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漢文として楽しむ論語 公冶長第五 4/4

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21(113) 子在陳曰…

() (いまして )(ちんに ) (の玉わく)歸與(かえんなん  ) 歸與(かえんなん  )吾黨( わが とうの)小子(しょう しの ) 狂簡(きょう かんにして)斐然( ひ ぜんとして ) (なせるが) (しょうを)()(しら )(ところを )(もって ) (さいする)1ノ(これを)

【書き下し】子陳に在して曰く、帰んなん帰んなん、我が党の小子の狂簡にして、斐然として章を成せるが、以って之を裁せん所を知らず、

【訳】先生が陳に在るときに仰った。帰ろう帰ろう。倭が故郷の門人たちは、志は大きいがまだ実務経験に乏しく具体性が伴わない。言うなれば綺麗に織り上げられた布だが、まだ裁断して衣服に作りあげる方法がわからないようなものだ。

【解説】孔子は四方を巡ったが、用いる君がなく、その道は行われなかった。よって陳より魯に帰ろうとして、その嘆きを述べた。吾党は、わが魯の郷党、小子は門人を指す。狂簡は、志は大きいが具体性が伴わなず、ぞんざいなこと。斐然は、(あや)のある美しさ。成章は(あや)を成すこと。裁は衣服を作るために適当な大きさに裁断すること。

22(114) 子曰伯夷叔齊…

子曰( しの の玉わく)伯夷( はく い ) 叔齊(しゅく せい )()(おもわ)舊惡(きゅう あくを)怨是(うらみ ここを ) 用希(もって すくなし)

【書き下し】子の曰く、伯夷叔斉、旧悪を念わず、怨み是を用って希し、

【訳】先生が仰った。伯夷と叔斉の二人は、誰かを恨んで根に持つことがなかったので、怨まれることもとても稀だった。

【解説】伯夷と叔斉は周初のとても潔い人物。

23(115) 子曰孰謂微生高直…

子曰( しの の玉わく)孰謂(たれか いう ) 微生高( び せい こう ) (ちょくなりと)(ある人) (こう )(すを )焉、(こいて)其鄰( その となりに)(あたう)(これを)

【書き下し】子の曰く、孰か謂う微生高直なりと、或る人酢を乞う、其の隣に乞いて之に与う、

【訳】先生が仰った。誰かが微生高は正直な人だと謂っていたが、ある人が酢が欲しいと来たとき、丁度なかったので、隣から貰って来て、その人に与えた。

【解説】微生は姓、高は名、魯人である。直は正直な人、まっすぐな人。本当に正直なら、なければないと言うべき。隣から貰って来て、恰も自分のであるかのように与えるのは、正直とは言えない。

24(116) 子曰巧言令色足恭…

子曰( しの の玉わく)(よくし)(ことを) (よくし)(いろを ) (たすこと) (きょうを)左丘明( さ きゅう めい ) (はず )(これを)丘亦(きゅうも また ) (はず )(これを)

【書き下し】子の曰く、言を巧くし色を巧くし恭を足すこと、左丘明之を恥ず、丘も亦之を恥ず、

【訳】先生が仰った。言葉巧みで愛想をよくし、さらに恭しさを足すのは、やり過ぎだ。したがって左丘明はこれを恥じとする、私、丘もまたこれを恥じとする。

【解説】巧言令色は学而第一3にもある言葉。左丘明は古の世に聞こえた人。春秋左氏伝の作者とは別人とされている。丘は孔子の名。孔子は自分が心に恥じることを、古人に比して述べたのは、謙遜の意である。易の巽為風九三の爻辞が言わんとするのは、まさにこのようなことであって、孔子はその象伝で、君子たる志が窮しているからだと指摘している。

(かくして )(うらみを)(ともとすること)其人( その ひとを )左丘明( さ きゅう めい ) (はず )(これを)丘亦(きゅうも また ) (はず )(これを)

【書き下し】怨みを匿して其の人を友とすること、左丘明之を恥ず、丘も亦之を恥ず、

【訳】その人に怨みがあるのに隠して友として親しみ交わることは、左丘明はこれを恥とする。私、丘もまたこれを恥じとする。

【解説】怨みを匿して付き合うのは、要するに自分にとってそれが利益になるからで、私利私欲のためのことである。道を志す者として、私利私欲で判断して行動するのは最も恥ずべきことである。

25(117) 顔淵季路侍…

顏淵( がん えん ) 季路(きろ) (はべり)子曰( しの の玉わく)(なんぞ/ざる) (おのおの ) (いわ )爾志(なんじの しを )

