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漢文として楽しむ論語 微子第十八 3/3トップページ 論語序説(朱子による孔子の略歴) 學而第一 爲政第二 八佾第三 里仁第四 公冶長第五 雍也第六 述而第七 泰伯第八 子罕第九 郷黨第十 先進第十一 顔淵第十二 子路第十三 憲問第十四 衞靈公第十五 季氏第十六 陽貨第十七 微子第十八 子張第十九 堯曰第二十 8(468) 逸民…
○ 【書き下し】逸民、伯夷、叔齊、虞仲、夷逸、朱張、柳下惠、少連、子の曰く、其の志を降さず、其の身を辱めざるは、伯夷叔齊か、 【訳】才徳があるのに世に用いられなかったのは、伯夷、叔齊、虞仲、夷逸、朱張、柳下惠、少連の七人だ。先生が仰った。用いられなくとも、その志を堅持して、その身が辱めを受けなかったのは、伯夷と叔齊だ。 【解説】逸は、取り残したという意。民は位がない人。逸民は、才徳があるのに、世に用いられず取り残された人々。この七人はみな古人である。伯夷と叔齊は悪人と交わらず武王を諌めて餓死した。その結果、その志と身を少しも降し辱められることがなかったのだ。 【書き下し】柳下恵と少連を謂く、志を降し身を辱む、言、倫に中り、行、慮りに中る、其れ斯れ已、 【訳】柳下恵と少連のことを評論して仰った。この二人は少し志を降し、身を辱める所があったが、言うことは義理の次第にあたり、その行いの意義は人の思惑に適い、世と共に流されることもなかった。この二人についてはこれだけでも十分立派だ。 【解説】謂は評論するということ。倫は序=ついで、義理の次第。 【書き下し】虞仲夷逸を謂く、隠居して言を放いままにす、身、清ぎよきに中り、廃るること権に中る、我は則ち是に異なり、可も無く不可も無し、 【訳】虞仲と夷逸のことを評論して仰った。この二人は世を遁れるべき思惑があり、隠居して仕えず、自分のほしいままを言っていた。ただ、自ら隠居したのは、自分自身を清く善くするためであって、世が乱れている中で自ら廃れて隠遁することは権道にあたってはいる。としても私はこの人たちとは異なるので、よいとも悪いとも言えない。 【解説】朱張については、ここで名を挙げたのに何も触れてないが、その理由はわからない。 9(469) 大師摯適齊…
○ 【書き下し】大師摯は斉に適く、亜飯干は楚に適く、三飯繚は蔡に適く、四飯缺は秦に適く、鼓方叔は河に入る、播鼗武漢に入る、少師陽撃磬は海に入る、 【訳】魯に仕える楽人のうち、大師の摯は斉に去った。亜飯の干は楚に去った。三飯の繚は蔡に去った。鼓の奏者の方叔は黄河の北の方に逃げた。播鼗の奏者の武は漢に逃げた。少師の陽と撃磬奏者の襄は海の向こうの島に逃げた。 【解説】ここでは魯の国が衰えて、楽人が他地へ逃れ去る者が多かったことを記す。大師は楽長。古は君主が食事をする毎に楽を奏した。一日の食事の回数は、天子は四食、諸侯は三食、大夫は二食とのこと。亜飯は二回目の食事、三飯、四飯は三回目、四回目の食事のことで、干繚缺はそれぞれの食事のときの奏楽の責任者。鼓は太鼓など皮を張った打楽器の奏者。適は単に去ること、入は二度と魯には帰らないという決意で逃げたこと。播鼗は振り動かす鼓。少師は補佐官といった役職で、大師が楽長ならば楽長補といったところ。撃磬は磬を叩くこと。磬は叩くと音程が異なる音が出る石をぶら下げた楽器。 10(470) 周公謂魯公曰…
○ 【書き下し】周公、魯公に謂って曰く、君子は其の親を施ず、大臣をして以いられざることを怨ま使めず、故旧、大故無きときは、則ち棄てず、一人に備わらんことを求むること無し、 【訳】周公が魯公に諭して仰った。君子は親族を大切にすること。大臣にはきちんと仕事を任せ、用いられないことを怨まれないようにすること。古くからの家臣は、大きな事件でも起こさない限り、棄ててはいけない。人を使うときは各その長じた所だけを任せ、一人になんでもかんでも求めてはいけない。 【解説】周公は文王の子、武王の弟。周公の子の伯禽が魯公。周公は王朝に留まり、伯禽が魯の君主、魯公となった。親は親族のこと。故旧は古くからの家臣のこと。大故は大事件。 11(471) 周有八士…
○ 【書き下し】周に八士有り、伯達、伯适、仲突、仲忽、叔夜、叔夏、季隨、季騧、 【訳】周の初めの頃に、一人の母から生まれた八人の賢士兄弟がいた。全員双子で、伯達と伯适が長男次男、仲突と仲忽が三男四男、叔夜と叔夏が五男六男、季隨と季騧が七男八男。 【解説】伯仲叔季は生まれた順を示す。なお、この八士のことは定かではない。 |
最終更新日:令和02年10月21日
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