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漢文として楽しむ論語 子路第十三 4/5トップページ 論語序説(朱子による孔子の略歴) 學而第一 爲政第二 八佾第三 里仁第四 公冶長第五 雍也第六 述而第七 泰伯第八 子罕第九 郷黨第十 先進第十一 顔淵第十二 子路第十三 憲問第十四 衞靈公第十五 季氏第十六 陽貨第十七 微子第十八 子張第十九 堯曰第二十 18(320) 葉公語孔子…
○ 【書き下し】葉公、孔子に語げて曰く、吾が党に躳を直する者有り、其の父、羊を攘む、子、之を證わす、 【訳】葉公が孔子に告げて言った。私の村には邪なことを決してしない直な者が居る。その父が迷い込んだ羊をそのまま自分の物としてしまうと、子がその羊の飼い主に告発した。 【解説】党は村、集落のこと、家五百軒を一党という。父子の情と社会正義、どちらを取るべきか迷うところだが……。 【書き下し】孔子の曰く、吾が党の直き者は是に異なり、父は子の為に隠し、子は父の為に隠す、直いこと其の中に在り、 【訳】孔子が仰った。私の村の直な者は、これとは異なる。父は子の悪事を隠し、子は父の悪事を隠す。この父子の間には直があるからこそ、互いに悪事を隠したのだ。 【解説】人情があるからこそ社会正義は成り立つもの。社会正義を振りかざして人情を顧みないのはよくないことだ、と、孔子は考えた。なお、この時代の刑律では、親族の罪を隠すことは許さていたという。 19(321) 樊遅問仁子曰居處恭…
○ 【書き下し】樊遅、仁を問う、子の曰く、居處恭しく、事を執って敬み、人に与して忠あること、夷狄に之くと雖も、棄つ可からず、 【訳】樊遅が仁について質問した。先生が仰った。居間でのんびりしているときも恭しい態度を保ち、何事かを執り行うときはつつしんできちんと行い、人と交わるときは心を尽くし、例え夷狄のような礼義のない野蛮な地に往くとしても、この恭敬忠を棄てずに固く守ることだ。 【解説】居處は普段居る場所。敬は、ここでは謹んでという意。 20(322) 子貢問曰何如斯可謂之士矣…
○ 【書き下し】子貢、問いて曰く、如何なるか斯れ、之を士と謂う可きか、子の曰く、己を行うに恥有り、四方に使いして、君命を辱めざるを、士と謂いつ可し、 【訳】子貢が質問して言った。士とはどういう人のことなのでしょうか。先生が仰った。自分の行動に責任を持ち、するべきではないことは恥じて決してしないこと、使者として諸国に出向いたとき、自らが仕える君の命令を辱めるようなことをしないこと、これがちゃんとできるのが士だ。 【解説】士は君子学者の称。 【書き下し】曰く、敢えて其の次を問う、の玉わく、宗族孝を称し、郷党弟を称す、 【訳】子貢が言った。もう少しハードルが低いところで何かないかと。孔子が仰った。家族親族の間では父母などの目上に孝を尽くし、居住している地域では、年長者に、弟のように尽くすことだ。 【解説】子貢は、上の要件だとハードルが高いと思い、もっとハードルが低い要件はないものかと、質問したのだ。 【書き下し】曰く、敢えてその次を問う。曰く、言うこと信あらんことを必とし、おこない果たさんことをひつとす、硜硜然として小人なる哉、抑そも亦以って次と為す可し、 【訳】するとまた子貢が言った。もう少しハードルを下げるとどうか。孔子が仰った。何か言うときは必ず信用信頼を裏切らないようにし、何か行動するときは、必ずきちんとやり遂げることだ。ただ、これでは小石のように見識度量が小さく狭いので、小人のようでもあるが、必信必果の意は、辛うじて士と呼んでもよい。そもそもこれすらもできないのであれば、士と呼ぶべき要素が何もなく、本当の小人だ。 【解説】子貢にとってはこれでも難しく、さらにハードルの低い要件はないものかと、質問したのだ。硜は硬い小石、硜硜然とは、必信必果だけで、小石のように見識度量が小さく狭いこと。 【書き下し】曰く、今の政に従う者は如何、子の曰く、ああ、斗筲の人、何ぞ算うるに足らん、 【訳】子貢が言った。だとすると、今の政事の実権を握っている三桓氏の者たちは士と呼べないと思い、質問した。ああ、とため息をついて、小石よりもずっと小さく、斗や筲で量を計っるのが丁度よい米粒程の資質の人たちは、要するに小人であって、士の数には入らない。 【解説】斗は一升余り入る桝。筲は小さい飯を入れる竹製の容器で一斗二升入る。 21(323) 子曰不得中行與之…
○ 【書き下し】子の曰く、中行を得て之に与せずんば、必ず狂狷か、狂者は進んで取る、狷者は為さざる所有り、 【訳】先生が仰った。過不及なく中道の士を得て、道を教えようとしても、そのような者はなかなか得られない。とすれば、狂か狷の士にこそ教えたい。それ以外には目ぼしい者はいない。狂者はその志が極めて高く、その善と見たところを直ちに進み取って身に付けるのに、他人の目を憚ることがない。狷者は、その守力が余りあるので、しないと思ったことは決してしない。 【解説】世の謹厚と称するばかりの人は、慎み深く、慮ることを具にして、中道に似たところはあるが、徳量が低く狭く、その才力が抜きん出ていることもない。狂者はその志が高きに過ぎているので、その行いが言っているところに及ばないことがある。狷者はその操が固きに過ぎているので、変通の智、その守る所に及ばないことがある。しかしその志気節操によって、過ぎたるところを抑え、及ばざるところを励ませば、これを以って道に進むべきことは可能なのだ。したがって謹厚の士を取らず、狂狷を取るのだ。ただその狂狷の資質ばかりを取るのではない。このように述べたのは、顔淵が死んだ後、曽子がまだ幼い頃のことではないか、と云われている。 22(324) 子曰南人有言…
○ 【書き下し】子の曰く、南人言えること有りて曰く、人として恒無きは、以って巫医を作す可からず、善いかな、其の徳を恒にせざれば、之が羞を承くること或り、子の曰く、占わざらく已、 【訳】先生が仰った。南方の人が言ったことが有る、人として常がなく、気が変わりやすいのは、巫覡や医者にはなれない。善い言葉だ。易経にも、ひとつのことをやり遂げるのではなく、すぐ挫折してあれこれ移り変わる者は、その節操のなさに、他人から辱めを受け、結局は誰からも受け入れられない、という意の言葉がある。先生が仰った。ここで易経の言葉を持ち出したのは、この件を占ってみたらそう出たということではなく、易経には道を学ぶ上でそういう大切なことがいろいろ書いてあることを知ってほしい、という思いからだ。 【解説】恒とはその心に常があり、久しきを経て変わらない人を云う。巫は巫覡、鬼神に交わり祈り告げる者。医は人の病を療じ死生に関わる者。この二つは賤役ではあるが、とりわけ常ある人が望ましい。不恒其徳或承之羞は易経の雷風恒という卦の九三の爻辞である。易経は周の文王が卦辞を書き、周公旦が爻辞を書き、それらに孔子が注釈を添えた本であって、この爻辞の注釈としは、无所容=どこへ行っても何をしても受け入れられることはない、と、孔子は書いている。ここに易経からの引用を持ち出したのは、道を学ぶのならば易経をこそ読むべきだ、と、勧めている面もあるのだろう。 |
最終更新日:令和02年10月21日
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