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漢文として楽しむ論語 顔淵第十二 4/4トップページ 論語序説(朱子による孔子の略歴) 學而第一 爲政第二 八佾第三 里仁第四 公冶長第五 雍也第六 述而第七 泰伯第八 子罕第九 郷黨第十 先進第十一 顔淵第十二 子路第十三 憲問第十四 衞靈公第十五 季氏第十六 陽貨第十七 微子第十八 子張第十九 堯曰第二十 20(298) 子張問士○ 【書き下し】子張の問わく、士如何なるをか斯れ之を達と謂いつ可き、子の曰く、何ぞや、爾が所謂達とは、 【訳】子張が質問した。士とはどのうよな人物のなか。士の達人とはどのような人物なのか。先生が仰った。キミ=子張はどう思うのか。 【解説】士は道を学ぶ者として一定の水準に達した者、達はその中のいわゆる達人の域に達した人のこと。 【書き下し】子張、対えて曰く、邦に在っても必ず聞こえ、家に在っても必ず聞こゆ、 【訳】子張が答えて言った。世間的にも評判になってその名が聞こえ、家の中でもその世間的に聞こえるとおりだと家人から評価されることだ。 【解説】子張は要するに、名声を得た人が達だと答えたのだ。 【書き下し】子の曰く、是れ聞なり、達に非ざるなり、 【訳】先生が仰った。それは聞であって、達ではない。 【解説】まず子張が勘違いしているこを指摘する。 【書き下し】夫れ達は、質直にして義を好み、言を察して色を観、慮って以って人に下る、邦に在っても必ず達し、家に在っても必ず達す、 【訳】達は質性が素直で忠信を旨とし、正義を好み、各々そのよろしきに適うようにして、人と接するときはその言葉の真意と顔色を観察し、自らおごり高ぶっているか否かを慮って人に卑下する。このようであれば、ただ自ら内にのみ修めて外に知られることを求めなくても、その行うところは何れ評判となり、世間に知られ達するし、家の中でも達だと家人から評価されるものだ。 【解説】質直は飾り気がなく素朴で素直なこと。 【書き下し】夫れ聞は、色をもって仁を取りて、行い違い、之に居て疑わず、邦に在っても必ず聞こえ、家に在っても必ず聞こゆ、 【訳】達ではなく聞の者は、顔色は仁の様相を呈していても、行動が仁とは相違していても、そのままにして気にせず疑わない。それでも世間では十分評判になるものだ。 【解説】聞は虚にして名のみを求めること、実徳のない虚名である。 21(299) 樊遅從遊於舞雩之下…○ 【書き下し】樊遅、従って舞雩之下に遊ぶ、曰く、敢えて徳を崇くして慝を脩め惑を弁つことを問う、 【訳】樊遅が孔子のお供で雨乞いをする場所あたりを遊覧したときに言った。徳を崇くして、心の奥底に隠れている悪の根の除き捨て、惑いを断って疑わないようにするにはどうしたらよいのかを、敢えて質問した。 【解説】樊遅は孔子の弟子、姓は樊、名は須、字は子遅。慝とは心の奥底に隠れている悪の根、脩は治めて除き捨てること。 【書き下し】子の曰く、善いかな問えること、事を先んじ得ることを後にす、徳を崇くするに非ずや、 【訳】先生が仰った。よい質問だ。するべき事を先にし、それによって何を得られるかを考えるのは後にすることこそ、徳を崇くすることに他ならない。 【解説】結果として何かを得られるかもしれないが、だからと言ってその何かを得ることを目的とするのは道に外れること。 【書き下し】其の悪しきを攻めて、人の悪しきを攻むること無き、慝を脩むるに非ずや、一朝の忿に其の身を忘れて、以ってその親に及ぼす、惑えるに非ずや、 【訳】自分の内にある悪を攻めて、人の悪を攻めないことこそ、心の中の悪の根本を除き捨てることに他ならない。一時の怒りに耐えかねて、分別のない行動をすれば、その禍が父母に及ぶほどの大事となることもあるが、これこそ甚だしい惑いに他ならない。 