【書き下し】顏淵季路侍り、子の曰く、盍ぞ各おの爾の志を言わざる、

【訳】ある時、弟子の顔淵と子路が先生のそばに侍って立っていた。先生が仰った。なんで二人はそれぞれその志すところを言わないのか。

【解説】季路は子路のこと。末っ子なので季路とも呼ばれた。季には末という意もあり、例えば季節を三分割し、その季節の末の月を季と呼ぶ。礼記月令篇には、旧暦一月は孟春、二月は仲春、三月は季春、四月は孟夏、五月は仲夏、六月は季夏、七月は孟秋、八月は仲秋、九月は季秋、十月は孟冬、十一月は仲冬、十二月は季冬とある。盍は疑問・反語の助字で、なんぞ〜〜ざる、と読む。

子路曰( し ろの いわく)(ねがわくば) 車馬( しゃ ば ) (きること)輕裘( けい きゅうを)()朋友( ほう ゆう )(ともに)(やぶるとも)(これを)(なけん)憾、(うらむこと  )

【書き下し】子路の曰く、願わくば車馬輕裘を衣ること、朋友と共にし、これを敝るとも憾むことなけん、

【訳】子路が言った。私に車と馬と軽裘があれば、朋友と共にこれを用いて、仮に損ない破り果てても、心に怨むことがないようにしたい。

【解説】願わくばとは、師に対して謙っての言葉。車と馬は当時の世の中にとってとても重要なものだった。軽裘は軽い皮ごろも、衣服は軽い方が貴いとされている。

顏淵曰( がん えんの いわく)(ねがわくば ) ( なく)(ほこること)(ぜんに)(なけん )(おおいにすること)(ろうを)子路曰( し ろの いわく)(ねがわくば ) (きかなん)(しの )(しを )

【書き下し】顔淵の曰く、願わくば善に伐ること無く、労を施いにすること無けん、子路の曰く、願わくば子の志を聞かなん、

【訳】顔淵が言った。自分が善をしたからと云ってそれを誇ること無く、自分の功労を自慢することが無いようにしたい。子路が言った。願わくば先生の志もお聞きしたいところです。

【解説】一説に施労は労役を施すことと読み、労役は自分が施してほしくないことだから、自分がしてほしくないことは人にもしない、という意だとも解釈される。子路は顔淵の志す所が自分より大きな視点だったので、それならと、孔子の志す所が気になった。

子曰( しの の玉わく)老者( ろう しゃは ) (やすんじ)(これを)朋友( ほう ゆうは ) (しんじ)(これを)少者(しょう しゃは ) (なつけん)(これを)

【書き下し】子の曰く、老者は之を安んじ、朋友は之を信じ、少者は之を懐けん、

【訳】先生が仰った。老人とは心穏やかに接し、朋友とは信頼信用を第一に接し、年少者とは仲良くなることを第一とする。

【解説】これもまた人と共にすることについて述べている。一説にこの三人の志の違いは、孔子は仁を安んじ、顔淵は仁に違わないことを目指し、子路は仁を求めていることによるのだという。

26(118) 子曰已矣乎…

子曰( しの の玉わく)已矣(やんなんや  )乎、(われ ) (いまだ/ず)()(よく ) (みて )其過(その あやまちを)、而内自(うちに みずから ) 訟者(せむる ものを)也、

【書き下し】子の曰く、已んなんや、吾未だ能く其の過ちを見て、内に自ら訟る者を、見ず、

【訳】先生が仰った。どうしようもない。未だに私は、自分の過ちを知り、心の中で自らを責め咎めて反省する人を見たことがない。

【解説】已矣乎は諦め、絶望の言葉。見其過とは、自ら自分の過ちを知ること。自訟とは、口には言わず、心の中で自ら責め咎めること。

27(119) 子曰十室之邑…

子曰( しの の玉わく)十室(じゅっ しつの)(ゆう )(かならず) ( あり)忠信(ちゅう しん ) (ごとき)(きゅうが) ( もの)焉、()(しか )(きゅうが)(このむに)1ノ(がくを)也、

【書き下し】子の曰く、十室之邑、必ず忠信丘の如き者有り、丘が学を好むに如かじ、

【訳】先生が仰った。わずか家が十軒ばかりの小さな村でも、必ず私と同じくらい忠信の者はいる。しかし自分のように道についての学問を好むほどではない。

【解説】十室の邑とは家十軒ばかりの小さな村のこと。忠信は教わらなくても生まれつき備わっている者も、一定の割合でいるということ。そういう資質のある人は、道を学べば聖人にも至る可能性があると、学に努め励むことを勧めているのだ。

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最終更新日:令和05年01月28日 学易有丘会
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