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漢文として楽しむ論語 雍也第六 2/3

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7(126) 季氏使閔子騫爲費宰…

季氏(きし) 使(しむ )閔子騫( びん  し けんをして ) ( たら)費宰( ひの さい )

【書き下し】季氏閔子騫をして費の宰為ら使む、

【訳】季氏が閔子騫を費邑の宰にしようとした。

【解説】閔子騫は孔子の弟子、姓は閔、名は損、字は子騫。費は季氏の本領の邑。宰は邑の奉行。

閔子騫( びん し けんの) (いわく)(よく ) (ために)(わが ) (じせよ)焉、(もし ) (あらば )(ふたたびすること )(われを)者、則吾(すなわち われ ) (かならず ) (あらん )汶上(ぶんの ほとりに)矣、

【書き下し】閔子騫曰く、よく我が為に辞せよ、もし我を復びすること有らば、則ち吾必ず汶の上に在らん、

【訳】閔子騫が言った。私は辞退します。それでもまた再び私を採用しようとするのならば、私は汶のほとりに出て、川沿いに行き、斉に入るだろう。

【解説】閔子騫は、季氏が無道にしてその君を蔑ろにすることを憎み、辞退を申し出た。汶は川の名。魯と斉の境を流れる。

8(127) 伯牛有疾…

伯牛( はく ぎゅう) ( あり)(やまい)() (といて)(これを)(より )(まど ) (とる )其手( その てを )

【書き下し】伯牛疾有り、子これを問いて、牖より其の手を執る、

【訳】伯牛が病にかかった。先生が彼の家を訪問して窓から手を握った。

【解説】伯牛は孔子の弟子、姓は冉、名は耕、伯牛は字。一説にこの疾は癩病だという。

(の玉わく)(しなん)之、命矣(いのちなるかな )夫、斯人(この ひとにして)也而(あること)斯疾( この やまい)也、斯人(この ひとにして)也而(あること)斯疾( この やまい)也、

【書き込み】曰く、亡なん、命なるかな、斯の人にしてこの疾有ること、この人にしてこの疾有ること、

【訳】先生が仰った。死なないで。天命だから仕方ないが。この人にしてこの病とは、この人にしてこの病とは。

【解説】亡なんとは、病勢が迫り死期が近いこと。命矣夫は天命だから仕方ないと嘆いている様子。伯牛の徳行は顔子、閔子に次ぐ。孔子はその死をとても惜しんだ。

9(128) 子曰賢哉回也…

子曰( しの の玉わく)賢哉(けんなるかな ) (かいは)也、一箪食( いっ たんの しょく)一瓢飮( いち ひょうの いん )(あり )陋巷( ろう こうに)

【書き下し】子の曰く、賢なるかな回は、一箪の食、一瓢の飲、、陋巷に在り、

【訳】先生が仰った。実に顔回は賢だ。彼は狭い小路に居り、朝夕一汁一飯の貧しい生活だった。

【解説】これは顔回の徳行を誉め嘆いたもの。箪は竹で編んだ器、食は飯。瓢は瓢箪を半分に割った器、飲は飲み物。陋巷は狭い小路。

(ひと ) ()(たえ )其憂( その うれいに)(かいは)()(あらため) 其樂(その たのしみを)賢哉(けんなるかな )(かいは)也、

【書き下し】人其の憂いに堪えず、回は其の楽しみを改めず、賢なるかな回、

【訳】世間の人はこのような貧苦に堪えかねるものだが、顔回は気にせず楽しそうに生活している。実に顔回は賢だ。

【解説】貧乏を気にせず楽しんでいる顔回。孔子はこの顔回に感動して、文頭の賢哉回也を最後にも繰り返した。

10(129) 冉求曰非不説子之道…

冉求曰( ぜん きゅうの いわく)(あらず)(ざるは )(よろこば )(しの )(みちを)(ちから ) (ざるなり )(たら )也、

【書き下し】冉求曰く、子の道を説ばざるは非ず、力足らざるなり、

【訳】冉求が言った。先生の道を喜び慕い、会得したいと思わないのではない。力が足りず、及ばないのです。

【解説】冉求が孔子に告げた言葉。

子曰( しの の玉わく)(ちから) ( ざる)(たら ) (ものは)中道而(ちゅう どうにして ) (すつ )今女畫( いま なんじ かぎれり)