【解説】樊遅は卑俗で粗暴なところがあり、損得を考えて行動し、自分を棚に上げて人の悪を責め、怒りに任せて分別をなくしやすい性格なので、このように告げて戒めたのだ。 22(300) 樊遅問仁…○ 【書き下し】樊遅、仁を問う、子の曰く、人を愛す、知を問う、子の曰く、人を知る、樊遅未だ達せず、 【訳】樊遅が仁について質問した。先生が仰った。人を愛することだ。樊遅が知について質問した。先生が仰った。人を知ることだが、樊遅は未だその域に達していない。 【解説】仁はあまねく人を愛すること。知は人を知ることすなわち善人か悪人かを分け隔てること。 子曰、 【書き下し】子の曰く、直を挙げて諸の枉れるを錯くときは、能く枉れる者をして直から使む、 【訳】先生が仰った。直き者ひとりを挙げ用いて、諸々のまがれる者をその下におくと、そのまがれる者もやがて感化されて、みな直くなるものだ。 【解説】あまねくの仁と、分け隔ての知は矛盾するのではないかとも考えるところだが、まがれる悪人を直な善人の下に錯けば、まがれる悪人も感化されて直になるので、やがては分け隔てなく、みな直になるものだ。したがって、知は仁の妨げにはならいのだ。 【書き下し】樊遅退いて、子夏に見えて曰く、郷に吾れ夫子に見えて知を問う、子の曰く、直を挙げて諸の枉れるを錯くときは、能く枉れる者をして直から使むと、何と謂うことぞ、 【訳】樊遅は部屋を退き出ると、丁度子夏が居たので、言った。先ほど私は先生にお会いして知について質問したところ、先生は、直を挙げて諸の枉れるを錯くときは、能く枉れる者をして直から使む、と仰ったのですが、これはどういうことでしょうか。 【解説】樊遅は未だ達するという域ではなかったので孔子の言葉の意味をあまり理解できず、子夏に質問した。 【書き下し】子夏の曰く、富んなるかな言えること、 【訳】子夏が言った。先生が仰ることは含蓄がある。 【解説】子夏は孔子が智と仁をかねて述べたことを悟り、その例を次に示す。 【書き下し】子夏の曰く、富んなるかな言えること、舜天下を有てるときに、衆を選んで、皐陶を挙げしかば、不仁者遠かりき、湯天下を有てるときに、衆を選んで、伊尹を挙げしかば、不仁者遠かりき、 【訳】子夏が言った。先生が仰ることは含蓄がある。かつて帝舜が天下を治めたとき、衆の中から賢人の皐陶を選んで宰相としたら不仁者がいなくなった。また、殷の湯王が天下を治めたとき、衆の中から賢人の伊尹を選んで宰相にしたら不仁者がいなくなった、ということがある。 【解説】皐陶伊尹を挙げたのは直きを挙げることであって、これは智である。智は知ることの深いこと。皐陶伊尹を挙げたことによって不仁者がいなくなったというのは、枉の不仁者が感化されて直き仁者になった、ということである。 23(301) 子貢問友…○ 【書き下し】子貢、友を問う、子の曰く、忠やかに告げて善く之を道びき、不可なるとき則ち止む、自ら辱めらるること毋らん、 【訳】子貢が友と交わる道について質問した。先生が仰った。友は互いに仁を目指す者だから、忠告するべきは心を尽くして思うところを残さず忠告し合い、互いに善に導くことだ。しかし、それが通じないようならば、止めることだ。しばしば忠告すれば疎んじられて、自ら恥ずかしい思いをするだけだ。 【解説】ここで云う友は、孔子の道を学ぶ同志のことである。したがって、道に背き、仁を目指さない者は友とするべきではない。 24(302) 曾子曰君子以文會友…○ 【書き下し】曽子の曰く、君子は文を以って友を会し、友を以って仁を輔く、 【訳】曽子が言った。君子は文=学問を以って友と会合して互い教養を高め合い、友情を以って仁を育み輔ける。 【解説】君子が学問をする上で、その友に交わる道を論じている。 |
最終更新日:令和05年01月28日
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