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漢文として楽しむ論語 述而第七 3/4トップページ 論語序説(朱子による孔子の略歴) 學而第一 爲政第二 八佾第三 里仁第四 公冶長第五 雍也第六 述而第七 泰伯第八 子罕第九 郷黨第十 先進第十一 顔淵第十二 子路第十三 憲問第十四 衞靈公第十五 季氏第十六 陽貨第十七 微子第十八 子張第十九 堯曰第二十 20(167) 子不語怪力亂神也
○ 【書き下し】子、怪力乱神を語らず、 【訳】先生は、モノノケ、暴力、乱を起こすこと、神秘なことは語らない。 【解説】怪はモノノケのこと。力は暴力。乱は道や治を乱すこと、神は神秘や宗教的なこと。 21(168) 子曰三人行…
○ 【書き下し】子の曰く、三人行うときは、必ず我が師有り、其の善なる者を択んで之に従い、其の不善なる者にして之を改たむ、 【訳】先生が仰った。三人で何かを行うとき、自分以外の二人は自分の師である。一人は善、一人は不善=悪ならば、自分はその善を択んでこれに従い、その悪を顧みてこれを改める。 【解説】ここで三人というのは最も少ない人数で例えたからであって、千人万人居たとして、やはりその中に善、不善がある。善があるから不善がわかり、不善があるから善がわかる。とすれば、全員が、善と不善の違いを教えてくれる師ということになる。 22(169) 子曰天生コ於予…
○ 【書き下し】子の曰く、天、徳を予に生せり、桓魋、其れ予を如何、 【訳】天は私に徳を授けた。桓魋が一人の私怨を以って天に違い、天の徳を授かった者を害することは不可能だ。 【解説】桓魋は宋の司馬。孔子が宋にいたとき、私怨があって孔子を害そうとした。孔子はこっそりと宋を去った。その時、お供をした弟子が甚だ恐れて、孔子に急いで去ることを進言したことへの答えがこれである。 23(170) 子曰二三子以我爲隱乎…
○ 【書き下し】子の曰く、二三子、我を以って隠せりと為るか、吾は行うとして二三子に與さずということ無し、是れ丘なり、 【訳】先生が仰った。諸君は私が何か隠していると思っているようだが、私は諸君に何も隠していない。私は諸君になんでも示し見せている。私の言葉だけではなく、黙っていること、動くこと、静かにしていることなど、私のすべてをきちんと見ていればわかるはずだ。これが私=丘という人物だ。 【解説】二三子とは諸弟子に呼びかけての言葉。諸弟子たちは孔子の道が高妙深遠にして甚だ及び難きを見て、何か隠していることがあるはずだと疑う。原因は彼等が、孔子の動静語黙すべてが教えなのだということに気付かないからである。 24(171) 子以四教…
○ 【書き下し】子四つを以って教う、文、行、忠、信、 【訳】先生は四つのことを教える。文を学ぶこと、行を修めること、忠実であること、信じて裏切らないこと。 【解説】文とは古代の聖賢の事跡や考え方を知ること、行は礼を以って慎ましく行動すること、この二つを学び修めるに当たって必要なのが、忠と信である。忠信がなければ何をするにしても虚構になってしまうのである。自分に嘘をつかず、他人にも嘘をつかないことが大事なのだ。自分を誤魔化して時代に迎合するのは忠とは言えない。疑問があるのなら、徹底的に調べ学び、その疑問を解決し得て初めて納得するのが忠である。よくわからないけど、発言力が強い人の言葉を信じ、それを正しいことにしてしまうのは忠とは言えないし、自分の本心に嘘をついていることにもなる。そういう態度ではどのような学問も中途半端に終わってしまう。 25(172) 子曰聖人吾不得而見之矣…
○ 【書き下し】子の曰く、聖人は吾れ得て之を見ず、君子を見ることを得ば、斯れ可なり、 【訳】先生が仰った。今の時代、聖人に出会うことはまずない。せめて君子たる人格者に会えれば、それでよしとしよう。 【解説】ここではよき人が稀なことを嘆いている。 【書き下し】子の曰く、善人は吾れ得て之を見ず、恒有る者を見ることを得ば、斯れ可なり、 【訳】また先生が仰った。善人に会えることはまずない。せめて恒に心が変わらず、嘘や誤魔化しがない人と会えれば、それでよしとしよう。 【解説】善人とは仁を志して悪がない人。これは生まれ持った資質でもあるが、全く道を学ばない人でもない。善人がよく道を学べば、その徳を成して君子にもなり得る。有恒とは、心が変わらないこと。 【書き下し】亡けれども而も有りと為し、虚しけれども而も盈てりと為し、約しけれども而も泰かなりと為す、難いかな恒有ること、 【訳】なくても有るふりをし、空虚でも満たされているふりをし、貧困で忙しなくても豊かで泰然としているふりをするようだとなら、恒有るとは言い難い。 【解説】要するに虚栄心がないことが大事なのだ。 26(173) 子釣而不網…
○ 【書き下し】子、釣りすれども綱あみせず、弋すれども宿とりを射ず、 【訳】先生は、釣りはするけど、綱のついた網を川に入れて一度に大量の魚を獲ることはしない、弋はしても、夜、木の枝で寝ている鳥を射ることはしなかった。 【解説】綱あみとは、いわゆる投網漁のこと。弋とは矢に糸をつけて鳥に射て、纏い落すこと。宿とりとは、夜、木の枝等で寝ている鳥のこと。 27(174) 子曰蓋有不知而作之者…
○ 【書き下し】子の曰く、蓋し知らずして之を作す者有らん、我、是れ無し、 【訳】先生が仰った。思うに、その理を知らずに妄りに新しい事を作す者があるが、私はそういうことはない。 【解説】蓋しは思うにという意。これは人に知識を求めることを勧め、軽薄な知識で安易に事を作すことを戒めている。 【書き下し】多く聞いて其の善き者を択んで之に従い、多く見て之を識すは、知るが次なり、 【訳】多くのことを聞いて、その中から善いことだけを択んで従い、多くのことをその目で見て確かめて記憶しておく。これが知るということの前段階だ。 【解説】識すというのは善だけではなく、善悪みなそのまま温存し、参考に備えること。 28(175) 互郷難與言…
○ 【書き下し】互郷与に言い難し、童子見ゆ、門人惑えり、 【訳】互郷という名の郷があった。その郷の人はみな不善を当然のこととしていたので、善を言い難い環境だった。ある時、その互郷の童子が来て、先生と会う機会を得た。諸弟子は先生がこの童子に会うことを訝しく疑った。 【解説】互郷は郷の名。童子は孔子に教えを乞いに来たのだ。 【書き下し】子の曰く、其の進に与す、其の退くに与さず、唯、何ぞ甚しからん、人、己を潔めて以って進めば其の潔むるに与す、其の往しことを保せず、 【訳】先生が仰った。人が自分自身を修め整えて進み来たのであれば、その修め整えたことで許して、これに会う。過ぎた日のことはとやかく言わない。そもそも進み来たことを許すのであって、退出の後、郷に帰って不善をすることを許して会うわけではない。ただ、会いたいと言うから、取り敢えず一度会うだけなのに、なんで甚だしく嫌悪して迷うのか。門人ならば、もっと寛容の心を持つべきだ。 【解説】ここは錯簡があると疑われる。人潔己以下末尾までを与其進也の前すなわち子曰の直後に置くと、その意がよく通じる。潔己はその身を修め整えて慎むことを云う。また、唯の字の前後にも闕文がありそうなことが疑われるので、その辺を考慮しての訳である。 |
最終更新日:令和02年10月21日
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