【書き下し】子の曰く、力足らざる者は、中道にして廃つ、今女画れり、

【訳】先生が仰った。力不足だと云う者は、進もうとしてもこれに耐えず、中途で諦めてその事を捨てるのと同じ。今、あなたは本当に力不足なのではなく、自分の可能性を自ら限って進もうとしないだけだ。

【解説】中道は道の途中ということ。画という字は地面に筋を引いて場所を限るという意。

11(130) 子謂子夏曰…

() (いって)子夏( し かを )(の玉わく)(なんじ) ( なれ)君子儒( くん しの じゅと)(なかれ )(なること )小人儒(しょう じんの じゅと)

【書き下し】子子夏を謂って曰く、女君子の儒と為れ、小人の儒と為ること無かれ、

【訳】先生が弟子の子夏を評して仰った。あなたは君子の儒となりなさい。小人の儒とならないように。

【解説】儒は学者の称。君子の学は道のためにするものであって、己を修め、人を治めること。これを君子の儒という。自分の利益のため、名誉のためにしたり、外に従い、末のことばかりを行うのは、みな小人の事である。もし学を志しながら、少しでもこれらの心があれば、それは小人の儒でしかない。自分のために道を利用しているに過ぎない。子夏の人となりは、謹厳細密にして、小さな事に心を動かし、人情に流されて時俗に迎合しようとする弊があるので、小人の趣きに近いところがある。そこで、こう戒めたのだろう。

12(131) 子游爲武城宰…

子游( し ゆう ) (なれり)武城宰( ぶ じょうの さいと)子曰( しの の玉わく)(なんじ ) (えたりや)(ひとを)焉爾乎、

【書き下し】子游武城の宰と為れり、子の曰く、女、人を得たりや、

【訳】子游が魯の武城という邑の奉行となった。先生が仰った。あなたはその仕事に役立つよい人を得たのか。

【解説】武城は魯の邑の名。宰は奉行。人とは才徳のある者を指す。およそ政をするには、よい人を選び用いることが大事。よって孔子は、人を得たかと質問した。しかし必ずしもこれを挙げて下官とするだけではなく、よい相談相手を見つけることもまた人を得るということである。

(いわく)( あり)澹臺滅明者( たん たい べつ めいというもの)(いくこと) ()(よら )(ただちに)(あらざれば)公事( こう じに )(いまだ/ず )(かつて) (いたら)(えんが)(しつに)也、

【書き下し】曰く、澹臺滅明という者有り、行くこと、公事に非ざれば、径ちに由らず、未だ嘗て偃が室に至らず、

【訳】子游が言った。澹臺滅明という人がいた。細い近道は使わず、常に大道を行くかの如く、動くこと必ず理の正しきに従い、安直を求めない人物だ。しかも、未だ公事以外で偃=子游の邑宰の部屋に出入りして媚び諂うようなことはない。

【解説】澹臺は姓、滅明は名、字は子羽、武城の人で、後に孔子の弟子となる。径とは細い近道。

13(132) 子曰孟之反不伐…

子曰( しの の玉わく)孟之反( もう し はん )()(ほこらず)奔而殿(わしるときにして しんがりす)(まさに/するに )(いると)(もんに)(むちうって)其馬( その うまに)(いわく)(あらず )敢後(あえて うしろたるに)也、(うま ) (ざればなり)(すすま)也、

【書き下し】子の曰く、孟之反伐らず、奔るときにして 將に門に入るとするに、其の馬に策って曰く、敢えて後ろたるに非ず、馬進まざればなり、

【訳】孟之反は自分の功績を誇ることがなかった。戦闘に負けて逃げるとき、その最後尾で敵を防ぎ止めた。まさに国門に入ろうとするとき、自分の馬に鞭をあてて言った。馬が進まなかったので、仕方なく最後尾となっただけだ。

【解説】孟は姓、名は側、之反は字、魯の大夫。奔とは逃げること。殿は最後、一番後ろという意。最後尾で追手を防ぐのは軍法上では功績とするべきことである。魯の哀公十一年に斉人と郊で戦ったとき、敗れて逃げ帰った。この時、孟之反が最後尾で斉人を防ぎ止めて退き、魯の国門に入ろうとするときに、魯人が出迎えてその防ぎ止めた軍功を賞賛しようとするのを見て、自ら望んだのではなく、馬が進まなかったので仕方なくそうなっただけだと告げ、自分には何の賞賛の価値もないとしたのだった。

