】子服景伯の質問に答えて子貢が言った。孔子と私を宮殿の塀に例えれば、賜=子貢の塀は肩くらいの高さで、その塀の向こうの家の部屋の中の様子を覗き見ることができる程度だ。 【解説】牆は塀や垣根のこと。 【書き下し】夫子の牆は数仞なり、其の門を得て入らざれば、宗廟の美しく百官の富めるを見ず、其の門を得る者は或いは寡なけん、夫子の云いけんこと、また宜べならずや、 【訳】先生の塀は約十メートル程度あり、ちゃんと門から中に入らないと、そこにある宗廟の美しさや、文武百官が備わって盛んな様子は見ることができません。しかしながら、その門の場所を探し出して入ろうとする人はとても少ないようです。武叔があのように云ったのは、その門を探し出して入ったことがないからでしょう。 【解説】仞は長さの単位、一仞は八尺で約2.4mだから数仞で10m程度か。 24(495) 叔孫武叔毀2仲尼…○ 【書き下し】叔孫武叔、仲尼を毀る、子貢の曰く、以って為ること無かれ、仲尼は毀る可からず、 【訳】武叔が仲尼=孔子の悪口をあれこれ云った。子貢が言った。もうそんなこと言うのは止めにしませんか。孔子はとかく悪口を云われない人です。 【解説】武叔はさらに孔子を毀って止まなかった。これは子貢と対面してのこと。 【書き下し】他人の賢者は、丘陵なり、猶、踰つ可し、仲尼は日月なり、得て踰ること無し、人自ら絶たまく欲すと雖も、其れ何ぞ日月を傷なわんや、多に其の量を知らざることを見る、 【訳】他の賢者ならばその徳の高さは丘陵のようなものなので、誰かが越えることは有り得ます。しかし孔子の徳の高さは日月のようなもので、誰も越えるどころか手も届きません。誰かが日月のような孔子と絶縁しようと悪口を云っても、どうやっても日月に傷害を与えることはできません。むしろそんな無茶をすることで、自分の能力が及ばないことを見透かされるだけです。 【解説】孔子のことをきちんと理解しようとしない武叔の料簡の狭さを批判してこう述べたのだ。 25(496) 陳子禽謂子貢曰…○ 【書き下し】陳子禽、子貢に謂って曰く、子、恭を為るなり、仲尼、豈、子よりも賢らんや、 【訳】陳子禽が子貢に思うところを言った。あなたは常に孔子の才徳を称美し、自ら恭敬をなして孔子に譲っているが、そこまでするほど孔子があなたより優れているとは思えないのですが。 【解説】陳子禽は姓は陳、名は亢、子禽は字、孔子の弟子とされているが、或いは子貢の弟子かとも。 【書き下し】子貢の曰く、君子は一言以って知と為し、一言以って不知と為す、言、慎まずんばある可からず、夫子の及ぶ可からざること、猶、天の階を升る可からざるがごとし、 【訳】子貢が言った。君子はたったのひと言で知者とされることもあるが、たったのひと言を誤っただけで不知すなわち愚者とされることもある。したがって言うことは細心の注意を払って慎まなければいけない。孔子は我われの及びもつかない人であって、それは天に梯子をかけて昇ることができないのと同じようなことだ。 【解説】子貢は子禽の失言を責めて云った。 【書き下し】夫子の邦家を得んときは、所謂これを立つれば斯に立ち、之を道びくは斯に行い、之を綏んずれば斯に来たり、之を動かせば斯に和らぎ、其の生けるときは栄えりとし、其の死するときは哀しむなり、いかん、何ぞ、其れ及ぶ可けん、 【訳】孔子が位を得て国家を治めれば、人民に田宅を授け養ってその身を立てられるようにすれば、その効果はすぐに出て皆が身を立てられるようになるし、人民に道を教えればその効果はすぐに出てその教えに従って行うようになるし、人民が安心して暮らせるようにすればその効果はすぐに出て遠くの人までもがやって来てここで安心して暮らしたいと思うよになるし、人民を励まし奮い立たせて動かして道を教えることをより一層深くすれば、風俗は一変して万民が相和らぐようになるし、その国の君主存命中は、人民は尊び親しみ其の身の栄として誇りに思い、君主が死んだときは父母に喪するがごとくに哀しむようになる。いかがですか。このように孔子は、とても私の及ぶところではありません。 【解説】所謂は、古語の引用だと示す言葉。之は人民のこと。 |
最終更新日:令和02年10月21日
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