14(133) 子曰不有祝鮀之佞…

子曰( しの の玉わく)(ざれば)(ありて)祝鮀(しゅく だが )(ねい )、而(あるにあら)宋朝( そう ちょうが)()(いかな)乎、(まぬかれんことを)(いまの)(よに )矣、

【書き下し】子の曰く、祝鮀が佞、有りて、宋朝が美有るにあらざれば、難な、今の世に免れんこと、

【訳】先生が仰った。祝鮀のように口が巧く、宋の公子のように美男子でなかたったら、今の世では、人に忌み憎まれることを逃免れない。

【解説】祝は宗廟の官、鮀はその名にて字は子魚。衛の大夫。佞は口が巧いこと。宋朝は宋国の公子で美男イケメン。その昔は風俗が乱れていて、人はみな諂いを好み、色を喜び、忠正の人は疎まれた。今はその頃の再来なのかと、この世の衰えを深く痛んでの嘆きである。

15(134) 子曰誰能出不由戸…

子曰( しの の玉わく)誰能出(だれか よく いでること ) (ざらん)(よら )(こに )(なんぞ ) (なきや )(よること )斯道( この みちに)也、

【書き下し】子の曰く、誰か能く出ること戸に由らざらん、何ぞ斯の道に由ること莫きや、

【訳】先生が仰った。誰でも家の出入りは必ず戸口による。道は戸口のようなものなのに、なんで斯の道によることがないのか。

【解説】斯の道は人の身の必ずより従わなければいられないところである。また、より難きことがあるわけでもない。そこで、人の出入りが必ず戸口によることを借りて、こう述べた。道は人のすぐそばにあるが、人が自ら背き去ることを嘆いているのだ。

16(135) 子曰質勝文則野…

子曰( しの の玉わく)(しつ ) (かつときは )(ぶんに ) 則野(すなわち やなり)(ぶん ) (かつときは )(しつに ) 則史(すなわち しなり)文質( ぶん しつ ) 彬彬(ひん ぴんとして)然後(しかる のちに) 君子( くん しなり)

【書き下し】子の曰く、質、文に勝つときは則ち野なり、文、質に勝ときは則ち史なり、文質彬彬として、然る後に君子なり、

【訳】先生が仰った。質すなわち素朴さばかりで文すなわち礼儀作法が疎かなのは、野人のようだ。逆に礼儀作法ばかりを重視して素朴さに欠けるのは、書史のようだ。この文と質を程よく供えて、偏りがないのが君子だ。

【解説】質は素直にして飾らないこと、素朴なこと。文は礼儀のあやがある様子を云う。史は文書を司る者のこと。事を知り、礼にはならうが、誠実さに足りないところがある。彬彬は内と外が程よく調和している様子。

17(136) 子曰人之生也直…

子曰( しの の玉わく)(ひとの)生也(うまるること ) (なおし)罔之(しいたるが ) (いけるは)幸而(さいわいにして ) (まぬかれるなり)

【書き下し】子の曰く、人の生まるること直し、罔たるが生けるは、幸いにして免れるなり、

【訳】先生が仰った。人は、正直に生まれついたものだ。邪なことをしてもそれと気づかず、暗く愚かなまま生きているのは、運よく幸いにして死を免れているに過ぎない。

【解説】罔は「しいる」と読む。理非曲直を知らず、暗く愚かなままでいること。ちなみにこれは、返り点がひとつも必要ない珍しい文章である。

18(137) 子曰知之者…

子曰( しの の玉わく)(しる )(これを) (ものは) ()(しか )(このむ)(これを) (ものに)(このむ)(これを) (ものは) ()(しか )(たのしむ)(これを) (ものに)

【書き下し】子の曰く、之を知る者は之を好む者に如かず、これを好む者は之を楽しむ者に如かず、

【訳】先生が仰った。そのことを知っているという者よりも、そのことが好きだという者の方が、そのことの理解は深い。そのことが好きだという者よりも、そのことを楽しんでいるという者のほうが、そのことの理解はさらに深い。

【解説】何事も同じだが、特に道は、知るよりも好む、好むよりも楽しむの境地になってこそのものである。

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最終更新日:令和02年10月21日 学易有丘会
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